中島みゆき展 「時代」2024 めぐるめぐるよ時代は巡る|角川武蔵野ミュージアム (kadcul.com)
☆公式サイト:『中島みゆき 大規模展覧会』☆
やがて私は展覧会を感銘して辞した後、JRの武蔵野線「東所沢」駅に向かい、
トボトボと歩いている中で、中島みゆきさんの歌に、
私は初めて魅了された頃、その後の思いを脳裏から舞い降りてきた・・。
誰しも本、映画、音楽等で、ふとしたきっかけで、
その創作者に夢中になり、のめり込むことがあると思う。
私も音楽に於いて、ひとりのアーティストの出会いもそのような形であった。
この当時の私は、あるレコード会社に勤め、コンピユータを活用した情報畑に所属していた。
1989年(昭和64年=平成元年)の初め、昭和天皇が崩御された後、昭和から平成と年号の変換、
そして4月から日本で初めての消費税の対応で、睡眠時間を削りながら奮闘していた・・。
1月のある日曜日、土曜休日も奮戦していた為、
昼過ぎまで寝過してしまい、パジャマ姿でぐったりしていた・・。
日曜日の夕方、疲れきった私は、パジャマ姿で家内が買物に行くのを見送ったりした。
そして足早に過ぎていく、夕陽を見ていた・・。
お茶を淹れた後、カセット・テープをラジカセに何気なしにかけたりした。
そして、何曲目から、人の尊厳を問うかのように、流れ聴こえてきた・・。
♪エレーン
生きていてもいいですかと 誰も問いたい
エレーン
その答を誰もが知っているから 誰も問えない・・(略)・・
【『エレーン』 作詞、作曲・中島みゆき 】
私は聴きなが感極まって、やがて目頭が熱くなり、涙があふれ出た・・。
このカセットテープは、シナオリライターの倉本 聰(くらもと・そう)さんが、
監督・脚本の『時計』のオリジナル・サウンドトラックであり、
私の勤務する会社から発売され、試聴用として頂いたのを、初めて聴いたのであった。
この映画に使用された音楽は、金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』、五輪真弓さんの『恋人よ』、
中島みゆきさんの『エレーン』、浜田麻里さんの『ハート・ライン』、高橋真梨子さんの『モノローグの九月』、
北原ミレイの『石狩挽歌』、森昌子さんの『越冬つばめ』等であった。
このように各レコード会社の所属する有数な歌手を使用したので、
レコード会社の発売先が難題であったが、テーマ曲が金子由香利さんであり、私の勤務先の会社で決まった、
と上司から聞いたりしていた。
私は初めて中島みゆきさんを心に留めたのは、この曲からである。
中島みゆきさんは他社のレコード会社に所属していたが、
中島みゆきさんの名と曲ぐらいは、制作に直接に関係のない情報畑の私でも、
私の務め先でアイドル歌手用に、何曲か作詞・作曲をして頂だしたりしてきた。
たとえば、
♪記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます・・(略)・・
【『春なのに』 作詞、作曲・中島みゆき 】
私からみれば、感性のあるシンガーソングライターのひとり程度だった・・。
そして『時代』、『わかれのうた』、『悪女』にしても、
当然知っていたが、これまでは何事もなく私の心は通りすぎて行ったのであったが、
心の中に溶け込んできたのは、この『エレーン』をきっかけとなった。
多くの方が魅了されたアーティストに対し、初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。
こうして私は、中島みゆきさんのデビューアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私はまたたくまに購入した。
そして、多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された・・。
今、思い出しても、この当時に百回以上聴いた曲は、『アザミのララバイ』、『歌をあなたに』、『時代』、
『冬を待つ季節』、『忘れるものならば』、『ホームにて』、『時はながれて』、
『玲子』、『おまえの家』、『世情』、『根雪』、『小石のように』、『エレーン』、
『異国』、『夜曲』、『肩に降る雨』、『HALF』、『白鳥の歌が聴こえる』、
『クリスマスソングを唄うように』、『ローリング』、『黄砂に吹かれて』、
『群集』、『儀式(セレモニー)』であったりした。
こうした中、随筆集も求めて精読したが、
文体は軽く、随所とらえる感覚が鋭いところがある程度だったが、
意識的に、読みやすく工夫をしている、と解釈した。
ラジオ放送は、わずかしか聴いていなかったが、随筆と同様と判断した。
そして、中島みゆきさんに関しての評論本も購入して読んだりした。
こうした結果として、中島みゆきさんの生命線は、
やはり作詞・作曲、そして歌につきる、と深く思いながら、
コンサートを観る機会を待ち焦(こ)がれたりした。
平成元年(1989年)11月、業界の注目の中で、
渋谷の文化村にあるシアターコクーンで『夜会』が公演されたが、
私は前売りの予約も取れず、キャンセル待ちをわずかな望みを託しが、敗退した。
そして翌年に第2回の『夜会』を平成2年11月29日に、
私は少し高揚しながら鑑賞した。
こうして私は中島みゆきさんの曲を知り初めて3年間ぐらいは、
物狂いのように無我夢中で、殆ど毎晩聴いたりしていた。
そして熱病から平熱になっても、週に一度ぐらいは聴いたりしていた。
やがて私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院生活をして、もとより業務から離脱し、
社会から取り残されたように心情の時、『永久欠番』で救われたりした。
この後、私が勤めていた会社がリストラ烈風の中、55歳から出向時代していた中で、
『ヘッドライト・テールライト』が支えのひとつとなったりした。
私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、
瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、
♪語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
という詞であった。
そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、
♪行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。
この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、名曲の数々に救われ、
今でも私の秘かな女神となっている。
このように思い馳せたりし、帰宅に向かったりした・・。
私は聴きなが感極まって、やがて目頭が熱くなり、涙があふれ出た・・。
このカセットテープは、シナオリライターの倉本 聰(くらもと・そう)さんが、
監督・脚本の『時計』のオリジナル・サウンドトラックであり、
私の勤務する会社から発売され、試聴用として頂いたのを、初めて聴いたのであった。
この映画に使用された音楽は、金子由香利さんの『時は過ぎてゆく』、五輪真弓さんの『恋人よ』、
中島みゆきさんの『エレーン』、浜田麻里さんの『ハート・ライン』、高橋真梨子さんの『モノローグの九月』、
北原ミレイの『石狩挽歌』、森昌子さんの『越冬つばめ』等であった。
このように各レコード会社の所属する有数な歌手を使用したので、
レコード会社の発売先が難題であったが、テーマ曲が金子由香利さんであり、私の勤務先の会社で決まった、
と上司から聞いたりしていた。
私は初めて中島みゆきさんを心に留めたのは、この曲からである。
中島みゆきさんは他社のレコード会社に所属していたが、
中島みゆきさんの名と曲ぐらいは、制作に直接に関係のない情報畑の私でも、
私の務め先でアイドル歌手用に、何曲か作詞・作曲をして頂だしたりしてきた。
たとえば、
♪記念にください ボタンをひとつ 青い空に捨てます・・(略)・・
【『春なのに』 作詞、作曲・中島みゆき 】
私からみれば、感性のあるシンガーソングライターのひとり程度だった・・。
そして『時代』、『わかれのうた』、『悪女』にしても、
当然知っていたが、これまでは何事もなく私の心は通りすぎて行ったのであったが、
心の中に溶け込んできたのは、この『エレーン』をきっかけとなった。
多くの方が魅了されたアーティストに対し、初期作品から聴いてみたいと思うように、私の場合も同様だった。
こうして私は、中島みゆきさんのデビューアルバムの『私の声が聴こえますか』から『回帰熱』までのアルバムは、
私はまたたくまに購入した。
そして、多岐にわたる分野を書き分ける才能の豊かさには、圧倒された・・。
今、思い出しても、この当時に百回以上聴いた曲は、『アザミのララバイ』、『歌をあなたに』、『時代』、
『冬を待つ季節』、『忘れるものならば』、『ホームにて』、『時はながれて』、
『玲子』、『おまえの家』、『世情』、『根雪』、『小石のように』、『エレーン』、
『異国』、『夜曲』、『肩に降る雨』、『HALF』、『白鳥の歌が聴こえる』、
『クリスマスソングを唄うように』、『ローリング』、『黄砂に吹かれて』、
『群集』、『儀式(セレモニー)』であったりした。
こうした中、随筆集も求めて精読したが、
文体は軽く、随所とらえる感覚が鋭いところがある程度だったが、
意識的に、読みやすく工夫をしている、と解釈した。
ラジオ放送は、わずかしか聴いていなかったが、随筆と同様と判断した。
そして、中島みゆきさんに関しての評論本も購入して読んだりした。
こうした結果として、中島みゆきさんの生命線は、
やはり作詞・作曲、そして歌につきる、と深く思いながら、
コンサートを観る機会を待ち焦(こ)がれたりした。
平成元年(1989年)11月、業界の注目の中で、
渋谷の文化村にあるシアターコクーンで『夜会』が公演されたが、
私は前売りの予約も取れず、キャンセル待ちをわずかな望みを託しが、敗退した。
そして翌年に第2回の『夜会』を平成2年11月29日に、
私は少し高揚しながら鑑賞した。
こうして私は中島みゆきさんの曲を知り初めて3年間ぐらいは、
物狂いのように無我夢中で、殆ど毎晩聴いたりしていた。
そして熱病から平熱になっても、週に一度ぐらいは聴いたりしていた。
やがて私は40代の半(なか)ばに、ギックリ腰が悪化して、
28日ばかり入院生活をして、もとより業務から離脱し、
社会から取り残されたように心情の時、『永久欠番』で救われたりした。
この後、私が勤めていた会社がリストラ烈風の中、55歳から出向時代していた中で、
『ヘッドライト・テールライト』が支えのひとつとなったりした。
私が初めて『ヘッドライト・テールライト』聴いた時、
瞬時に魅了され、そして感銘を受けたのは、
♪語り継ぐ人もなく
吹きすさぶ風の中へ
紛れ散らばる星の名は
忘れられても
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
という詞であった。
そして何よりも出向となっていた私の心情を支えてくれたり、
この後の定年退職後の年金生活の今でも、最も励ましてくれる詞が、
♪行く先を照らすのは
まだ咲かぬ見果てぬ夢
遥か後ろを照らすのは
あどけない夢
ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
【『ヘッドライト・テールライト』 作詞、作曲・中島みゆき、編曲・瀬尾一三、唄・中島みゆき 】
この励ましてくれる詞が、私にとっては何よりも大切な言葉となっている。
この間、カセット、CD、DVDはもとより、随筆、そして評論集まで購読し、
私の人生の幾たびの苦境の時に、名曲の数々に救われ、
今でも私の秘かな女神となっている。
このように思い馳せたりし、帰宅に向かったりした・・。
初めまして・・。
>中島みゆきさん、名曲と言われるものたくさんありますね。
>メッセージ性もとてもあると思います。
>私が一番印象的なのが『世情』です。
>3年B組金八先生の中で、生徒が逮捕され、護送車で運ばれて行くときに、
>その母親が後ろから走って追いかけていくというシーンに流れていました。
>それ見て大泣きしましたっけ。
>「シュプレヒコールの波~」という歌詞がとても印象に残っています。
>今でもその歌を聞くと涙出てしまいます。
私も好きな名曲で、ときおり私も聞いたりしています。
この曲が、テレビ番組の『3年B組金八先生』の中で、採用したのは、
音楽を担当された御方、と私は聞いたりしてきました・・。
中島みゆきさんの数多い名曲の中で、このシーンに『世情』を背景にしたことは、
私は才能ある有数な音楽担当の御方、と感心させられた次第です♪
>あとはDr.コトーの主題歌かな。
私たち夫婦は、テレビ番組の『Dr.コトー・・』は、再放送など、
視聴しています・・。
そして主題歌も、こよなく聴いたりしています・・。
>とてもステキなアーティストですね。
私も中島みゆきさんの歌詞、突出した言葉の選定と感性に、
圧倒的に魅了されて、教示されている次第です。
コメント、嬉しく読まさせて頂きました。
陽春の時節、貴女様も御身体を程々に御自愛されながら、
有意義にお過ごしして下さい。
中島みゆきさん、名曲と言われるものたくさんありますね。メッセージ性もとてもあると思います。
私が一番印象的なのが『世情』です。
3年B組金八先生の中で、生徒が逮捕され、護送車で運ばれて行くときに、その母親が後ろから走って追いかけていくというシーンに流れていました。それ見て大泣きしましたっけ。
「シュプレヒコールの波~」という歌詞がとても印象に残っています。
今でもその歌を聞くと涙出てしまいます。
あとはDr.コトーの主題歌かな。
とてもステキなアーティストですね。