私は東京郊外の調布市に住む年金生活5年生の64歳の身であるが、
昨日の日中は、宮崎市定・著の『大唐帝国 ~中国の中世』(中公文庫)を読んだりし、
中国の後漢の頃から唐の滅亡までの興亡を描いた本書に深く感銘を受けたのである。
宮崎市定氏はもとより中国の社会、経済、制度史の専攻されたお方なので、
それぞれの時代の諸国の状況が克明に生き生きと綴られて、
私は多々教示を学んだりしていた。
こうした余韻の中で、ぼんやりと夕刊を読んでいた時、
テレビ欄でNHKのBS2に於いて、映画の『シェーン』が放映されると知り、
視聴するか、少し迷ったのである。
この作品はジョージ・スティーヴンス 監督の昭和28(1953)年であり、
私は後年の高校時代の終りの頃にリバイバル興行として、映画館で初めて観たひとりである。
この作品が日本で初めて上映された昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇を観はじめていた。
ニュース、予告編、本編の合間、スクリーンの脇にあったきらびやかなカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていたのである。
こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』の唄声が流れ、
本編に期待を膨らましながら、少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声の匂いを感じていたのである・・。
http://www.youtube.com/watch?v=dFuGwPfK37I
注)あの頃の原曲はなく、『雪村いづみ ヒットメドレー1998』を流用。
後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。
その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役のジャック・パランスに魅了されたりした。
この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていたs
昨夜、テレビを通して、映画『シェーン』を45年以上振りに観賞したのであるが、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。
もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、あの昭和28(1953)年の少し前に、アメリカであのような西部劇が制作されたことに思いを重ねたりしたのである。
私は、ジョージ・スティーヴンスの遺された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。
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昨日の日中は、宮崎市定・著の『大唐帝国 ~中国の中世』(中公文庫)を読んだりし、
中国の後漢の頃から唐の滅亡までの興亡を描いた本書に深く感銘を受けたのである。
宮崎市定氏はもとより中国の社会、経済、制度史の専攻されたお方なので、
それぞれの時代の諸国の状況が克明に生き生きと綴られて、
私は多々教示を学んだりしていた。
こうした余韻の中で、ぼんやりと夕刊を読んでいた時、
テレビ欄でNHKのBS2に於いて、映画の『シェーン』が放映されると知り、
視聴するか、少し迷ったのである。
この作品はジョージ・スティーヴンス 監督の昭和28(1953)年であり、
私は後年の高校時代の終りの頃にリバイバル興行として、映画館で初めて観たひとりである。
この作品が日本で初めて上映された昭和28(1953)年を過ぎた頃、
私は小学3年生の頃から、ひとりで映画館に行き、東映の時代劇を観はじめていた。
ニュース、予告編、本編の合間、スクリーンの脇にあったきらびやかなカーテンが動き、そしてスクリーンは閉じられて、
華やかな銀幕となった情景となり、音楽が流れていたのである。
こうした中、雪村いづみの『遥かなる山の呼び声』、『青いカナリア』の唄声が流れ、
本編に期待を膨らましながら、少年なりに華やかな都会のお姉さんの唄声の匂いを感じていたのである・・。
http://www.youtube.com/watch?v=dFuGwPfK37I
注)あの頃の原曲はなく、『雪村いづみ ヒットメドレー1998』を流用。
後年の高校生になった頃、『遥かなる山の呼び声』は映画『シェーン』の主題歌だった、
と遅ればせながら知ったのである。
その後、映画『シェーン』を真摯に観たのであるが、
主役のアラン・ラッドより、悪役のジャック・パランスに魅了されたりした。
この前後の時代は、映画館に於き、リバイバルを含め西部劇だけでも数多く上映されていた。
『駅馬車』、『荒野の決闘』、『真昼り決闘』、『大いなる西部』、
『OK牧場の決斗』、『リオ・ブラボー』、『アラモ』など満天の星空のように上映され、
私は高校の下校の時、日比谷とか新宿の映画館で観たりしていたs
昨夜、テレビを通して、映画『シェーン』を45年以上振りに観賞したのであるが、
あのようなシーン、セリフがあったのかしら、と微苦笑させられたのである。
もとより私の青春期からサラリーマンの時代、そして年金生活の現在まで月日が過ぎているので、
忘れ去ることも多いが、やはり名作のひとつは、この齢になっても、
教示させられることがある。
そして、あの昭和28(1953)年の少し前に、アメリカであのような西部劇が制作されたことに思いを重ねたりしたのである。
私は、ジョージ・スティーヴンスの遺された作品は、
『陽のあたる場所(1951年)』、 『シェーン(1953年)』、 『ジャイアンツ(1956年)』、
『アンネの日記(1959年)』 、『偉大な生涯の物語(1965年)』とたった五本の作品しか鑑賞していないが、
最良の作品は『陽のあたる場所(1951年)』であり、
完成度が未熟であるが好きな作品としては『ジャイアンツ(1956年)』である。
しかし、あの時代に制作された『シェーン(1953年)』は名作と感じている。
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