私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
主庭の雑木が観える居間の中央に机を置いている。
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、この机にパソコンを置いて、
パソコンが故障したり、国内旅行で自宅不在でない限り、ブログの投稿文を綴っている。
この机にあるパソコンに向って綴っているが、
私の座っている椅子の後方には、少し大きな本棚が二本あり、愛読している単行本を並べている。
先ほど、後ろを振り返り、たまたま下段の右側を見ていたら、
作家・五木寛之(いつき・ひろゆき)氏の『わが人生の歌がたり』(角川書店)シリーズの『昭和の哀歓』、
『昭和の青春』、『昭和の追憶』の三冊が並んでいた。
そして、偶然に目にした本に微苦笑をした。
私は遅ればせながら、昨年の2010〈平成22〉年の春先に購読した作品である。
この本のシリーズの概要は、本の帯に解説されている通り、
《五木寛之の歌語り、NHKの「ラジオ深夜便」で話題のトークが本になりました!》
と明記されているが、
私はNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたことがなく、無知であった。
読みはじめて感じたことは、作者の人生の歩みと共に、
その当時の流行(はや)った歌への思いを語る、と判ったが、
私がラジオから歌を聴いて感じた思いと作者の思いの落差を感じ、微苦笑を重ねたりしたが、
教示されることが多かったのである・・。
もとより作者は1932(昭和7)年9月生まれのお方であり、
私は1944(昭和19)年9月生まれであるので、世代も遥かに上のお方の上、
たとえ幼年期さえまったく環境の違う身であるので、
この歌はそのように思われたのでしたか、とページをめくりながら、
その時代の空気を学んだりしたのである。
私は著作者の五木寛之氏に関しては、
少し複雑なこだわりのような気持ちが10数年前の頃まであったことを、
恥ずかしながら告白する。
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に少年の頃から熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期があった。
この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊文芸雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた。
この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定された。
私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を最後まで読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したのである、
新人賞の選考委員のひとりの中間小説の大家で柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう)氏は、
辛口の選評をされる方であるが、この『さらばモスクワ愚連隊』の作品を絶賛した言葉を重ねていたのである。
その後、五木寛之氏は、『蒼ざめた馬を見よ』を発表されて、
1967(昭和41)年に直木賞を受賞され、
まぎれなく中間小説界に、新しい旋風をまきおこしたことは、周知の通りである。
この当時の私は、純文学の新人募集に投稿をしていたが、最終選考に残れず、落胆を重ねていた時であった。
その後、五木寛之氏は、確か『新潮』だったと思われるが、
『黄金時代』という題名であったと記憶しているが、大学時代のご自身のことを綴られた内容であった、
とおぼろげながら記憶している。
私はアルバイトをしながら文学青年の真似事をし、明日の見えない状況に苦悶し、
結果として、30代になった頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、
とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。
やむなく人生軌道を修正し、この当時も民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
何とか大企業に中途入社する為に、
ひとつの手段としてコンピュータの専門学校に入学したのは、
1969(昭和44)年の24歳の時であった。
そして一年ばかりソフト学科を学び、
この当時は、大手の音響・映像のある会社に、知人の尽力も得て、何とか中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の4月であった。
その後、この会社の一部が外資系レコード会社として独立し、
私は転属させられて、その後は管理系の情報、経理、営業、管理畑など35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職をした。
この間、本屋に寄ったりし、遥か雲の上のような存在となった五木寛之氏の作品は、
ときおり躊躇(ためら)いながら買い求めてきたが、
私が熱愛している作家の作品のように、漏れなく時系列で読むことはなかったのである。
遠い存在・・眩(まぶ)しいようなお方・・この人の前では敗残者のような思い・・
このようなわだかまりのあり、素直に受け止めるできなかった50歳の前後まで、
私の根底にはあった。
このような少しばかり複雑な思いを五木寛之氏の作品に感じていたのであるが、
昨今のここ15年ぐらいは、こだわりも霧のように立ち消え、
読みながら多々教示を受けたりしている。
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主庭の雑木が観える居間の中央に机を置いている。
2004〈平成16〉年の秋に定年退職した私は、この机にパソコンを置いて、
パソコンが故障したり、国内旅行で自宅不在でない限り、ブログの投稿文を綴っている。
この机にあるパソコンに向って綴っているが、
私の座っている椅子の後方には、少し大きな本棚が二本あり、愛読している単行本を並べている。
先ほど、後ろを振り返り、たまたま下段の右側を見ていたら、
作家・五木寛之(いつき・ひろゆき)氏の『わが人生の歌がたり』(角川書店)シリーズの『昭和の哀歓』、
『昭和の青春』、『昭和の追憶』の三冊が並んでいた。
そして、偶然に目にした本に微苦笑をした。
私は遅ればせながら、昨年の2010〈平成22〉年の春先に購読した作品である。
この本のシリーズの概要は、本の帯に解説されている通り、
《五木寛之の歌語り、NHKの「ラジオ深夜便」で話題のトークが本になりました!》
と明記されているが、
私はNHKの「ラジオ深夜便」を聴いたことがなく、無知であった。
読みはじめて感じたことは、作者の人生の歩みと共に、
その当時の流行(はや)った歌への思いを語る、と判ったが、
私がラジオから歌を聴いて感じた思いと作者の思いの落差を感じ、微苦笑を重ねたりしたが、
教示されることが多かったのである・・。
もとより作者は1932(昭和7)年9月生まれのお方であり、
私は1944(昭和19)年9月生まれであるので、世代も遥かに上のお方の上、
たとえ幼年期さえまったく環境の違う身であるので、
この歌はそのように思われたのでしたか、とページをめくりながら、
その時代の空気を学んだりしたのである。
私は著作者の五木寛之氏に関しては、
少し複雑なこだわりのような気持ちが10数年前の頃まであったことを、
恥ずかしながら告白する。
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に少年の頃から熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期があった。
この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊文芸雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた。
この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定された。
私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を最後まで読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したのである、
新人賞の選考委員のひとりの中間小説の大家で柴田錬三郎(しばた・れんざぶろう)氏は、
辛口の選評をされる方であるが、この『さらばモスクワ愚連隊』の作品を絶賛した言葉を重ねていたのである。
その後、五木寛之氏は、『蒼ざめた馬を見よ』を発表されて、
1967(昭和41)年に直木賞を受賞され、
まぎれなく中間小説界に、新しい旋風をまきおこしたことは、周知の通りである。
この当時の私は、純文学の新人募集に投稿をしていたが、最終選考に残れず、落胆を重ねていた時であった。
その後、五木寛之氏は、確か『新潮』だったと思われるが、
『黄金時代』という題名であったと記憶しているが、大学時代のご自身のことを綴られた内容であった、
とおぼろげながら記憶している。
私はアルバイトをしながら文学青年の真似事をし、明日の見えない状況に苦悶し、
結果として、30代になった頃に妻子を養なって家庭生活を思い浮かべると、
とても過ごす自信もなく、あえなく挫折した。
やむなく人生軌道を修正し、この当時も民間会社は新卒が最優先の時代であったので、
何とか大企業に中途入社する為に、
ひとつの手段としてコンピュータの専門学校に入学したのは、
1969(昭和44)年の24歳の時であった。
そして一年ばかりソフト学科を学び、
この当時は、大手の音響・映像のある会社に、知人の尽力も得て、何とか中途入社できたのは、
1970(昭和45)年の4月であった。
その後、この会社の一部が外資系レコード会社として独立し、
私は転属させられて、その後は管理系の情報、経理、営業、管理畑など35年近く勤めて、
2004〈平成16〉年の秋に定年退職をした。
この間、本屋に寄ったりし、遥か雲の上のような存在となった五木寛之氏の作品は、
ときおり躊躇(ためら)いながら買い求めてきたが、
私が熱愛している作家の作品のように、漏れなく時系列で読むことはなかったのである。
遠い存在・・眩(まぶ)しいようなお方・・この人の前では敗残者のような思い・・
このようなわだかまりのあり、素直に受け止めるできなかった50歳の前後まで、
私の根底にはあった。
このような少しばかり複雑な思いを五木寛之氏の作品に感じていたのであるが、
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