夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

五木寛之・著の『わが人生の歌がたり』、私は若き日に文学青年の真似事を敗退した頃を思い馳せて・・。

2011-11-11 23:03:15 | 真摯に『文学』を思考する時
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
主庭の雑木が観える居間の中央に机を置いている。

2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、この机にパソコンを置いて、
パソコンが故障したり、国内旅行で自宅不在でない限り、ブログの投稿文を綴っている。

この机にあるパソコンに向って綴っているが、
私の座っている椅子の後方には、少し大きな本棚が二本あり、愛読している単行本を並べている。

先ほど、後ろを振り返り、たまたま下段の右側を見ていたら、
作家・五木寛之(いつき・ひろゆき)氏の『わが人生の歌がたり』(角川書店)シリーズの『昭和の哀歓』、
『昭和の青春』、『昭和の追憶』の三冊が並んでいた。
そして、偶然に目にした本に微苦笑をした。


私は遅ればせながら、昨年の2010〈平成22〉年の春先に購読した作品である。

この本のシリーズの概要は、本の帯に解説されている通り、
《五木寛之の歌語り、NHKの「ラジオ深夜便」で話題のトークが本になりました!》
と明記されているが、
私はNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたことがなく、無知であった。

読みはじめて感じたことは、作者の人生の歩みと共に、
その当時の流行(はや)った歌への思いを語る、と判ったが、
私がラジオから歌を聴いて感じた思いと作者の思いの落差を感じ、微苦笑を重ねたりしたが、
教示されることが多かったのである・・。

もとより作者は1932(昭和7)年9月生まれのお方であり、
私は1944(昭和19)年9月生まれであるので、世代も遥かに上のお方の上、
たとえ幼年期さえまったく環境の違う身であるので、
この歌はそのように思われたのでしたか、とページをめくりながら、
その時代の空気を学んだりしたのである。


私は著作者の五木寛之氏に関しては、
少し複雑なこだわりのような気持ちが10数年前の頃まであったことを、
恥ずかしながら告白する。

東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に少年の頃から熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期があった。

この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊文芸雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた。

この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定された。

私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を最後まで読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したのである、
新人賞の選考委員のひとりの中間小説の大家で柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう)氏は、
辛口の選評をされる方であるが、この『さらばモスクワ愚連隊』の作品を絶賛した言葉を重ねていたのである。

その後、五木寛之氏は、『蒼ざめた馬を見よ』を発表されて、
1967(昭和41)年に直木賞を受賞され、
まぎれなく中間小説界に、新しい旋風をまきおこしたことは、周知の通りである。

この当時の私は、純文学の新人募集に投稿をしていたが、最終選考に残れず、落胆を重ねていた時であった。

その後、五木寛之氏は、確か『新潮』だったと思われるが、
『黄金時代』という題名であったと記憶しているが、大学時代のご自身のことを綴られた内容であった、
とおぼろげながら記憶している。


私はアルバイトをしながら文学青年の真似事をし、明日の見えない状況に苦悶し、
結果として、30代になった頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、
とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。

やむなく人生軌道を修正し、この当時も民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
何とか大企業に中途入社する為に、
ひとつの手段としてコンピュータの専門学校に入学したのは、
1969(昭和44)年の24歳の時であった。

そして一年ばかりソフト学科を学び、
この当時は、大手の音響・映像のある会社に、知人の尽力も得て、何とか中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の4月であった。

その後、この会社の一部が外資系レコード会社として独立し、
私は転属させられて、その後は管理系の情報、経理、営業、管理畑など35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職をした。


この間、本屋に寄ったりし、遥か雲の上のような存在となった五木寛之氏の作品は、
ときおり躊躇(ためら)いながら買い求めてきたが、
私が熱愛している作家の作品のように、漏れなく時系列で読むことはなかったのである。

遠い存在・・眩(まぶ)しいようなお方・・この人の前では敗残者のような思い・・
このようなわだかまりのあり、素直に受け止めるできなかった50歳の前後まで、
私の根底にはあった。


このような少しばかり複雑な思いを五木寛之氏の作品に感じていたのであるが、
昨今のここ15年ぐらいは、こだわりも霧のように立ち消え、
読みながら多々教示を受けたりしている。


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文藝春秋・編『日本の論点2012』、齢ばかり重ねた高齢者の私でも、思わず購入し・・。

2011-11-11 10:43:18 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨日の昼下がり、家内が駅前の歯科医院に治療の予約していたので、
私はホディーガード兼お供で、家内と共に幾分人気の少ない川沿いの遊歩道を歩いた・・。

桜の樹が多い桜並木のような中、
花水木(ハナミズキ)の樹の数多くの葉は、朱紅色に染まっているが、
この地域に古くからあるクヌギ、コナラの樹木、
そしてハクウンボク、ヒメシャラ、イヌシデ、ヤマボウシ、コブシなどは、
ほんのりと紅色、朱色、黄色に染め始めていた・・。

川の水辺の近くには、鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、
そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来してきているが、
私は小鳥には興味がなく、淡い陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)は、わずかに白い穂に見せ始めている。

このような錦繍(きんしゅう)の情景を観ながら、私たちは駅前に出た。

そして駅前で家内と別れ、いつものようにコーヒー・ショップの『ドトール』で待ち合わせすることし、
私は本屋に寄り、雑誌の文芸コーナーに於いて、
1970〈昭和45〉年より購読している総合月刊雑誌の『文藝春秋』(12号)を手にした後、
この横に、『日本の論点2012』と大きく明記された厚い本が10数冊積み上げられていた。

http://www.bunshun.co.jp/cgi-bin/book_db/book_detail.cgi?isbn=9784165031109
☆【文藝春秋ホームページ】<==《文藝春秋・編『日本の論点2012』》

私は手に取って、パラパラと開きながら見たりしていたが、
確かに日本の第一線で活躍される著名人の方たちが、冷戦から今日までの各分野の問題を
寄稿されたのが掲載されている。


私は遅ればせながら高校生の初めに、読書の底知れぬ魔力に取りつかれて小説、随筆など乱読し、
年金生活の今でも、日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
本屋に寄ったり、ときには古本屋に行き買い求めている。

単行本、新書本、文庫本の書籍が圧倒的に多く、ときおり雑誌を購入しているが、
今回の『日本の論点2012』の厚い本は、手にして読むのは・・と躊躇(ためら)ったりした。

しかしながら、多岐に及ぶテーマを一冊に集約したのは、なかなか出版されることもないと思え、
齢ばかり重ねた私でも、購読しょうと決意した。

高齢者3年生となった私は、少しばかり世の中は解ったつもりあるが、
新聞などを読んだりしていると、恥ずかしながら解説欄に縋(すが)ることが多く、
ときおり何も解っていなかった、と赤面したりすることもある。

今回、改めて謙虚に、それぞれの専門家の見識を学び、
大学の特選セミナーの時事講座かしら、と受講生のひとりのような心情で、
読みはじめている。

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