私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
洗面した後、まばゆい朝の陽差しの中、主庭のテラスに下り立ったのは、朝の5時50分過ぎであった。
そして襟を正して、皇居の方面に向かい、黙祷した・・。
私は1944〈昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945〈昭和20)年8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。
しかしながら少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』には沖縄本島に向い、
対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下された8月6日の『原爆の日』には広島市に、、
その後まもない9日の長崎にも原子爆弾が投下された『原爆の日』には長崎市に向い、黙祷をしてきた。
そして本日の15日の敗戦なのに『終戦記念日』称しているこの日には皇居に向かい、
黙祷をして、少なくとも36年になる。
かの大戦に於いて、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。
このような思いから、私は国民のひとりの責務として、 黙祷をして尊い命のご冥福を祈っている。
本日の15日、67回目の終戦記念日を迎え、
政府主催の『全国戦没者追悼式』が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。
こうした中で、天皇、皇后両陛下をはじめ、野田佳彦首相、遺族代表ら約7000人が参列される予定で、
日中戦争と第二次大戦で犠牲となった約310万人のご冥福を祈り、平和への誓いを新たにし、
そして正午に全員で黙祷を捧げることとなっている。
そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。
私は、皇居に向って黙祷をする真情は、 かの大戦の当時の国民風潮として、
『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わない殆どの国民がいた・・』
と当時の時代の現実に生き、亡くなわれた人々に哀悼の意を表しているに他ならない。
いずれにしても、戦争は多くの場合は外交の破綻から発生し、
最悪の場合は戦争となるが、勝戦国となる国民も敗戦国となる国民も余りにも過酷で悲惨である。
私はここ6年ばかり、この15日に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌を重ねたりしている。
国のため いのちささげし
人々の ことを思えば 胸せまりくる
昭和天皇
戦なき 世を歩みきて
思ひ出づ かの難き日を 生きし人々
平成天皇
私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代を少し学んできた歳月に思いを馳せ、まぎれない鎮魂曲のような感じている。
この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、 詠まれた伝えられている。
平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、
と報じられていた。
そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17)年の9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを馳せたりしているのである。
私は毎年、『全国戦没者追悼式』が執り行われている中、
テレビの実況中継を視聴し、国歌斉唱の後に時の首相が式辞を述べ、正午に全員で黙祷が行われる。
『黙祷・・!』の声を聴くと、
思わず襟を正して黙祷をした後、天皇陛下のお言葉に姿勢を正して拝聴し、
この後に、このふたつの歌を思い重ねている。
尚、私は8月15日は、『終戦記念日』と、どなたが名付けたかは無知であるが、
国際間の主要国の怜悧な視線からは、まぎれなく敗戦であり、
都合よく『終戦』と命名された方たちは、
国際各国から観た場合は、国家としての信義にかかわることなのである。
そして、命名された方たちは、余りにも恥知らずと思ったりしながら、
私は無力ながら『敗戦記念日』と確信しているひとりである。
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洗面した後、まばゆい朝の陽差しの中、主庭のテラスに下り立ったのは、朝の5時50分過ぎであった。
そして襟を正して、皇居の方面に向かい、黙祷した・・。
私は1944〈昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945〈昭和20)年8月15日に日本は連合国に降伏し、敗戦となった時、
一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代のひとりである。
しかしながら少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』には沖縄本島に向い、
対戦中のアメリカが、人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下された8月6日の『原爆の日』には広島市に、、
その後まもない9日の長崎にも原子爆弾が投下された『原爆の日』には長崎市に向い、黙祷をしてきた。
そして本日の15日の敗戦なのに『終戦記念日』称しているこの日には皇居に向かい、
黙祷をして、少なくとも36年になる。
かの大戦に於いて、余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。
このような思いから、私は国民のひとりの責務として、 黙祷をして尊い命のご冥福を祈っている。
本日の15日、67回目の終戦記念日を迎え、
政府主催の『全国戦没者追悼式』が東京都千代田区の日本武道館で開かれる。
こうした中で、天皇、皇后両陛下をはじめ、野田佳彦首相、遺族代表ら約7000人が参列される予定で、
日中戦争と第二次大戦で犠牲となった約310万人のご冥福を祈り、平和への誓いを新たにし、
そして正午に全員で黙祷を捧げることとなっている。
そして私はいつも感じることは、若き10、20代の諸兄諸姉に対して、
少なくとも日本の過去には、こうした現実があった、と認識して欲しい、固く願っているひとりである。
私は、皇居に向って黙祷をする真情は、 かの大戦の当時の国民風潮として、
『天皇陛下の御為と国の為に死ぬ事が日本人の美徳と教えられ、
戦死したら靖国神社に神として祀(まつ)られ、
崇(あが)められると信じて疑わない殆どの国民がいた・・』
と当時の時代の現実に生き、亡くなわれた人々に哀悼の意を表しているに他ならない。
いずれにしても、戦争は多くの場合は外交の破綻から発生し、
最悪の場合は戦争となるが、勝戦国となる国民も敗戦国となる国民も余りにも過酷で悲惨である。
私はここ6年ばかり、この15日に於いては、
都心の千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑の碑に刻まれた両陛下の詠まれた歌を重ねたりしている。
国のため いのちささげし
人々の ことを思えば 胸せまりくる
昭和天皇
戦なき 世を歩みきて
思ひ出づ かの難き日を 生きし人々
平成天皇
私はこの歌を深く拝読するたびに、思わず胸が熱くし、
その時代を少し学んできた歳月に思いを馳せ、まぎれない鎮魂曲のような感じている。
この昭和天皇の歌の思いは、
靖国神社から程近い所にある千鳥ケ淵戦没者墓苑は、
訪れる人も少なく、この季節は蝉時雨が響き渡る情景の中、 詠まれた伝えられている。
平成天皇の歌は、戦後60年の年の歌会始の儀で詠まれた、
と報じられていた。
そして昭和天皇の御製の碑と向き合う形で、
2005年(平成17)年の9月に平成天皇の御製の碑が完成した、
と確か読売新聞で読んだりし、私はつたない身ながら学び、思いを馳せたりしているのである。
私は毎年、『全国戦没者追悼式』が執り行われている中、
テレビの実況中継を視聴し、国歌斉唱の後に時の首相が式辞を述べ、正午に全員で黙祷が行われる。
『黙祷・・!』の声を聴くと、
思わず襟を正して黙祷をした後、天皇陛下のお言葉に姿勢を正して拝聴し、
この後に、このふたつの歌を思い重ねている。
尚、私は8月15日は、『終戦記念日』と、どなたが名付けたかは無知であるが、
国際間の主要国の怜悧な視線からは、まぎれなく敗戦であり、
都合よく『終戦』と命名された方たちは、
国際各国から観た場合は、国家としての信義にかかわることなのである。
そして、命名された方たちは、余りにも恥知らずと思ったりしながら、
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