私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
山里に熊(クマ)に遭遇して、もとより人は動顚し、被害を遭われたり、
ここ数年は人家の近くまで熊(クマ)が出没されて住民は困苦する、
とニュースを聞いたりしている。
山里の多い県公園自然課のヘテランの担当者は、
熊(クマ)は警戒心が強く、鈴など音の出るもので人の存在を知らせることが大切であり、
遭遇したら、背を向けずに後ずさりをして逃げること、
と私は学んで来たりしている。
そしてリックサックを背負っていたら、ザックを音を立てないように地面に落として、
ゆっくりと背を向けずに、後ずさりをして立ち去ること、と教えられている。
これまでの私は、幸いにも熊に出会ったことはないが、
遭遇しないような方法として、ささやかな成功体験のひとつを発露する。
私は若き大学時代には、中退するまではワンターフォーゲル部に所属し、
冬山の登山、岩登り以外は、先輩の指導の下で、山の奥地、登山路、そして里山まで歩いたりしてきた。
もとより、キスリングと称される大きなザックに個人装備、共同装備を背負い、
テント生活に明け暮れていたが、幸いに熊に出遭うことはなかった。
このような理由は、少なくとも団体の15名以上のパーティであり、
登山路の不整備などで枝、小枝、竹藪の竹など払い切り落とし、
或いは炊事の時などの枝を拾い集めて、薪(まき)などにするために、
大きめの鉈(ナタ)を全員持参し、身に付けたりしていた。
熊(クマ)だって、牛肉、豚肉、鶏肉に飢えていた山男の集団に入ったならば、
逆に熊肉料理にされてしまうので、恐れをなして隠れていた、と私は今頃になって思ったりしている。
昨今は家内との共通趣味の国内旅行をした時に、
たまたま独りで里山を歩いていた時、熊に出遭うことのないように予備対策をした。
過ぎ去りし2006(平成18)年10月中旬、
私たち夫婦は、家内の母が死ぬまで一度は北海道に行って観たいわ、
と要望を受けて、三人で道央、道東めぐりを7泊8日で周遊した。
この旅の中で、知床半島のウトロにある観光ホテルに連泊していた。
家内達は漁港周辺を散策するので、
私は独りで『知床自然センター』の周辺を散策することにした。
この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た後、
売店、案内所のフロアーに行き、
私は、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道の路を、
係員の方に訊(たず)ねたりした。
そして係員の方から、
『熊除けの鈴・・無料で貸し出ししていますので、持たれたらいかがでしょうか・・』
と好意の言葉を私に言った。
少しためらいながら私は、微苦笑しながら、
『ご好意・・ありがとう・・でも、大丈夫でしょう』
と私は係員に熊除けの鈴を受け取らず、歩きだした。
私は登山、ハイキング時などで、鈴の音を聴いたりすると、
何かしら拒絶反応するタイプであり、苦手であった。
そして歩きだすと樹林の中のゆるやかな坂道を下り、
やがて辺(あた)り一面平地となり、遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。
前方に団体観光客の方たちが見えたので、
私はこの方たちにまぎれて、お互いに談笑しながら、『乙女の涙』まで同行した。
私は、『乙女の涙』の周辺の海岸の光景に見惚れて、
ゆっくりと時間を過ごしたので、帰路は独りぼっちになってしまった。
樹林に近づくと、いつでも熊が出できても、おかしくないよなぁ、
と小心者の私は恐怖心がつのったりした。
やむなく熊に出遭うことのないように、
私が小学生の時にラジオから流れてきた歌を覚えていたので、
唄いだしたのである。
♪イヨマンテ
燃えろ かがり火
あゝ満月よ
今宵 熊祭り
【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫、作曲・古関祐而 】
私は歌手の伊藤久男のように朗々と唄えないが、
今回の旅行前から『イヨマンテ(熊祭)の夜』の歌を秘かに練習をしていた。
そして熊避(よ)けには、音痴な私の唄声でも、鈴などより余程効果があると信じていた。
この後の数日後、阿寒湖の湖畔の観光ホテルに滞在した時、
家内達は、観光船でマリモ展示観察センター観たりするが、
私は興味がないので、湖畔周辺を散策することにした。
観光船乗り場の脇道から遊歩道があると聞いていたので、歩き始めた・・。
私のほかは、周辺にもまったく人影を見かけなく、静寂であった。
湖畔沿いの小道は、エゾマツ、トドマツ、ダテカンバ、ナナカマドの針広混生樹林の中、
少し間引いた中が遊歩道として『湖畔コース』と名づけられていた。
湖畔に目を転じると、阿寒湖の情景が観え、快晴の中、遠方に遊覧船が見えたりした。
そして広葉樹林は、紅色、朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景となり、
湖面の陽射しが差し込み、葉の一枚が枝から舞いながら水面に落ち、
微かな水紋でゆらいでいる・・。
このような光景に見惚(みと)れたりし、遊歩道をゆっくり歩きながら、
ときおりデジカメで風景を撮ったりし、15分過ぎたと思われるが、
相変わらず私のほかは、周辺にもまったく人影を見かけなく、静寂であった。
私は何となく熊が出そうな予感がしたので、
♪イヨマンテ
燃えろ ひと夜を
あゝわが胸に
今宵 熊祭り
【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫、作曲・古関祐而 】
こうした時も音痴でも大きな声で『イヨマンテ(熊祭)の夜』を唄いながら、
無事に通り抜けたのである。
最も熊だって、東京の田舎者の音痴な人には遭いたくない、
と隠れ潜んでいたと思われる。
昨今は齢ばかり重ねた私は、悪知恵ばかり覚えている。
《熊に山椒 鯉に胡椒》と同時に食べてはいけないもの名言を学んだりしたので、
熊が出そうな所を歩く時には、山椒の枝をトゲに注意しながら背負って歩けば、
熊だって食あたりするので敬遠するかしら、と思ったりしている。
或いは今年の1月下旬より、北海道の札幌市の郊外にあるリゾートホテルに6泊7日で滞在した。
こうした中で、たまたま和食処『大善』で夕食を頂く時に、
単品料理をアラカルト(選定)をしょうとメニューを見ていた時、
日本酒の中で、『熊ころり』という銘柄を見たりしたのであった・・。
『各地方には・・鬼殺し・・の銘柄はあるけれど・・
〈熊ころり〉なんで・・初めてだょ・・』
と私は微笑みながら家内に言った。
『珍しい銘柄名ね・・頂いたら・・』
と家内は笑いながら私に言った。
『北海道に相応しく・・熊かょ・・かなり辛口だけれど・・』
と私は言いながら、仲居さんに注文したひとつとなった。
蔵元は小樽市にある『山二(ゆまに)わたなべ』で、正式な銘柄名は『熊古露里』と明記されていたので、
風流を秘めた方が命名されたと確信を深めたりした。
超辛口で呑みやすく、たまたま私はホッケの焼いたのを食べながら頂いたので、心身の波長にあった。
この『熊ころり』を熊が出そうな所を歩く時に持ち歩き、
遭遇した時には、この4合瓶を差しだせば、熊だって酔いながら退散するかしら、
と思ったりしている。
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山里に熊(クマ)に遭遇して、もとより人は動顚し、被害を遭われたり、
ここ数年は人家の近くまで熊(クマ)が出没されて住民は困苦する、
とニュースを聞いたりしている。
山里の多い県公園自然課のヘテランの担当者は、
熊(クマ)は警戒心が強く、鈴など音の出るもので人の存在を知らせることが大切であり、
遭遇したら、背を向けずに後ずさりをして逃げること、
と私は学んで来たりしている。
そしてリックサックを背負っていたら、ザックを音を立てないように地面に落として、
ゆっくりと背を向けずに、後ずさりをして立ち去ること、と教えられている。
これまでの私は、幸いにも熊に出会ったことはないが、
遭遇しないような方法として、ささやかな成功体験のひとつを発露する。
私は若き大学時代には、中退するまではワンターフォーゲル部に所属し、
冬山の登山、岩登り以外は、先輩の指導の下で、山の奥地、登山路、そして里山まで歩いたりしてきた。
もとより、キスリングと称される大きなザックに個人装備、共同装備を背負い、
テント生活に明け暮れていたが、幸いに熊に出遭うことはなかった。
このような理由は、少なくとも団体の15名以上のパーティであり、
登山路の不整備などで枝、小枝、竹藪の竹など払い切り落とし、
或いは炊事の時などの枝を拾い集めて、薪(まき)などにするために、
大きめの鉈(ナタ)を全員持参し、身に付けたりしていた。
熊(クマ)だって、牛肉、豚肉、鶏肉に飢えていた山男の集団に入ったならば、
逆に熊肉料理にされてしまうので、恐れをなして隠れていた、と私は今頃になって思ったりしている。
昨今は家内との共通趣味の国内旅行をした時に、
たまたま独りで里山を歩いていた時、熊に出遭うことのないように予備対策をした。
過ぎ去りし2006(平成18)年10月中旬、
私たち夫婦は、家内の母が死ぬまで一度は北海道に行って観たいわ、
と要望を受けて、三人で道央、道東めぐりを7泊8日で周遊した。
この旅の中で、知床半島のウトロにある観光ホテルに連泊していた。
家内達は漁港周辺を散策するので、
私は独りで『知床自然センター』の周辺を散策することにした。
この館内の映像展示館で『知床の四季』を観た後、
売店、案内所のフロアーに行き、
私は、『乙女の涙』と称される海岸の滝までの遊歩道の路を、
係員の方に訊(たず)ねたりした。
そして係員の方から、
『熊除けの鈴・・無料で貸し出ししていますので、持たれたらいかがでしょうか・・』
と好意の言葉を私に言った。
少しためらいながら私は、微苦笑しながら、
『ご好意・・ありがとう・・でも、大丈夫でしょう』
と私は係員に熊除けの鈴を受け取らず、歩きだした。
私は登山、ハイキング時などで、鈴の音を聴いたりすると、
何かしら拒絶反応するタイプであり、苦手であった。
そして歩きだすと樹林の中のゆるやかな坂道を下り、
やがて辺(あた)り一面平地となり、遥か彼方に知床の連山が観られる一帯であった。
前方に団体観光客の方たちが見えたので、
私はこの方たちにまぎれて、お互いに談笑しながら、『乙女の涙』まで同行した。
私は、『乙女の涙』の周辺の海岸の光景に見惚れて、
ゆっくりと時間を過ごしたので、帰路は独りぼっちになってしまった。
樹林に近づくと、いつでも熊が出できても、おかしくないよなぁ、
と小心者の私は恐怖心がつのったりした。
やむなく熊に出遭うことのないように、
私が小学生の時にラジオから流れてきた歌を覚えていたので、
唄いだしたのである。
♪イヨマンテ
燃えろ かがり火
あゝ満月よ
今宵 熊祭り
【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫、作曲・古関祐而 】
私は歌手の伊藤久男のように朗々と唄えないが、
今回の旅行前から『イヨマンテ(熊祭)の夜』の歌を秘かに練習をしていた。
そして熊避(よ)けには、音痴な私の唄声でも、鈴などより余程効果があると信じていた。
この後の数日後、阿寒湖の湖畔の観光ホテルに滞在した時、
家内達は、観光船でマリモ展示観察センター観たりするが、
私は興味がないので、湖畔周辺を散策することにした。
観光船乗り場の脇道から遊歩道があると聞いていたので、歩き始めた・・。
私のほかは、周辺にもまったく人影を見かけなく、静寂であった。
湖畔沿いの小道は、エゾマツ、トドマツ、ダテカンバ、ナナカマドの針広混生樹林の中、
少し間引いた中が遊歩道として『湖畔コース』と名づけられていた。
湖畔に目を転じると、阿寒湖の情景が観え、快晴の中、遠方に遊覧船が見えたりした。
そして広葉樹林は、紅色、朱紅色、黄色に染められた錦繍の情景となり、
湖面の陽射しが差し込み、葉の一枚が枝から舞いながら水面に落ち、
微かな水紋でゆらいでいる・・。
このような光景に見惚(みと)れたりし、遊歩道をゆっくり歩きながら、
ときおりデジカメで風景を撮ったりし、15分過ぎたと思われるが、
相変わらず私のほかは、周辺にもまったく人影を見かけなく、静寂であった。
私は何となく熊が出そうな予感がしたので、
♪イヨマンテ
燃えろ ひと夜を
あゝわが胸に
今宵 熊祭り
【『イヨマンテ(熊祭)の夜』 作詞・菊田一夫、作曲・古関祐而 】
こうした時も音痴でも大きな声で『イヨマンテ(熊祭)の夜』を唄いながら、
無事に通り抜けたのである。
最も熊だって、東京の田舎者の音痴な人には遭いたくない、
と隠れ潜んでいたと思われる。
昨今は齢ばかり重ねた私は、悪知恵ばかり覚えている。
《熊に山椒 鯉に胡椒》と同時に食べてはいけないもの名言を学んだりしたので、
熊が出そうな所を歩く時には、山椒の枝をトゲに注意しながら背負って歩けば、
熊だって食あたりするので敬遠するかしら、と思ったりしている。
或いは今年の1月下旬より、北海道の札幌市の郊外にあるリゾートホテルに6泊7日で滞在した。
こうした中で、たまたま和食処『大善』で夕食を頂く時に、
単品料理をアラカルト(選定)をしょうとメニューを見ていた時、
日本酒の中で、『熊ころり』という銘柄を見たりしたのであった・・。
『各地方には・・鬼殺し・・の銘柄はあるけれど・・
〈熊ころり〉なんで・・初めてだょ・・』
と私は微笑みながら家内に言った。
『珍しい銘柄名ね・・頂いたら・・』
と家内は笑いながら私に言った。
『北海道に相応しく・・熊かょ・・かなり辛口だけれど・・』
と私は言いながら、仲居さんに注文したひとつとなった。
蔵元は小樽市にある『山二(ゆまに)わたなべ』で、正式な銘柄名は『熊古露里』と明記されていたので、
風流を秘めた方が命名されたと確信を深めたりした。
超辛口で呑みやすく、たまたま私はホッケの焼いたのを食べながら頂いたので、心身の波長にあった。
この『熊ころり』を熊が出そうな所を歩く時に持ち歩き、
遭遇した時には、この4合瓶を差しだせば、熊だって酔いながら退散するかしら、
と思ったりしている。
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