私は偶然に五輪真弓の『少女』をラジオで聴いた後、
レコードのアルバムの発売日に待ち焦がれ、
『五輪真弓/少女』を買い求めたのは昭和47年(1972年)の10月の下旬であった。
この頃の私は、個室にレコード・プレイヤー、プリメイン・アンプ、そしてスピーカと、
この当時の普通の音楽ファンの機器構成で聴いていた。
しかし、この頃の機器は、私の基本給の月収より数倍高く、
私はローンで返済していた。
そして、私は帰宅後、このアルバムに夢中になり、殆ど毎日聴いていたし、
次兄にも賞賛をしたりしていた。
翌年の7月に『風のない世界』が発売されて、
特にこの中の一曲『煙草のけむり』にはこの人の才能が満ち溢れている、
と友人らにも絶賛していた。
確か数年後であったと記憶しているが、
虎ノ門ホールで五輪真弓のコンサートがあり、
この頃に交際していた女性と観たのである。
この女性はある音楽大学を卒業したばかりで、先生に師事しながら、
ピアニストを熱望する人であり、
私はピアノを専攻する人に気後れしながらも、
ピアノを弾きながら自分の作詞・作曲され歌を唄う五輪真弓のコンサートに、
誘い出したのである。
この女性とは、コンサートの終了後に食事をしていた時、
虎の門ホールの音響、そして五輪真弓に関して才能のある人ね、
と私は聴いて、デビュー以来才能を認めていた方に同意されたので、
私の心は小躍りのような状態であった。
この人とは、渋谷、新宿で度々待ち合わせ、夕食を共にした後、自宅に送り、
この方の母親に可愛がって頂だき、親愛の情をしぐさを見せてくれたりした。
私の住んでいる所にも来て貰ったり、
私の実家にも連れて行ったりしていた。
このような時、有数なソプラノ歌手のコンサートが東京文化会館の小ホールで開催され、
伴奏としてのピアノを弾く担当に選ばれ、
私は当然として、このコンサートを観たのである。
ただ私が今までの人生で体験したことのない、特有な雰囲気につつまれていた。
私は結婚したい、と申し込んだ夜、
『貴方が思っている・・サラリーマンの良い奥さんには・・なれないわ・・』
と言った。
確かに毎日10時間前後はピアノ弾いているので、
サラリーマンの普通の生活ペースは無理であるので、
私は承知の上だ、とも言葉を重ねたりした。
数ヵ月後、貴方に負担をかけたくないの、
と私は言われ、
私は失恋をしたのである。
私は五輪真弓に関しては、スターとなった今、
何となく遠ざかり、シャンソンなどに夢中になり、深めていった・・。
私は数年後、妹の嫁ぎ先の親から、ひとりの女性を紹介され、
この人と結婚した。
私が家を建て始めて、ローンの負担が重苦しく感じ、
数年続いた折、私は懐かしい歌声を聴いたのである。
♪枯葉散る 夕暮れは
来る日の寒さを もの語り
雨に壊れた ベンチには
愛をささやく 歌もない
【『恋人よ』 作詞・五輪真弓 】
私は思わず、真弓ちゃんだ、と心の中で叫んだのである。
そして、相変わらず、才能を発露させ、確固たるスターの五輪真弓さんに、
しばらくぶりだったけれど、凄い詞を書いたよね、
と心の中で祝杯したりしていた。
♪恋人よ そばにいて
こごえる私の そばにいてよ
そしてひとこと この別れ話が
冗談だよと 笑ってほしい
私はピアノニストに熱望した人は、今はどうしているかは知らないが、
私にとっては若き日の貴重な苦い想いのひとつである。
レコードのアルバムの発売日に待ち焦がれ、
『五輪真弓/少女』を買い求めたのは昭和47年(1972年)の10月の下旬であった。
この頃の私は、個室にレコード・プレイヤー、プリメイン・アンプ、そしてスピーカと、
この当時の普通の音楽ファンの機器構成で聴いていた。
しかし、この頃の機器は、私の基本給の月収より数倍高く、
私はローンで返済していた。
そして、私は帰宅後、このアルバムに夢中になり、殆ど毎日聴いていたし、
次兄にも賞賛をしたりしていた。
翌年の7月に『風のない世界』が発売されて、
特にこの中の一曲『煙草のけむり』にはこの人の才能が満ち溢れている、
と友人らにも絶賛していた。
確か数年後であったと記憶しているが、
虎ノ門ホールで五輪真弓のコンサートがあり、
この頃に交際していた女性と観たのである。
この女性はある音楽大学を卒業したばかりで、先生に師事しながら、
ピアニストを熱望する人であり、
私はピアノを専攻する人に気後れしながらも、
ピアノを弾きながら自分の作詞・作曲され歌を唄う五輪真弓のコンサートに、
誘い出したのである。
この女性とは、コンサートの終了後に食事をしていた時、
虎の門ホールの音響、そして五輪真弓に関して才能のある人ね、
と私は聴いて、デビュー以来才能を認めていた方に同意されたので、
私の心は小躍りのような状態であった。
この人とは、渋谷、新宿で度々待ち合わせ、夕食を共にした後、自宅に送り、
この方の母親に可愛がって頂だき、親愛の情をしぐさを見せてくれたりした。
私の住んでいる所にも来て貰ったり、
私の実家にも連れて行ったりしていた。
このような時、有数なソプラノ歌手のコンサートが東京文化会館の小ホールで開催され、
伴奏としてのピアノを弾く担当に選ばれ、
私は当然として、このコンサートを観たのである。
ただ私が今までの人生で体験したことのない、特有な雰囲気につつまれていた。
私は結婚したい、と申し込んだ夜、
『貴方が思っている・・サラリーマンの良い奥さんには・・なれないわ・・』
と言った。
確かに毎日10時間前後はピアノ弾いているので、
サラリーマンの普通の生活ペースは無理であるので、
私は承知の上だ、とも言葉を重ねたりした。
数ヵ月後、貴方に負担をかけたくないの、
と私は言われ、
私は失恋をしたのである。
私は五輪真弓に関しては、スターとなった今、
何となく遠ざかり、シャンソンなどに夢中になり、深めていった・・。
私は数年後、妹の嫁ぎ先の親から、ひとりの女性を紹介され、
この人と結婚した。
私が家を建て始めて、ローンの負担が重苦しく感じ、
数年続いた折、私は懐かしい歌声を聴いたのである。
♪枯葉散る 夕暮れは
来る日の寒さを もの語り
雨に壊れた ベンチには
愛をささやく 歌もない
【『恋人よ』 作詞・五輪真弓 】
私は思わず、真弓ちゃんだ、と心の中で叫んだのである。
そして、相変わらず、才能を発露させ、確固たるスターの五輪真弓さんに、
しばらくぶりだったけれど、凄い詞を書いたよね、
と心の中で祝杯したりしていた。
♪恋人よ そばにいて
こごえる私の そばにいてよ
そしてひとこと この別れ話が
冗談だよと 笑ってほしい
私はピアノニストに熱望した人は、今はどうしているかは知らないが、
私にとっては若き日の貴重な苦い想いのひとつである。