夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活を重ねれば、現役時代の懇親会も次第に消滅し、ときには地元の小、中学の同級生と・・。

2011-11-26 14:34:01 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たったふたりだけの家庭である。

民間の音楽業界のある会社を35年近く勤めて定年退職になったのは、
2004(平成16)年の秋で、そして年金生活に入り、今日に至っている。

この時節、現役の諸兄諸姉はまもなくボーナスシーズンを迎え、
そして忘年会を会社の同じ部署の人たち、或いは同僚たち、そして友人たち、
それぞれ懇親を深め12月中旬になると思われるが、何かしら遠い世界の出来事のように感じたりしている。


私の50代の前半の頃は、サラリーマンで私なりに奮闘し、
この12月は部内はもとより、同世代、悪友たちと、何かと忘年会と称して懇親会を重ねてきた。

そして50代の半ばに、リストラが盛んとなり、
早期退職優遇制度の名目で先輩、同僚、後輩たちが退職されたり、組織の統廃合により人事異動、
そして私のように出向となったりし、烈風の社内状況となった。

定年退職するまで、年に数回は互いに連絡して、東京に残った人たちと懇親会を重ねてきた。


その後、私の定年後になる頃は、病気で通院しているの・・、親の介護で・・、親が亡くなったので・・、
メンバーが欠落したのである。
そして、この時節になると、忘年会は2月頃に有志で集まってすれば、
と敬愛してきている先輩だった人から云われたりすると、
そうですよねぇ、と私は応(こた)えたりしてきたのである。

このように私は、この時節の忘年会と称した懇親会は、無念ながら消滅したのである。

昨今は、多くの退職された方たちも同様と思われるが、かっての会社時代の先輩、同僚、後輩たちの集いより、
家族の団欒はもとより、親族、親戚関係の冠婚葬祭が優先となっている。

そして私は近くに住む地元の小、中学の同級生と、最寄駅の居酒屋、食事処で逢い、
懇親を深めたりしている。
こうした時は、同級生の女性から、XXクン、と私は呼ばれたり、
悪友たちとは、お互いに苗字を呼び捨てにし、この世の一番気楽なグループ、と微苦笑したりしている。


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コメント (2)
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