私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、
わずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
雑木の多い小庭の中で、古ぼけた戸建て住んでいる。
そして私より5歳若い家内も、お互いに厚生年金、
わずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。
こうした中で、もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
殆ど毎日のように自宅の周辺3キロ範囲にある遊歩道、公園、住宅街を歩いたりしている。
そして私は何よりも認知症、心筋梗塞など恐れ、
ときおり認知症だけは勘弁してねぇ・・と秘かに祈願しながら歩く時もある。
しかしながら、私は体力の衰えを75歳の頃から実感させられたり、
物忘れも多くなり、やはり老化が増したのかしら、
と微苦笑したりしてきた・・。
そして帰宅後の午後の大半は、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多く、
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしている中、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
過ぎし日、高齢者の世代に精通されているファイナンシャルプランナーの長野 郁子さんが、
適言されていたことを思い馳せたりした・・。
《・・仕事をやめた自立期の高齢者は、手元のお金の多寡はあっても、
好きに使える時間だけは、タップリある。
何時に起きても、何時に寝ても、誰にも文句はいわれない。
こんな勝手気ままで自由な暮らしを10年、20年過ごしていると、
それを手放すのは本当につらい。
或いは居間にある映画棚から、20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
ときには音楽棚から、聴きたい曲を取りだして聴くこともある。
このような年金生活を過ごしている中、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを、
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。
過ぎし日、高齢者の世代に精通されているファイナンシャルプランナーの長野 郁子さんが、
適言されていたことを思い馳せたりした・・。
《・・仕事をやめた自立期の高齢者は、手元のお金の多寡はあっても、
好きに使える時間だけは、タップリある。
何時に起きても、何時に寝ても、誰にも文句はいわれない。
こんな勝手気ままで自由な暮らしを10年、20年過ごしていると、
それを手放すのは本当につらい。
若い人は、自立期の高齢者の生活をよく知らないし、
高齢者の自由な生活を過小評価している。・・ 》
こうしたことを私は学び、そうですよねぇ・・と微笑んだりしている。
こうした中、私は過ぎし9月27日に満78歳となり、
何とか健康寿命で迎えたい、と念願したりした・・。
そして、この後は余生で、10年足らずで、あの世に旅立つだろう・・
と漠然としながらも思い深めたりした。
そして、この後は余生で、10年足らずで、あの世に旅立つだろう・・
と漠然としながらも思い深めたりした。
ここ二週間、私は思案していることがある。
私は月刊総合雑誌の『文藝春秋』の50数年の購読者のひとりであるが、
たまたま10月特別号を読んでいたら、思索させられた記事があったりした。
作家・五木寛之さんが、『2022年のうらやましい死に方』、
と題されて寄稿されていた。
《・・略・・今月で90歳になる私自身の実感としてですが、
80歳を超えるともう十分に生きたというか、
次第に死への不安や怯えはなくなってきました。
いつこの世から消えようが構わないという感覚になる。
学校の教室から「一足早く退席します」と出ていく、
そんな軽い気持ちでまるで緊迫感がない。・・略・・》
注)記事の原文(ページ234より一部、引用)に、あえて改行を多くした。
この記事を読みながら、もとより私としては、80代の未知の世界に、
不安さを秘めていたが、多々教示を受けたりした。
これからの日々、たとえ身体の衰えを増してても、
一歩、一歩進んでいけば、光明のある80代を迎えられるかしら、
思案したりしている・・。
先程、貴兄よりコメントを頂きまして、
大変失礼を致しました。
>風月と申します🐴
こちらこそ、初めまして・・、
>もう80歳。って言う時代は今や昔。
>まだこれからが素敵な時間が増える時間なのではないかと。😊
私は過日に満78歳となり、あと2年で・・80歳の誕生日を迎える時に、
何とか健康寿命で迎えたい、と念願したりした次第です・・。
そして、この後は余生の年と思いながら、
あと10年足らずで、あの世に旅立つだろう・・
と漠然としながらも思い深めたりしてきた次第です。
>時差のあるゆったりした生活✨
>羨ましく思ったりもいたします😊
もとより自助努力で健康に勤める所存ですが、
私と同世代の知人、友人が大病で死去されてきましたので、
こればかりは仏様、神様が支配される世界だ・・と思い深めてきた次第です。
コメント、ありがとうございました。
急激に秋めいてきた昨今、程々に御自愛され、お過ごしして下さい。
もう80歳。って言う時代は今や昔。
まだこれからが素敵な時間が増える時間なのではないかと。😊
時差のあるゆったりした生活✨
羨ましく思ったりもいたします😊
先程、コメントを頂いたことに気付き、
大変失礼を致しました。
>はじめまして。
こちらこそ、初めまして・・。
>いつも学びながら拝読しています。
つたない投稿文をお読み下さり、感謝致します。
>大好きな五木寛之先生のお話なので、本当に嬉しく拝読しました。
東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年、
私は映画に少年の頃から熱愛して大学を中退し、映画青年の真似事した後、
文学青年の真似事した時期がありました。
この当時の私の読み物は、小説の単行本はもとより、
月刊文芸雑誌として、純文学の『文学界』、『新潮』、『群像』を読んだり、
中間小説としては『オール読物』、『小説新潮』、『小説現代』を精読していた時代でした。
この中の『小説現代』に於いて、1966(昭和41)年の当時、
新人応募コンクールの『小説現代・新人賞』があり、
五木寛之氏の『さらばモスクワ愚連隊』が選定されました。
私は何より斬新な新しい時代の発想力、そして確かな筆力で、
読者を最後まで読まさせる力の秘めたお方、と瞬時に感じながら、圧倒される思いで、
ため息を重ねながら精読したりしました。
これ以来、五木寛之氏の大半の上梓された作品・・読んだりしてきました。
>益々の御健筆お祈りし、更新楽しみにしております。
先程、貴女様のブログの『優しい日々』を少し拝読致し、
素敵な感性のある御方・・と感じた次第です。
コメントありがとうございました。
よろしかったら、今後ともよろしくお願い致します。
益々の御健筆お祈りし、更新楽しみにしております。