私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
殆ど日の出と共に起床し、洗面した後は煎茶を淹れたりし、新聞を取り込んでいるが、
この後に真っ先にすることは、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』に向かうのである。
そして彼の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
たまたまある日には、
《・・
自己顕示
自己嫌悪
わたしの
こころ
うらおもて
みつを
・・》
このように氏の特有の書体で明記されたりしている。
私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように、
ここ15数年を学んでいるひとりであるが、
私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中の人生の戒(いまし)めとして、日々教示されている。
私の生家は数多くの一般家庭にある曹洞宗であるが、
私は宗教にも関心がなく、ただ相田みつを氏の遺された名言を、何よりも信愛しているひとりである。
定年退職後の年金生活の私は、このサイトに心の発露を日々綴ったり、
日常の言動は、家内はもとより、ご近所の方たち、
そしてタクシー、バスを待機している時などで、見知らぬ人に話しかけ談笑したりしている。
ともかく明るく振舞い、よくしゃべるので、
家内はときおり、貴方少し静かにして下さい、と言われたりしている。
幼年期から小学生時代までの私は、兄ふたりは学校の成績も良く、
日頃の言動も明るくふるまった優等生があったが、私は何かといじけた無口の劣等生であった。
地元の中学を卒業し、兄ふたりの影響のない都心の私立高校の入学後から、
私は変貌したのである。
都心の中学を卒業した多くの同級生などに授業はもとより、興味ある分野に刺激されて、
私なりに読書が好きになり、文学に目覚めたり、
歴史も好きになり、現代史を学び、そして時事のことも深めたりした。
そして写真の風景画に魅了されたりした。
こうした中で、小学高学年から独りで映画館に通ったことだけは、相変わらず持続していた。
現役だった民間会社のサラリーマンの若き頃は、
上司から、ひとこと多いよ、人に対しお節介だよ、と注意されたくらいである。
私は何事も言ったり態度で示しないと、相手方に理解してもらえない
と信じているので、
定年退職後の今日まで余り変わらないのである。
しかし、ときおり自己主張が強すぎたかしら、このサイトで綴ることが行き過ぎたかしら、
或いは心を整理しないまま発言したり、幼い知識で平然と綴ったりし、
と後になって反省したりし、しばらくの間、心が落胆し沈黙する時もある。
こうしたことが幾たびか、私は重ねたりしている。
たとえば、心を整理しないまま発言したのは、
たまたま衆院選の投票をした時、初めてNHKの『出口調査』を受けたのである。
【・・
(略)
私は投票を終えて、中央道路の両側の樹木を眺めながら正門に出た時、
30代の男性が2人いて、この中の独りが私に近づいてきたのである・・。
『NHKですが・・『出口調査』をしていまして・・ご協力をお願いできますか?』
と目礼をしながら私に云った。
私は30代の男性の右手のNHK腕章を確認した後、
『いいですよ・・』
と私は言ったら、バインダーに載せられた『出口調査表』とポールペンを渡された。
投票された小選挙区の氏名、比例代表の党名、そして支持している党名、
投票した人の年代が羅列されていて、該当に○印を付けるだけであった。
私が○印を付けながら、
『大変ですね・・』
と私は労(ねぎら)いの言葉を30代の男性に言った。
『出口調査にご協力頂けまして・・助かります。
早々と投票をされていますね・・』
と30代の男性は私に微笑みながら言った。
『投票するのは・・国民のひとりとしての・・責任を果たしただけですよ』
と私はさりげなく30代の男性に言った。
『それはご立派なお考えで・・』
と30代の男性は真摯な表情て私に言った。
私は『出口調査表』の○印を終え、30代の男性に手渡し、
お互いに目礼した後、帰路に向った。
途中の坂道を下る時、
『国民のひとりとしての・・責任を果たしただけですよ』
と私は云ったのは、間違いだったと気付いたのである。
『有権者のひとりとしての責務です』
と私は発言すべきだった、と後悔しながら自宅に向ったのである。
・・】
このように私はそそかしい悪い癖があり、少し心の整理をしないと、
こうしたようになり、恥ずかしながら事実ありままをこのサイトに投稿したのである。
古人の人たちより、ケガは治(なお)ってもクセは直(なお)らない、と名言があるが、
こうした名言の前に、齢ばかり重ねた67歳の私は、思わず微苦笑したりしている。
恥ずかしながら思い込みが激しい私は、
余り考えすぎる、と何事も発言も出来なくなったりすることが多いのである。
或いは心の発露として、このサイトにためらったりすると綴れなく、
たとえ書き綴っても平坦な散文になると思い、やむなく思い込んでいることを素直に綴っている。
このように齢を重ね幾つになっても、相変わらず懲(こ)りない性格の私である。
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殆ど日の出と共に起床し、洗面した後は煎茶を淹れたりし、新聞を取り込んでいるが、
この後に真っ先にすることは、居間のビデオ・ケースの上に立てかけている
書家・詩人の相田みつをの『日めくり ひとりしずか』に向かうのである。
そして彼の綴られた本日の格言を、心の中で、呟(つぶや)いている。
たまたまある日には、
《・・
自己顕示
自己嫌悪
わたしの
こころ
うらおもて
みつを
・・》
このように氏の特有の書体で明記されたりしている。
私はこの相田みつを氏の遺(のこ)された名言を、人生の生きた哲学のように、
ここ15数年を学んでいるひとりであるが、
私の独断と偏見の多い日頃の言動の多い中の人生の戒(いまし)めとして、日々教示されている。
私の生家は数多くの一般家庭にある曹洞宗であるが、
私は宗教にも関心がなく、ただ相田みつを氏の遺された名言を、何よりも信愛しているひとりである。
定年退職後の年金生活の私は、このサイトに心の発露を日々綴ったり、
日常の言動は、家内はもとより、ご近所の方たち、
そしてタクシー、バスを待機している時などで、見知らぬ人に話しかけ談笑したりしている。
ともかく明るく振舞い、よくしゃべるので、
家内はときおり、貴方少し静かにして下さい、と言われたりしている。
幼年期から小学生時代までの私は、兄ふたりは学校の成績も良く、
日頃の言動も明るくふるまった優等生があったが、私は何かといじけた無口の劣等生であった。
地元の中学を卒業し、兄ふたりの影響のない都心の私立高校の入学後から、
私は変貌したのである。
都心の中学を卒業した多くの同級生などに授業はもとより、興味ある分野に刺激されて、
私なりに読書が好きになり、文学に目覚めたり、
歴史も好きになり、現代史を学び、そして時事のことも深めたりした。
そして写真の風景画に魅了されたりした。
こうした中で、小学高学年から独りで映画館に通ったことだけは、相変わらず持続していた。
現役だった民間会社のサラリーマンの若き頃は、
上司から、ひとこと多いよ、人に対しお節介だよ、と注意されたくらいである。
私は何事も言ったり態度で示しないと、相手方に理解してもらえない
と信じているので、
定年退職後の今日まで余り変わらないのである。
しかし、ときおり自己主張が強すぎたかしら、このサイトで綴ることが行き過ぎたかしら、
或いは心を整理しないまま発言したり、幼い知識で平然と綴ったりし、
と後になって反省したりし、しばらくの間、心が落胆し沈黙する時もある。
こうしたことが幾たびか、私は重ねたりしている。
たとえば、心を整理しないまま発言したのは、
たまたま衆院選の投票をした時、初めてNHKの『出口調査』を受けたのである。
【・・
(略)
私は投票を終えて、中央道路の両側の樹木を眺めながら正門に出た時、
30代の男性が2人いて、この中の独りが私に近づいてきたのである・・。
『NHKですが・・『出口調査』をしていまして・・ご協力をお願いできますか?』
と目礼をしながら私に云った。
私は30代の男性の右手のNHK腕章を確認した後、
『いいですよ・・』
と私は言ったら、バインダーに載せられた『出口調査表』とポールペンを渡された。
投票された小選挙区の氏名、比例代表の党名、そして支持している党名、
投票した人の年代が羅列されていて、該当に○印を付けるだけであった。
私が○印を付けながら、
『大変ですね・・』
と私は労(ねぎら)いの言葉を30代の男性に言った。
『出口調査にご協力頂けまして・・助かります。
早々と投票をされていますね・・』
と30代の男性は私に微笑みながら言った。
『投票するのは・・国民のひとりとしての・・責任を果たしただけですよ』
と私はさりげなく30代の男性に言った。
『それはご立派なお考えで・・』
と30代の男性は真摯な表情て私に言った。
私は『出口調査表』の○印を終え、30代の男性に手渡し、
お互いに目礼した後、帰路に向った。
途中の坂道を下る時、
『国民のひとりとしての・・責任を果たしただけですよ』
と私は云ったのは、間違いだったと気付いたのである。
『有権者のひとりとしての責務です』
と私は発言すべきだった、と後悔しながら自宅に向ったのである。
・・】
このように私はそそかしい悪い癖があり、少し心の整理をしないと、
こうしたようになり、恥ずかしながら事実ありままをこのサイトに投稿したのである。
古人の人たちより、ケガは治(なお)ってもクセは直(なお)らない、と名言があるが、
こうした名言の前に、齢ばかり重ねた67歳の私は、思わず微苦笑したりしている。
恥ずかしながら思い込みが激しい私は、
余り考えすぎる、と何事も発言も出来なくなったりすることが多いのである。
或いは心の発露として、このサイトにためらったりすると綴れなく、
たとえ書き綴っても平坦な散文になると思い、やむなく思い込んでいることを素直に綴っている。
このように齢を重ね幾つになっても、相変わらず懲(こ)りない性格の私である。
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