夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
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成城石井、なぜ「安くない」のに売れるのか、学びながら私のささやかな想いでは・・。

2015-11-27 16:01:51 | ささやかな古稀からの思い
私は昨日の昼下りのひととき、【 成城石井は、なぜ「安くない」のに売れるのか 】
と愛読しているビジネス総合情報誌として名高い『東洋経済オンライン』の見出しを見たりした。

そして成城石井に関しては、私が若かった時代に、別れた恋人に偶然にめぐり逢えたような複雑な心情で、
やはり読んでしまった・・。

この記事の原文は、上阪徹・著作の『成城石井はなぜ安くないのに選ばれるのか?』(あさ出版)であり、
『東洋経済オンライン』で要約され、『成城石井は、なぜ「安くない」のに売れるのか』と題され、
副題として『こだわっているのは、たった一つの本質だ』で、2015年11月26日で配信された記事である。

無断ながら転載させて頂く。
          

《・・イオン、イトーヨーカドー。食品から衣料品や住居関連用品などを幅広く扱う総合スーパー(GMS)が苦しんでいる。
イオンのGMS事業は赤字が続き、コンビニ最大手「セブン-イレブン」が絶好調なセブン&アイ・ホールディングスですら、
イトーヨーカドーについては今後5年で全体の2割に当たる40店舗を閉鎖する方針を表明している。

ユニーグループ・ホールディングスが、ファミリーマートとの経営統合に踏み出したのも、
GMS「アピタ」「ピアゴ」の不振が背景の一つにある。

昨年の消費増税後、スーパーは二極化の様相を見せた。
特徴を打ち出せないGMSが振るわない中、ライフコーポーレーションやヤオコーなど、
首都圏を中心に展開する主要な食品スーパーは、生鮮食品や惣菜に力を入れた結果、
値上げの反動減をはね飛ばして業績を伸ばしている。
          

■成城石井の利益率はスーパーの中でも突出

そうした堅調な食品スーパーの中でも異色の存在が、「成城石井」だ。

直近本決算(2014年12月期)の売上高は600億円を超えているもようで、3年前から2割以上も増加。
今年度(2015年12月期)も含めて、今後さらなる伸びが見込まれている。
営業利益率は6~8%程度とみられ、通常は2~3%が一般的なスーパーのそれを大きく上回る。

店舗数は都市部を中心として132カ所に上り(11月26日現在)、首都圏だけでなく東海、近畿にも広がっている。
駅ナカの限られたスペースに入る小型店から、郊外の大型店まで、店舗の形態も多様だ。

成城石井をめぐっては昨年春から秋にかけ、ファンドが保有していた成城石井株の売却をめぐって
ローソンや三越伊勢丹ホールディングス、エイチ・ツー・オー リテイリング(H2O)、イオンなどが争奪戦を繰り広げた。
それを射止め、昨年10月末に子会社化を完了したのはローソン。
成城石井はローソンの傘下に入って、ちょうど1年が過ぎたところだ。

成城石井の特徴は、決して安いとはいえない高価格帯の商品を扱う高級スーパーだということ。
アベノミクスによってこの数年は景気回復基調がみられてきたが、それまで長らく続いた不況の中で、
デフレ、節約志向が染み付いた日本人を相手に、なぜそんなビジネスモデルが支持されてきているのか。
その秘密を探ってみよう。


「原材料調達から製造方法まで非常にこだわっている。
粗利率が約40%と高く、一方で生鮮品の構成は20%以下で、都市型生活のニーズを満たすモデル。
高額消費と低価格志向という二極化が進む中でこれは武器になる」

昨年10月、東洋経済の取材に応じたローソンの玉塚元一社長は、買収を決めた成城石井をベタ褒めしていた。
成城石井の強さのひとつが、品そろえの豊富さだ。
輸入商材、隠れた名品、地方の名産品をはじめ、独自商材が極めて多い。
          

■「成城石井にしかない」商品が多い

ワイン、チーズ、生ハム、紅茶、コーヒー、オリーブオイル、ジャム、味噌、牛乳、豆腐、納豆、昆布、鰹節、ダシ、チーズケーキなどなど、
有名なメーカーのものも置いてあるが、成城石井でしかお目にかかれない商品も多い。
買うときの選択肢が幅広い、ということだ。

人気の高い成城石井オリジナルのコーヒーは、
オールアラビカ種。クオリティに対するコストパフォーマンスの良さが支持を得ている。
プロのコーヒーショップのマスターが買いに来ることもあるという。

チョコレートは本場ベルギーやフランスからの直輸入品も多い。
また、ただ輸入したものを店頭に並べるだけではない。
輸入品はワンパックの量が多く、また包装は日本のクオリティのほうが高いため、小分けして自社で包装し直しているものもある。


成城石井のこだわりが詰まっているのが、「オリジナル商品」と呼ばれるプライベートブランド(PB)商品だ。
成城石井は満足する商品が市場になかった場合、自分たちで満足できるものをつくってしまう。

中でも目を引くオリジナル商品がプレミアムチーズケーキ。
多いときには1日に5000本以上売れるというこの商品は、ほとんど機械を使わず、一つ一つ手作りしている。
常温で保存できる点も人気の秘密だ。

自家製ソーセージは国産のフレッシュな豚肉を使用。
ドイツ岩塩で味付けし、ポークウインナーは天然の羊腸に詰めて作る。
燻製用木材は本場ドイツからブナの木を取り寄せている。
世界最高峰の食肉加工コンテストで数々のメダルを獲得するなど、その技術と品質は本場ドイツでも認められているレベルだ。
オリジナル商品の数は2000点以上に及ぶ。

スーパーでは食品工場などへの外注で、総菜を品揃えしているのが一般的ながら、
成城石井は自社で工場を持ち、200種類以上の総菜や加工食品を製造し、全国の店舗へ配送している。

総菜はすべて一流のホテルやレストラン、和食店などで働いていたプロの料理人が作る。
こだわりの食材を使用し、機械は使わず基本的に手作業で作っていく。
          

■美味しさへの徹底的なこだわり

なぜ手作業にこだわるか。それがいちばん美味しいとわかっているからだ。
人気商品のポテトサラダは、ジャガイモの皮を手でむいていく。
1日に500㎏~600㎏、2500個ものジャガイモが手むきされている。

多くの食品工場ではジャガイモの皮を一瞬でむいてくれる機械が使われているにもかかわらず。
「ジャガイモは皮の真下が一番おいしいので、その部分を残してむくためには手作業しかない」のだという。

味付けも、化学調味料はできるだけ使用しない。
合成甘味料、保存料、合成着色料は一切使わない。当然、賞味期限は短くなる。
保存料を使えば長持ちし、売る側は圧倒的に楽だ。

だが成城石井はそれをしない。
「家庭で作られている料理に、保存料や着色料は入っているか?」が考えの原点だ。

これほどまでのこだわりを聞くと、「それでも高い」か、「ここまでしているならこの価格は安い」か。
後者が少なくないのである。なぜ成城石井はここまでこだわるのか。そのルーツは、1980年代にある。


成城石井は今から30年以上前、まだ成城にしか店舗がなかった頃、ワインの直輸入を開始した。
きっかけは、顧客の声だったという。

成城には、ヨーロッパに居住経験のある人や、感度の高い文化人と言われる人たちがたくさん住んでいた。
その人たちから言われたのだという。「本場ヨーロッパのワインはもっとおいしい」と。

ワインの輸送は今も主に船で行われているが、船便は輸送中の品質管理が難しく、
温度管理をしていない鉄のコンテナで赤道直下を通ると、高温にさらされることが原因でワインの味を落とすことがよくあったそうだ。

成城石井は、輸送中の温度がワインに影響を与えないよう、
常に温度を一定に保つ「定温輸送」でワインを輸入することにした。
だが当時は定温輸送などよほどの高級品でなければ行われておらず、商社の取り扱い金額も高かった。
そこで自社の貿易会社を作り、直輸入を始めた。輸送後の保管状態にもこだわり、
定温管理の倉庫を建造し、24時間、温度や湿度を管理し、記録している。

ワインをいい状態で販売できるようになった後に求められたのが、「ワインに合わせるもの」だ。
チーズ、オリーブ、生ハム、チョコレートなど、成城石井は独自の商品を仕入れ、品揃えを増やしていった。
          

■お客に会社の都合は関係ない

筆者が成城石井の何人もの社員を取材して感じたのが、経営者からお店の販売員まで、どの人も言うことが同じということだ。

口をそろえるのは「お客様のため」というキーワードだ。
「お客さまにご満足いただく、お客さまに喜んでいただく。それだけを目指し、動いている」

特に創業の地、成城(東京都世田谷区)は都内でも屈指の高級住宅街であり、
そこに住む人たちの食に対する興味や関心は高いものがあった。

先ほどのワインの話もそうだが、本物志向で、妥協はしない。
「高くて良いもの」というだけでは不十分で、「いいものを適正価格で」が求められた。

成城の人たちをいかに満足させるか、それが成城石井のルーツと言っていい。
店舗数が増えても、駅ナカのような新たな形態の店舗ができても、今もその姿勢はまったく変わっていない。
求められていることに、とにかく1つひとつ応えていく。
やらなければいけないこと、基本を徹底する。そしてそれをひたすら継続する。
          

その姿勢をまさに地で行く話を耳にした。
たとえば首都圏で大雪が降ると、一般的な小売りの物流は麻痺してしまう。

雪でトラックが動けなくなってしまうという物理的な理由だけではない。
通常の動きに乱れが生じると伝票の処理が一気に複雑になるため、配送センターが配送を止めてしまうことはよくある。
それはいわば店や会社の都合だ。

成城石井はそれをよしとしない。
商品を欲しがっているお客に対し、処理が複雑になっても、まずは商品を届けるのを優先し、伝票処理などは後回しにする。
用意さえ整えば出荷する。
ある店に商品が足りない。しかし近くの別の店には余っている、というようなときは、店員がその商品を運ぶこともあるという。

店同士もライバルではないのか、店ごとの売り上げなども関係してこないのかと思ってしまううが、
お客には関係のない会社や店の都合など気にしないのが成城石井の考え方だ。


店員が商品を他の店に運ぶなど、手間もかかり、移動には費用も発生する。
儲けを考えると、とても非効率的な行為だが、あくまでお客が求めていることを成城石井は大事にしている。

ある商品が欠品しても売り上げは下がらないかもしれないが、
「あの店に行けばいつも買える」という安心感や信頼関係をお客との間で築くことのほうが、
儲けよりも重要という視点である。


そこまでの徹底した顧客優先の姿勢が、やはり顧客には伝わっている。
昨今の成城石井の快進撃が、それを裏付けている。
そもそも成城石井が貿易会社を設立してワインやチーズの直輸入を始めたのも、儲けようと思ったからではない。

顧客の求めるものを手頃な価格で提供したい、本当においしいもの、こだわったものをとことん突き詰めよう、
というところからスタートした。

最初から品揃えを多くしようとしたのではない。
結果として、他社が真似できない仕組みや品揃えにつながった。
          

成城石井の原昭彦社長は「消費の2極化が起きている」と語っている。
とにかく安い、を求める消費と、価格は安くなくともこだわった商品、安全・安心な商品、ちょっといい商品が欲しい、という消費だ。

成城石井は、日本全国のスーパーマーケットと提携し、
成城石井のオリジナル商品や直輸入している輸入商材などの商品を
各地方スーパー内で販売する「成城石井専門コーナー」を展開している。

価格はそのスーパーで売られている商品価格の2~3割程度高いが、多くのスーパーで人気を博しており、
商品価値やこだわりが評価を集め、売り上げが当初予測の1.5倍、リピート率が40%近くに及んでいる店もある。
          

■「高いから売れない」は思い込みにすぎない

「高いから売れない」は勝手な思い込みにすぎない。
また、高いものを買うのは収入の多い人たちかというと、決してそのようなこともない。

成城石井は「ターゲットゾーン」を明確に定めてはいない。
そもそも、おいしいものを食べたいという気持ちは男性にも女性にもある。そこには年齢も収入も関係ない。

実際、決してそこまで年収が多いとは思えない若い女性も、
成城石井で自分へのご褒美として、少々高額なシャンパンやワイン、チーズや生ハムを買っていくことは珍しくないという。

成城石井は「マーケティング」という言葉を好まない。
もしマーケティング、ターゲットゾーンといったことを考えていたら、若い女性のシャンパン需要を逃してしまっていただろう。
成城石井がこだわっているのは、たった一つ。
それは「お客の期待にどう応えていくか」。「ビジネス」「商売」における本質である。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
          
          
私は1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けた。
私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉4月の当時は、
祖父、父が中心となって、小作人だった人たちの手助けを借りて、程ほど広い田畑を耕していた。
そして小さな川が所有している田んぼの片隅に流れ、湧き水もあり、竹林、雑木林が母屋の周辺にあった。

母屋の宅地のはずれに土蔵、納戸小屋が二つばかりあり、
この当時の北多摩郡神代村(現・調布市の一部)の地域の旧家は、このような情景が、多かった・・。

そして小田急線と京王線の間にサンドイッチのような辺鄙な処で、
京王線の最寄駅は『つつじヶ丘駅(当時は、金子駅)』か『仙川駅』であり、
児童の私としては、15分ばかりを歩いて『つつじヶ丘駅』に近い小学校に通ったりしていた。

或いは小田急線の最寄駅は『成城学園前駅』か『喜多見駅』、そして『狛江駅』であり、
世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に生家があった。
          

こうした中で、確か小学1年生だったと記憶しているが、父の妹が未婚だったの頃、
この叔母に連れられて、30分ぐらい歩いて『成城学園前駅』の近くにある『石井食料品店』に行った。
          
          ☆これ以降の写真は、たまたま私が昨年の12月初旬、成城学園駅の周辺を散策していた時、撮った情景である☆

祖父、母、叔母たちから『石井食料品店』の実家とは、何かしら曽祖父の時代に血縁していていたらしく、
遠い親戚の人、と私は幼年なりに教えられていた。

そして叔母は高校を卒業してまもなく、『石井食料品店』で従業員のひとりとして働いていた。
こうした縁で、私は叔母に引率されて、生まれて初めて成城学園の住宅街を歩いた。

数百坪の敷地が整然と並び、お屋敷町みたい、と私は幼年心なりに、叔母に言ったりしていた。
そして『石井食料品店』に到着したが、見た事のない高価な果物がたくさん店内に並べられていた、
こうしたことが鮮明に今でも、心の片隅に残っている。

この後、水道の水を生まれて初めて飲んだ・・。
この当時の生家は、つるべの時代を終えて、母家の裏にある井戸のポンプを手でこぎながら、
飲んでいたので、私は井戸水しか知らず、水道の水は不可解な味であった。
          

そして私が小学2年の三学期の1953年(昭和28年)の3月に父が病死し、
翌年の1954年(昭和29年)の5月に祖父も他界され、生家として大黒柱の2人が亡くなり、没落しはじめた・・。
          

やがて私が34歳になった時、生家の近い処に一軒家を構え、
私は当時は中小業の会社に勤めて、本社は六本木に所在していたので、
我が家から通勤コースとして、利便性のある路線バスで『成城学園前駅』経由で六本木に通ったりしていた。

そして私も家内も成城学園前の商店街で買物もするようになった。
こうした中で、『石井食料品店』は高級なスーパーマーケット『成城石井』と変貌しており、
多彩な食材とか食品も高品質で、ときおり買い求めたりしていた。
          

私が40代の半(なか)ばの時、不覚にもギックリ腰が悪化して、
28泊29日で入院した時、会社関係の人にお見舞いを数多く頂だき、
この後、御礼としてデパートとか成城石井から送付したりした。

この中のひとりが東急の田園都市線の青葉台駅の近くの住宅街にお住まいで、
成城石井の支店、青葉台もあるよ、
と私は言われて、成城石井も支店を出店するようになったか、と驚いたりした。

この間の私は、働き始めた25歳からの習性として、
母にはお中元、お歳暮の時に、いくばくかお金を包んて渡したりしていた。

そして私が40歳を過ぎた頃から、成城石井のお惣菜売り場で買い求めた3品前後も、
手渡した時、母は私が予測した以上に悦こび、私は母が亡くなる15年近くまで続けたりした。
          

こうした中、私と母は毎週土曜日に電話連絡をして、
週刊ニュースのように母の一週間の出来事を聞いたりしていた。

たまたま母が成城に行き、歯科医院で治療した後、成城石井に寄って買物をしている時、
御曹司の方が店長として店内にいた時、XXちゃん・・と話しかけ、
5分ぐらい立ち話しをしてしまったわ、と母は私に言ったりした。

『お母さん・・昔のゆったりとしたおおらかな食料品店の時代と違い、
お客さんで混雑している中、店長は奮闘しているのだから、ご迷惑だょ・・』
と私は母に言いながら苦笑したりしていた。

こうしたこともあったりしたが、私、家内、そして母は生前していた時は、
何かと成城石井で買物をしたりしていた。

私は2004年に定年退職をした後、多々の理由で年金生活を始めた頃、
風の噂として、成城石井はある大手の会社に株式の大半を譲渡した、と聞いたりし、
私と亡き母が親しみを感じてきた亡くなった先代の御方、そして後を継がれて高級スーパーに変貌させた御曹司の御方、
無縁となってしまい複雑な思いで、ときおり私は買い求めたりしている。
          

やがて2014年5月、テレビ東京の『ガイアの夜明け』という番組で、
成城石井の躍進を、《 どんな場所にも出店 成城石井・・驚きの戦略 》と、
タイトルが付加されて放送されていた。

何かしから地方まで多店舗する中で、昨今の都心で出店も急増する実態、
こうした中で、自社で手作りしているお惣菜の製造センター、
各店からの細かな発注に対応出来る物流センター、
そして独自の目利きで輸入している種類豊富な高級な生ハムやチーズ等が映しだされた。

或いは麻布十番の店では、2階をワインバーとして、
1階で販売している食材・商品のを使ったメニューを開発しながら提供し、好評されている実態が放映されていた。

私は視聴しながら、成城石井もあの当時からして大きく変貌したなぁ、
と少し溜息を重ねながら、過ぎ去った日々に思い馳せたりした・・。
          

そして作夜も、テレビ東京の『カンブリア宮殿』という番組で、
加速されている成城石井の多彩な各店の状景が放送されたりし、
私は25年前の前後、成城学園前の近くにある成城石井で、
私たち夫婦、母が何かと買物していた情景が、走馬灯のような思い馳せられたりした。

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