夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ひとつの新聞の記事に、慟哭させられて、やがて涙を浮かべて・・。

2016-03-03 17:41:04 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の71歳の身であるが、
昨日の朝は6時過ぎ、購読している読売新聞の朝刊を読んだりした・・。

こうした中で、ひとつの新聞の記事を読み終わった後、
慟哭させられて、やがて涙を浮かべたりした・・。

この記事は、一面にある定例記事の【編集手帳】であり、
私は長らく愛読しているエッセイであり、特に昨日の3月2日は、震撼させられたりした・・。

無断であるが、転記させて頂く。
            

《・・頼山陽の『日本外史』巻九に、戦国武将の三好長慶(ながよし)を語った一節がある。
〈長慶老いて病み、恍惚(こうこつ)として人を知らず〉(岩波文庫)。
人を識別できなかった、と。

有吉佐和子さんの小説『恍惚の人』の表題は、この記述に想を得たという。

いつの世にも悲しい病である。
最高裁は、家族に賠償責任はないとする判決を言い渡した。
認知症で徘徊(はいかい)中の男性が、列車にはねられて死亡した事故をめぐり、
振り替え輸送費など賠償責任の有無が、問われた裁判である。

読売歌壇に載った歌がある。
〈我がいのち一日ひとひ伸ばすに妻はいのち一日縮むる老老介護〉(阿部長蔵)

伴侶や親を見守る目配りに、労を惜しむ人はいない。
高齢者同士の老老介護や遠距離介護では、それでも目の届かぬときがあろう。

認知症患者のもたらす被害をどう救済するかに課題を残しつつも、
まずは穏当な判断と受け止めた方が多いはずである

孝行息子の頼山陽は詩に詠んだ。
〈五十の児に七十の母あり/この福、人間、得ることまさに難かたかるべし〉。なんと幸せなことか、と。

いまは八十の子に、百の母さえめずらしくない長寿社会を、人は生きている。・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。
           

私の父は私が小学2年の時、肝臓を悪化して、通い医師から治療に基づき、自宅で養護していたが、
まもなく死去された。

そして私の母は私が49歳の時、婦人系の癌が発見された後、日赤病院で入退院を繰り返して、
やがて5年後に無念ながら亡くなった。

家内の父は私が54歳の時、腎臓の癌が発見された後、東邦大学病院で入退院を繰り返して、
やがて私が定年退職時の直前に、死去された。

いずれも認知症にはならず、病死された。

このように我が家の両親は、無念ながら家内の母だけとなり、我が家から遠い地で独り住まいをしていますが、
家内の母は自身の身の周りは出来ても、長女の家内は季節の変わるたびに、
大掃除、季節ごとの室内のカーテン、布団、暖冷房器具、衣服、庭の手入れなどで、
7泊8日前後で母宅に泊りがけで行っているのが、ここ11年の恒例のようになっている。

そして家内は殆ど毎夜、家内の母の本日の出来事と安否状況を確認する為、
電話連絡をしたりしている。
          
こうした上 家内の母は、80歳過ぎた頃から膝(ひざ)を悪化して、まもなく杖(つえ)を突く身となって、
『要支援2』となっている。

こうした中、整形外科、内科、眼科に通院している中、
昨年の6月頃から膝(ひざ)と腰に激痛が感じ、少し遠い大学病院で検査、そして入院、退院後の検査、治療が加わり、
昨今はリハビリ設備が良い病院に通院し、家内は付き添う為に、家内の母宅で駐在することが多くなったりしている。
            

だれしも齢を重ねれば、老化し、或いは認知症になる場合があり、
私は亡き母から、遠い親戚の誰それが・・と聞いたりしてきた。

長寿社会の今日、誰しもが避けられない難題であり、
いつの日にか人は遭遇するかも知れず、今回の裁判も私たちに無縁ではないことを告知されている。

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コメント (2)
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