私は東京の調布市に住む年金生活の老ボーイの身であるが、
午前のひととき、自宅の近くに流れる野川の遊歩道を散策していたら、
70歳前後の男性の5人離(はな)れ離(ばな)れになりながら、高価な一眼レフのデシカメに望遠レンズを付け、
三脚を建てられて野鳥を撮られていた・・。
私は野鳥にも無知であるが、何かしら携帯電話かスマホで、とお互いに小声で連絡し合い、
男性の5人はお互いに高揚した少年のようなしぐさを、たまたま私は見たりすると、
思わず微笑みながら好感したりした。
やがて私は歩道橋を渡り、対岸の遊歩道を歩けば、
60代なかばの御夫婦が語り合いながら、散策したりしていて、
この人生の微笑みを感じたりした。
そして私は歩き続けて、小公園の片隅にある幾つかのベンチに於いては、
秋の爽やかな陽射しの中で、男性の4名が、それぞれ将棋を対局したりしていた。
この後、私は遊歩道を歩いたりしていると、60代後半と思われる女性3名が、
爽やかな陽射しを受け、談笑しながら歩いて来たりしした。
やがて私は、小公園にあるベンチに座り、小休憩をしていると、
昨今の団塊世代を中核とした高齢者の多くは、『高等遊民』かしら、と感じ深めたりした・・。
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、
団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、年金生活を迎えられた、と私は解釈した。
ふりかえれば、敗戦後の荒廃した日本は、
敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代も奮闘してきた。
こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。
そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代はゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そして70代も殆どの方は、体力の衰えは実感しながら、心は溌剌している.
しかしなから私の知人3名には、
不幸にして最愛の夫か妻に病死され『おひとりさま』になったりしている。
或いは1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。
こうした中、リストラに遭遇して退職を余儀なくされ、再就職も冷遇されて、
やがて60代を迎えても、生活が困窮している知人もいる。
こうした方を除けば、団塊世代を中核とした高齢者の多くは、
『高等遊民』かしら、と少し飛躍した言葉であるが、思いを重ねてしまったのである。
たまたま私は読書が好きであり、夏目漱石の『それから』の長井代助、『こゝろ』の先生、
或いは川端康成の『雪国』の主人公のように人を『高等遊民』と称されている。
もとより『高等遊民』は、なんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、
学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めて、
明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉である。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。
私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年〈昭和45年〉4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。
そして私の妹ふたりは1947年(昭和22年)1月、1948〈昭和23年〉10月の生まれであり、
家内に1949〈昭和24年〉12月の生まれであり、
何かと幼年期からの情況は、理解しやすいひとりとなっている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物メール老ボーイとなり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。
私たち夫婦の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。
こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をして樹木、野花などを見ながら、季節のうつろいを享受している。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうした中、毎年年始が過ぎた頃に、新たな年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
そして年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
現役サラリーマン時代は、何かと睡眠不足も感じながら奮戦してきたので、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の最大の恩恵かしら、と享受する時もある。
このように富も名声も無縁な私でも、つたない定年退職時までの半生を歩んできた為か、
60代の10年間の年金生活を享受して、何より安楽な時期だったと思い深めている。
そして早や60代を卒業して、年金生活は丸11年が過ぎて、12年生となっている。
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午前のひととき、自宅の近くに流れる野川の遊歩道を散策していたら、
70歳前後の男性の5人離(はな)れ離(ばな)れになりながら、高価な一眼レフのデシカメに望遠レンズを付け、
三脚を建てられて野鳥を撮られていた・・。
私は野鳥にも無知であるが、何かしら携帯電話かスマホで、とお互いに小声で連絡し合い、
男性の5人はお互いに高揚した少年のようなしぐさを、たまたま私は見たりすると、
思わず微笑みながら好感したりした。
やがて私は歩道橋を渡り、対岸の遊歩道を歩けば、
60代なかばの御夫婦が語り合いながら、散策したりしていて、
この人生の微笑みを感じたりした。
そして私は歩き続けて、小公園の片隅にある幾つかのベンチに於いては、
秋の爽やかな陽射しの中で、男性の4名が、それぞれ将棋を対局したりしていた。
この後、私は遊歩道を歩いたりしていると、60代後半と思われる女性3名が、
爽やかな陽射しを受け、談笑しながら歩いて来たりしした。
やがて私は、小公園にあるベンチに座り、小休憩をしていると、
昨今の団塊世代を中核とした高齢者の多くは、『高等遊民』かしら、と感じ深めたりした・・。
過ぎし2012年(平成24年)の晩春の頃、
団塊世代が65歳を迎え、大量退職が始まる年と雑誌を読んで教えられ、思わず微笑んだりした。
私より少し若い世代の団塊世代の諸兄諸姉は、
多くは60歳で定年退職をされて、その後は年金完全支給年まで何らかの形で働かれ、
65歳になった今日、年金生活を迎えられた、と私は解釈した。
ふりかえれば、敗戦後の荒廃した日本は、
敗戦直後からの一部の裕福な家庭を除き、誰しも貧乏な時代を体験してきた世代である。
私より10歳以上の先代の諸兄諸姉の多くは、それぞれに奮戦し、
少なくとも世界の中でも、有数な経済大国の礎(いしずえ)を努力と英知で築かれた人々であり、
そして後続する私たちの世代、そして団塊の世代も奮闘してきた。
こうした結果として、確かに日本は、世界の主要国の中に於いても、
社会インフラ基本基盤として、電気、ガス、電話、上水道、下水道も殆ど整備され、
学校、病院、公営住宅もあり、鉄道・バス路線、そして道路、高速道路もあり、港湾、橋梁なども、
整備されている稀な国家でもある。
そして年金、医療、介護などの社会保障制度も、多少の難題がありながらも存続している。
その上、経済は都心の一部は活性化しているが、地方は未(いま)だに低迷している現在さえも、
殆どの国民は飢えることなく飽食の時代となり、
医療の充実もあり、主要国の中でも最先端の長寿化の超高齢化社会の時代を迎えている。
こうした中で、団塊世代の諸兄諸姉は、第一線を退かれ、年金生活を過ごされ、
今までの多忙な勤務の生活を終えて、それぞれお好きな趣味の時間で過ごされる、と思ったりした。
もとより60代はゴールデン・イヤーズと称される通り、身体も元気、
心は長年の勤務から解放感で満ち、心身共に第二の人生を満喫されている年代でもある。
そして70代も殆どの方は、体力の衰えは実感しながら、心は溌剌している.
しかしなから私の知人3名には、
不幸にして最愛の夫か妻に病死され『おひとりさま』になったりしている。
或いは1991年(平成3年)にバブル経済の崩壊後は、
日本経済の足かせになってきた企業の《雇用・設備・債務》の過剰問題は、
民間会社の多くは自助努力に基づいて、過酷な程、事業の再編、人員削減を行なってきた。
こうした中、リストラに遭遇して退職を余儀なくされ、再就職も冷遇されて、
やがて60代を迎えても、生活が困窮している知人もいる。
こうした方を除けば、団塊世代を中核とした高齢者の多くは、
『高等遊民』かしら、と少し飛躍した言葉であるが、思いを重ねてしまったのである。
たまたま私は読書が好きであり、夏目漱石の『それから』の長井代助、『こゝろ』の先生、
或いは川端康成の『雪国』の主人公のように人を『高等遊民』と称されている。
もとより『高等遊民』は、なんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、
学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めて、
明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉である。
私は民間会社の中小業のある会社に35年近く奮戦し2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
最後の5年半はリストラ烈風の中、出向となったりし、敗残者のようなサラリーマン時代を過ごした。
その上、私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
私は私より少し若い団塊世代の人々に対して、知人、友人が多いので、何かと注視してきた。
私が25歳の時に、民間会社に中途入社できたのは、1970年〈昭和45年〉4月であり、
やがて私が職場の机で隣接したのは、大卒で入社された一年生の団塊世代が多く、
この後もお互いに業界、社内の空気を長らく共に苦楽を重ねてきた・・。
そして私の妹ふたりは1947年(昭和22年)1月、1948〈昭和23年〉10月の生まれであり、
家内に1949〈昭和24年〉12月の生まれであり、
何かと幼年期からの情況は、理解しやすいひとりとなっている。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
日常は定年後から自主的に平素の買物メール老ボーイとなり、
毎日のようにスーパー、専門店に行ったりし、ときおり本屋に寄ったりしている。
その後は、自宅の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。
ときおり、庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行をしたりしている。
日常の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
私の現役時代は、サラリーマンの身であったが、もとより生計の責務もあり奮闘する中、
30代の半(なか)ばに一軒家を建て、
この後3年ばかり家内はデパートなどに勤めて、強力な支援を受けたが、
家内は後方支援として家庭の多岐に及ぶ専業主婦として長らく努めてきた。
私たち夫婦の年金生活後も、家内は洗濯、掃除、料理などしているのが現状であり、
せめて日常の買物ぐらいは、私がすると自主的に実行している。
このことの背景には、私の現役時代の平日は会社で勤務し、
この間の日中は家内のペースで家事、趣味を過ごしてきた。
こうした家内の生活リズムをできる限り崩したくなかったので、
私は独りで買い物、散策をして樹木、野花などを見ながら、季節のうつろいを享受している。
年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうした中、毎年年始が過ぎた頃に、新たな年度の月別の概算表を作る際、
家内の要望などを織り込んで作成し、予算としている。
そして年金生活の身であるから、今年も赤字が120万円前後かしら、とお互いに確認し合っている。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
現役サラリーマン時代は、何かと睡眠不足も感じながら奮戦してきたので、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の最大の恩恵かしら、と享受する時もある。
このように富も名声も無縁な私でも、つたない定年退職時までの半生を歩んできた為か、
60代の10年間の年金生活を享受して、何より安楽な時期だったと思い深めている。
そして早や60代を卒業して、年金生活は丸11年が過ぎて、12年生となっている。
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