夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『少年時代』、『故郷(ふるさと)』の歌、お盆休みを迎えると、心の中で唄い・・。

2012-08-11 08:30:11 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとNHKのテレビのニュースを視聴していたら、
帰省ラッシュが本日の11日がピークです、と報じられていた・・。

《・・
お盆をふるさとや行楽地で過ごす人たちの帰省ラッシュは11日がピークで、
新幹線や国内の空の便が予約で満席となるなど混み合うほか、
各地の高速道路は最大で40キロの渋滞が予想されています。

このうち、新幹線は、11日、東京から各地に向かう下りが午前中を中心に混雑する見込みで、
指定席は午前中、ほぼ満席となっているほか、自由席も午前中、乗車率が100%を超える見通しだということです。

また、国内の空の便は、東京や大阪から各地に向かう下りの便が始発からほぼすべての便で満席となっています。

一方、高速道路も下り線で激しい渋滞が予測されている区間があり、
このうち中央自動車道は午前6時がピークで、相模湖インターチェンジ付近を先頭に40キロ、
関越自動車道は午前8時がピークで、花園インターチェンジ付近を先頭に40キロ、
中国自動車道は午前8時がピークで、宝塚東トンネル付近を先頭に40キロなどとなっています。
帰省ラッシュによる交通機関の混雑は、12日まで続く見通しで、
上りのUターンラッシュは、新幹線や国内の空の便が15日、高速道路が14日と15日にピークとなる見通しです。
・・》
このように麗(うるわ)しき若き女性のキャスターが報じていたので、
お盆休みが始まった、と私は教えられた・・。

私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいるが、
私の故郷(ふるさと)の生家は、私が今住んでいる近くであり、お盆は8月1日の変則地域で、
私たち夫婦は実家の長兄宅を訪れ、長兄夫婦、親戚の方たちと談笑した後、お墓参りをしてきた。

家内の実家は、千葉県の近郊都市の八千代市なので、
これといって遠い故郷は、私たち夫婦は無縁となっている。


私はサラリーマンの現役時代に於いて、
友人、知人たちが会社の夏期休暇を利用して、故郷に帰省するのを、
羨(うら)やんだりしていたこともあった。

夏季、年末年始に帰省するたびに、
自分の半年を振り返ったり、今後の心の整理に良いのではないか、
と想像を重ねたりしていた。

実家のご両親に逢われ、或いは兄弟の親睦、友人、知人たちの再会、
と良い環境と思ったりしていたが、ある一面は何かと大変な面も教えられた・・。
しかし、良きことが多い、と感じたりしている。
いずれにしても、せっかくの貴重な休暇の時、混雑でお気の毒であるが、
ご無事で帰京されること祈願したりしていた。

このように心情を思い馳せると、私はふたつの歌を心の中で思い浮かべてしまう。


ひとつは、シンガーソングライターの井上陽水さんが創られた『少年時代』である。

私はこの歌を最初に聴いた時は、

若き父親が小学二年生ぐらいの息子を共だって、父の故郷の実家付近の山里を散策している。
山里はスキー場用に切り開かれた中、もとより川、田畑もある情景の中で、
『君ぐらい・・僕が幼なかった時・・
あの山も鬱蒼(うっそう)として、夏休みの時・・蝉(セミ)とかクワガタを捕(と)りに行ったり・・
あの川は今よりずうっと清(き)れいだったし、水の流れも急だったし・・
そんな中で・・友達と泳いだり・・川遊びをした・・』
と父親は懐かしそうに息子に言ったりしている。

と私なりに妄想したりしてきた・・。

この歌は、確か平成3年(1991年)の秋頃、街で流れていた歌である。

私が50歳前後の時であり、世の中はバブルが終焉となり、
数多くの人々の心の痛みを感じた時代でもあった。

私は音楽業界のあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
安楽から激動の時代となり、翌年になるとある会社と統合となり、
長年苦楽を共にした人達が分散した時でもあった。
そして一部の方達は、やむなく業界から去っていたりした苦い時代でもあったが、
昨今は愛惜を重ねて、この歌を聴いたり、心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。


もうひとつの歌は、文部省唱歌となっている『故郷(ふるさと)』である。

私は1944(昭和19)年に農家の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、
程ほど広い田畑、そして小さな川が田んぼの片隅に流れ、湧き水もあり、
竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

そして母屋の宅地のはずれに蔵、納戸小屋が二つばかりあり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。
少し離れた周辺はゆるやかな丘陵であり、国分寺崖と小学校の先生たちは称していた。

この頃の生家から徒歩15分ぐらいに最寄りの駅があり、
駅に接近した商店街を5分ばかり離れると、周辺は平坦な田畑、雑木林、竹林が圧倒的に多く、
のどかな田園地帯であった。

このような心情を秘めている私は、
高度成長期より地方出身のお方達が、大都市で勤務し、生活されている方の大半の人々が、
夏のお盆に帰省され、心を癒す、ことに思いを重ねてしまうのである。

もとより時代は大きく変貌し、私の住む周辺でも田園地帯から住宅街に
1955(昭和30)年頃から急激に変貌し、この当時の私は少年期であったので、
この地域の変貌に驚いたり、悲しみを覚(おぼ)えたりした。

地方出身のお方達も、生家の周辺の大きく変貌し、
帰省するたびに驚きを隠せない、と私は想像したりする。

このような思いをしていた私は、失われた故郷の情景、
そして過ぎ去った自身の時の流れに愛惜を重ね、
この時節になると、このふたつの歌が想いだされてしまい、心の中で呟(つぶや)くように唄ったりしている。

付記)『少年時代』・・作詞・井上陽水、作曲・井上陽水、平井夏美、編曲・星 勝、唄・井上陽水
   『故郷(ふるさと)』・・作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一作曲 文部省唱歌

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする