夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

「秋なのに、どうして『小春日和』なんて、言うの・・」と、近所の女の子に問われ、私はうろたえ・・。

2011-11-01 23:19:13 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活67歳の身であるが、
昼下がり川沿いの遊歩道を歩いた。

秋日和の中、陽射しを受けながら歩いていて身も心も爽快であった。

こうした時に、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。

まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。

そして3人グループの女の子が来て、この中のひとりが知人宅の孫娘さんと私は気づき、
『こんにち~は』
と私は挨拶をした。

この孫娘さんが目礼しながら私に近づいてきて、
『おじさん・・少し教えて下さい・・
先ほど、先生たちが小春日和(こはるびより)で気持ちが良いですねえ・・と言っていたの・・
先ほど私たち6年生なのですが・・秋なのに、どうして小春日和なんて、言ったりしているのが解らなくて・・
お互いに話し合っていたのよ・・
おじさん・・どうしてなの』
と私に問われた。

私は突然に問われて、返事にうろたえながら、
『冬を迎える前の暖かい日を・・小春日和と何気なく言ったりしているが・・
詳しいことは解らないよ・・ご免ねぇ・・』
と私は苦し紛れに孫娘さんに言ったりした。


私は帰宅後、ご近所の自治会の回覧で知り得た碩学(せきがく)の方に電話をして、
ご教示をお願いすることにした。
この方は、ある国立大学の教授をし、近代日本文学を専任され、
退官されて20年ぐらいで、75歳を過ぎた人であるが、
心身健やかに隠居生活を過ごされ、私は敬愛をしている人である。


『君ねぇ・・俳句を詠(よ)まれたことはないねぇ・・』
と碩学は私に言った。

『素養がなくて、詠んだり出来ません』
と私は電話の前で、緊張しながら言ったりした。

『俳句の世界では、冬の季語として小春日和が用いられている・・
しかし旧暦では、もとより冬が10月から始まったが・・
新暦の現代では11月から12月に相当するのょ・・

本格的に寒さを迎える前に、暖かな時期があるので、
こうした陽気に恵まれた日を小春日和として称してきたのょ』
と碩学は優(やさ)しく私に言った。


このような会話を重ねたりし、私は丁重に教示され、
感謝をしながら、御礼の言葉を重ねた。

この後、小春日和は何となく紛(まぎ)らわしく、
私の住む地域では、秋麗(あきうらら)、菊日和(きくびより)、秋日和(あきびより)の方が、
つたない私としては、心にぴったり、と思ったりしたことは本心であった。


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『神無月(かんなづき)』に別れを告げて、『錦繍月(きんしゅうづき)』を迎え、私は微笑んで・・。

2011-11-01 07:24:20 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、私は居間にあるカレンダーを見つめながら、
10月の『神無月(かんなづき)』に別れを告げて、カレンダーを破いたのである。
そして、11月の『霜月(しもつき)』に、こんにち~は、と心の中で呟(つぶや)いたりしていた。

私達夫婦は子供に恵まれずたった2人だけの家庭であるが、
家内は過ぎし25日より独り住まいとなっている家内の母宅に、
冬支度に伴い孤軍奮闘しながら6泊7日で行っていたので、昨夕帰宅した。

この間、私としては『おひとりさま』の生活となっているが、
ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけると、仲良し恋し、と好評を頂いている私たちでも、
いずれは片割れとなり『おひとりさま』となるので、特別演習かしら、と私は過ごしてきた。


この間の私の『おひとりさま』は、最初には台所にある市から配布されたカレンダーを見て、
『燃えるゴミ』、『燃やせないゴミ』、『ペットボトル』、『古紙』、『ビン』の日を確認して、
指定された道路に面した門扉に置く。

そして、読売新聞の朝刊を読みながら、煎茶とアイスコーヒーを飲みながら、
レーズンロールのパンを5つ頂く。

昼食は少し肥満体の私は、この季節は青森産のリンゴ一つ、そして福島産の柿を二つを食べていた。
各種のリンゴ、柿を頂きながら、旅先の情景に思いを重ねて、
婦女子のようなフルーツのランチを享受していた。

夕食はスーパーで買い物をし、野菜コーナー、お惣菜コーナーの売り場で、適度に選定し、
煎茶を飲みながら食べたりしている。
そして、たった一夜だけ、純米酒の辛口を4合ばかりの吞みながら、
恥ずかしながら、たった独りだけの宴会をしたりした。

洗濯に関しては、乾燥の機能がある洗濯機をオール自動セットにすがり、
日中のひととき、きまぐれに手抜きの部屋の掃除をしたり、台所で皿洗いをしたり、
夜の入浴の時間も、原則として7時としてきた。

このような生活を過ごしてきたが、料理に関しては素材から焼いたり、煮たりすることは無く、
掃除も簡略に済ませてしまうので、家内のいる平素から落第生となっている。

そして作家の曽野綾子さんの『夫族の中で、生活者として無能な人・・』と銘言に、
私は叱咤激励されながら、小・中学生の時は劣等生であった私は、
やはり年金生活の劣等生かしら、と苦笑を重ねてきた。


昨夕、家内は帰宅し、近所のお寿司屋さんから配達して頂き、
私は純米酒の辛口、家内はビールを吞みながら、食べたりして、久々の談笑をした。
そして、呑兵衛だった私は、この後も吞みながら、家内の話を聞いたりしていると、
9時過ぎになり、眠気を感じたのである。


今朝、目覚めたのは朝の4時半であり、日の出前より早い、と微苦笑した。
そして6時半過ぎに、雨戸を開けたら、樹木の枝葉は夜露をたたえて、
まばゆい陽射しを受けたキラキラを光帯びて、まぎれなく確かな美のひとつ、
と長らく見惚(みと)れたりしていた・・。

この後、私は小庭にある無花果(イチジク)、紫木蓮(シモクレン)の数多い葉が、
黄色く染めはじめの見つめたり、
昨日に買物から帰宅した時、玄関庭にある紫式部(ムラサキシクブ)のたわわな実が、
紫色を深く染め、昼下がりの陽射しを受けていた。

このような情景を思い重ねたりしていると、
この11月は『霜月』とか『雪見月』と古来より称せられているが、
私としては、秘かに『錦繍月(きんしゅうづき)』と命名している。

私の住む所は調布市の外れにあり、世田谷区、狛江市に隣接している地域で、
毎年、11月3日の『文化の日』の頃から、数多くの落葉樹の葉は、紅色、朱色、黄色などに染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、周囲一帯までは紅色、朱色、黄色などに染められている。
この後は公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が主役となり、彩(いろど)りを見せ、
舞い散る頃に12月の『師走(しわす)』の初旬を迎えている。

私は毎年この時節の錦繍の情景の移ろいに、日々に心寄せられている。


先ほど、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は13度で、日中は晴れ間となり21度前後、夕暮れ後の6時には16度前後が予測され、
これからの一週間は晴れマークとなり、秋日和となる。

私は、このような移ろう錦繍の情景に、ときめきを感じながら見惚(みと)れ、
日頃の運動不足を兼ねて、独りで付近の遊歩道、公園などに出掛けることが圧倒的に多くなり、
歩き廻っているのは、定年退職後の習性となっている。

私は早春の芽吹き、この時節の錦繍の情景が、つたない私の無上の喜びとなり、
心の中は小躍(こおど)りするような時節となっている。


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