私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
今朝5時半過ぎに目覚め、洗面後はいつものように作務衣に着替え、
玄関の軒下で樹木を眺めたれしていると、風もないのに何かしら涼しいので、
暑さに苦手な私は微笑んだりした。
付近から鈴虫(スズムシ)が夜の間に盛んに鳴いていたが、鳴き足らないのか、元気よく鳴いている。
そして、まもなく遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
朝の七時過ぎに、門扉の前の歩道を働いて下さる諸兄諸姉も溌剌と出勤される情景を観たりすると、
世の中はお盆休みも終わりを告げ、いつもの平常になったのかしらと感じたりした。
そして私は朝涼(あさすず)のひととき、
たわわな紫紅色の花が咲いている高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)を眺めたり、
或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
そして2週間前の頃から純白な花を見せてくれる玉すだれ〈タマスダレ〉の花に、
私の汚れきった心を浄化してくれるようなので、長らく見つめたりした。
この後、居間に戻り、地元の天気情報を見たりすると、
朝の6時は23度、昼下がりは33度前後、夕暮れの6時は29度前後で、
雲ひとつない快晴の一日を迎える。
そして、この先の一週間も、ほぼこのように横並びとなり、晴れマークが続いている。
高齢者3年生の私は、何かと根は単細胞なので、
働いて下さる諸兄諸姉はもとより、お子様、高齢者の方は熱中症に気をつけましょう、
と解釈したりした。
日中の暑い中は、蝉(セミ)がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように元気いっぱいで鳴き響いている・・。
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、
と私は思ったりしている。
夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠となったと思ったりしている。
鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型と理解は出来るが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、耳をすませないと聴きもらす・・。
夜のひととき、鈴虫(スズムシ)の盛大な合唱の中、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているので私は愛(いと)おしく感じてしまう。
可哀想な蟋蟀(コオロギ)であるが、やがて初秋になれば、
蝉(セミ)が消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。
鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願望したりしている。
過ぎしこの一週間、定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
相変わらず毎日のように最寄のスーパー2店に行ったり、
或いは駅前まで徒歩で15分コースのスーパー6店の中の数店で、買い求めたりしている。
この後は、その日の思うまま自宅から数キロの範囲を適当に散策したりし、季節のうつろいを享受している。
私は夏用のストレッチパンズの長ズボンの数種類、アロハシャツかスポーツシャツの半そで、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、
扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、颯爽と歩くことが多い。
そして紳士用の小物入れのB5サイズのショルダー式バックを斜め掛けをし、
財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンドタオル2枚、ハンカチ2枚、煙草、ライター、携帯灰皿などを入れ、
買い物したり、散策したりしている。
路線バスも走る大通りの歩道には、街路樹として淡紅色、純白の花が彩(いろど)っている。
そして川沿いの遊歩道、ご近所のお宅にも、
この百日紅(ヒャクジッコウ)の花をこの時節に観かけたりすると、思わず私は足を止めてしまう。
猿滑り(サルスベリ)として慕(した)われている樹木の夏の花のひとつであるが、
私の住む地域では、7月の中旬の頃から、秋にかけて長い期間に彩(いろど)ってくれる。
古人の人たちは、夏の季節に百日も咲き続けると称して、
百日紅と命名した、と私は何かの本で読んでいた。
遠い昔の60年前の頃、私の生家にも百日紅の大きな樹木があり、
私の小学生の頃には、夏休みの時などは、木登りをしたりした。
父の妹の叔母達からは、
『猿も滑るくらい・・つるつるした樹だから・・気をつけるのよ・・』
とたびたび言われたした。
毎年、この淡い紅色の花が咲く頃、夏休みが近づいてきた、と思いながら、
夏休みの期間を見守り、初秋の台風の季節まで咲いていた。
ここ数年、散策などでこの花に出逢うと、私は小学生の頃が思い出されるのである。
私の住む調布市では、市の花として、
この百日紅が指定され、淡紅色、純白の花が街路樹などで彩っている。
こうした時、暑い夏は何かと私は苦手であるが、
この淡紅色の花を眺めたりすると、思わず微笑(ほほえ)んだりすることが多い。
私の住む近くに野川が流れて、この遊歩道を独りで散策したりしている。
陽射しが燦々と照らす中を歩いたりすると汗がしたたり落ち、ハンドタオルで拭(ぬぐ)ったり、
コンビニを見かけると、ふらふらと煎茶のペットボトルを買い求めたりしている。
そして付近の小さな公園の大きく育ったモミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の樹の下で、
ヘンチに座りながら休息したりしてきた。
このように私は、暑さの苦手な私は午前中には買い物をした後、散策をしたりして、
昼下がり後は、居間でエアコンの冷風の中で、本を読んだりしている。
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今朝5時半過ぎに目覚め、洗面後はいつものように作務衣に着替え、
玄関の軒下で樹木を眺めたれしていると、風もないのに何かしら涼しいので、
暑さに苦手な私は微笑んだりした。
付近から鈴虫(スズムシ)が夜の間に盛んに鳴いていたが、鳴き足らないのか、元気よく鳴いている。
そして、まもなく遠くから蝉(セミ)の合唱も聴こえてきた。
朝の七時過ぎに、門扉の前の歩道を働いて下さる諸兄諸姉も溌剌と出勤される情景を観たりすると、
世の中はお盆休みも終わりを告げ、いつもの平常になったのかしらと感じたりした。
そして私は朝涼(あさすず)のひととき、
たわわな紫紅色の花が咲いている高砂木槿(タカサゴ・ムクゲ)を眺めたり、
或いは塀際に群生している蒼色の紫露草(ムラサキ・ツユクサ)花を誉(ほ)めたりしていた。
そして2週間前の頃から純白な花を見せてくれる玉すだれ〈タマスダレ〉の花に、
私の汚れきった心を浄化してくれるようなので、長らく見つめたりした。
この後、居間に戻り、地元の天気情報を見たりすると、
朝の6時は23度、昼下がりは33度前後、夕暮れの6時は29度前後で、
雲ひとつない快晴の一日を迎える。
そして、この先の一週間も、ほぼこのように横並びとなり、晴れマークが続いている。
高齢者3年生の私は、何かと根は単細胞なので、
働いて下さる諸兄諸姉はもとより、お子様、高齢者の方は熱中症に気をつけましょう、
と解釈したりした。
日中の暑い中は、蝉(セミ)がワンマン・ショウのように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように元気いっぱいで鳴き響いている・・。
鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、
と私は思ったりしている。
夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
鳴き疲れてお休みの睡眠となったと思ったりしている。
鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型と理解は出来るが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、耳をすませないと聴きもらす・・。
夜のひととき、鈴虫(スズムシ)の盛大な合唱の中、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているので私は愛(いと)おしく感じてしまう。
可哀想な蟋蟀(コオロギ)であるが、やがて初秋になれば、
蝉(セミ)が消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。
鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願望したりしている。
過ぎしこの一週間、定年後から自主的に平素の買物担当となった私は、
相変わらず毎日のように最寄のスーパー2店に行ったり、
或いは駅前まで徒歩で15分コースのスーパー6店の中の数店で、買い求めたりしている。
この後は、その日の思うまま自宅から数キロの範囲を適当に散策したりし、季節のうつろいを享受している。
私は夏用のストレッチパンズの長ズボンの数種類、アロハシャツかスポーツシャツの半そで、
そしてウォーキング・シューズとなり、夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをして、
扇子〈せんす〉を扇〈あお〉ぎながら、颯爽と歩くことが多い。
そして紳士用の小物入れのB5サイズのショルダー式バックを斜め掛けをし、
財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンドタオル2枚、ハンカチ2枚、煙草、ライター、携帯灰皿などを入れ、
買い物したり、散策したりしている。
路線バスも走る大通りの歩道には、街路樹として淡紅色、純白の花が彩(いろど)っている。
そして川沿いの遊歩道、ご近所のお宅にも、
この百日紅(ヒャクジッコウ)の花をこの時節に観かけたりすると、思わず私は足を止めてしまう。
猿滑り(サルスベリ)として慕(した)われている樹木の夏の花のひとつであるが、
私の住む地域では、7月の中旬の頃から、秋にかけて長い期間に彩(いろど)ってくれる。
古人の人たちは、夏の季節に百日も咲き続けると称して、
百日紅と命名した、と私は何かの本で読んでいた。
遠い昔の60年前の頃、私の生家にも百日紅の大きな樹木があり、
私の小学生の頃には、夏休みの時などは、木登りをしたりした。
父の妹の叔母達からは、
『猿も滑るくらい・・つるつるした樹だから・・気をつけるのよ・・』
とたびたび言われたした。
毎年、この淡い紅色の花が咲く頃、夏休みが近づいてきた、と思いながら、
夏休みの期間を見守り、初秋の台風の季節まで咲いていた。
ここ数年、散策などでこの花に出逢うと、私は小学生の頃が思い出されるのである。
私の住む調布市では、市の花として、
この百日紅が指定され、淡紅色、純白の花が街路樹などで彩っている。
こうした時、暑い夏は何かと私は苦手であるが、
この淡紅色の花を眺めたりすると、思わず微笑(ほほえ)んだりすることが多い。
私の住む近くに野川が流れて、この遊歩道を独りで散策したりしている。
陽射しが燦々と照らす中を歩いたりすると汗がしたたり落ち、ハンドタオルで拭(ぬぐ)ったり、
コンビニを見かけると、ふらふらと煎茶のペットボトルを買い求めたりしている。
そして付近の小さな公園の大きく育ったモミジ、コナラ、クヌギ、欅(ケヤキ)等の樹の下で、
ヘンチに座りながら休息したりしてきた。
このように私は、暑さの苦手な私は午前中には買い物をした後、散策をしたりして、
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