私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後38年ばかりの戸建てに住んでいる。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
我が家の最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。
しかしながら我が家の周辺は、それぞれ住宅が密集している住宅街となっている。
こうした中で自宅から3キロぐらいの遊歩道、小公園などを歩きまわている。
そして私は健康寿命を保つには、ひたすら歩くことが肝要である、と思っていたからである。
私の住む地域では、平年ならば、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
こうした中、私は毎年スキップしたくなるような心情で、公園、遊歩道などを散策をし、
数多くの落葉樹の欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジなど雑木を愛(め)でるいる。
私は幼年期に農家の児として育った為か、
木の芽時(このめどき)から幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる初春、
そして錦繍(きんしゅう)に染められる晩秋、或いは陽射しを受けた冬木立の情景などが、
こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。
たまたま昨日、都立・神代植物園を訪れて、華やかな桃の花、そして早咲きの桜花にめぐり逢え、
長らく見惚れたりした後、園内にある雑木林を歩いている中、
早くも幼い芽、中には幼い葉を広げ始めた樹もあり、眺めたりした・・。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた身である。
こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
何よりも思いがけないことは、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
私は木の芽時(このめどき)の情景を眺めたりすると、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々か仏(ほとけ)様の采配か解らないが、生かしてもらっている、と思いが強く、
亡くなわれた御方のしぐさ、表情が走馬灯の思い浮かび、過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。
やがて立ちすくんだ私は歩きながら、プラス思考に転じて、これから到来する未知の日々に希望を託して、
70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした中で、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。
余談であるが、私のブログのテンプレートは、昨年の晩秋より冬の花のひとつ『椿(ツバキ)』より、
春の装(よそ)いに伴い、せっかちな私は『新緑』に改定させて頂きました。
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住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後38年ばかりの戸建てに住んでいる。
そして私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭である。
我が家の最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分である。
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となり、
そして私が長年通勤で利用した『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。
いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は良い所で、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。
しかしながら我が家の周辺は、それぞれ住宅が密集している住宅街となっている。
こうした中で自宅から3キロぐらいの遊歩道、小公園などを歩きまわている。
そして私は健康寿命を保つには、ひたすら歩くことが肝要である、と思っていたからである。
私の住む地域では、平年ならば、11月3日の『文化の日』の頃から、
あまたの落葉樹の葉は、朱色、紅色、黄色などに多彩に染め始め、
やがて11月23日の『勤労感謝の日』の頃になると、
周囲一帯までは朱色、紅色、黄色などに染められる錦繍(きんしゅう)の情景となる。
こうした中、私は毎年スキップしたくなるような心情で、公園、遊歩道などを散策をし、
数多くの落葉樹の欅(ケヤキ)、クヌギ、コナラ、モミジなど雑木を愛(め)でるいる。
私は幼年期に農家の児として育った為か、
木の芽時(このめどき)から幼いあまたの葉を広げて、萌黄(もえぎ)色に染められる初春、
そして錦繍(きんしゅう)に染められる晩秋、或いは陽射しを受けた冬木立の情景などが、
こうした季節のうつろいを眺めるのが、この世で最も好きな情景のひとつとなっている。
たまたま昨日、都立・神代植物園を訪れて、華やかな桃の花、そして早咲きの桜花にめぐり逢え、
長らく見惚れたりした後、園内にある雑木林を歩いている中、
早くも幼い芽、中には幼い葉を広げ始めた樹もあり、眺めたりした・・。
私は中小業の民間会社に35年近く奮戦し、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
多々の理由で年金生活を始めた身である。
こうした中で、私の現役のサラリーマンの50代に同僚が病死されたり、
知人は定年前の59歳で病死し、残されたご家族の心痛な思いが、痛いほど理解させられたりしてきた。
或いは定年後の62歳で、現役時代の一時時期に交遊した友も、無念ながら病死したりした。
何よりも思いがけないことは、知人のひとりの奥様が病死されて、
この知人は『おひとりさま』となり、私たちの多くは哀悼をしながらも、動顛してしまった。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、60代で妻が夫より先に亡くなることは、
考えたこともなく、こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
やがて私は高齢者入門の65歳を過ぎてから、心身ともに自立し健康的に生活できる期間の健康寿命は、
男性の平均としては71歳であり、平均寿命は男性の場合は80歳と知った時、
恥ずかしながらうろたえたりした・・。
そして70代となれば、多くの人は体力の衰えを実感して、75歳まではこれまでどおりの自立した生活ができるが、
80歳が見えてくる頃には介護を必要とするようになり、
やがて80代後半では何らかの介護付き施設に入居する可能性が高くなる、と専門家の人から数多く発言されている。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、この世を去ったり、
ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
私は木の芽時(このめどき)の情景を眺めたりすると、齢ばかり重ねた身であるが、
今年も大病もせず、天上の神々か仏(ほとけ)様の采配か解らないが、生かしてもらっている、と思いが強く、
亡くなわれた御方のしぐさ、表情が走馬灯の思い浮かび、過ぎし日々に愛惜を重ねたりしている。
やがて立ちすくんだ私は歩きながら、プラス思考に転じて、これから到来する未知の日々に希望を託して、
70代入門の初心者して、心身共に自立し健康的に生活できる健康寿命を意識して、
確かな『生きがい』と『健康』、そして『気力』を持続できるように、ときおり願いながら歩いたりしている。
こうした中で、私は母の遺伝を素直に受けたらしく男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。
或いは、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。
こうした中で、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
独りで歩き廻ったりして、 季節の移ろいを享受している。
余談であるが、私のブログのテンプレートは、昨年の晩秋より冬の花のひとつ『椿(ツバキ)』より、
春の装(よそ)いに伴い、せっかちな私は『新緑』に改定させて頂きました。
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