夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

綾瀬はるか(あやせ・はるか)ちゃん、実家の祖母への真摯な思い、齢ばかり重ねた私でも好感し・・。

2011-11-23 22:08:54 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
朝のひととき、ぼんやりと読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていたら、
トップページの中央の中で、
《 尊敬する元気な祖母  》
と題されて、麗(うるわ)しき若き女性の写真が掲載されていた。

私は未知の女性であり、素敵な顔立ちに見惚(みと)れながら、
齢ばかり重ねた私でも男性のひとりであり、女性に興味を失くしたら、この人生は終わりだ、と信念もあり、
こっそりとクリックしてしまった・・。

☆【YOMIURI ONLINE】
     <== 読売新聞の医療サイト(yomiDr.)【すてきライフ】<==《尊敬する元気な祖母》 ☆

私は読みながら、この麗(うるわ)しき若き女性は、女優の綾瀬はるか(あやせ・はるか)さんと解ったが、
何よりも実家の祖母への真摯な思いに、瞬時に好感した。

《・・
戦後、日本が貧しかったころのことは、広島にいる実家の祖母がよく教えてくれます。
パンの耳にお砂糖を付けて揚げたお菓子がぜいたく品だったこと、
まきのお風呂を沸かすのはとても手間がかかったこと……。

祖母は80歳代半ばですが、
とても元気で、朝のトイレ掃除、ストレッチや散歩も欠かしません。
勉強家で、本をたくさん読むし、私がプレゼントした電子辞書も見事に使いこなしています。
同じ女性として尊敬しています。
私も将来、そんなおばあちゃんになりたいな、と思うけれど、たぶんなれないなあ。
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

私は無念ながら、このような心を発露された女優の綾瀬はるかちゃんの作品は鑑賞したことはないが、
優れた表現をされる方である、と若き日に映画青年の真似事をした私は、感じたりしている。


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『勤労感謝の日』、現役の諸兄諸姉に思いを馳せ、年金生活の私は『年金感謝の日』と命名し・・。【下】

2011-11-23 15:17:15 | 時事【社会】
私が年金生活を享受しているが、日頃から秘かに根底に念願していることは、
ベルリンの壁の崩壊前の日本の姿に近くすることである。
短絡的に表現すれば、真摯な働けば多くの日本人が総中流家庭が実感でき、
明日に希望を託すことのできる時代で、
今後の日本の指針は総中流家庭の復興で、数多くの人々が安心し実感できる社会である。

この実現の為には政治は混迷、経済の低迷、社会の劣化の現状の中、
政治は民主党、自民党らの日本の明日のグランドデザインを真摯に政策を描ける方たちが、
結集の動きがあれば、無力な私でも賛意する。

何よりも悩ましい経済であるが、ここ40年の経済の大きく変貌し、
特に1990年にベルリンの壁が崩壊された後は、世界経済が更に激動し、
日本経済も余儀なくされてきた実態を配慮しなければならない。

この目的を達成する為には、もとより経済の成長は不可欠であり、
急速な超高齢化社会を迎えている今日、社会保障制度の基盤の安泰が何よりの前提条件となる。

問題の中核は各世代の負担であるが、
もとより30、40代の若い世代に現状のように加重負担させるのは過酷であり、
肝要に働いて下さる諸兄諸姉の多くの方の明日への芽を摘み取ることになる。

現状の財産形成の人口分布は、高齢者の方達が圧倒的に多く占有しているが、
高齢者自身は安心でき、将来も託すことのできる社会保障制度になっておらず、
多くの高齢者はやむなく自己防衛のために、生活を切り詰めて、少しつづ貯金をしている面もある。


私はサラリーマンの現役時代に数多く人々と同様に多忙な時、
確か15年前の頃、終電も過ぎたのでタクシーで帰宅する途中、
『旦那・・景気を良くする方法はないですかねぇ・・』
と私はドライバーの方から訊(たず)ねられたことが、数多くあった。

『年金生活をしている方に、消費して頂ただければ、内需は拡大し日本経済も良くなります。
その前提としては、社会保障制度が安心できると実感されれば、
貯金を崩されて買物をされると思います・・』
と私はドライバーの方に言ったりしていた。


現状の時点に於いては高齢者の年金だけ見ても、
若い30、40代の人たちが羨望するような額が、高齢者の多くの方たちに支給されている実態である。
私さえ民間の中小業に35年ばかり勤め、奮戦したこともさることながら、
年金は満62歳を過ぎてからは月平均20数万円頂いている身である。

もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取り、
明確には、現役世代がその時の高齢者を支えているのである。

もとより私より10歳以上齢上の人たちは、
敗戦後の荒廃した日本を、少なくとも世界の中でも有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代と称される世代も奮闘し、
確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。

その上、経済は低迷していると云われている現在さえも、国民は飢えることなく飽食の時代となり、
長寿化の時代を迎えている。


昨今、政治の昏迷、経済の低迷、社会の劣化の今日、
社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、現状のままあると、
少なくとも毎年一兆円の国の負担が増している、と報じられている。

こうした中で、多くの高齢者の有権者層が急増している今日、
政治家の諸兄諸姉の多くは、高齢者を重視した政策を掲げることが多くなり、
現役世代の若い30、40代の人たちがのささやかな念願よりも、
私のように定年退職し年金受給者の高齢者を優遇せざるを得ない、
危険な政治状況と憂いているひとりである。

このような思いになると、たとえば福祉などは、
高齢者の方たちは、これ以上に国、都道府県、区市町村に頼るのは甘えである。

或いは現状の社会保障制度のままで放置すれば、
現役世代の若い30、40代の人たちは、何かと過重負担となり、
やがて耐え切れず反乱されても致しがたいであろう、と思ったりしている。

そして、働いて下さる諸兄諸姉は、高齢者の人たちを負担させるばかり人たちと思い、
邪魔な存在と感じながら、益々粗末にする風潮の世界となる。


このようなことを配慮すれば、私も高齢者3年生の67歳の身であるが、
あえて、消費税5%を撤廃し、社会保障税を少なくと10数%(専門家の諮問委員会で試案させる)を設定し、
年金、医療、介護の専用の財源とし、国からの負担の助成とする。
そして各世代の人々が社会保障税として程々に負担するのが望まく、社会保障制度を万全に近い形とした上で、
多くの方たちが安心できる社会を期待しているのである。

このことが私がめざす総中流家庭の復興の確実な一歩と思っている。


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『勤労感謝の日』、現役の諸兄諸姉に思いを馳せ、年金生活の私は『年金感謝の日』と命名し・・。【上】

2011-11-23 11:15:38 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

今朝、居間にあるカレンダーを何気なしに見ると『勤労感謝の日』と朱記され、
思わず恥ずかしくなり、微苦笑したりした。

私は2004(平成16)年の秋、35年近く中小業の民間会社でサラリーン生活を終えて定年退職した後、
私は年金生活で過ごしているので、昨今は曜日の感覚が衰えている。

日常は定年後から自主的に平素の買物担当となり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。

ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。

私の住む調布市の片隅で世田谷区と狛江市に隣接した地域では、
この日『勤労感謝の日』の頃になると、自宅の小庭、付近の遊歩道、小公園の落葉樹が、
紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の華やかな情景のピークとなり、
過ぎし11月3日の『文化の日』の頃から、色合いを染め始めるので、
と毎年待ち焦(こが)がれているひとりである。

そして『勤労感謝の日』を過ぎる頃になれば、落葉が吹き寄せのように幾重にも重ねはじめ、
イチョウのたわわな葉が黄色の色合いを深めて、
12月の初旬の頃に落葉し始めるて、季節は晩秋から初冬に移り変わる・・。


このような思いで年金生活を過ごしているが、私のサラリーマンの現役時代には、
『勤労感謝の日』に際しては、それなりに想いである。

私の30代は、会社の販売締切日がたまたま20日であり、
コンピュータの専任者であったので、『勤労感謝の日』は月次処理作業で追われていた。
もとより休日出勤務をしていたが、経理の決算の担当者も出勤されていたので、
『働けるうちに・・こうしていられるのも・・幸せかも知れない・・』
と私は決算の担当者に言ったりしながら、疲れ切っていたが、奮闘していた。

40代になると、システムの開発と運営の併行業務となり、
たえず身体も張り、ときには週一回の日曜日だけは休めれば良い方で、
土日、祭日の休日もなくなった時期が多かった。
そして、ときおり徹夜となり、早朝を迎えると、
『今・・働らなくて・・いつ働くのよ』と心の中で、自身を励まして奮戦していた。

そして50代は情報畑から他部門に異動したり、後半は業界のリストラ烈風の中で出向となったりしたが、
相変わらず心身ギリギリまで業務に専念したりし、
特に勤務地の遠い出向先に於いては、『50代後半でも体力勝負は・・勘弁してほしい』と、
心の中で呟(つぶや)くことが多く、サラリーマン生活を卒業したのである。


昨今、過重労働などと新聞で読んだり、テレビで視聴すると、
私たちの時代も同じであった、と思ったりしている。

ただ、昭和の時代が終る頃までは、
日本の経済は躍進していたので、真摯に職責を果たせば多くの人々が明日に希望が持てる時代であったので、
少なくとも団塊の世代、少し齢上の私たち世代、そして先輩の人たちは、
幸運な時代に恵まれていた、
ときおり私は深く感じたりすることがある。


年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。


こうしたささやかな生活をしているが、もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えているのである。

こうした現状を思考すれば、私は現役世代の諸兄諸姉に感謝をしながら、
思わず11月23日は、年金生活をしている私は『年金感謝の日』と命名した。

もとよりここ10年前の頃から、年金の世代格差の難題が露呈して今日、
解決策のひとつとして、私なりの思いを綴る。

                            《つづく》

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