私は東京の調布市に住む年金生活の71歳の身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『勤労感謝の日』と朱記されて、
勤労感謝の日で祭日なのか、と昨今は恥ずかしながらも曜日の感覚が衰えている我が身に、苦笑したりした。
そして小庭にあるテラスに下り立ち、どんよりとした曇り空の中、
落葉樹は紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の情景となり、
ぼんやりと私は眺めながら、勤労感謝の日か・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。
やがて私は、現役サラリーマンだった時の『勤労感謝の日』の時は・・と思い馳せたりした。
私は民間会社の中小業のある会社に勤め、30代の頃は情報畑のコンピュータの専任者であった。
会社の販売締切日は20日であり、この後の4日前後は特に多忙な日々であった・・。
この当時は本社でオンラインの前の時代で、本社で一括処理をしていたので、
私は月次処理、月次更新作業などで、こうした中で『勤労感謝の日』の祭日の日も休日出勤務をしていた。
そして経理の決算の担当メンバーも出勤されていたので、
私は同僚の人たちに、
『こうして頑張っては働けるのも・・幸せかも知れないょ・・』
と私は言いながら、疲れ切っていたが、溌剌と社内で奮戦したりした。
40代になると、システムの開発と運営の併行業務となり、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、一時時期は土日、祭日の休日もなくなった時期が多かった。
そして、ときおり徹夜となり、早朝を迎えると、
『今・・働らなくて・・いつ働くのよ・・』
と心の中で呟(つぶや)きながら、自身を叱咤激励して奮闘していた。
そして50代は情報畑から他部門に異動した後、カレンダー通り休日は休めることが多くなったりした。
やがて50代の後半は、リストラ烈風の中で出向となり、遠い勤務地となり、
身も心も業務に奮戦して、『この齢で体力勝負は・・勘弁してほしい・・』と心の中で呟(つぶや)きながらも、
自分の敵は自分だ、と叱咤激励をしたりした。
やがて定年退職を2004〈平成16〉年の秋に向え、サラリーマン生活を卒業した。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
こうしたささやかな生活をしているが、もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実となっている。
こうしたことを思い浮かべれば、私は現役世代の働いて下さる諸兄諸姉に感謝をしながら、
11月23日の『勤労感謝の日』は、年金生活を享受している私にとっては、
年金生活を始めて『勤労感謝の日』を初めて迎えた時、『年金感謝の日』と実感を深めながら命名したりした。

そして年金生活は丸11年が過ぎ、早くも12年生になっている私は、
少子高齢化の中、働いて下さるサラリーマンの諸兄諸姉は、たえず短期に成果を問われる過酷な時代となっている。
こうした中、『勤労感謝の日』と連休の方は多いと思われるので、
せめて愛(いと)しき妻と可愛い子供と共に、ご家族でのんびりと過ごされれば・・と無力の私は願ったりしている。
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今朝、ぼんやりとカレンダーを見ると、『勤労感謝の日』と朱記されて、
勤労感謝の日で祭日なのか、と昨今は恥ずかしながらも曜日の感覚が衰えている我が身に、苦笑したりした。
そして小庭にあるテラスに下り立ち、どんよりとした曇り空の中、
落葉樹は紅色、朱紅色、淡い黄色、黄色に彩られる錦繍(きんしゅう)の情景となり、
ぼんやりと私は眺めながら、勤労感謝の日か・・と心の中で呟(つぶや)いたりした。
やがて私は、現役サラリーマンだった時の『勤労感謝の日』の時は・・と思い馳せたりした。

私は民間会社の中小業のある会社に勤め、30代の頃は情報畑のコンピュータの専任者であった。
会社の販売締切日は20日であり、この後の4日前後は特に多忙な日々であった・・。
この当時は本社でオンラインの前の時代で、本社で一括処理をしていたので、
私は月次処理、月次更新作業などで、こうした中で『勤労感謝の日』の祭日の日も休日出勤務をしていた。
そして経理の決算の担当メンバーも出勤されていたので、
私は同僚の人たちに、
『こうして頑張っては働けるのも・・幸せかも知れないょ・・』
と私は言いながら、疲れ切っていたが、溌剌と社内で奮戦したりした。
40代になると、システムの開発と運営の併行業務となり、
たえず身体も張り、ときには週一回休めれば良い方で、一時時期は土日、祭日の休日もなくなった時期が多かった。
そして、ときおり徹夜となり、早朝を迎えると、
『今・・働らなくて・・いつ働くのよ・・』
と心の中で呟(つぶや)きながら、自身を叱咤激励して奮闘していた。
そして50代は情報畑から他部門に異動した後、カレンダー通り休日は休めることが多くなったりした。
やがて50代の後半は、リストラ烈風の中で出向となり、遠い勤務地となり、
身も心も業務に奮戦して、『この齢で体力勝負は・・勘弁してほしい・・』と心の中で呟(つぶや)きながらも、
自分の敵は自分だ、と叱咤激励をしたりした。
やがて定年退職を2004〈平成16〉年の秋に向え、サラリーマン生活を卒業した。
そして私の半生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれ、悪戦苦闘の多かった歩みだったので、、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたく、その直後から年金生活をしている・・。

年金生活の私たち夫婦の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、
通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。
こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、と家内がときおり、
呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑しながら聞いたりしている。
こうしたささやかな生活をしているが、もとより社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用を、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実となっている。
こうしたことを思い浮かべれば、私は現役世代の働いて下さる諸兄諸姉に感謝をしながら、
11月23日の『勤労感謝の日』は、年金生活を享受している私にとっては、
年金生活を始めて『勤労感謝の日』を初めて迎えた時、『年金感謝の日』と実感を深めながら命名したりした。

そして年金生活は丸11年が過ぎ、早くも12年生になっている私は、
少子高齢化の中、働いて下さるサラリーマンの諸兄諸姉は、たえず短期に成果を問われる過酷な時代となっている。
こうした中、『勤労感謝の日』と連休の方は多いと思われるので、
せめて愛(いと)しき妻と可愛い子供と共に、ご家族でのんびりと過ごされれば・・と無力の私は願ったりしている。
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