夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

過ぎ去りし、定年退職後の私の7月3日の思いは・・♪

2009-07-03 13:23:34 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の5年生の身であるが、
いつものように最寄のスーパーに買物に行く途中、
少し遠回りして、紫陽花(アジサイ)などのこの時節に咲く花を褒めたり歩いた。

朝の6時過ぎ20度となり、どんよりとした曇り空の朝を迎えたが、
昼下りは23度前後で、日中のひとときは雨と予測され、
夕方の6時過ぎは23度前後で横並びの気温となり、ここ数日は梅雨の日々が続いている。
私は平年の5月中旬の頃の気温かしら、と感じながら歩いたりしたのである。

帰宅後、玄関庭の片隅にある高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)たわわに咲き、
私は思わず微苦笑したのである。
二年前の6月下旬に、鳥羽・伊勢を小旅行をした帰路、
観光バスを利用し、とある道の駅の休憩していた時、売店の店先にあり、
小さな鉢に植えられて、たった150円で買い求めた木槿(ムクゲ)であった。

そして、帰宅後、地植えにして、期待以上に成長し、
2年を過ぎた今、たわわに咲いている。

この後、主庭のテラスに下り立ち、樹木を眺めながら、
煙草を喫ったりしたが、微風を受け、揺れる半夏生(ハンゲショウ)の花を褒めたりした。

10センチ前後の白い穂状の花が咲き、上から数枚の葉の表が白く染められ、
私は梅雨の時節の花の中で、好きな花のひとつとなっている。

この後、私は居間に戻り、このサイトを開き、
定年退職後の今頃は、私はどのような思いで過ごしていたのかしら、
と思い、7月3日に綴った投稿文を読み返したのである・・。


私は民間会社を定年退職後、まもなくしてプログの世界を知り、
四つばかりのサイトに加入して、ほぼ毎日数通は綴ってきた。
定年退職後の年金生活の身過ぎ世過ぎの日常生活の中、
その日に感じたこと、思考したことを心の発露とし、綴っている。

投稿が出来なかった日は、ときおり国内旅行に行っているか、
左目が赤っぽくなり、眼科の医師から一日だけドクター・ストップとなったり、
そしてパソコンが壊れ、止む得ず買い替えたり、修理期間だけである。


私なりの7月3日のそれぞれの年の思いは、
読んだりし、あの時はこのような思いでいたのか、
と微苦笑させられたのである・・。


昨年の2008年7月3日のこの日には、
【 庭の手入れに最適日・・♪ 】
と題して、投稿している。

【・・
東京の郊外は、曇り空の朝を迎え、昨日の初夏のような暑さから一変し、
涼しく感じられて、私は微笑んでいる・・。

過日、玄関庭の手入れは終えたが、主庭はわずかしか出来ず、
樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきている。

先程、主庭のテラスで煙草を喫いながら、
樹木、草花を眺め、剪定はどの樹からしょうか、
とぼんやりと見つめている。
・・】


このように投稿し、庭の手入れが終わった後、
【 庭の手入れをすれば・・♪ 】
と題して、ふたたび投稿していた。

【・・
東京の郊外は、曇り時々晴れの日中、私は主庭の手入れをした。

樹木の剪定は簡略とし、草抜きに大方の時間配分としたのである。
蚊の発生する今、蚊取り線香を周囲に置き、
草抜きをしていたのであるが、
不思議と過去の出来事が鮮明に思い出されるのである。


今回は、過日の中学時代の有志に寄る懇親会であったが、
会話、しぐさが甦(よみがえ)り、
私は微笑しながら、草抜きをしたのである。

私は齢を重ねた63歳の身であり、
それぞれのお方がそれなりの軌跡を歩まれ、
多少の波乱に満ちた日々であったにせよ、
心身元気そうに再会できた。

それぞれがある程度の財産を保有し、明るい笑顔で言葉を交わし、
ときおり中学時代のおもかげの表情、しぐさが合い間見られ、
これ以上贅沢なことはないと思ったりしたのである。

私達は昭和19年4月から20年3月生まれのクラスであり、
敗戦直前期に生を受けた世代であるので、
特に小学生時代は多少の食べ物、衣服の物不足があったが、
それなりに両親から愛情の基で、けなげに過ごしてきた少年、少女時代であった。

中学校を卒業したのは、昭和35年3月であったが、
この頃から日本全体の社会の空気が変わった、
と私は強く思ったりしている。


このような思いが甦り、樹木の間とか少しの空白地を草抜きをしたが、
体力の限界が来たので、3時半過ぎに作業を終えたのである。

主庭の全体として、草抜きが所々されておらず、
あたかも瀬戸内海の島々のような状況となったが、
私は体力の衰えで6時間ばかり作業が昨今多く、
やむえないと苦笑した。


この後、入浴をし、遅い昼食と早目の夕食を兼用とし、
ビールを呑みながら頂いたのである。

そして1時間ばかりの食事を終え、
布団に横たわり本を読んいるうちに寝付いたのである。

目覚めたのは7時過ぎで、私は玄関の軒下で夜風に吹かれながら、
ぼんやりとしている。


我家の蚊は、地元で育った主(あるじ)の私に馴染みがあるらしく殆ど刺すことはなく、
家内はこの地に来て、30年前後過ぎたが、刺されることが多いのである。
こうした事から、家内は5月から初秋の頃まで、
庭に下り立つことは避けている。

私は年金生活に入ってからは、日常の買物、ときおり庭の手入れしか担当しておらず、
楽な身であり、それなりに孤軍奮闘している。

余談であるが、家内が洗濯物の干し場に立ち、
ときおり蚊に刺された時、
30年住んでいる方に蚊はどうして解からないの、
と私は微苦笑している。
・・】


一昨年の2007年7月3日のこの日には、
【 玉すだれの白い花が咲きはじめ・・♪  】
と題して、投稿していた。

【・・
東京の郊外は、曇り空でときおり薄日の射す昼下りとなった。

玄関庭に下り立ち、樹木を眺めながら、煙草を喫つていた時、
足元の近くで、玉すだれが咲きはじめていたので、
驚いたりしている。

白く清楚な花は、夏の終り頃から咲きはじめ初秋の頃まで彩(いろど)ってくれるので、
私はこの時節の楽しみのひとつである。

特に夕暮れ時から、白い花が浮いているようで、
ほのかな妖艶を感じたりしている。

日中は清楚、夕暮れ時からは妖艶、
私なりのまぎれもない女性の美のひとつかしら、
とここ30数年思ったりしている。
・・】


2006年7月3日のこの日には、
【 さよなら、運転免許証・・♪ 】
と題して、投稿していた。

【・・
家内と10時過ぎに出かけ、駅前で家内と別れ、私は市役所に行った。

来る9月で普通運転免許証が更新であったが、
この際、運転免許証を放棄する代わりに、
何かしらの身分証明証が欲しかったわけである。

私の場合は、家内が海外旅行は嫌っているので、
パスポートの更新にしていない上、これといった身分証明書がなかった。

現役の頃は、外資系の会社であったので、IDカードを常時持たせられていた。

このような状況であったので、市役所に問い合わせると、
『住民基本台帳カード』の写真入りであったならば、
市役所、公共施設、銀行、郵便局、パスポートの申請の際、本人の確認に使えるので、
今回踏み切った。


私は運転免許証は昭和44年2月に取得し、
数年は実家にある自動車であちらこちらドライブしたりした。
実家を出て、母と同居をした後、千葉県の東京に接した市川市で新婚生活をスタートとした。

いずれは自動車を・・と思っていたが、現在住んでいる所に落ち着くと、
公共の交通機関が程々に便利であったので、
ペーパー・ドライバーとして今日に至っている。

今後は山里に引っ越す元気は無くなったので、
この際に更新は取りやめようとした次第であった。

いずれにしても、最初の3年間はそれ相当にドライブし、
残りの35年間はペーパー・ドライバーで過ごしてきた。
・・】


2005年7月3日のこの日には、
【 東京の郊外は、梅雨寒・・?! 】
と題し、投稿していた。

【・・
早朝、庭に出ると肌寒いくらいであった。
居間に戻りと、20度であった。

今、こうして綴っている時も、24度であり、Tシャツだとちょっと肌寒い感じる。

今後、一週間の天気予報は、27、8度で30度を越える事はない。

私は猛暑は苦手であるので、庭の手入れにこの一週間、専念できそうである。

本日は、庭の手入れの後、都議選に清き一票を投じようと思っている。

・・】


このように投稿した文を読み返したりしたが、
果たして私なりに進歩はしているのか、
或いは惰性で散漫に年金生活を過ごしているのか定かではない・・。

しかし、少なくとも毎日綴れば、このようにその年の心の思いが、
確かに蘇(よみがえ)るので、生きている証(あかし)としてボケない日まで、
何らかの形で綴ろう、と思っている・・。



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