夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『文化の日』、過ぎ去りし私の定年後、その年のこの日の思いは・・。《下》

2011-11-03 18:13:02 | 定年後の思い
2007(平成19)年11月3日に於いては、たまたま沖縄本島に旅行中であった。
家内の母が、『ひめゆりの塔』を死ぬ前に一度は参拝したい、念願に基づいて、
私たち夫婦との三人の旅路で、
高齢者に見合った日程の沖縄本島を8泊9日間で周遊した。

このことについては、このサイトに【沖縄本島滞在記】と題して紀行文のように投稿しているが、
私達夫婦は家内の母を誘い、3人で沖縄本島を8泊9日で訪れている。
那覇のシティホテルで連泊しながら南部観光をした後、
中北部のリゾートホテルで6泊し、中北部の観光を周遊している日であった。

もとより私は家内の母と温泉滞在旅行を含めて3人で旅行をする際は、
私は出来る限り、家内達と日中は別行動をしている。

婦女子の周遊する所と私は殆ど別要望であり、
家内達もそれぞれの思いで、母と娘の2人で好きなところを廻れば良い、
と思っているからである。

今回、この旅先の11月3日の出来事などを異例であるが、抜粋する。
【・・
   特別第7章  『美ら海(ちゅらうみ)桔梗(ききょう)』に魅了され

11月3日
私達3人は、『海洋博公園』に行き、
家内達は『美ら海水族館』やイルカを観に行くので、私は予定通り別れた。

私は日頃から中年女性のしぐさ、言葉が好きである上、
植物を愛するひとりとして、樹木、草花を観るので、園内の遊歩道を歩きはじめた・・。

国営沖縄記念公園の別称に相応しく、園内は小奇麗に整備がゆきとどいている。
いかにも沖縄の風土に適した樹木、草花が適度に配置されて折、
私の目を楽しませてくれた。

遊歩道の所々、海が目の前に観える展望台に行ったり、
或いは海岸の歩道を歩(あゆ)めば、険しい岩の崖に波が押し寄せている・・。

空は雲がわずかに浮かび、青一色で無限のような拡がり、
そして海は蒼く、果てることのないように彼方まで望み、風は爽やかに私の身体を通り過ぎていく・・。

このような光景を眺めたりしていると、
古来より沖縄の人々から、『美ら海(ちゅらうみ)』として慕われているのが、
私なりに理解ができた。

植物園に戻ると、つる植物園の中で、蔦(ツタ)のように緑色の葉が生い茂って折、
この中で数多くの薄紫色の花が、ひっそりと咲いていた。

私の住む東京の郊外では見かけることのできない花であり、
あえて表現すれば、アサガオの満開の花びらのようでも思え、
色合いは桔梗に似ているかしら、と感じたりしたのである。
いずれにしても、私のつたない感性であるが、
まぎれなく奥行きのあり品性がただよう、数少ない花のひとつである。

私は、この薄紫色の花を、
文化の日に伴い、秘かに『美ら海桔梗』と名付けた。

園内を辞する時、植物に詳しい係員の方から、
『その花は・・べンガル・ベヤハズ・カズラ・・と思いますよ・・』
と私に教えてくれた。

今回、本島を8泊9日で旅をしている身であるが、私はこの薄紫色の花に最も魅了され、
のちの想いとしても、深く私の心に残った花である。


     特別第8章  旅先で投稿するには

私はこのサイトで、10月31日~11月4日に於いて、
第1章から第7章まで投稿した場所は、りゾート・ホテルの一角からであった。

http://www.kariyushi.co.jp/beach/
☆ 『沖縄かりゆしビーチリゾート・オーシャンスパ』ホームページ  ☆

昨夜、沖縄本島から帰宅し、今こうして自宅で綴っているが、
滞在先のホテルのインフォーメション・センターと称された観光遊覧の相談所で投稿していた。

この相談所は20代の女性が3人いて、常時2名で対応している。
机上にはパソコン等があり、ある程度はお客様の相談事を笑顔で応じている。

このルームは15坪前後の広さがあり、
壁際にインターネットが対応されたパソコンが2台あった。
お客様自身が観光先などを検索されるのに設置されていると思われる。

私はこの中で1台を使わして貰い、ホテル内の滞在客の多い中、ときおり投稿したのであった。

この相談所の女性たちと、私は良くお話をした・・。

こぼれ話のひとつとしては、
モンゴル800の『あなたに』のことで、
『・・モンパチの『あなたに』に魅了され・・ベランダで鼻歌を唄ったり・・していますよ』
と私は云ったりしていた。

『好い歌ですよね・・私が中学3年の時・・大ヒットし・・私も大好きな歌のひとつです・・』
と微笑みながら答えてくれたりしていた。

私は齢を重ねた63歳のお客の身であるので、、
相手のお方は私よりは40歳以上確実にお若い20代の沖縄美人は、さりげなく応じてくれる。

この後、私は沖縄出身のモンパチの件で、お互いに微笑みながら話し合ったりしていた。

http://www.youtube.com/watch?v=G2mRUU8WI8w
☆【『あなたに』 作詞・Kiyosaku Uezu、作曲・モンゴル800】☆


   特別第9章  乙女たちのエメラルド・ビーチ

『海洋博公園』で私が散策した樹木、草花園のもう一方の反対側には、エメラルド・ビーチがある。

白いペンキの大きな休憩所が二つほど並びあり、
その先端には憩いの浜、眺めの浜、そして遊びの浜と称された浜は、
白い砂浜が拡がり、椰子(やし)の樹木、空の青さ、海は蒼く、彼方の海上は解けてしまうような光景である。

こうした中で、波が白い砂浜に押し寄せ、
数多くの白いサンデッキが並び、そして色鮮やかなパラソルがある・・。


今回の旅の初め頃から、首里の王陵、首里城、南部のひめゆりの塔、平和祈念公園、玉泉洞を私達3人は観て廻ったが、
幾つかの高校の修学旅行の生徒と出会ったりした。

タクシーのドライバーの方から教えて頂いた話であるが、
生徒たちの3、4人でタクシーで好きな場所を周遊するのが昨今の傾向となっている、とのこと。
事前に先生の了解を得て、各観光の周遊プランをタクシー・ドライバーと再調整しながら、
あちらこちらに観たりしているのが多い、と教えてくれた。


エメラルド・ビーチを私は散策していると、
高校生の女学生の4人は歓声をあげて、お互いに携帯電話で写真を撮ったりしていた・・。

『よかったら・・小父さん・・みんなの記念写真・・撮ってあげるよ・・』
と私は女学生のひとりに大声で云った・・。

ひとりの女学生が、もじもじと家内と同様の写ルンを取り出して、
『嬉しい・・小父さん・・お願い・・』
と私に簡易カメラを手渡した。

4人の女学生は、それぞれのポーズを取りながら、右手はVサインであり、
私は微苦笑しながら、シャッターを押した・・。

『小父さん・・有難うございました・・』
と2人の女学生が大声で云われ、私は照れた。

その後、4人の女学生は波打ち際に歩き出して行き、微風の吹く中、スカートの裾が揺れていた。

私は南国の白い砂浜と陽射しのまぶしさ、そして海の蒼さの光景は、
乙女たちの夢のひとつ、あこがれが、目の前に拡がっていることを了解できた。
・・】

このようなことが2007(平成19)年11月3日の出来事であり、
『べンガル・ベヤハズ・カズラ』の薄紫色の花を、この年の文化の日に初めて見て、
瞬時に圧倒的に魅了させられ、私は秘かに『美ら海桔梗』と名付けた花を思い浮かべ、
今の私は微苦笑しながら、まぎれない美のひとつ、と今でも確信を深めたりしている。



そして2006(平成18)年11月3日に於いては、
この日は3通ばんり投稿しているが、
この中のひとつ【 読書から文化のひとつを教示・・♪ 】を掲載する。

【・・
ここ数日、嵐山光三郎・著の『追悼の達人』(新潮文庫)を読んでいる。

特にこの中で教えを受けたのは、宮沢賢治は追悼によって世に出た、と読んだ時は驚いたりした。

著作者の嵐山光三郎(あらしやま・こうざぶろう)氏の格調たかい名文を引用させて頂く。

《・・
昭和8年、花巻で無名の詩人が急性肺炎で死んだ。
・・・
(宮沢)賢治の死は、詩人仲間の草野心平の手で友人たちに知らされたのみであった。
・・・
没後、唯一、次郎社より「宮沢賢治追悼」雑誌が出た。
草野心平が逸見猶吉と企画した同人雑誌「次郎」が形を変えて出版された追悼集で・・・

この薄い一冊の追悼文集に寄り、宮沢賢治への評価の起爆剤となった・・・


そして、著作者の嵐山光三郎は、
いまの日本詩壇に、無名詩人を発掘する第二の草野心平がいるだろうか・・
と結びの文として綴っている。
・・》

私は宮沢賢治に関しては、無知なほうである。
数年前、雪の降る時節に、花巻温泉に滞在して、
その折、宮沢賢治記念会館に行き、見学し、多少学んだ程度である。

東北地方の観光面に携わる関係者は、何かと松尾芭蕉、宮沢賢治の両名を活用し、
知名度の向上を果たしたりしているのが、昨今の実態である。

いずれにしろ、無名で亡くなった詩人が詩人達の好意により薄い追悼文集が起爆剤となり、
詩壇はもとより文化のひとつまで足跡を残させた史実に驚いている。
・・】



そして、初めて定年退職の一年を過ぎた2005(平成17)年11月3日に於いては、
やはり3通の投稿文の中から、
【 改めて、文化の日とは・・♪ 】と題したのを掲載する。

【・・
今朝、インターネットの検索をした所、
この日は戦前に於いて、『明治節』と呼ばれ、明治天皇の誕生日を寿(ことほ)ぎ、偲(しの)ぶ日とあった。

1948〈昭和23)年7月20日に『祝日法』が公布され、
《 自由と平和を愛し、文化をすすめる 》趣旨により、『文化の日』となった。

私は1944(昭和19)年9月に生を受けたが、このような由来は無知であった。

私は、この日に関しては簡潔に解釈している。

人々の営みの集積が文明であり、その一端に文化がある、と思っている。

山川草木の美しい日本の風土を秋の或る日、
その人となりに思いめぐらせ感謝すれば良い、と信じている。
・・】


このように定年退職後、毎年『文化の日』を過ごしているが、
この時の私の思いを投稿文をしてきたが、
過ぎてしまえば少しはかなくも、やはり私の心には微苦笑を重ねながらも、愛惜がある。


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『文化の日』、過ぎ去りし私の定年後、その年のこの日の思いは・・。《中》

2011-11-03 15:21:18 | 定年後の思い
一昨年の2009〈平成21〉年のこの日のひとつの投稿文として、
【 私なりの定年後の『文化の日』の思いは・・。 】
と題して投稿していた。

【・・
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の65歳の身であるが、
昨夜、どんよりとした曇り空でときおり霧雨が降り、その上に風が吹く寒い日となり、
私は木枯らしかしら、と思ったりした。

今朝5時過ぎに目覚め、薄暗い中、玄関の軒下で煙草を喫いながら、
空を眺めたりした。
月が煌々と光を帯びて、空一帯は10数の星が見られ、快晴の日中かしら、
と微笑み、居間に戻った。

ガスファンヒーターで暖房にセットした後、
地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は7度で、日中は快晴となり13度前後、夕暮れ後の6時には10度前後、と報じていた。

私としては平年より5度前後低いので12月中旬ぐらいかしら思い、
秋晴れより冬晴れに相応しい、と微苦笑したのである。

そして、『文化の日』を迎えたので、少しばかり心身緊張して、と心の中で呟(つぶ)きながら、
昨年の時はと思いながら、このサイトを開き、読み返したりした・・。


昨年の2008〈平成20〉年の今頃とは、殆ど最近も変わらないでいる。
ただ、無念ながら、日本酒からビールに変わったことである。

本年の2009〈平成21〉年2月に私の住む調布市の斡旋で、メタボの研修を受講した時、
保健医の若き美麗な女医さんより、
日本酒の弐合をお止めになって、缶ビール350mlを2本までね、と優しく云われて、
指切りまでしてしまい、私は忠実に約束を守り、確かに体重は減ったのである。

そして私は旅行先、冠婚葬祭以外は、原則として自制している。
弐合徳利、ぐい呑みは、寂しそうにしているが、止む得ないと苦笑している。



これ以前の2008〈平成20〉年のこの日のひとつの投稿文として、
【 改めて、『文化の日』を迎えて・・♪ 】
と題して投稿していた。

【・・
私は齢を重ねた64歳の身であり、日頃はネットで【日本文化いろは事典】をこよなく愛用している。

『文化の日』を迎え、先ほどから、『祝日・休日』の項目より、『文化の日』を開き、
読んだりしているが、少し漠然としたのである。

http://iroha-japan.net/iroha/A02_holiday/13_bunka.html
☆【日本文化いろは事典】<==『文化の日』☆

そして私は、具体的に知りたくなり、
フリー百科事典として知られている『ウィキペディア(Wikipedia)』で、
『日本の文化』を開き、ここ1時間ばかり読んでいる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96
☆『ウィキペディア(Wikipedia)』<==『日本の文化』☆

私は年金生活の5年生となり、
日頃の多くは、小説、随筆、歴史書、現代史などを読み、
新聞、月刊総合雑誌を読んだりして、活字文化をこよなく愛している。
そして、このサイトに散文を綴り、ほぼ毎日投稿したりしている。

ときおり、映画も居間で鑑賞したり、音楽も聴いたりしている。

外出は年金生活後に日常の買物は私の専任となり、
最寄のスーパーの数軒、ドラック・ストアーに行くことが多い。
そして駅前に出る時は、本屋に寄ったりして、店頭の本を眺めたりして、数冊を買い求めることが多く、
古本屋に行き、買いそびれた本にめぐり逢えた時は、小躍(こおど)りしながら購入し、帰宅したりしている。

そして、こうした買物、散策の時、
樹木や草花を眺めて、季節のうつろいを享受し、
すれ違う女性の何気ないしぐさ、表情から人生の微笑みを感じたり、
或いはご近所の奥様と立ち話をしたりしている。

ときおり庭の手入れをしたりし、季節に応じた樹木や草花に心を寄せたりしている。
そして、私は玄関の軒下、主庭のテラスで、煙草を喫ったり眺めたりしている。

夜になると、晩酌をするので、
その日に応じた弐合徳利とぐい呑みを選び、純米酒の辛口を呑んだりしている。
そして、今の時節は、伊予産の柚子(ユズ)などを齧(かじ)りながら、呑んだりし、
寝る前には玄関の軒下で月を眺め、誉(ほ)めたりしていることが多い。

私たち夫婦は、国内旅行が共通の趣味なので、
ときおり各地に訪れて、その地の風土、文化を学んだりしているのである。
そして、その地の料理を頂きながら地酒を呑んだり、和菓子などの食べ物も賞味したりしている。

このように日々を送っているが、拙(つたな)い私さえ、
さりげなく文化を学び過ごしているのである。
・・】

                               《つづく》
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『文化の日』、過ぎ去りし私の定年後、その年のこの日の思いは・・。《上》

2011-11-03 08:23:36 | 定年後の思い
いつものように購読している読売新聞の朝刊を見ていたら、『文化の日』なのに、
社説とか一般記事に直接に、『文化の日』に関しての記事はないと私は苦笑した。

この後、地元の天気情報をネットで検索していたら、
朝の6時は14度、昼下がり23度前後、そして夕暮れの後の6時に20度前後、と表示され、
午前中は曇りマーク、午後より晴れマークが並んでいた。

この時節としては暖かな朝を迎え、10月初旬のような感じ、と思ったりしたが、
午後より秋晴れに恵まれ、天上の気候の神々も、『文化の日』に際して、
先憂後楽のような采配をして下さり、私のこれまでの人生の歩みと同じようだ、と微笑んだりした。


この後、ばんやりと私の定年退職後の年金生活に於いて、
毎年『文化の日』を迎えて過ごしてきたが、どのような心情であったのか、
と私のブログサイトを読みはじめた・・。

私は2004〈平成16〉年の秋に民間会社を定年退職後、
まもなくブログの世界を知り、幾つかのブログサイトに迷いながら加入し、
パソコンの故障、国内旅行などで投稿できないことを除き、毎日投稿していたので、
昨年までの11月3日の投稿文を読み返していたのである。


昨年の2010(平成22)年のこの日の投稿文のひとつとして、
【 『文化の日』、私は錦繍(きんしゅう)の情景を求めて散策し・・。】
と題して投稿していた。

【・・
私は年金生活7年生の66歳の身であるが、
今朝、カレンダーを見ると、『文化の日』と朱記されていたので、微笑んだりした。

私の住む所は東京郊外の調布市であるが、世田谷区と狛江市の隣接した調布市のはずれにあり、
付近には霞嶺神社、明照院があり、私の実家も近くにある。
私は結婚前後の5年を除き、この地を60年ばかり過ごしているので、
心のふるさとの原景も我が家の周辺にある。

毎年、11月3日の『文化の日』の頃から、数多くの落葉樹の葉は、紅色、朱色、黄色などに染めはじめ、
23日の『勤労感謝の日』の頃になると、周囲一帯までは紅色、朱色、黄色などに染められている。
この後は公孫樹(イチョウ)の黄色い葉が主役となり、彩(いろど)りを見せ、
舞い散る頃に12月の『師走(しわす)』を迎えている。

このような情景を毎年この時節の錦繍の情景の移ろいに、日々に心寄せられているので、
私はこの11月は『霜月』とか『雪見月』と古来より称せられているが、
私としては、秘かに『錦繍月(きんしゅうづき)』と命名している。


朝のひととき、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は10度で、日中は晴れ間となり16度前後、夕暮れ後の6時には11度前後が予測され、
さわやかな秋日和に恵まれます、
と報じていた。

私は、このような移ろう錦繍の情景に、ときめきを感じながら見惚(みと)れ、
日頃の運動不足を兼ねて、独りで付近の遊歩道、公園などに出掛けることが圧倒的に多くなり、
歩き廻っているのは、定年退職後の習性でとなっている。


私は定年後は日常の買物の担当となっているので、
午前中にスーパーに2店ばかり買物をした後、昼過ぎに散策した・・。

私の住む近くには野川が流れていて、少なくとも40年前に、
護岸工事のされて整備され、川沿いに遊歩道や小公園も新たに設けられたりしている。

私はさわやかな秋日和の中、この野川の遊歩道を歩きだした・・。

澄み切った青空で風もなく、『文化の日』の祭日の為か、
家族連れの方たちの散策されたり、ジョキングをされる若い人たちを見かけたりした。

川の流れも清流で音もなくゆるやかに流れ、水面は昼下がりの陽射しを受けてきらめいて、
水辺の近くには薄(ススキ)が所々散乱したようにあるが、白い穂となり、
鷺(サギ)、鴨(カモ)、鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)なども見られた。
そして、児童3人が、水遊びしているのを見かけたりした。

この後、桜並木のような数多くの桜を眺めたのであるが、
たわわな葉の中、ほんの一部が朱紅色に染められて、私は微笑んだりしたが、
小公園にある欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、ハクウンボク、ヒメシャラ、
イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどは、
色合いは初秋の余情であり、晩秋の錦繍には程遠かったのである。

帰路、野川の遊歩道からはずれ、団地の近くを歩いていたら、
花水木(ハナミズキ)が朱紅色に染まり、陽射しを受けて光帯びていたので、
しばらく私は見惚(みと)れたりした。

そしてこの中の一本の樹は、散りはじめて、小枝にたわわな朱色の実を付けていた。


帰宅後、庭にある無花果(イチジク)、紫木蓮(シモクレン)の多くの葉が、黄色く染めはじめ、
紫式部(ムラサキシキブ)のたわわな実は、紫色に染められたのを、
私は眺めたりし、一時間半ばかりの散策、
少しは錦繍の情景の初めとしては、確かに受容できたと思ったりしている。
・・】

このように投稿していたが、昨年までの私と今年は、だいぶ変貌した、
と思ったりしている。
もとより3月11日の東日本大震災で各地が甚大な被災となり、
私たち夫婦は、訪れてきた各地の余りにも痛々しい被害に唖然とし、
旅行の予定も中止し、私たち夫婦は日常生活も変貌したのである。

そして巨大な大津波で余りにも多くの人たちが亡くなわれ、
被災された方たちが、そして福島原発で避難されている方たちは明日の見えない生活を過ごされている。

こうした方たちの前では、無力な私は言葉もなく、
被害の甚大を知るたびに茫然と過ごしながら、平常心こそが大切である、
と自身に言い聞かせてきた・・。

昨今は、ヨーロッパの各国で混迷、タイの大洪水、そして円高、株安などで、
肝要な日本経済が大きく揺すぶられ、無力な私でも、
ハラハラしながらニュースを見たりしてきた。

この後、私は平穏な状況にと思いを深めたりし、
過ぎ去った一昨年の2009〈平成21〉年を読み返しをした。

                             《つづく》

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