夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

専門医が「突然死リスク」を見抜くために患者に尋ねる"大切なこと"、私は学び、多々教示させられて・・。

2022-05-18 15:38:31 | 喜寿の頃からの思い

先程、愛読している【 プレジデントオンライン 】を見ている中、
『 7分に1人が「心臓病」で死んでいる・・・
      専門医が「突然死リスク」を見抜くために患者に尋ねる"ある質問" 』、
と題された見出しを見たりした。

私は東京の調布市に住む年金生活の77歳の身であるが、
過ぎし2019年の元旦の早朝の2時過ぎ、
心臓の痛みで目覚めてしまった・・。

まもなく左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
左側に寝返りしたり、或いは右側に寝返りをして、痛みに耐えたりした。

この10日前に、このような状態があったが、一時間過ぎた頃に解消したが、
今回は痛みが去らず、深夜2時過ぎから継続しているので、不安を増した・・。

やがて元旦の早朝の5時過ぎに、私は痛みが半減してきたが、
やはり狭心症や心筋梗塞などのまえぶれであったら、
この後の私の人生は、何かと大変だ、と思い、
やむなく救急車を呼んで、病院で早期治療を受けようと決意して、家内に伝えたりした。




やがて、私たち夫婦は救急車に搬送されて、
私は世田谷区にある日産厚生会『玉川病院』で緊急治療を受けて、

痛み止めの薬を頂いたりした。

そして男性医師から、あなたが通っている最寄りの内科医院に状況報告書を書きますが提出して下さい、
その後、心臓に関する専門病院で、早めに精密検査を受けて下さい。

こうした中で、耐えがたい痛みを発生した時、『ニトロペン錠』を舐(な)めて下さい、
と私たち夫婦は言われたりした。

やがて病院を辞して、病院前よりタクシーに乗車して、我が家に向かう車内の中、
『元旦そうそう・・救急車で病院に行き、応急治療を受けるとは、まさかの出来事だったょ・・』
と私は苦笑しながら、家内に言ったりした。



まもなく私たち夫婦は我が家に到着した後、
家内が家内の母宅に介護に行く予定は、取りやめにして、家内の妹にお願いするわ、
と私は言われたりした。

結果的には、私は安静した状態で正月3が日を過ごすこととなり、
私たちは結婚以来初めて、静かなお正月を過ごすこととなるわねぇ・・
と家内から言われたりした。

今回、やむなく生まれて初めて正月三が日は、安静の中、戸惑いながら過ごした・・。                       

お節料理の好みの単品を揃えてきたが、思いがけない病状に、何かとプラス思考の私でも、
失墜感で、うつろな状況で食べたりした。

或いは日本酒、ウィスキー、ビールを年末で準備完了であったが、
一滴も呑めない正月三が日は、二十歳以来初めての出来事となったりした。

やむなく日中のひとときは、寝室の布団の中で身も心も預けて、
本を読んだり、昼寝をして過ごした・・。

こうした中、今後の私の予定をめぐらしたりしていた。

正月三が日明けの4日には、最寄りの内科医院に私は行き、
日産厚生会『玉川病院』より状況報告書を内科医院長宛てに手渡した後、
この内科医院長より、大きな循環器専門の病院に紹介状を書いて頂く。

そして循環器専門の病院として、私たち夫婦は思案した中で、
都心にある東京医科歯科大学の附属病院の中に循環器内科に受診できれば、と願ったりした。



このように思案したりし、3日の夕食を家内と共に頂いた後、
やがて私は夜9時過ぎに布団にもぐり、本を読だりしている中、寝付いたりした。

そして夜10時過ぎ頃、左胸が圧迫され、強く痛みを感じて、
『玉川病院』の医師のアドバイスに基づき『ニトロペン錠』を舌先で舐(な)めたりした。

やがて20分過ぎても鎮静化しなくて、やむなく2錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりし、
今回果たして『ニトロペン錠』鎮静化がするのだろうか、と思いながら、
痛みに耐えたりしたが、効果なく3錠目の『ニトロペン錠』を舐(な)めたりした時、
私は家内を起こして、救急車で病院に行く、と決意したのは夜11時半過ぎであった。

やがて救急車が我が家に到着して、救急スタッフの御方が昨今の私の状況を把握し、
循環器専門の府中市に所在する『榊原記念病院』を進言して下さった。

そして『榊原記念病院』に到着後、10数名の医療スタッフの中で、
私は中央診察台で心電図、造影剤を入れてカテーテル、そしてCTスキャンなどの精密検査、
或いはレントゲン終えたのは、早朝3時半すぎであった・・。

やがて『胸膜炎』(追記・急性冠症候群)と病状とされ、しばらく経過観察したく・・
と入院が余儀なくされて、結果的に8泊9日の入院となったりした。



こうした苦い体験をしてきた私は、
今回の《・・ 専門医が「突然死リスク」を見抜くために患者に尋ねる"ある質問"・・ 》、
真摯に学びたく、記事を読んでしまった・・。

この記事は、【 プレジデントオンライン 】に於いて、5月18日に配信され、
無断であるが、転載させて頂く。




今回、心臓血管外科医の渡邊剛さんに寄る
《・・「突然死リスク」を見抜くために患者に尋ねる大切なこと・・》
丁重なアドバイスに、私は多々教示されたりした。


この入院する前の私は、大学一年の夏季合宿にタバコを喫い始めて、
長年こよなくタバコの愛煙者だった・・。

この後、映画、文学青年の真似事をしている時、
やがて敗退した後のサラリーマン時代に於いて、
タバコを喫いながら、物事を思案したり、思考したりしてきた・・。

こうした習性が55年以上続き、タバコを喫煙したならば、
言葉とか文章が、脳裏より舞い降りて、こなくなるかもしれない、
と危惧したりした。

そして私は、困ったなぁ・・と溜息をしたりした後、
自身を鼓舞するように、人生は気合だ、と心の中で叫んだりし、
これを機会にタバコにお別れとなったりした。

こうした根底には、やはりタバコは身体に良くないと、担当の医師から進められて、
何かを断念しなければ、この先はないと思い、断腸の思いで禁煙したのは本音であった・・。



この退院後、肺の実態を認識する為、総合病院で肺のCTスキャンを受診した後、
検査して下さった担当医師の御方より、
『肺が少し汚れているようですが・・』
と私は問われたりした。

『恥ずかしながら、55年近くタバコを喫ってきましたので・・』、
と私は苦笑しながら、医師の
御方に言ったりして、微苦笑されてしまった。

そして幸運にも、私は階段を100段ぐらい上っても、息切れもなく歩けているが、
果たして・・と溜息をしたりしている。

やがて禁煙して、3カ月を過ぎた頃、

タバコを喫っていた時代もあったよなぁ・・と独り呟(つぶや)き、
思い出に変わる時が訪れた・・と微苦笑したりした・・。



このような体験のある私は、


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