私は東京の調布市に住む年金生活の満78歳の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、
こうした中、私の住む市内にある都立の神代植物公園にも、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。
しかしながら、過ぎし一昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、
テレビのニュースなどで、感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしている。
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。
こうした中で、
毎月2回前後は訪れて、季節のうつろいを享受してきた。
しかしながら、過ぎし一昨年の2月上旬の頃から、新型コロナウイルスに伴い、
テレビのニュースなどで、感染した事態が日々報じられ、これ以来何かと重苦しい風潮の中、
私は戸惑いながら過ごしている。
そして新型コロナウイルスの烈風の中、都立の神代植物公園も、幾度も閉園となり、
私は感染が怖くて、人出の多い都心の『新宿御苑』、『明治神宮』などは避けて、
少ない処を選定して散策してきた・・。
しかしながら本音としては、閉塞感を感じながら、自粛疲れとなったりしていた・・。
こうした中、今年の新春、私の住む御近所の私と同世代の男性の御方と私は歓談している中、
調布市の隣接にある府中市の『郷土の森』は、良き処でした、と教えられたりした。
そして私は、遅ればせながら今年の3月31日に於いて、
初めて訪ねて、私なりに心が満たされたりした・・。
こうした深情を秘めている私は、昨日、府中市の『郷土の森』の落葉樹のたわわな
朱紅色、紅色、黄色、茶色などに染められた錦繍(きんしゅう)の情景、
どのような彩(いろど)りになっているのか、
と思いながら、午前中のひととき私は訪れた・・。
そして私は府中市にある『郷土の森』に向かい、
京王線の『分倍河原』で下車した。
私は最初に尋ねる場合は、原則として徒歩30分以内は歩いて、
付近の情景を見る、習性となっているので、駅前より歩き出した・・。
まもなく『郷土の森』までの大きな案内の掲示板を見たりした。
そして『郷土の森』まで、住宅街の中にある遊歩道を歩きながら、
瞬時に好感した情景を撮ったりした・・。
まもなく左側は『郷土の森 公園』の総合体育館、球技場などスポーツができる広大な処、
そして右手には、私が目指した『郷土の森 博物館』であり、
私は大きな案内図を見たりした・・。
そして正門が見えて、私は入館した。
まもなく私は博物館に入館した後、
やがて博物館の前で休息して、府中市の公式サイトに記載されていることに、
私なりに思いを馳せたりした・・。
《・・ 郷土の森博物館の敷地には、
かつて市内にあった江戸時代から昭和初期の建物8棟を移築・復元しているほか、
市内の遺跡で発掘された遺構の復元もしています。
これらの建物や遺構の復元にあたっては、
博物館の敷地全体を府中市の縮図としてとらえ、ゾーニングしています。
具体的には、敷地の中央を東西に横切るようにあった多摩川の自然堤防を、
府中市を南北に2分する立川段丘崖(ハケ)に見立てています。
北側のハケ上には、甲州街道やケヤキ並木といった府中の基幹道路や、
その周辺に集まる町場の建築物と畑作農家、雑木林を、
ハケ下には水田や稲作農家、水車小屋などを配置しています・・ 》
このようなことを思い浮かべたりして、歩き出したりした・・。
瞬時に好感した情景を撮ったりした・・。
まもなく左側は『郷土の森 公園』の総合体育館、球技場などスポーツができる広大な処、
そして右手には、私が目指した『郷土の森 博物館』であり、
私は大きな案内図を見たりした・・。
そして正門が見えて、私は入館した。
まもなく私は博物館に入館した後、
やがて博物館の前で休息して、府中市の公式サイトに記載されていることに、
私なりに思いを馳せたりした・・。
《・・ 郷土の森博物館の敷地には、
かつて市内にあった江戸時代から昭和初期の建物8棟を移築・復元しているほか、
市内の遺跡で発掘された遺構の復元もしています。
これらの建物や遺構の復元にあたっては、
博物館の敷地全体を府中市の縮図としてとらえ、ゾーニングしています。
具体的には、敷地の中央を東西に横切るようにあった多摩川の自然堤防を、
府中市を南北に2分する立川段丘崖(ハケ)に見立てています。
北側のハケ上には、甲州街道やケヤキ並木といった府中の基幹道路や、
その周辺に集まる町場の建築物と畑作農家、雑木林を、
ハケ下には水田や稲作農家、水車小屋などを配置しています・・ 》
このようなことを思い浮かべたりして、歩き出したりした・・。
保育児か園児の歓声が聞こえ、落ち葉を集積させた場所で、
柔らかな陽射しの中で、それぞれ落ち葉を舞い上げたりして、
新ウィルスの烈風で、何かと規制され、閉塞感を打破するように、
お互いに動き回ったりしていた・・。
やがて私は歩きだして、周辺を散策した・・
こうして散策すると、確か今年も秋が受容できたよなぁ・・、
と私は心が満たされた・・。
私は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
今住んでいる近くに私の生家があり、
私は農家の三男坊として、1944年9月に生を受けたりした。
そして兄ふたり、妹ふたりにサンドイッチされるように、
祖父、父が病死するまでの小学3年生まで、
農家の児として育てられたりした・・。
このような関係の為か、町場の建築物と畑作農家、雑木林を、
ハケ下には水田や稲作農家などの情景は、
私にとっては、心のふるさとの原景だなぁ・・、
微笑みを重ねたりしていた・・。
やがて帰路は、疲れた為に路線バスのバス停で待機していた時、
まばゆい陽射しを受けながら、幸せのひとときを感じ深めたりした。
今住んでいる近くに私の生家があり、
私は農家の三男坊として、1944年9月に生を受けたりした。
そして兄ふたり、妹ふたりにサンドイッチされるように、
祖父、父が病死するまでの小学3年生まで、
農家の児として育てられたりした・・。
このような関係の為か、町場の建築物と畑作農家、雑木林を、
ハケ下には水田や稲作農家などの情景は、
私にとっては、心のふるさとの原景だなぁ・・、
微笑みを重ねたりしていた・・。
やがて帰路は、疲れた為に路線バスのバス停で待機していた時、
まばゆい陽射しを受けながら、幸せのひとときを感じ深めたりした。