夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私たち夫婦は10歳ぐらいお若いわ、お世辞を頂だいても、体力の衰えは隠せず、微苦笑して・・。

2016-03-10 15:50:37 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅みに住む年金生活の老ボーイの71歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、
最寄のスーパーに買物に行ったり、或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、季節の移ろいを享受している。
                                         

こうした私の根底には、定年前のサラリーマン時代の私は、数多くの人たちと同様に多忙で、
家内は我が家の専守防衛長官のような専業主婦であり、日常の洗濯、買い物、料理、掃除などで、
家内なりの日常ペースがあり、この合間に趣味などのささやかな時間で過ごしてきた。
         
そして2004年(平成16年)の秋に定年後の年金生活を始めた私としては、
家内のささやかな時間を崩すのは天敵と確信して、
平素の買物専任者を自主宣言し、午前中のひととき買物メール老ボーイとなったりし、その後も独りで散策している。
            
日中の午後から私は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりする時もある。

こうした中で、家内は料理、掃除、洗濯などを従来通りしてくれるので、
せめて家内が煎茶、コーヒーを飲みたい時を、私は素早く察知して、日に6回ぐらい茶坊主の真似事もしている。
            

そして私は家内が外出する時は、殆どボディガード兼お供となり、
最寄のホームセンター、スーパーなどに買物に行く時、荷物持ちの責務を果たしている。
 
或いは私がときおり小庭の手入れをする時、年に4回ぐらい家内が手助けをしてくれる。

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、幾たびか各地を旅路を重ねてきた。

こうした私たち夫婦の年金生活を、ご近所の方の奥様たちが見かけて、
あなたたちは仲良し恋しねぇ、或いはあなたたちお若いわ、と社交辞令のお世辞を頂くこともある。
                     
私たち夫婦は年金生活を過ごして、丸11年が過ぎて早や12年目になっているが、
幸いにもお互いに大病に遭遇せず、過ごしてきた。

もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないことが多く、
私たち夫婦は38年寝食を共にしてきた結婚生活の中で、幾重かの人生の荒波を乗り越えて、
年金生活のセカンドライフは、ささやかながら安楽の日々を過ごしてきた。
            

私たち夫婦は、子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
長き結婚生活の中に於いて、最大の誤算となっている。

私は何かと母の遺伝を受けたらしく男の癖におしゃべりなので、
家内と結婚前に交際していた時から、
私は家内に対して、XXちゃん付けで呼んだりしている。

そして私たち夫婦は語り合うことが多く、旅先の宿泊の食事処で、会話のないご夫婦を見かけると、
私は幾たびか驚いたりしてきた。

そして世の中の多く人たちから、人生の3大支出は教育資金、住宅資金、老後資金と言われたりしているが、
たまたま我が家は子供の「教育資金」は不要となったので、
定年した直後から年金生活を開始できたことも事実である。
       
もとより子供がいれば、圧倒的に育てる喜びもあるし、子供の笑顔に何よりも癒(いや)されるし、
ときには苦渋することもあると、知人たちから教えられてきたが、
無念ながらこうしたことの体験は、私たち夫婦は欠落している。
          
こうした為か私の頭の毛は黒髪で、モミアゲだけは白くなってしまったが、人生の苦労が足りない、
と思ったりする時もある。
            

私は定年後の年金生活の中でも、たとえば音楽にしても、若い20代のアーテストの曲も聴いたり、
ご近所の若い30代の奥様とか、ときおり談笑したりしている。

こうした生活をしていると、何かしら65歳以上が高齢者と解りながらも、
私は少し実感が薄いである。
家内も、あたしも確かにそう感じる時もあるわ、と私に言ったりしている。
            

過ぎし2014年6月中旬、私は9月になれば古稀入門の70歳になる時、
ある有力な旅行通販会社から郵送されてくる小冊誌の中に、
源泉かけ流しの温泉地滞在フリープランが掲載されていた。

山形県にある蔵王温泉街にあるリゾートホテルと称される処に4泊5日を滞在するプランで、
お互いに元気で意欲のある今、行きたい所に行ければ良いと思い、
蔵王温泉の周辺を散策したりして遊学した。
          
そしてリゾートホテルに滞在するフリープランの一行は、私たち夫婦と同じように世代ご夫婦が多く、
この後は幾たびか食事処、大浴場、ロビー、街中でお逢いし、談笑したりした。

こうした中で、ある夕食の時、レストランで隣席したご夫婦と私たちが談笑していた時、
『定年後まもない時と思われ、お若くて・・羨ましいですわ』
と隣席の奥様から、私は社交辞令のお世辞を頂いたりした。

『9月になれば・・古稀入門の70歳になりますょ・・』
と私は微苦笑しながら、隣席の奥様に言ったりした。

『主人はひとつ上ですが・・同世代ですょ・・』
と隣席の奥様は微笑みながら私に言ったりした。
            

やがて滞在中、山歩きが好きなご主人が奥様を引率されて、周辺の山なみを殆ど歩かれた、
と私たち夫婦に教えてくれた・・。

私たち夫婦は、ロープウェイに乗車して、山なみが一望できる処を2時間ばかり歩いたり、
温泉街の街並みを歩いたり、中腹にある露天風呂に往復歩いたりして程度であったので、
とても隣席のご夫婦のように体力はなく、と私はユーモアを交えながら、このようなことを隣席のご夫婦に言ったりした。

そして家内が、内(うち)の人・・中腹にある露天風呂に行く時、急登の坂道を15分ばかり歩いた時、
タクシーを利用すればよかったなぁ・・と私に言ったりしていました、
と隣席のご夫婦に微苦笑しながら言ったりした。

このように特に私は、10歳ぐらい若いとお世辞を頂だいても、体力の衰えは隠せないのが、
実態となっている。

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