夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

視(み)ること、読むことが激減し、聴くことが増えて、とりとめなく老ボーイの私は微苦笑して・・。

2015-11-21 16:07:54 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活12年生の71歳の身であるが、
過ぎし17日に最寄駅に近い眼科医院で、白内障の左眼の手術を受け、
右眼の手術は来週の火曜日の24日に手術を受けることとなっている。

左眼の手術は翌日には幾つかの検診を受け、早くも眼帯がとれ、
何かしら鮮明で視界が開け、前方が明確に視(み)えたりした。

しかしながら、右眼の裸眼0・03の酷い近眼の視力であり、左眼は手術後には0・5以上が視(み)え、
余りにも差異があり、私の小さな脳でも、視(み)ようとする神経制御が働き、右眼の裸眼0・03も補助動作が働き、
前景として何とか鮮明に視(み)えるが情景となっている、と思われる。

そして余り長時間を視(み)ようとする神経制御は、混乱を起こすかも知れないと、私は感じたりして、
当面として視(み)ようとする神経制御が働きを自制して新聞、本、パソコンは一日3時間以内として
歯を磨いたり、布団の中では、予約購入した保護眼鏡を付けたりしてきた。

このような生活を17日よりしてきたが、年金生活を丸11年間過ごして12年生目になっている私としては、
余りにも日常生活の内容が激しく変貌しているので、戸惑いを重ねたりしてきた・・。
          

私は中小業の民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)秋に定年退職し、
多々の理由で、年金生活を始めた・・。

私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後37年ばかりの一軒屋に住んでいる。

そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、ささやかに過ごしている。

そして私の生家も近くにあるので、私自身としてはこの地域に住んで、早や65年が過ぎている。
       
こうした中、 日常の殆どは私が年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物メール老ボーイとなっている。

そして最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。
          
この後は、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
自宅付近から3キロ範囲にある遊歩道、小公園などをひたすら歩くことが多くなっている。

私は歩きながら、うつろう情景に心を寄せ、
過ぎ去った日々に愛惜を深めたり、本日もこうした風景にめぐり逢えたことに感謝をしたり、
季節の移ろいを享受している。
          

そして午後から夜にかけての大半は、随筆、ノンフィクション、小説、近代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。        

或いは何かと身過ぎ世過ぎの年金生活の日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

このような年金生活を丸11年間を過ごし、時折、小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったりし、
或いは私たち夫婦は、国内旅行を幾たびか5泊6日前後の旅路を重ねてきた。

こうした年金生活を過ごせば、読書が最優先として、
パソコンでブログの投稿文を綴ったり、私が愛読している御方の投稿文を読ませて頂いたり、
映画を室内鑑賞をし、殆ど毎日9時間ぐらい読んだり、視(み)たりしてきた・・。
          

17日に白内障の左眼の手術を受け、白内障の水晶体の濁った皮質を細かく粉砕すると同時に眼外へ吸引した後、
広く手元から遠くまで見える多焦点眼内レンズを挿入し、、
まもなく手術後、ガーゼ生地を主体とした大きな眼帯をして下さった。

私は当初予約していた保護眼鏡は、大きな眼帯でメガネを掛けることができなくり、
当面は、右眼の裸眼0.03を頼りに、おぼろげな視界を過ごすこととなった・・。

やがて我が家に帰還した後、私は平素2階の寝室で寝ているが、家内のアドバイスにより、
階段を踏み外したら危ないわ、と言われたりして、
家内が先導して、1階の和室に布団を敷き、前日より臨時の私専用の寝室とした。

そして枕元には、左眼は眼帯した身であるので、しばらくは読書は断念して、
CDラジカセを置くこととした。

そして音楽棚から、CDを30枚ぐらい置き、やがて音楽を聴いたり、
或いはラジオを聴いたりして、通院日以外は、このような生活を過ごす予定としていたが、
手術後の当日は疲れを感じた為か、このラジオを聴いたりしている中、眠ったりすることが多くなった。

こうした中で、ラジオはNHK第一放送を聴いたりしていた中、『ラジオ深夜便』の番組を初めて聴いたが、
良質な番組と感じて、深夜一時過ぎより朝の5時まで聴いたりし、
白内障の手術がなかったならば、こうした良きラジオ番組には、めぐり逢えなかっただろう、と微笑んだりした。


手術後の翌日、検診を受けた中で、早くも眼帯が不要となり、視界が明確に視(み)え、
待望の保護眼鏡をかけることが出来た、・・。

こうした保護眼鏡であったなら、就眠時は眼をこすったり、触れたりすることは防止でき、
洗面所で歯を磨いたり、首から下を洗い清める入浴時などで、左眼は水分から防ぐことができたり、
外出も保護に万全かしら、と微笑んだりした。
          

そして毎食後には抗生物質のフロモックス錠剤を飲んだり、
或いは指定された抗菌薬『クラビット点眼薬』、消炎薬『サンベタゾン点眼薬』、鎮痛消炎薬『ブロナック点眼薬』を付けて、
感染症などは天敵の身となっている。

更に私の場合は、右眼の裸眼0・03の酷い近眼の視力であり、左眼は手術後には0・5以上が視(み)え、
余りにも差異があり、私の小さな脳でも、視(み)ようとする神経制御が働き、右眼の裸眼0・03も補助動作が働き、
前景として何とか鮮明に視(み)えるが情景となっている、と思われる。

しかしながら余り長時間を視(み)ようとする神経制御は、混乱を起こすかも知れないと、私は感じたりして、
当面として視(み)ようとする神経制御が働きを自制して、新聞、本、パソコンは一日3時間以内とした。

そして夜のには早めに布団にもぐり、保護眼鏡を掛けて、文庫本などを開いたりしたが。
保護眼鏡を気温の差異の為か、くもり、やがて読書も断念した・・。

テレビ、映画も自制して視(み)ることは激少し、
最も好きな本を読むことが激減し、せめてと思いながらラジオ番組を聴いたり、
選定したCDを聴くことに、老ボーイの私は微苦笑したりしてきた・・。

たまたまチャイコフスキー交響曲第6番『悲愴』を聴いたりしていた時、
若き二十歳の時、長兄の友人からプレゼントされたエフゲニ・ムランヴィンスキー指揮で
レニングラード・フィルハーモニーが演奏されたLPレコードを想いだしたりした・・。
          

そしてチャイコフスキーはロシアからの視線で、ヨーロッパの伝統に羨望し、たじろいながら、
祖国ロシアの心情を的確に表現された、とこの当時の私は、感じ涙を浮かべたりしていた。


或いはベートーヴェン:交響曲第9番『合唱』<合唱>を聴いたりしていた時、
たまたま小澤征爾(おざわ・せいじ)さんが指揮で、サイトウ・キネン・オーケストラ であった。

そして聴いている中で,小澤征爾さんが若き日にヨーロッパでクラシックが確立した世界に、
苦悶している時、たまたまパリに訪れた作家・井上靖(いのうえ・やすし)さんから、
日本語は欧米人には理解してくれることは困難であるが、楽曲は国境を超越して伝わるから・・、
とこのような意味合いの言葉で大いに励まされた、
と小澤征爾さんが後年にインタビューで、語っていたことを私は思い浮かべたりした・・。

このようことなどを読書から遠ざかった昨今、とりとめなく思い、過ごしている。

☆下記のマーク(バナー)、ポチッと押して下されば、無上の喜びです♪
にほんブログ村 シニア日記ブログへにほんブログ村
人気ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする