夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

残暑厳しい時節、冬の寒さを思い浮かべて、私は自身を激励し過ごし・・。

2012-08-22 12:06:21 | 定年後の思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む身であるが、
今朝のニュースで、全国的に真夏日に近い暑さとなりますので、お互いに注意致しましょう、
と報じられていたので、何よりも暑さに苦手な高齢者3年生の67歳の私は苦笑したりした。

私は定年後から自主的に日常の買い物を担当となっているので、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパーに行ったりしているが、
根がケチなせいか路線バスに乗るのことなく、ひたすら歩いたりしている。
その後、自宅から数キロ以内を歩き廻ったりしていることが多い。

半袖のスポーツ・シャツと長ズボンのストレッチ・パンズ、夏の帽子を深めに被り、
サングラスをして、ときには扇子を取りだして煽(あお)いだりしているが、
汗がひたたり落ちる・・。
やむなくハンドタオルで顔などを拭(ぬぐ)いながら、できる限り樹の下にある歩道を歩いているが、
炎天下の道もあるので、高齢者の私でも気合いを入れて、足早に歩いているのが実情である。

こうした中で、暑さに負けと思う時、やむなく冬の寒さを思い浮かべて、歩いたりしている。

たとえば昨年の12月20日より北海道の帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊し、
そして未知の糠平〈ぬかひら〉温泉に2泊し訪れた。

私たち夫婦は何故かしら北海道の風土に魅せられて、幾たびか訪れてきたが、
無念ながら帯広の地域は、二度ばかりしかない。
最初は周遊観光で晩秋の時に、道東めぐりの2泊3日の最終で十勝地方を観たりし、
その後は、5月の知床半島のクルーズに魅了された後、旅の終わりとして十勝川温泉に宿泊したが、
いずれも雪のない時節であった。

私の心の奥底には、この十勝地方の帯広の冬のイメージは、
郊外の果てしなく拡がる大雪原の中、蒼穹(そうきゅう)の情景である。
厳冬の晴れ間の中、大地は凛とし、果てしなく青空が観えるのが、蒼穹(そうきゅう)の言葉に何よりも相応しい、
と思ったりしている。

私が今でも敬愛している亡き作家・立原正秋〈たちはら・まさあき〉氏の随筆から、
私が30代のなかばの昭和55年(1980年)10月の初旬に遅ればせながら
蒼穹(そうきゅう)という言葉を学んだ。

この中の随筆のひとつとして、知人が古美術店を開き、命名を頼まれ『蒼穹』と氏は名付けられた。
氏の発想の根源は、もとより氏は朝鮮半島で生を受けられたので、
大陸性の気候の中、冬の晴れ間の凛とした情景を思い浮かべて、
蒼穹(そうきゅう)という言葉を思い重ねただろう、と私なりに解釈した。

そして帯広市は、シンガーソングライターの中島みゆきさんが、
小学時代の後半の頃から、帯広市の学校に学び、高校まで過ごされた、と私は25年前に学んだりした。
私は中島みゆきさんを秘かに女神のように信愛し、
このお方の幾つかの歌に支えられて、この人生の難局を乗り切ってきたひとりである。

このような蒼穹(そうきゅう)の情景、そして中島みゆきさんが一時時期過ごされた地域を
私なりに少しでも学びたい心情があった。

このような思いで帯広市の郊外にある十勝川温泉に2泊した後、
いつに日か訪れることを夢にみていた山奥の糠平〈ぬかぴら〉温泉の厳冬地に行った。

いずれにしても地域でも、マイナス10度前後、烈風か寒気団が襲来すればマイナス20度前後と予測して、
防寒着で身を固めて散策したが、
旅の間に寒いと感じたら、昨今流行〈はや〉っている中島みゆきさんの『荒野より』の歌を、
心の中で唄えば、私は励〈はげ〉まされて身も心も暖かくなる、と思ったりしてきた。

このような思いを秘めて、170センチ、73キロ前後の老いぼれた熊のような容姿で、
私は周辺をうろつき廻り歩いたりしてきたが、マイナス5度前後が多く、
ときおりマイナス10度ぐらいであったので、私は微笑みながら雪の情景の中を歩いてきた。

このような寒さの旅を思い馳せたりして、遊歩道の脇にある小公園の数多い大きな樹木の下で、
ペットボドルの冷茶を飲みながら、休息をしたりしてきた。


しかし私は帰宅すれば、洗面所で顔を洗ったり着替えもでき、
居間のエアコンの冷風の下で過ごしたりしている。
そして熱中症で救急車、或いは病院にお世話になることは、 勘弁してほしいので、
このように過保護のような生活を過ごしている。
そして時には、簡易ベットを敷いて、横たわり本を読んだり、昼寝をすることもある。


私は現役のサラリーマン時代には、本社勤務で情報畑、管理畑で30年ばかりディスク・ワークであったが、
この時節、ときおり夏のスーツを着る程度であり、
殆どワイシャツとネクタイで出社すると、まずはトイレの洗面所で顔を洗ったりした。
そして自動販売機で冷茶を買い求めて、始業時前のひととき、
自席で扇子を煽(あお)ぎながら、業務のことを思案したりしていた。

その後、定年の5年前にリストラ烈風の中で、私は出向となり、
物流情報会社に勤めだした・・。
現場の物流会社の倉庫で、冷房がないフロアーがあり、不馴れな最初は眩暈(めまい)を感じたりした。

この時は、外廻りでスーツにネクタイをして精勤している人たちを考えたり、
或いは炎天下の中で業務に奮戦する人を思いながら、耐えたりしたのが本音である。

そして私は35年ばかり勤めた夏の時節は、
暑さを感じて、したたる汗をハンカチで拭〈ぬぐ〉ったりした時、
ときおり、冬の寒さの情景を思い浮かべながら、自身を励ましたりしてきた。

しかしながら昨今の諸情勢は、果てしなき悪循環の『デフレスパイラル』の時代となり、
こうした『デフレスパイラル』のもとで進められた国家によるサービスの縮小、
そして大幅な規制緩和による市場経済重視する新自由主義と命名された『ネオリベ(ネオリベラリズム)改革』の中、
何かと短期に成果を求められる時代であり、
働いて下さる諸兄諸姉は奮戦されている状況に、無力な私でも同情させられる。

このようなことをぼんやりと思いながら、
残暑厳しい中、余り熱くならないでねぇ、と青空を見上げながら、天上の気候の神々に祈願している。

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