私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
昨日の深夜、ネットでニュースを見ている中で、あるビジネス・ニュースを追求していると、
たまたま《 100冊の小説本は、100回の人生にも勝る 》と見出しを見つけ、
遅ればせながら、読書好きな私は思わず読んでしまった。
そして何かと多忙な現役サラリーマン諸兄諸姉にも役立つと思ったり、
或いはここ10数年に及び出版業界の不況の中で、
小説を読みだす方が多くなる起爆剤のひとつになるかしら、と思い馳せたりした。
今回、偶然に読んだのは、ビジネス情報誌として名高い『PRESIDENT』の 2010年4月12日号に掲載され、
『社長の仕事術』のコーナーで、ファミリーマート社長が発言された言葉である。
http://president.jp/articles/-/5700
【PRESIDENT Online】<==変革トップ「自分を耕す学び方」【2】
<==100冊の小説本は、100回の人生にも勝る:ファミリーマート社長
私はファミリーマート社長の上田準ニ(うえだ・じゅんじ)氏には、未知のお方であるが、
略歴を拝見すれば、1946年生まれと知り、私とほぼ同世代なので、親近感を持って読んだりしたのであったが、
何よりも魅せられたのは、下記の学生時代、その後の社会人となり、「予知能力」の源泉は読書にあり、
と発露されたことである。
無断であるが、この状況を転記させて頂く。
《・・
(略)
私には「予知能力」があるのです。
そして、その力は読書で培われたと言えそうなのです。
私が生まれたのは秋田県平鹿郡大森町字大森という所です。
現在は横手市に編入されていますが、当時はテレビもなく、ラジオの電波も途切れがち。
山河と田畑しかない辺鄙な町です。
娯楽に飢えていた私は、自然と本を愉しむようになりました。
時間はあり余るほどありました。
学校の図書室の本はあっという間に読み切り、仕方がないので、町役場の公民館まで本を借りにいきました。
ここの蔵書は学校と違って大人っぽい。
梶山季之や柴田錬三郎を読み漁る日々でした。
受験勉強に追われた高校時代を経て、本格的に読書に取り組んだのは山形大学へ進んでからです。
当時、集英社の『新日本文学全集』(全38巻)の刊行が進んでおり、毎月2冊ずつ買ってすべて読破しました。
芥川賞や直木賞の受賞作も掲載誌でほとんど読みました。
思い出深いのは学生寮での日々です。
当時は学生運動が盛んで、毎晩のように政治や哲学の議論が行われていました。
ただし八畳一間の5人部屋。
出ていく金もないので、左翼も右翼も仲良く同室で過ごしていました。
彼らはずいぶんと熱心に思想を語るのですが、私には興味がもてなかった。
非現実的な議論にしか聞こえなかったからです。
論戦を吹っかけられたので、私は文学作品のことを話題にしました。
背伸びをしたい年頃ですから、彼らも「そんなものは読んだ」という。
でも大概は読んだふりです。
たとえ読んでいたとしても、作品の細部までは読み込めていない。
次第に私が議論の中心になっていきました。
文学作品は、読み手によって何通りもの解釈が生まれます。
だから同じ本でも意見が大きく異なることが少なくありません。
それが面白い。
たとえば同室の人間は、山本有三の『路傍の石』を読んで、
「主人公の吾一は自らの境遇を恥じ、卑屈になり、そこから逃げ続けた」
という感想をもっていた。
しかし、私はこう言いました。
「たしかに吾一には卑屈な面がある。しかし成長するにつれて、自分の不遇に向きあい、乗り越えていく。
つまり大人になる過程を描いた物語だ」
『路傍の石』は未完の作品です。
体制に批判的な小説だとして圧力を受け、絶筆に追い込まれています。
主人公の境遇には自分自身と重なる点もあり、私はこの作品に心酔していました。
大学を卒業するにあたり、「僕が続きを書いて完成させよう」と職業作家を志し、
そのために「まず東京に出て社会経験を積もう」と考えました。
そこで大学の就職課に斡旋を求めたところ、最初に案内された会社が伊藤忠(商事)でした。
事業内容はまったく知らず、社名を「いとうただし」と読んでいた。
それでも入社できました。
作り話だとよく疑われますが、事実です。
就職してからは、仕事が面白く、作家になる夢はひとまずおいていました。
業務に追われるなかで、「あれ、こういう局面は、前にも経験してるな」と感じることが、しばしばあった。
採るべき方策が次々と湧いてくるのです。
そうした直観に沿って行動すると、実際、事態は予想通りに進み、幸いにも難を逃れられる。
「俺には予知能力があるのか」と訝しんだほどです。
そして、あるときに気づきました。
おそらく過去に読んだ大量の物語が、データベースとして私の頭の中に収まっている。
それが場面や局面に応じて、自然と湧き出てくる。
どれだけ時代が進み、技術が進歩しても、
文学作品で描かれてきた人間の特質は、依然として我々のテーマであり続けています。
一人の人間が経験できる人生は一つだけです。
しかし100冊の心に残るような本を読めば、100通りの人生にも勝る経験を積むことができる。
ビジネスの現場で、経験は強力な武器となります。
頭のキレだけでは、リーダーは務まりません。
上質な小説を読むことは、人生経験を豊かにします。
人生経験の乏しい人は、咄嗟の事態にうろたえる。
とくに困難にぶつかったときに、そうした「経験値」の差が、対応の違いとして表れるように思います。
(略)
・・》
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、近代史、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
その後、20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、高峰秀子、中西輝政、各氏の作品に深く魅了され、
この著作された人たちを主軸に精読している。
このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイト、契約社員をしながら、明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
明治時代からの各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。
昨今は丸67年の歳月が過ぎ、まもなく67を迎える今、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、高峰秀子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
そして読書を何よりの友とされた経団連の会長まで栄達された平岩外四(ひらいわ・がいし)氏は、
お亡くなるまで、本を読まれていた、
と風の噂で聞いたりすると、もとより経団連などに縁遠かった私でも、
思わず平岩外四氏に好感させられてしまうから不思議な作用がある。
もとより読書は貧富の差にかかわらず、この世の知力の求愛と確信しているので、
活字に親しむ方に何かと親近感を覚えてしまう。
このような私なので、心の友のひとりとして、この世に別れを告げるまで、
限りなく本を読んでいたと思っている。
このような心情のある私は、今回、偶然にファミリーマート社長の上田準ニ(うえだ・じゅんじ)氏が、
《 100冊の小説本は、100回の人生にも勝る 》と発言されて、
読み終えた後、好感させられてしまった・・。
もとより小説の多くは、主人公の人生の軌跡を心の深淵まで描写する作品であり、
優れた作品を読めば、多くの人の人生経路を学ぶことでもある。
或いは映画の俳優さんが数多くの作品に出演された方が、役者冥利に尽きます、と発露されると同じように、
ひとは誰しも、たった一回限りの人生体験しかないので、作品の主人公に思いを重ねることができるので、
そうですよねぇ、とつたない私でも了解させられてしまうのである。
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昨日の深夜、ネットでニュースを見ている中で、あるビジネス・ニュースを追求していると、
たまたま《 100冊の小説本は、100回の人生にも勝る 》と見出しを見つけ、
遅ればせながら、読書好きな私は思わず読んでしまった。
そして何かと多忙な現役サラリーマン諸兄諸姉にも役立つと思ったり、
或いはここ10数年に及び出版業界の不況の中で、
小説を読みだす方が多くなる起爆剤のひとつになるかしら、と思い馳せたりした。
今回、偶然に読んだのは、ビジネス情報誌として名高い『PRESIDENT』の 2010年4月12日号に掲載され、
『社長の仕事術』のコーナーで、ファミリーマート社長が発言された言葉である。
http://president.jp/articles/-/5700
【PRESIDENT Online】<==変革トップ「自分を耕す学び方」【2】
<==100冊の小説本は、100回の人生にも勝る:ファミリーマート社長
私はファミリーマート社長の上田準ニ(うえだ・じゅんじ)氏には、未知のお方であるが、
略歴を拝見すれば、1946年生まれと知り、私とほぼ同世代なので、親近感を持って読んだりしたのであったが、
何よりも魅せられたのは、下記の学生時代、その後の社会人となり、「予知能力」の源泉は読書にあり、
と発露されたことである。
無断であるが、この状況を転記させて頂く。
《・・
(略)
私には「予知能力」があるのです。
そして、その力は読書で培われたと言えそうなのです。
私が生まれたのは秋田県平鹿郡大森町字大森という所です。
現在は横手市に編入されていますが、当時はテレビもなく、ラジオの電波も途切れがち。
山河と田畑しかない辺鄙な町です。
娯楽に飢えていた私は、自然と本を愉しむようになりました。
時間はあり余るほどありました。
学校の図書室の本はあっという間に読み切り、仕方がないので、町役場の公民館まで本を借りにいきました。
ここの蔵書は学校と違って大人っぽい。
梶山季之や柴田錬三郎を読み漁る日々でした。
受験勉強に追われた高校時代を経て、本格的に読書に取り組んだのは山形大学へ進んでからです。
当時、集英社の『新日本文学全集』(全38巻)の刊行が進んでおり、毎月2冊ずつ買ってすべて読破しました。
芥川賞や直木賞の受賞作も掲載誌でほとんど読みました。
思い出深いのは学生寮での日々です。
当時は学生運動が盛んで、毎晩のように政治や哲学の議論が行われていました。
ただし八畳一間の5人部屋。
出ていく金もないので、左翼も右翼も仲良く同室で過ごしていました。
彼らはずいぶんと熱心に思想を語るのですが、私には興味がもてなかった。
非現実的な議論にしか聞こえなかったからです。
論戦を吹っかけられたので、私は文学作品のことを話題にしました。
背伸びをしたい年頃ですから、彼らも「そんなものは読んだ」という。
でも大概は読んだふりです。
たとえ読んでいたとしても、作品の細部までは読み込めていない。
次第に私が議論の中心になっていきました。
文学作品は、読み手によって何通りもの解釈が生まれます。
だから同じ本でも意見が大きく異なることが少なくありません。
それが面白い。
たとえば同室の人間は、山本有三の『路傍の石』を読んで、
「主人公の吾一は自らの境遇を恥じ、卑屈になり、そこから逃げ続けた」
という感想をもっていた。
しかし、私はこう言いました。
「たしかに吾一には卑屈な面がある。しかし成長するにつれて、自分の不遇に向きあい、乗り越えていく。
つまり大人になる過程を描いた物語だ」
『路傍の石』は未完の作品です。
体制に批判的な小説だとして圧力を受け、絶筆に追い込まれています。
主人公の境遇には自分自身と重なる点もあり、私はこの作品に心酔していました。
大学を卒業するにあたり、「僕が続きを書いて完成させよう」と職業作家を志し、
そのために「まず東京に出て社会経験を積もう」と考えました。
そこで大学の就職課に斡旋を求めたところ、最初に案内された会社が伊藤忠(商事)でした。
事業内容はまったく知らず、社名を「いとうただし」と読んでいた。
それでも入社できました。
作り話だとよく疑われますが、事実です。
就職してからは、仕事が面白く、作家になる夢はひとまずおいていました。
業務に追われるなかで、「あれ、こういう局面は、前にも経験してるな」と感じることが、しばしばあった。
採るべき方策が次々と湧いてくるのです。
そうした直観に沿って行動すると、実際、事態は予想通りに進み、幸いにも難を逃れられる。
「俺には予知能力があるのか」と訝しんだほどです。
そして、あるときに気づきました。
おそらく過去に読んだ大量の物語が、データベースとして私の頭の中に収まっている。
それが場面や局面に応じて、自然と湧き出てくる。
どれだけ時代が進み、技術が進歩しても、
文学作品で描かれてきた人間の特質は、依然として我々のテーマであり続けています。
一人の人間が経験できる人生は一つだけです。
しかし100冊の心に残るような本を読めば、100通りの人生にも勝る経験を積むことができる。
ビジネスの現場で、経験は強力な武器となります。
頭のキレだけでは、リーダーは務まりません。
上質な小説を読むことは、人生経験を豊かにします。
人生経験の乏しい人は、咄嗟の事態にうろたえる。
とくに困難にぶつかったときに、そうした「経験値」の差が、対応の違いとして表れるように思います。
(略)
・・》
私は遅ればせながら高校に入学してまもなく、突然に読書に目覚めて、
この時から小説、随筆、ノンフェクション、近代史、月刊雑誌などを乱読し、かれこれ50年となっている。
読書に魅せられるのは、創作者より、文字から伝えられる伝達力、創造力が
それぞれ読む時、感受性、知性、想像力により多少の差異があるが、
綴られた文章はもとより、この行間から感じられる圧倒的な魔力から、
高校生の時からとりつかれたのであった・・。
その後、20代の前半に、大学を中退し映画・文学青年の真似事をしたので、
小説・随筆系は文学全集のひとつ中央公論社の『日本の文学』90巻は基盤として精読した上、
純文学、中間小説の月刊雑誌を購読し、そして興味のある数多くの単行本、文庫本を乱読した。
こうした中で、魅了された作家は20名ぐらいあったが、
圧倒的に魅せられたのは、井上 靖、そして立原正秋の両氏であった。
この後、文学青年の真似事を敗退した後、やむなく民間会社に中途入社し、
音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めながら、
特に水上 勉、庄野潤三、城山三郎、松本清張、山口 瞳、向田邦子、宮脇俊三、倉本 聡、
浅田次郎の各氏の小説・随筆、シナリオを読むことが多かった。
そして2004(平成16)年の秋に35年近く勤務し定年退職した後、
塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、高峰秀子、中西輝政、各氏の作品に深く魅了され、
この著作された人たちを主軸に精読している。
このように愛読した作家名を思いだしたりしたが、
もとより睡眠時間を削り、アルバイト、契約社員をしながら、明日の見えない映画・文学青年の真似事をした時代は、
明治時代からの各作家の作品を読み、読書量が多かったのは明記するまでもない。
昨今は丸67年の歳月が過ぎ、まもなく67を迎える今、過ぎ去った人生を思い重ねて、
特に塩野七生、佐野真一、藤原正彦、嵐山光三郎、曽野綾子、三浦朱門、高峰秀子、各氏の作品を購読して、
多々教示されたり、或いは、そうですよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりしている。
そして読書を何よりの友とされた経団連の会長まで栄達された平岩外四(ひらいわ・がいし)氏は、
お亡くなるまで、本を読まれていた、
と風の噂で聞いたりすると、もとより経団連などに縁遠かった私でも、
思わず平岩外四氏に好感させられてしまうから不思議な作用がある。
もとより読書は貧富の差にかかわらず、この世の知力の求愛と確信しているので、
活字に親しむ方に何かと親近感を覚えてしまう。
このような私なので、心の友のひとりとして、この世に別れを告げるまで、
限りなく本を読んでいたと思っている。
このような心情のある私は、今回、偶然にファミリーマート社長の上田準ニ(うえだ・じゅんじ)氏が、
《 100冊の小説本は、100回の人生にも勝る 》と発言されて、
読み終えた後、好感させられてしまった・・。
もとより小説の多くは、主人公の人生の軌跡を心の深淵まで描写する作品であり、
優れた作品を読めば、多くの人の人生経路を学ぶことでもある。
或いは映画の俳優さんが数多くの作品に出演された方が、役者冥利に尽きます、と発露されると同じように、
ひとは誰しも、たった一回限りの人生体験しかないので、作品の主人公に思いを重ねることができるので、
そうですよねぇ、とつたない私でも了解させられてしまうのである。
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