私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の老ボーイの身であるが、
未明時に2階の寝室で目覚めて、ぬくもりのある布団の中で、まどろんでいた時、
隣の布団に寝ている家内が起きだして、やがて1階の居間に降りて行った。
私は時計を見ると早朝4時であり、少し覚醒しながら、
家内は独り住まいの家内の母宅に介護で、2泊3日で出かる日だった、と思いだしながら、
ぼんやりと私も1階の居間に降りた。
家内は家内の母宅に行く時は、我が家の近くある路線バスの始発に乗車し、
やがて電車を乗り替えたりして遠方の千葉県の八千代市まで通ったりしている。
始発バスは6時であるが、慌ただしく準備することは家内は険悪しているので、
早め準備となっている。
この時節は私の住む地域は、日の出は6時15分頃であり、まだ暗く、
『5時頃まで二階で本を読んでいるょ・・何かあったら言ってねぇ』
と私は家内に言いながら、二階の寝室に向かった・・。
そして私は布団にもぐり、ぬくもりのある布団の中で、本を読んだりした・・。
やがて少しまどろんだり、好きな本を読み、
こうしている時、何より贅沢なひとときかしら、と感じ深めたりした。
5時15分過ぎに私たち夫婦は居間で朝食を頂き、
やがて6時5分前に私は玄関先から、そして門扉の近い道路に降り立って、
家内を見送りながら、
『お義母(かあ)さんに・・よろしく・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりした。
そして私は薄暗い中、家内がバス停に向かう後ろ姿を見ていた時、
過ぎし年の定年退職前の出勤時を思い馳せてしまった・・。

私はあるレコード会社の管理畑の商品、情報、経理、そして営業畑などに35年近く勤め、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
そして最後の5年半は、リストラ烈風の中、出向となった。
出向先は各レコード会社が、音楽商品のCD、DVD等を委託している物流センターであったが、
少し遠方の勤務地で、私の通勤時間は少なくとも1時間半は要していた。
それまでの私は、殆ど30年近く都心の本社勤めで、
9時半が始業時であり、私は8時過ぎに自宅を出て、45分前後の通勤時間で出社していた。
物流センターは実質8時から始業時であるが、
その前の事前準備などを配慮すると、7時半過ぎとなっていた。
この当時の私は、朝の4時45分に起床して、自宅近くの路線バスの始発6時過ぎに乗車し、
通勤の最寄り駅は、小田急線の『成城学園前』駅で、
この駅から下りの電車で『本厚木』駅まで利用した後、
そして路線バスに乗り継いで、各諸業種の物流倉庫が建ち並ぶ場所のある中、通ったりした。
このように今頃からの2月の頃まで、自宅近くのバス停は薄暗く、
冬至の頃には、小田急線の『新百合丘』駅付近の車内で、日の出を迎えたりした。
帰宅も夜の9時半過ぎが多く、睡眠不足で奮闘していた。
そして休日には、昼寝で補(おぎな)って、5年半ばかり体験した。

こうした体験期間があり、朝の目覚めた後、ぬくもり残る布団の中でゆったりと過ごせるのは、
私にとっては何より贅沢なひとつ、と微笑んだりしている。
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未明時に2階の寝室で目覚めて、ぬくもりのある布団の中で、まどろんでいた時、
隣の布団に寝ている家内が起きだして、やがて1階の居間に降りて行った。
私は時計を見ると早朝4時であり、少し覚醒しながら、
家内は独り住まいの家内の母宅に介護で、2泊3日で出かる日だった、と思いだしながら、
ぼんやりと私も1階の居間に降りた。
家内は家内の母宅に行く時は、我が家の近くある路線バスの始発に乗車し、
やがて電車を乗り替えたりして遠方の千葉県の八千代市まで通ったりしている。
始発バスは6時であるが、慌ただしく準備することは家内は険悪しているので、
早め準備となっている。
この時節は私の住む地域は、日の出は6時15分頃であり、まだ暗く、
『5時頃まで二階で本を読んでいるょ・・何かあったら言ってねぇ』
と私は家内に言いながら、二階の寝室に向かった・・。
そして私は布団にもぐり、ぬくもりのある布団の中で、本を読んだりした・・。
やがて少しまどろんだり、好きな本を読み、
こうしている時、何より贅沢なひとときかしら、と感じ深めたりした。
5時15分過ぎに私たち夫婦は居間で朝食を頂き、
やがて6時5分前に私は玄関先から、そして門扉の近い道路に降り立って、
家内を見送りながら、
『お義母(かあ)さんに・・よろしく・・』
と明るく大きな声で家内に言ったりした。
そして私は薄暗い中、家内がバス停に向かう後ろ姿を見ていた時、
過ぎし年の定年退職前の出勤時を思い馳せてしまった・・。

私はあるレコード会社の管理畑の商品、情報、経理、そして営業畑などに35年近く勤め、
2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
そして最後の5年半は、リストラ烈風の中、出向となった。
出向先は各レコード会社が、音楽商品のCD、DVD等を委託している物流センターであったが、
少し遠方の勤務地で、私の通勤時間は少なくとも1時間半は要していた。
それまでの私は、殆ど30年近く都心の本社勤めで、
9時半が始業時であり、私は8時過ぎに自宅を出て、45分前後の通勤時間で出社していた。
物流センターは実質8時から始業時であるが、
その前の事前準備などを配慮すると、7時半過ぎとなっていた。
この当時の私は、朝の4時45分に起床して、自宅近くの路線バスの始発6時過ぎに乗車し、
通勤の最寄り駅は、小田急線の『成城学園前』駅で、
この駅から下りの電車で『本厚木』駅まで利用した後、
そして路線バスに乗り継いで、各諸業種の物流倉庫が建ち並ぶ場所のある中、通ったりした。
このように今頃からの2月の頃まで、自宅近くのバス停は薄暗く、
冬至の頃には、小田急線の『新百合丘』駅付近の車内で、日の出を迎えたりした。
帰宅も夜の9時半過ぎが多く、睡眠不足で奮闘していた。
そして休日には、昼寝で補(おぎな)って、5年半ばかり体験した。

こうした体験期間があり、朝の目覚めた後、ぬくもり残る布団の中でゆったりと過ごせるのは、
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