私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
いつものように最寄のスーパーに買物に行く途中、
少し遠回りして、紫陽花(アジサイ)などのこの時節に咲く花を褒めたり歩いた。
朝の6時過ぎ20度となり、どんよりとした曇り空の朝を迎えたが、
昼下りは23度前後で、日中のひとときは雨と予測され、
夕方の6時過ぎは23度前後で横並びの気温となり、ここ数日は梅雨の日々が続いている。
私は平年の5月中旬の頃の気温かしら、と感じながら歩いたりしたのである。
帰宅後、玄関庭の片隅にある高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)たわわに咲き、
私は思わず微苦笑したのである。
二年前の6月下旬に、鳥羽・伊勢を小旅行をした帰路、
観光バスを利用し、とある道の駅の休憩していた時、売店の店先にあり、
小さな鉢に植えられて、たった150円で買い求めた木槿(ムクゲ)であった。
そして、帰宅後、地植えにして、期待以上に成長し、
2年を過ぎた今、たわわに咲いている。
この後、主庭のテラスに下り立ち、樹木を眺めながら、
煙草を喫ったりしたが、微風を受け、揺れる半夏生(ハンゲショウ)の花を褒めたりした。
10センチ前後の白い穂状の花が咲き、上から数枚の葉の表が白く染められ、
私は梅雨の時節の花の中で、好きな花のひとつとなっている。
この後、私は居間に戻り、このサイトを開き、
定年退職後の今頃は、私はどのような思いで過ごしていたのかしら、
と思い、7月3日に綴った投稿文を読み返したのである・・。
私は民間会社を定年退職後、まもなくしてプログの世界を知り、
四つばかりのサイトに加入して、ほぼ毎日数通は綴ってきた。
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活の中、
その日に感じたこと、思考したことを心の発露とし、綴っている。
投稿が出来なかった日は、ときおり国内旅行に行っているか、
左目が赤っぽくなり、眼科の医師から一日だけドクター・ストップとなったり、
そしてパソコンが壊れ、止む得ず買い替えたり、修理期間だけである。
私なりの7月3日のそれぞれの年の思いは、
読んだりし、あの時はこのような思いでいたのか、
と微苦笑させられたのである・・。
昨年の2008年7月3日のこの日には、
【 庭の手入れに最適日・・♪ 】
と題して、投稿している。
【・・
東京の郊外は、曇り空の朝を迎え、昨日の初夏のような暑さから一変し、
涼しく感じられて、私は微笑んでいる・・。
過日、玄関庭の手入れは終えたが、主庭はわずかしか出来ず、
樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきている。
先程、主庭のテラスで煙草を喫いながら、
樹木、草花を眺め、剪定はどの樹からしょうか、
とぼんやりと見つめている。
・・】
このように投稿し、庭の手入れが終わった後、
【 庭の手入れをすれば・・♪ 】
と題して、ふたたび投稿していた。
【・・
東京の郊外は、曇り時々晴れの日中、私は主庭の手入れをした。
樹木の剪定は簡略とし、草抜きに大方の時間配分としたのである。
蚊の発生する今、蚊取り線香を周囲に置き、
草抜きをしていたのであるが、
不思議と過去の出来事が鮮明に思い出されるのである。
今回は、過日の中学時代の有志に寄る懇親会であったが、
会話、しぐさが甦(よみがえ)り、
私は微笑しながら、草抜きをしたのである。
私は齢を重ねた63歳の身であり、
それぞれのお方がそれなりの軌跡を歩まれ、
多少の波乱に満ちた日々であったにせよ、
心身元気そうに再会できた。
それぞれがある程度の財産を保有し、明るい笑顔で言葉を交わし、
ときおり中学時代のおもかげの表情、しぐさが合い間見られ、
これ以上贅沢なことはないと思ったりしたのである。
私達は昭和19年4月から20年3月生まれのクラスであり、
敗戦直前期に生を受けた世代であるので、
特に小学生時代は多少の食べ物、衣服の物不足があったが、
それなりに両親から愛情の基で、けなげに過ごしてきた少年、少女時代であった。
中学校を卒業したのは、昭和35年3月であったが、
この頃から日本全体の社会の空気が変わった、
と私は強く思ったりしている。
このような思いが甦り、樹木の間とか少しの空白地を草抜きをしたが、
体力の限界が来たので、3時半過ぎに作業を終えたのである。
主庭の全体として、草抜きが所々されておらず、
あたかも瀬戸内海の島々のような状況となったが、
私は体力の衰えで6時間ばかり作業が昨今多く、
やむえないと苦笑した。
この後、入浴をし、遅い昼食と早目の夕食を兼用とし、
ビールを呑みながら頂いたのである。
そして1時間ばかりの食事を終え、
布団に横たわり本を読んいるうちに寝付いたのである。
目覚めたのは7時過ぎで、私は玄関の軒下で夜風に吹かれながら、
ぼんやりとしている。
我家の蚊は、地元で育った主(あるじ)の私に馴染みがあるらしく殆ど刺すことはなく、
家内はこの地に来て、30年前後過ぎたが、刺されることが多いのである。
こうした事から、家内は5月から初秋の頃まで、
庭に下り立つことは避けている。
私は年金生活に入ってからは、日常の買物、ときおり庭の手入れしか担当しておらず、
楽な身であり、それなりに孤軍奮闘している。
余談であるが、家内が洗濯物の干し場に立ち、
ときおり蚊に刺された時、
30年住んでいる方に蚊はどうして解からないの、
と私は微苦笑している。
・・】
一昨年の2007年7月3日のこの日には、
【 玉すだれの白い花が咲きはじめ・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
東京の郊外は、曇り空でときおり薄日の射す昼下りとなった。
玄関庭に下り立ち、樹木を眺めながら、煙草を喫つていた時、
足元の近くで、玉すだれが咲きはじめていたので、
驚いたりしている。
白く清楚な花は、夏の終り頃から咲きはじめ初秋の頃まで彩(いろど)ってくれるので、
私はこの時節の楽しみのひとつである。
特に夕暮れ時から、白い花が浮いているようで、
ほのかな妖艶を感じたりしている。
日中は清楚、夕暮れ時からは妖艶、
私なりのまぎれもない女性の美のひとつかしら、
とここ30数年思ったりしている。
・・】
2006年7月3日のこの日には、
【 さよなら、運転免許証・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
家内と10時過ぎに出かけ、駅前で家内と別れ、私は市役所に行った。
来る9月で普通運転免許証が更新であったが、
この際、運転免許証を放棄する代わりに、
何かしらの身分証明証が欲しかったわけである。
私の場合は、家内が海外旅行は嫌っているので、
パスポートの更新にしていない上、これといった身分証明書がなかった。
現役の頃は、外資系の会社であったので、IDカードを常時持たせられていた。
このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使えるので、
今回踏み切った。
私は運転免許証は昭和44年2月に取得し、
数年は実家にある自動車であちらこちらドライブしたりした。
実家を出て、母と同居をした後、千葉県の東京に接した市川市で新婚生活をスタートとした。
いずれは自動車を・・と思っていたが、現在住んでいる所に落ち着くと、
公共の交通機関が程々に便利であったので、
ペーパー・ドライバーとして今日に至っている。
今後は山里に引っ越す元気は無くなったので、
この際に更新は取りやめようとした次第であった。
いずれにしても、最初の3年間はそれ相当にドライブし、
残りの35年間はペーパー・ドライバーで過ごしてきた。
・・】
2005年7月3日のこの日には、
【 東京の郊外は、梅雨寒・・?! 】
と題し、投稿していた。
【・・
早朝、庭に出ると肌寒いくらいであった。
居間に戻りと、20度であった。
今、こうして綴っている時も、24度であり、Tシャツだとちょっと肌寒い感じる。
今後、一週間の天気予報は、27、8度で30度を越える事はない。
私は猛暑は苦手であるので、庭の手入れにこの一週間、専念できそうである。
本日は、庭の手入れの後、都議選に清き一票を投じようと思っている。
・・】
このように投稿した文を読み返したりしたが、
果たして私なりに進歩はしているのか、
或いは惰性で散漫に年金生活を過ごしているのか定かではない・・。
しかし、少なくとも毎日綴れば、このようにその年の心の思いが、
確かに蘇(よみがえ)るので、生きている証(あかし)としてボケない日まで、
何らかの形で綴ろう、と思っている・・。
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いつものように最寄のスーパーに買物に行く途中、
少し遠回りして、紫陽花(アジサイ)などのこの時節に咲く花を褒めたり歩いた。
朝の6時過ぎ20度となり、どんよりとした曇り空の朝を迎えたが、
昼下りは23度前後で、日中のひとときは雨と予測され、
夕方の6時過ぎは23度前後で横並びの気温となり、ここ数日は梅雨の日々が続いている。
私は平年の5月中旬の頃の気温かしら、と感じながら歩いたりしたのである。
帰宅後、玄関庭の片隅にある高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)たわわに咲き、
私は思わず微苦笑したのである。
二年前の6月下旬に、鳥羽・伊勢を小旅行をした帰路、
観光バスを利用し、とある道の駅の休憩していた時、売店の店先にあり、
小さな鉢に植えられて、たった150円で買い求めた木槿(ムクゲ)であった。
そして、帰宅後、地植えにして、期待以上に成長し、
2年を過ぎた今、たわわに咲いている。
この後、主庭のテラスに下り立ち、樹木を眺めながら、
煙草を喫ったりしたが、微風を受け、揺れる半夏生(ハンゲショウ)の花を褒めたりした。
10センチ前後の白い穂状の花が咲き、上から数枚の葉の表が白く染められ、
私は梅雨の時節の花の中で、好きな花のひとつとなっている。
この後、私は居間に戻り、このサイトを開き、
定年退職後の今頃は、私はどのような思いで過ごしていたのかしら、
と思い、7月3日に綴った投稿文を読み返したのである・・。
私は民間会社を定年退職後、まもなくしてプログの世界を知り、
四つばかりのサイトに加入して、ほぼ毎日数通は綴ってきた。
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活の中、
その日に感じたこと、思考したことを心の発露とし、綴っている。
投稿が出来なかった日は、ときおり国内旅行に行っているか、
左目が赤っぽくなり、眼科の医師から一日だけドクター・ストップとなったり、
そしてパソコンが壊れ、止む得ず買い替えたり、修理期間だけである。
私なりの7月3日のそれぞれの年の思いは、
読んだりし、あの時はこのような思いでいたのか、
と微苦笑させられたのである・・。
昨年の2008年7月3日のこの日には、
【 庭の手入れに最適日・・♪ 】
と題して、投稿している。
【・・
東京の郊外は、曇り空の朝を迎え、昨日の初夏のような暑さから一変し、
涼しく感じられて、私は微笑んでいる・・。
過日、玄関庭の手入れは終えたが、主庭はわずかしか出来ず、
樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきている。
先程、主庭のテラスで煙草を喫いながら、
樹木、草花を眺め、剪定はどの樹からしょうか、
とぼんやりと見つめている。
・・】
このように投稿し、庭の手入れが終わった後、
【 庭の手入れをすれば・・♪ 】
と題して、ふたたび投稿していた。
【・・
東京の郊外は、曇り時々晴れの日中、私は主庭の手入れをした。
樹木の剪定は簡略とし、草抜きに大方の時間配分としたのである。
蚊の発生する今、蚊取り線香を周囲に置き、
草抜きをしていたのであるが、
不思議と過去の出来事が鮮明に思い出されるのである。
今回は、過日の中学時代の有志に寄る懇親会であったが、
会話、しぐさが甦(よみがえ)り、
私は微笑しながら、草抜きをしたのである。
私は齢を重ねた63歳の身であり、
それぞれのお方がそれなりの軌跡を歩まれ、
多少の波乱に満ちた日々であったにせよ、
心身元気そうに再会できた。
それぞれがある程度の財産を保有し、明るい笑顔で言葉を交わし、
ときおり中学時代のおもかげの表情、しぐさが合い間見られ、
これ以上贅沢なことはないと思ったりしたのである。
私達は昭和19年4月から20年3月生まれのクラスであり、
敗戦直前期に生を受けた世代であるので、
特に小学生時代は多少の食べ物、衣服の物不足があったが、
それなりに両親から愛情の基で、けなげに過ごしてきた少年、少女時代であった。
中学校を卒業したのは、昭和35年3月であったが、
この頃から日本全体の社会の空気が変わった、
と私は強く思ったりしている。
このような思いが甦り、樹木の間とか少しの空白地を草抜きをしたが、
体力の限界が来たので、3時半過ぎに作業を終えたのである。
主庭の全体として、草抜きが所々されておらず、
あたかも瀬戸内海の島々のような状況となったが、
私は体力の衰えで6時間ばかり作業が昨今多く、
やむえないと苦笑した。
この後、入浴をし、遅い昼食と早目の夕食を兼用とし、
ビールを呑みながら頂いたのである。
そして1時間ばかりの食事を終え、
布団に横たわり本を読んいるうちに寝付いたのである。
目覚めたのは7時過ぎで、私は玄関の軒下で夜風に吹かれながら、
ぼんやりとしている。
我家の蚊は、地元で育った主(あるじ)の私に馴染みがあるらしく殆ど刺すことはなく、
家内はこの地に来て、30年前後過ぎたが、刺されることが多いのである。
こうした事から、家内は5月から初秋の頃まで、
庭に下り立つことは避けている。
私は年金生活に入ってからは、日常の買物、ときおり庭の手入れしか担当しておらず、
楽な身であり、それなりに孤軍奮闘している。
余談であるが、家内が洗濯物の干し場に立ち、
ときおり蚊に刺された時、
30年住んでいる方に蚊はどうして解からないの、
と私は微苦笑している。
・・】
一昨年の2007年7月3日のこの日には、
【 玉すだれの白い花が咲きはじめ・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
東京の郊外は、曇り空でときおり薄日の射す昼下りとなった。
玄関庭に下り立ち、樹木を眺めながら、煙草を喫つていた時、
足元の近くで、玉すだれが咲きはじめていたので、
驚いたりしている。
白く清楚な花は、夏の終り頃から咲きはじめ初秋の頃まで彩(いろど)ってくれるので、
私はこの時節の楽しみのひとつである。
特に夕暮れ時から、白い花が浮いているようで、
ほのかな妖艶を感じたりしている。
日中は清楚、夕暮れ時からは妖艶、
私なりのまぎれもない女性の美のひとつかしら、
とここ30数年思ったりしている。
・・】
2006年7月3日のこの日には、
【 さよなら、運転免許証・・♪ 】
と題して、投稿していた。
【・・
家内と10時過ぎに出かけ、駅前で家内と別れ、私は市役所に行った。
来る9月で普通運転免許証が更新であったが、
この際、運転免許証を放棄する代わりに、
何かしらの身分証明証が欲しかったわけである。
私の場合は、家内が海外旅行は嫌っているので、
パスポートの更新にしていない上、これといった身分証明書がなかった。
現役の頃は、外資系の会社であったので、IDカードを常時持たせられていた。
このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使えるので、
今回踏み切った。
私は運転免許証は昭和44年2月に取得し、
数年は実家にある自動車であちらこちらドライブしたりした。
実家を出て、母と同居をした後、千葉県の東京に接した市川市で新婚生活をスタートとした。
いずれは自動車を・・と思っていたが、現在住んでいる所に落ち着くと、
公共の交通機関が程々に便利であったので、
ペーパー・ドライバーとして今日に至っている。
今後は山里に引っ越す元気は無くなったので、
この際に更新は取りやめようとした次第であった。
いずれにしても、最初の3年間はそれ相当にドライブし、
残りの35年間はペーパー・ドライバーで過ごしてきた。
・・】
2005年7月3日のこの日には、
【 東京の郊外は、梅雨寒・・?! 】
と題し、投稿していた。
【・・
早朝、庭に出ると肌寒いくらいであった。
居間に戻りと、20度であった。
今、こうして綴っている時も、24度であり、Tシャツだとちょっと肌寒い感じる。
今後、一週間の天気予報は、27、8度で30度を越える事はない。
私は猛暑は苦手であるので、庭の手入れにこの一週間、専念できそうである。
本日は、庭の手入れの後、都議選に清き一票を投じようと思っている。
・・】
このように投稿した文を読み返したりしたが、
果たして私なりに進歩はしているのか、
或いは惰性で散漫に年金生活を過ごしているのか定かではない・・。
しかし、少なくとも毎日綴れば、このようにその年の心の思いが、
確かに蘇(よみがえ)るので、生きている証(あかし)としてボケない日まで、
何らかの形で綴ろう、と思っている・・。
a href="http://www.blogmura.com/">