私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨夜、親戚の方のお通夜に参列した。
私の父の妹のひとりが死去され、もとより私にとっては叔母さんとなる90歳の方である。
父は長男で妹は4人となり、長女は今年の晩春に亡くなり、今回は次女の方であり、
三女、末妹は健在である。
今回亡くなわれた叔母は、私の幼児期に隣接した成城学園の農家に嫁がれ、
早や65年近くなっていた。
この間、この叔母とは、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
私の実家である長兄宅で、ときおりお逢いしていた。
或いは法事の時もお逢いすることもあるが、私は三男坊の身であり、
もとより代々家を継がれてきている長兄より親戚関係の冠婚葬祭の交際は限定されているので、
気楽な面もある。
今回の場合も長兄は、『お通夜』、『告別式』に参列するが、
私の三男坊の身として『お通夜』だけ参列すれば、許される立場である。
このような関係で、私はこの地域としては由緒あるお寺で施行される『お通夜』に、
参列した。
私はふたりの妹と共に、親戚側の片隅に着席し、禅師の読経を聴いたり、
亡くなわれた叔母を偲(しの)ぶように、嫁がれた後の苦楽の歳月に思いを馳せたりした。
そして誰しも、そのお方の生を受け、亡くなわれるまでの一生の軌跡は、
どのお方と交流されたり、淡い関係をされたかは、もとより当人しか解からないので、
『お焼香』をして下さっている一般の方たちに、私なりに思いを重ねたりした。
この後、親戚関係のお清めの『通夜ぶるまい』で、
私は父の妹の叔母さんたち、そして叔母さんの家族の人たちと隣席しようと思っていたら、
たまたま係りの方に一番前の席に誘導され、未知の高齢者の男性の方と隣席となり、
前の席は50代のご夫妻の方となり、私は知らない方となった。
さりげなくお互いに私は50代のご夫妻の方となり話したり、
隣席の高齢者の男性の方と言葉を重ねると、大正15年生まれで、85歳前後の方と知った。
そして、私の住む地域の近くで農家をされている方と知り、
私は驚いたりした。
親戚関係の人たちであるが、もとより亡くなわれた叔母さんのご主人側の親族、親戚関係もあり、
私にとっては遥かに遠い血筋となるが、こうした方が・・まして近くで農家をされている方であり、
世の中は広いが、たまたまこうした『通夜ぶるまい』で隣席すると、狭いなぁ、と実感させられたのである。
そして戦争前後、この周辺が大きく変貌した昭和32年の頃まで、
私は話題にして、85歳前後の方から多々教示された。
このお方も時代の荒波を過ごされ、苦楽の多い人生軌跡を発露され、
明るく話されるが、もとより『お通夜』の後のお清めの『通夜ぶるまい』であるので、
私は笑い声は抑えて、ときおり微笑みを浮かべて、85歳前後の方と
談笑を重ねたりである。
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昨夜、親戚の方のお通夜に参列した。
私の父の妹のひとりが死去され、もとより私にとっては叔母さんとなる90歳の方である。
父は長男で妹は4人となり、長女は今年の晩春に亡くなり、今回は次女の方であり、
三女、末妹は健在である。
今回亡くなわれた叔母は、私の幼児期に隣接した成城学園の農家に嫁がれ、
早や65年近くなっていた。
この間、この叔母とは、春のお彼岸、夏のお盆、秋のお彼岸に、
私の実家である長兄宅で、ときおりお逢いしていた。
或いは法事の時もお逢いすることもあるが、私は三男坊の身であり、
もとより代々家を継がれてきている長兄より親戚関係の冠婚葬祭の交際は限定されているので、
気楽な面もある。
今回の場合も長兄は、『お通夜』、『告別式』に参列するが、
私の三男坊の身として『お通夜』だけ参列すれば、許される立場である。
このような関係で、私はこの地域としては由緒あるお寺で施行される『お通夜』に、
参列した。
私はふたりの妹と共に、親戚側の片隅に着席し、禅師の読経を聴いたり、
亡くなわれた叔母を偲(しの)ぶように、嫁がれた後の苦楽の歳月に思いを馳せたりした。
そして誰しも、そのお方の生を受け、亡くなわれるまでの一生の軌跡は、
どのお方と交流されたり、淡い関係をされたかは、もとより当人しか解からないので、
『お焼香』をして下さっている一般の方たちに、私なりに思いを重ねたりした。
この後、親戚関係のお清めの『通夜ぶるまい』で、
私は父の妹の叔母さんたち、そして叔母さんの家族の人たちと隣席しようと思っていたら、
たまたま係りの方に一番前の席に誘導され、未知の高齢者の男性の方と隣席となり、
前の席は50代のご夫妻の方となり、私は知らない方となった。
さりげなくお互いに私は50代のご夫妻の方となり話したり、
隣席の高齢者の男性の方と言葉を重ねると、大正15年生まれで、85歳前後の方と知った。
そして、私の住む地域の近くで農家をされている方と知り、
私は驚いたりした。
親戚関係の人たちであるが、もとより亡くなわれた叔母さんのご主人側の親族、親戚関係もあり、
私にとっては遥かに遠い血筋となるが、こうした方が・・まして近くで農家をされている方であり、
世の中は広いが、たまたまこうした『通夜ぶるまい』で隣席すると、狭いなぁ、と実感させられたのである。
そして戦争前後、この周辺が大きく変貌した昭和32年の頃まで、
私は話題にして、85歳前後の方から多々教示された。
このお方も時代の荒波を過ごされ、苦楽の多い人生軌跡を発露され、
明るく話されるが、もとより『お通夜』の後のお清めの『通夜ぶるまい』であるので、
私は笑い声は抑えて、ときおり微笑みを浮かべて、85歳前後の方と
談笑を重ねたりである。
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