私は東京郊外の調布市に住む年金生活67歳の身であるが、
昼下がり川沿いの遊歩道を歩いた。
秋日和の中、陽射しを受けながら歩いていて身も心も爽快であった。
こうした時に、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。
まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。
そして3人グループの女の子が来て、この中のひとりが知人宅の孫娘さんと私は気づき、
『こんにち~は』
と私は挨拶をした。
この孫娘さんが目礼しながら私に近づいてきて、
『おじさん・・少し教えて下さい・・
先ほど、先生たちが小春日和(こはるびより)で気持ちが良いですねえ・・と言っていたの・・
先ほど私たち6年生なのですが・・秋なのに、どうして小春日和なんて、言ったりしているのが解らなくて・・
お互いに話し合っていたのよ・・
おじさん・・どうしてなの』
と私に問われた。
私は突然に問われて、返事にうろたえながら、
『冬を迎える前の暖かい日を・・小春日和と何気なく言ったりしているが・・
詳しいことは解らないよ・・ご免ねぇ・・』
と私は苦し紛れに孫娘さんに言ったりした。
私は帰宅後、ご近所の自治会の回覧で知り得た碩学(せきがく)の方に電話をして、
ご教示をお願いすることにした。
この方は、ある国立大学の教授をし、近代日本文学を専任され、
退官されて20年ぐらいで、75歳を過ぎた人であるが、
心身健やかに隠居生活を過ごされ、私は敬愛をしている人である。
『君ねぇ・・俳句を詠(よ)まれたことはないねぇ・・』
と碩学は私に言った。
『素養がなくて、詠んだり出来ません』
と私は電話の前で、緊張しながら言ったりした。
『俳句の世界では、冬の季語として小春日和が用いられている・・
しかし旧暦では、もとより冬が10月から始まったが・・
新暦の現代では11月から12月に相当するのょ・・
本格的に寒さを迎える前に、暖かな時期があるので、
こうした陽気に恵まれた日を小春日和として称してきたのょ』
と碩学は優(やさ)しく私に言った。
このような会話を重ねたりし、私は丁重に教示され、
感謝をしながら、御礼の言葉を重ねた。
この後、小春日和は何となく紛(まぎ)らわしく、
私の住む地域では、秋麗(あきうらら)、菊日和(きくびより)、秋日和(あきびより)の方が、
つたない私としては、心にぴったり、と思ったりしたことは本心であった。
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昼下がり川沿いの遊歩道を歩いた。
秋日和の中、陽射しを受けながら歩いていて身も心も爽快であった。
こうした時に、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。
まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。
そして3人グループの女の子が来て、この中のひとりが知人宅の孫娘さんと私は気づき、
『こんにち~は』
と私は挨拶をした。
この孫娘さんが目礼しながら私に近づいてきて、
『おじさん・・少し教えて下さい・・
先ほど、先生たちが小春日和(こはるびより)で気持ちが良いですねえ・・と言っていたの・・
先ほど私たち6年生なのですが・・秋なのに、どうして小春日和なんて、言ったりしているのが解らなくて・・
お互いに話し合っていたのよ・・
おじさん・・どうしてなの』
と私に問われた。
私は突然に問われて、返事にうろたえながら、
『冬を迎える前の暖かい日を・・小春日和と何気なく言ったりしているが・・
詳しいことは解らないよ・・ご免ねぇ・・』
と私は苦し紛れに孫娘さんに言ったりした。
私は帰宅後、ご近所の自治会の回覧で知り得た碩学(せきがく)の方に電話をして、
ご教示をお願いすることにした。
この方は、ある国立大学の教授をし、近代日本文学を専任され、
退官されて20年ぐらいで、75歳を過ぎた人であるが、
心身健やかに隠居生活を過ごされ、私は敬愛をしている人である。
『君ねぇ・・俳句を詠(よ)まれたことはないねぇ・・』
と碩学は私に言った。
『素養がなくて、詠んだり出来ません』
と私は電話の前で、緊張しながら言ったりした。
『俳句の世界では、冬の季語として小春日和が用いられている・・
しかし旧暦では、もとより冬が10月から始まったが・・
新暦の現代では11月から12月に相当するのょ・・
本格的に寒さを迎える前に、暖かな時期があるので、
こうした陽気に恵まれた日を小春日和として称してきたのょ』
と碩学は優(やさ)しく私に言った。
このような会話を重ねたりし、私は丁重に教示され、
感謝をしながら、御礼の言葉を重ねた。
この後、小春日和は何となく紛(まぎ)らわしく、
私の住む地域では、秋麗(あきうらら)、菊日和(きくびより)、秋日和(あきびより)の方が、
つたない私としては、心にぴったり、と思ったりしたことは本心であった。
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