夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

京の『祇園祭』、街衆の熱意と限りなく英知の結晶・・。【2009.7.15.~7.17.】 ⑥

2009-07-19 16:30:19 | 
          第6章 初めて拝観する『山鉾巡行』・・。

私達夫婦は、15日の宵々山めぐり、16日の宵山めぐりに於いて、
鉾町、その周辺を歩いたし、数多くの鉾を眺め、町屋のそれぞれの家の貴重な品
を拝見させて頂いた。
そして山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』のご厚意により、
囃子(はなし)方が座られている二階のような囃子舞台に上がれ、
余りの高さに私は驚いたりした。
その上に厄病災難よけの『ちまき』まで頂ただいたりした。


そして、祇園祭の最高潮となる『山鉾巡行』を拝観する為、
旅行会社から指定された大通りの御池通の桟敷席に座り、
先頭の『長刀鉾(なぎがたほこ)』を待ちわびたのは、昼前の11時であった。

朝方のひととき小雨が降り、不安定な天候で少し心配したが、
歩道の樹木から蝉(セミ)の鳴き声が聴こえてきたので、私は安堵したのである。


山と鉾が繰り出して、巡行するのであるが、
この御池通の桟敷席に来る途中で、鉾を観た時、
私は木の大きな車輪もさることなから、囃子舞台の上の屋根の上に屋根方の人が座り、
そして屋根から空中にそびえるように建つ鉾の高さに驚いたのである。

鉾の中央部には、榊(サカキ)の枝葉、そして先端に近い大幡、もしくは吹散が風で揺れ、
最先端の鉾頭も大きく揺れている。
そして、木の大きな車輪はギィート音を発てて、少しばかり囃子舞台も揺れるのである。

古来より釘(クギ)を使わず、縄絡みと称される荒縄で木枠などを殆ど縛り、
固定させるのは弾力性ある技法とされている、
と教えられた時は、私はただ敬服させられたのである。


御池通の桟敷席に座り、団扇を扇ぎながら待っていた時、
かすかにコンチーチキンの音色が微風に中で聴こえ、
先人には羽織を召された長老格の人たち、
わずか後方に鉾を曳かれる若手の男性の40名前後の曳手が観えた・・。
そして木の大きな車輪の傍に車方の男性、曳子と車輪の操作の上に立つ音頭取のふたり、
囃子舞台に着席している囃子方の30名以上の方たち、
最前列には生稚児が時折乗り出すようにふるまいをされたりし、
そして屋根に座っている屋根方の4名・・

こうした配列で鉾が通り過ぎ後、ぼんやりと私が加入させて頂だけた場合、
どの役目ができるかしら、と思ったりした。

屋根方は高いので怖いし、車方は木の大きな車輪の傍で怖いし、
音頭取は二枚目を要求された上、指揮官の責務があり、当然のことながら論外となる。
そして囃子も不器用な私は無理だし、残りは先人の羽織を召した長老格、
或いは若手に混じって曳手しかない、と心の中で苦笑したのである。


このように幾重の『函谷鉾(かんこほこ)』、『四条傘鉾(しじょうかさほこ)』等を拝観したが、
ときおり最先端の鉾頭も大きく揺れ、鉾の先端に近い大幡、もしくは吹散が風でたなびき、
少しばかり囃子舞台も揺れ、木の大きな車輪はギィート音を発てていた・・。
もとより伝統の技法が受け継がれて安心であるが、迫力を感じたりした。


私は初めて京の『祇園祭』を拝見したが、
市民の少年少女より高齢者までのひとりひとりの熱意で千百年受け継がれ、
たえず創意工夫を重ねた結果が今日観せて下さった情景である、
と深く思いながら、歴然と稀(まれ)なことである。

こうしたことが伝統美のまぎれない証(あかし)となり、
私のような東京郊外に住む人さえ、魅了させてくれる源泉、
と感じたりした・・。



尚、今回の『祇園祭』に関しては、京都市の新聞の雄である『京都新聞』に於いて、
【動画ライブラリ】で詳細な情景が掲載されているので、
ご興味のある方は、ご覧下さい。

http://www.kyoto-np.co.jp/kp/movie/player.php?id=20090717gion-junkousijou-shinmachi

☆ 主な掲載内容 ☆ 提供元・『京都新聞』

祇園祭・山鉾巡行(新町通) (2009/07/17)
祇園祭・山鉾巡行(河原町通-御池通) (2009/07/17)
祇園祭・神幸祭 (2009/07/17)
祇園祭・山鉾巡行(四条通) (2009/07/17)
祇園祭・宵山 (2009/07/16)
祇園祭・宵宮神賑奉納 (2009/07/16)
祇園祭・ちまき一堂に (2009/07/16)
祇園祭・宵々々山 (2009/07/14)

                            《つづく》


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京の『祇園祭』、街衆の熱意と限りなく英知の結晶・・。【2009.7.15.~7.17.】 ⑤

2009-07-19 10:00:36 | 
          第5章 宵山の日、山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』の囃子舞台に上がれば・・。

京の奥座敷と名高い貴船の里よりで市内に戻ると、
私達団体観光ツアーは特別実感サービスとして、山鉾のひとつ『月鉾(つきほこ)』のご好意により、
囃子(はなし)方が座られている二階のような囃子舞台に上がれることとなった。

30代の若き男性より、概要説明を受け、
私達は二階から『月鉾』までの間をあたかも渡り廊下を渡り、
囃子(はなし)方が着席する六畳ぐらいの囃子舞台に移動した。

そして、60代の世話役のような男性より、
屋根裏は草花図は円山応挙の筆に寄る江戸中期、
車輪の上にある基本部分の周囲に胴懸が飾られ、前方にあたる前懸は、
メダリオン絨毯で17世紀のインドの優良品です、
と優しく解説して下さったが、私は無念ながら無知の身であるが、
高価な優美の品、と感じたのである。
そして四方の4本柱なども華やかな飾金具などを眺めたりすると、
まぎれなく京の街人の長年の歳月に引き継がれたさりげない文化の粋、
と実感させられたのである。

この後、私は囃子舞台に立って、下方の大通りを眺めると、平素の二階建てより遥かに高く、
展望に良く、街並みを巡行する心持ちとなったりし、
心の中で秘かに微笑んだりした。

『月鉾』を降りた処で、厄病災難よけの『ちまき』まで頂き、
感謝しながら受け取ったのである。


この後、家内と一旦ホテルに戻り、身支度を改めた後、散策した。
昨日の宵々山めぐり、と同様に、鉾町周辺マップを見ながら、
数多く指定場所にある山鉾を観たり、人出の賑わう街並みを歩いた・・。

http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/schedule/04.html
下段に周辺マップ有り

私はこの街周辺を右手の東側から、左の西側に向う縦の通りを、
大通りの河原町通、そして小路の高倉通、東洞院通、
大通りの烏山通、そして小路の室町通、新町通、西洞院通、油小路通と覚え、

横軸の通りとして、北から南に向かい、
大通りの御池通、そして小路の姉小路通、三条通、六角通、蛸薬師通、錦小路通、
大通りの四条通、そして小路の綾小路通、佛光寺通、高辻通、松原通、
と東京郊外の田舎者の私は歩き、覚えたのである。


こうして、少しばかり蒸し暑く、人出の多い中を歩き廻ったのであるが、
多くの市民の幼児、少年少女、20代から高齢者の市民を見かけ、
祇園祭は市民から限りなく愛され、千年の長い歳月に引き継がれている伝統美を実感したりした。

そして、これだけ多くの山鉾は町衆にささえられている、
とパンフレット、解説書などに明記されているが、
私として町衆よりも、街衆の方が相応(ふさわ)しい、と感じたのである。


何より微笑ましく感じたのは、幼(おさな)き少年少女たちのたどたどしい浴衣姿かしら、
と好感していた。


                            《つづく》


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京の『祇園祭』、街衆の熱意と限りなく英知の結晶・・。【2009.7.15.~7.17.】 ④

2009-07-19 04:46:49 | 
          第4章 京の奥座敷の貴船の里は・・。

宵山めぐりの16日は、祇園祭のゆかりの社と知られている八坂神社を参拝し、
付近にある知恩院を拝観後、
私達一同の観光バスは、京の奥座敷と名高い貴船の里に向かった。

わずか40分ぐらいで、山里の情景が観られ、
春の時節には新緑の山並みの情景の中で、山桜が観賞でき、
夏になると清流の水かさは増え、蛍も舞う時節となり、
秋には朱色、紅色、そして黄色の錦繍に染まる中、家並みは菊が咲き、
冬の時節になると、雪が舞い、あたり一面に雪の真っ白な世界に変貌し、静寂な情景となる、
と私は初めて訪れる貴船の里に思いを馳せたりしていた。


このような情景の中で、貴船神社の付近に数多くの食事処、料理旅館が立ち並び、
今の時節は、まじかに流れる川の上に畳上の席を設けて、
たわわ樹木の中に於いて、清流と川風を受けた納涼となる風味に満ちた中で、
昼食として川床料理を頂ける贅沢なひとときを過ごした。

http://www.kibune-nakayoshi.co.jp/

私達はビールを呑みながら、料理を頂き、数品は確かに美味であったが、
水の流れをまじかに眺め、ときおり微風が受けたりると、心地よさが増したのである。

そしてこの間、私達はもとより団体観光ツアーの一員であったが、
東京駅の集合、新幹線、バスの車中、ホテル内ではお互いに挨拶する程度であり、
こうして昼食の頂いている時になると、何かと隣席の方たち、前の席に座られている方たちと、
談笑を重ね、淡き交流を深めたのである。


この後、家内と貴船神社に参拝し、付近に水占斉庭があり、
御神水と称される大きな石の長方形の箱に水が満たされ、
若き女性たちがノートのような一枚の紙を浮かべていた・・。
私は近づくと、水占○みくじ、と判読でき、おみくじの一種と理解できた。

この状景を見ていた家内は社務所より頂き、まもなく60歳を迎える身なのに、
真剣な面持ちで御神水に浮かべていた。
付近には、若き女性たちの中に、8人ぐらいの40代以上も少しばかりそわそわし、
それぞれ水占○みくじを手にしていた・・。
そして、おもむろに携帯電話を取り出して、ご自分のおみくじを記念写真を撮ったりしていたので、
私は思わず微苦笑させられたのである。

この後、私達一同は、バスの車中、山鉾巡行を観る桟敷席でも、
程々にお互いに談笑を重ねたりした。

                            《つづく》


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