夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『高齢社会白書』を初めて読み、何よりも高齢者は『生きがい』こそが肝要である、と微笑し・・。

2011-06-12 17:13:15 | 時事【社会】
私は昨夜、ネットで偶然に『高齢社会白書』と称せられた政府の公報を初めて知り、
読んだりした・・。

私は恥ずかしながら全くの未知であったので、白書の意義などを読みはじめた・・。

《・・
○ 高齢社会白書とは
  高齢社会白書は、高齢社会対策基本法に基づき、
  平成8年から毎年政府が国会に提出している年次報告書であり、
  高齢化の状況や政府が講じた高齢社会対策の実施の状況、
  また、高齢化の状況を考慮して講じようとする施策について明らかにしているものです。

○ 白書の構成
  平成23年版高齢社会白書は、
  「平成22年度 高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」、
  「平成23年度 高齢社会対策」という2つの部分から構成されています。

  「平成22年度 高齢化の状況及び高齢社会対策の実施状況」では、
  第1章において、基礎的な統計資料等を用いて高齢化の状況について報告し、
  第2章では、平成22年度に政府が講じた高齢社会対策の実施の状況について、
  高齢社会対策大綱の構成に沿って報告しています。

  また、平成23年度において講じようとする高齢社会対策について明らかにするとともに、
  平成21年度、平成22年度及び平成23年度の高齢社会対策関係予算の表を添付しています
・・》
注)原文にあえて改行を多くした。

http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/index-w.html
☆【内閣府】<==『高齢社会白書』☆

私は昨夜、そして先ほども読んだりし、5時間ばかり要したが、
ぼんやりと思考させられた・・。


私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身である。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。
そして、共通の趣味は、国内旅行なので、ときおり日本の各地を旅行したりしている。

私は高齢者2年生であり、もとより介護保険の対象者であり、
家内も62歳の年金受給者の身であるので、少しばかり身体の衰えは感じることが多く、
ふたりで一人前かしら、と苦笑する時もある。


私は定年退職後、自分の趣味を生きがいとし、退職後は年金生活を過ごしている。

平素は殆ど毎日、買物の担当を引き受け、独りで買物をしたりし、
その前後、独りで散策などをしている。

このようなささいなことを私はしたりした上、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、
退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。

いずれ私たち夫婦は、片割れとなり、おひとりさまの生活を余儀なくされるが、
それまでの間は、お互いに労(いた)わりながら、
お互いの趣味を深化できればよい、と思ったりしている。


今回の白書を読了後、高齢者にとっては、
それぞれ住む地域、住居、家庭構成、資産、健康状況・・などは、さまざまな形態であり、
的確な展望、意義、解決などは、つたない私は見いだせることはできないでいる。

私は高齢者のひとりとして、たったひとつだけ明言できることは、
それぞれの方が、ご自身に即した『生きがい』のある日常を過ごされているか、
私は、これだけしか浮かばない。

そして、この『生きがい』を主軸に溌剌と生活されている私と同世代の諸兄諸姉、
或いは家内と同世代の団塊の諸兄諸姉、
そして先達の後期高齢者の諸兄諸姉と、共有できる随一のキー・ワードと思ったりしている。


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6月19日の日曜日は、『父の日』に際して、少なくとも感謝を込めて、ねぎらいの言葉を・・。

2011-06-11 22:48:39 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
ここ一週間、新聞の折込チラシの中で、デパート、スーパーなどの多くは、
来る19日の日曜日の『父の日』に際して、贈り物の商品が掲載されている。

私達夫婦は子供に恵まれなかったので、こうした贈り物に関して、
微苦笑しながら、見たりする時する時もある。


先ほど、ネットでも、ささやかな感謝の贈り物のニュースとして掲載され、
私は微笑みながら読んだりした。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20110611-OYT1T00637.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《 「父の日」健闘!スーパークールビズが追い風 》☆


私の父は、私の小学2年の時に病死され、
家内の父は、私のサラリーマン定年退職の直前に他界されたので、
私共の家族は、『父の日』には無縁となった。

こうしたことで、私は父親の資格もく、語る資格もないが、
何かしら父親が存命している、ご愛息(あいそく)・ご愛嬢(あいじょう)に、
切にお願いをしたいことがある・・。


子供の立場として、男の子の場合は幾つになっても『母』を優先に感謝し、
『父』は何かと二の次になることが多いと思われる。

特に成人した頃からは、父親が現役で奮闘している場合は、
何かとライバル視する傾向が多く、素直な親子の心情のふるまいや会話ができなく、
父が高齢者になり、しぐさが衰えたり、或いは死去されて、
初めて父親が家庭を守る為に、孤軍奮闘してきた長年の言動に感銘をする、
と私は友人らから聞いたりしている。


女の子の場合も『母』を日頃から何かと重視しがちであり、
父親からすれば、自身の妻よりも遥かにご自分の娘がこの世界で一番可愛い、
と多くの知人から聞いている。

こうした心情、情念もさることながら、
未成年、成人した子供を問わず、たとえプレゼントする品がなくとも、
『お父さんのお陰で・・』と何かしら感謝の言葉を、
父親に労(ねぎら)いの一言を切に願っている。


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この一粒の錠剤を服用すれば、睡眠時間はわずか一時間に圧縮され、心身も満足される薬は、と妄想して・・。

2011-06-11 14:42:24 | 定年後の思い
私は定年退職後、私は念願の年金生活を始めて、
日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしているので、一日が終るのが早い、と溜息をついたりすることが多い。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。

このような生活をしているが、私は血液型がB型のためか、
ときには、この世の中の常識から、はなはだ逸脱することも妄想することもある・・。


先ほど、ぼんやりと霧雨の降る小庭にある樹木を眺めたりしていた時、
古今東西、長き歴史から、人類の殆どの人たちが、7時間前後の睡眠時間を要してきたが、
ビタミン剤のような錠剤で、たった一錠を服用すれば、
わずか一時間で充分に脳裏も心身も満足する、薬は出来ないかしら、と妄想を重ねた・・。

このような桁外れの錠剤が商品化が出来たならば、
人類史上に於いて画期的なことなので、
まちがいなくノーベル賞の三つぐらいは、受賞対象にに選出される、
と確信を深めたりしている。

もとより一日は24時間である、と天上の神々から定められているので、
たとえローマ帝国時代のユリウス・カエサル、
ここ数百年に於いては、一時期ヨーロッパを制覇したナポレオン皇帝、
或いは中国人民共和国の毛沢東主席、
アメリカのケネディ大統領・・古今東西の偉人も、
この鉄則に采配されて、それぞれの時間をやりくりしてきたのである。

たった一時間で睡眠が満足する錠剤が開発されたならば、
世界の歴史は大幅に変貌したかしら、と私は微笑んだりした・・。


ときおり私は、このような馬鹿げたことを発想する悪い癖があり、
少しボケが増してきたか、とも思ったりしている。


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若尾文子さんは、つたない私の人生で、初めて『ときめき』を感じた女性であり・・。

2011-06-11 09:30:26 | 定年後の思い
昨今、家内はNHKの朝の連続ドラマ『おひさま』を毎回のように視聴している。
居間にあるテレビで観ているので、
居間の中央の窓辺に私の机があり、私は新聞を読んだり、パソコンに触れたりしているので、
このドラマの声が聴こえてしまう・・。

いつの日だったか忘れてしまったが、
艶(つや)やかな特有の声が聴こえてきたので、
『わかお・あやこ・・さんかしら・・?』
と私は感じ、ドラマの終了後に、家内に訊(たず)ねた・・。

このドラマでナレーション、そして戦争前後がドラマの中心で進行し、
この中のヒロインを当時を回想する形で現代のヒロインを演じている、
と家内は私に教えてくれた。

この時以来、何故かしら私は若尾文子さんに気になり、
微苦笑したりした。

そして、このドラマの若尾文子さんを観た時、
私は少年期の頃を思いだされた・・。


私は東京の郊外の調布市で、1944(昭和19)年の秋に農家の三男坊として生を受けた。

祖父、父は、長兄、そして次兄が生まれ、三番目は女の子を期待していたらしく、
三番目も男の子かと戸惑っていたと思われる。
そして私の数年後に妹が生まれたので、
幼児の私は、何となくいじけた可愛いげのない児であった。

私のおぼろげな記憶をたどれば、
私が最初に映画を観たのは、1951(昭和26)年の春に小学校の入学前、『長崎の鐘』だった、
と思い返している・・。

この頃は、ラジオからこの主題歌が流れていて、
私の幼児なりに、物悲しさを感じ、涙を浮かべたりしていた。

近所のお寺の境内で、隅にスクリーンが張られ、
夜のひとときを上映してくれた。
私は母に連れられ、近所の方達と共に立ちすくんで観た。
この頃は娯楽が少なく、こうした映画を無料で観られるのは、
稀(まれ)であったので、盛会だったと記憶に残っている。

帰宅の途中、母に手を引かれて歩いていた時、
夜空の銀河の天の川が綺麗であり、
年を重ねた66歳の今の私でも、あのような満天の煌(きらめ)いた星空は一期一会であった。

これ以前に観た映像作品は、祖父が自宅で近所の人達を集めて、
幻灯機で『母をたずねて三千里』を観たのが、幼児なりに記憶があった。

私が小学校の4年頃になると、
映画館に独りで行き、東映の時代劇の3本立ちをたびたび通いはじめた・・。
『里見八犬伝』、『笛吹童子』、『紅孔雀』等であった。

母より100円を頂き、映画の入場料が子供40円で、電車の往復は10円であり、
帰路の街の中華店でラーメンが35円だったので、たびたび食べたりした。
そして、映画館の売店で残りの15円で都こんぶ等を買えたりした。

この映画館は翌週になると大映映画を二本立てで上映していたので、
予告編も上映されていた。

山本富士子、京 マチ子は私にとっては、大人の人すぎて興味がなかったが、
何故かしら若尾文子、川上康子、八潮悠子を観たりすると、
都会の綺麗なお姉さんと感じたり、まばゆい文化にふれて、
子供心にため息をしたり、ドキドキしたりした・・。

そして特に若尾文子には、色っぽい女の人、
と私の人生で最初にときめいた人である。

このような映画に熱中しはじめ、
中学、高校も相変わらず映画館に通いつめ、
やがて私は大学を中退し、映画青年の真似事まで一時的に過ごしたりした。


余談であるが、私の女性の魅了される容姿は、絣(かすり)を召した人、
或いはワンピース、ツーピース、ブラウスとスカートの洋装、
このような秘かなこだわりが、この若尾文子、川上康子、八潮悠子さんを観た頃から私は芽生え、
昨今でも、変らない思いでいることは確かである。


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川沿いの遊歩道を私たち夫婦は歩き、私は改めて『野に咲く花のように』と思い託して・・。

2011-06-10 13:04:29 | 定年後の思い
昨夜、家内は眼の下まぶたの裏側に吹き出物ができたらしく、
本日の8時半過ぎに、私たち夫婦は駅前の眼科をめざして、自宅を出た。

小田急線の『喜多見』の駅前までは、徒歩で20分前後の道のりであるが、
私は野川の川沿いの遊歩道を独りで散策することが多く、
遊歩道の片側は、この遊歩道に並列するように細長い小公園の樹木、草花があり、
四季折々の情景が観られる。

そして片側は川べりには、私には名に知れぬ数多くの野花が四季折々に咲き、
そして川面に近いところには、春には菜の花、秋には薄(ススキ)の穂が彩(いろど)り、
こうした情景を眺めたりし、
清冽な水の流れを眺めるのが私は好きである。

この野川の遊歩道は、平日は人影も少ないので、
私は家内のボディ・カード兼お供で、共に歩いたりした。

たまたま曇り空で湿度が多い中を歩き、
紫陽花(アジサイ)の美麗な花に見惚(みと)れたりするが、
私は名に知れぬ数多くの野花をときおり眺めたりした。


帰路、再び遊歩道を私たち夫婦は歩き、
川の水辺の近くにカワセミ、鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、
そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来して、
私は興味がなかったが、家内は動物、小鳥達が好きだったので歓声をあげていた。

私は少しは少し離れた所の木のベンチ付近で、
野花を眺めながら、煙草を喫ったりした・・。

そして、たんたんと季節に応じて野に咲く花をぼんやりと見たりし、
私が『野に咲く花のように』と深く心に託(たく)し始めた頃を思いだされた・・。


1983(昭和58)年の夏、私が勤めている会社が、
管理体制の総合見直しのひとつとして、コンピュータ処理の委託を廃止し、
自社で開発、運営を命じられた私は、
この後、一年間は死ぬ物狂いで奮闘し、何とか1984(昭和59)年の初夏、
軌道に乗せたが運営上に課題を残していた。

こうした中で、夏季休暇を迎えていた・・。
休暇の初めに出勤していた私は、深夜の3時過ぎに私は退社し、タクシーで帰宅した。
そして、夏季休暇も半分程しか取れなかったので、
近場の熱海の外れにある赤根崎のリゾート・ホテルに2泊3日で予約していた。

そして数時間ばかり寝て起きたのであるが、
徹夜になったり、深夜まで・・連日の過酷な勤務時間が続いたいたので、
朦朧としていた。

そして10時過ぎに、私たち夫婦は自宅を出て、新宿駅に行った。
この後、寿司屋でビールを呑みながら、寿司を頂き、昼食代わりとし、
新宿駅より小田原駅まで特急のロマンスカーで乗り、
JRの小田原駅から下田行きの『踊り子』に乗り、熱海駅で下車した後、
宿泊地の赤根崎リゾートホテルにタクシーで向った。

この当時の赤根崎リゾートホテルとは、昨今はリゾートマンションに大きく変貌している。

この当時は、ホテルの建物の前にゆったりとした庭園があり、
その先は海上を一望できる景観が良い処であった。
そして利用される方は、家族連れで来て、主人は付近のゴルフ場でプレーをし、
若き奥様たちは、幼い子供に海辺の児童プール、或いは海辺の水遊びを楽しんだり、
若き男女はホテルに隣接したプールでゆっくりと過ごせる方が多いかしら、
と私は感じたりした。

そしてロビーなども広く、レストランも数々あり、
食事をしながら、ゆったりと海上の景観も良く、
私達夫婦はビールを呑みながら、イタリアン料理などを頂いたりした。


こうした間の2日目の折、私は休暇前は睡眠不足であったので、よく寝ていた。
昼下りのひととき、庭園にある茶室で茶事があるので、
支配人のような方から家内が誘われ、私も末席としてお供した。

家内は茶事を中学生の頃から習っていたので、
私は結婚してから色々と和事に関しては、家内から影響を受けたりしていた。
茶花、花入、茶碗、掛け軸などを知り、四季の移ろいも改めて知りはじめた・・。

結婚して、3年後に家を建てた時、
多額な借入となったが、若さの心の勢いとして、家屋の一部に茶室まで設けた。

私は茶事に関しては無知であったが、
免許状の昇進と共に、礼金も重なる暗黙のような約束事を知った時は、
不思議な世界と思ったりしていた。


そして無知な私でも、この茶室の掛け軸、花入、茶花も簡素で、
素朴な茶碗で抹茶を頂いたりし、感銘を受けたのである。

茶室から庭園に出で、家内と散策した時、
『野に咲く花のような茶事であったね・・』
と私は家内に云った。

家内は微笑んでいた・・。

庭園は夏の光を受けていたが、
外れにある松林の中に入ると、海上からの風が吹き、肌には心地よかった。


古人の利休が、花は野にあるように、という銘言は私なりに知っていたが、
私はこの時以来、人生信条として『野に咲く花のように』と掲げて、
年賀状などで明記し、たびたび公言したりしている。

そして年金生活を始めて数年の年賀状には、
身過ぎ世過ぎの年金生活ですので、
清く貧しく美しくが適度の目標です、などと付記したりしている。


私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
我が家は家内とたった2人だけの家庭であるので、
いずれは片割れとなり、おひとりさまの生活となる・・。

それまでの甘味のある私たち夫婦の残された時は、
こればかりは天上の神々の采配によることであるが、
私の心情としては、たんたんと咲く野花にゆだねることしかないだろう、
と改めて感じたりしたのである。


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定年迷子のような一部の諸兄にささげる、私の秘かな家内に対しての妙案を発露すれば・・。

2011-06-09 15:12:30 | 時事【団塊の世代】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身である。
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして、共通の趣味は、国内旅行なので、ときおり日本の各地を旅行したりしている。

私は大学を中退し、映画・文学青年の真似事をした後、
遅ればせながら25歳で民間会社に中途入社したので、
団塊世代の新卒の方たちと、数年は机を並べることが多かったので、
自然と友人のような関係が多かった。

ここ4年前の頃から、彼らも無事に定年退職を迎えた方もいたりし、
葉書で通知を受けたり、或いは懇親会などがあり、ときおり参加する時もある。

こうした時などで、退職後のまもなくして、
戸惑った日常生活を過ごされている方がいたりすると、
私はおしゃべりなタイプであるので、余計なお節介と知りながら、
年金生活で自身の自由な時間が欲しかったならば、
ともかく今までの現役時代と大きく変貌させた態度で、奥様に対処する必要がある、
とさりげなく笑いながら云ったりする時もある。


確か2007年1月下旬の頃、私は読売新聞の新刊本の広告を偶然に見て、
小川有里さんの著作の『定年オヤジのしつけ方』(講談社 定価1470円)の広告記事は、
定年直後の男性の一部の人達にとっては、この世で最も恐い本のひとつ、と確信を深めながら、
微苦笑したことがある。

《・・
ああ、うっとうしい! 毎日家にいる夫。

家庭内2007年問題を解決する痛快エッセイ!

「定年迷子」を
      かかえた妻たちよ。
           今立ち上がれ!


【定年オヤジの特徴!】

①テレビがお友達

②お昼は作ってくれるものと思っている

③毎日、ごろごろ居間にいる
・・》

このように綴られていて、私は著作者に関しては無知であるが、
定年後の迷子のような心が定まらない男性を正鵠に把握していると思い、
微笑んだり、苦笑したりしている。

私の少しばかり知っている定年後の先輩の中の一部の方がいた。
『定年退職後・・何をしていいか・・分からなんだょ・・』
その方の歓送会の帰路、私に云われた事があったりした。


私は現役のサラリーマン時代の50代の前半、業界はリストラ旋風となり、
私の勤めていた会社もリストラの第二波が行われ、
早期退職優遇制度と称され書類に捺印し退職された人達、
大幅に社内の人事異動で配置転換になった人達、
私のように出向になった人達・・

こうした激動期の時、私たち夫婦は人生設計を改めて話し合った・・。
60歳を過ぎてから、どのような生活をしたいのか、
これと同時に我家の資金のことも話し合った。

この結果、私は定年退職後、自分の趣味を生きがいとし、退職後は年金生活を過ごしている。


この本に明示されている「定年迷子」のような男性は、
何よりも、ご自分にふさわしい生きがいを見つけることに限る。


そして、何より長年に寝食を共にした愛妻に対して思いやり、
その上に、ともかく一日にひと言は必ず誉(ほ)める。

『今日・・一段と・・綺麗(きれい)だょ・・』

『えぇ! こうしたことも出来るんだ・・凄(すご)いね・・』

『今日の・・この料理・・特に美味しいよ・・』


或いは、家内がデパート、美容院、友達と会いに出かける時は、

『せっかくだから・・ゆっくり・・
昼食は(冷凍の)チャーハンかパンでも食べるから・・
たまにだから・・ゆっくりね・・』


そして帰宅した時、デパートで買物した場合、
『この服・・よく似合うょ・・』


美容院から戻った時、
『その髪型・・お似合いだょ・・』

ともかく私は、女性に対しては誉める。
古今東西の歴史に於いても、特に女性の一部には誉められて嫌だわ、と感じる人でも、
表面は照れながらも、心の中は嬉しいのが圧倒的に多いのである。

サラリーマンの諸兄の多くは、長年にわたり、
人間関係で揉(も)まれ、鍛(き)たい上げられたので、
簡単なことと私は思っている。


そして一日、一回は外出し、愛妻の自由な時間を作ることである。
現役時代の時は、多くの方たちは多忙な会社人間であって、
もとより日中の家庭では、妻のペースで長年過ごしてきている・・。
このペースを出来る限り、乱さないのが何よりの秘訣と思っている。

具体的には、愛妻は日常生活として洗濯、掃除、料理など最低限あるので、
その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信している。

私は血液B型を両親から譲り受けたお調子せいか、茶坊主に徹し、
朝は家内より早めに起き出して、家内用のコーヒーと牛乳をそれぞれのマグカップに淹れて、
家内の枕元に置いたりしている。
或いは日中のひととき、家内がコーヒーか煎茶を飲みたいようなことを察して、
さりげなく淹れている。

そして、日中は買物の担当を引き受け、独りで買物をしたりし、
その前後、独りで散策などをしている。

このようなささいなことを私はしたりした上、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりし、ときたま小庭を手入れをしたり、
退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。


尚、昨今でも買物をした後、ときおり、
『アナタァ・・この品・・いつものメーカーと違うわ・・ボケチンねぇ・・』
と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。

こうした時、
『ホントゥ・・これから気を付けるょ・・取り替えてこようか・・』
と私は明るく大きな声で、家内に詫びたりしている。


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黒澤明・映画監督の選定した世界の名作品、私は再読しながら共感を重ねて、微苦笑し・・。

2011-06-08 18:21:40 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
午後のひととき、映画棚から一冊の雑誌を取り出して、読んだりした。

映画監督の『黒澤明』の生誕100年を記念して、
河出書房新社の文藝別冊で、『黒澤明 生誕100年総特集』である。

http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309977300
☆河出書房新社『文藝別冊』 『黒澤明 生誕100年総特集』☆

この雑誌は、昨年の5月下旬から6月上旬に、
私たち夫婦の結婚して35年目となり、記念旅行と称して北東北を9泊10日で旅行した時、
活字に飢えた私は、旅の途中で、青森市の繁華街の新町のある本屋に立ち寄り、
買い求めた一冊であるので、正確には今回は再読となる。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に、
大学を中退して、映画青年のよう真似事をした時期あったので、
少なくとも邦画は3000作品、洋画は5000作品ぐらい、
大半は映画館で観たり、或いはビデオで自宅の居間で視聴したりしてきた。

そして映画雑誌の『キネマ旬報』とか映画批評・シナリオの単行本など買い求め、
愛読してきた拙(つたな)い身であるが、
昨今は数多い映画ファンのひとりとなっている。

たまたま今回の雑誌を改めて再読して、特に魅せられたのは、
ご令嬢の黒澤和子さんが編集された『黒澤明が選んだ百本の映画』である。

この記事の《はじめに》に明記されているとおり、
《一監督一作品》が前提であり、
黒澤明が選定したそれぞれの作品への思いなどのコメントが付記されていたので、
私なりに精読した。

そして、思わず共感したりて、微笑んだり、
或いはある監督への選定作品は、これ以外の作品が良いのに、と思ったりしている。

選定された作品は、もとよりサイレト時代の1919年から、トーキー時代を得て、
そして昨今の1997年に製作された作品まで、満天の星空のようにきらめく名画の数々である。
私としては無念ながら観ていない作品が10数作品があるが、
それなりに深く愛読し、特に共感させられた作品を列挙する。


☆『会議は躍る』 製作・1931年(ドイツ)

☆『綴方教室』 製作・1938年(日本)

☆『自転車泥棒』 製作・1948年(イタリア)

☆『道』 製作・1954年(イタリア)

☆『大人は判ってくれない』 製作・1954年(フランス)

☆『かくも長き不在』 製作・1960年(フランス)

☆『ジョニーは戦場に行った』 製作・1971年(アメリカ)

☆『ジャッカルの日』 製作・1973年(アメリカ)

☆『ゴッドファーザー PARTⅡ』 製作・1974年(アメリカ)

このような作品が黒澤明が選定した作品の思いと私が共感した作品である。

少なくとも百年間の歴史のある映画作品から、
その上に《一監督一作品》の前提規約もあり、黒澤監督にしても選定は困苦を極めただろう、
と思いながら微苦笑をさせられた。

こうした思いを作品と共に馳せたりすると、時がたちまち過ぎてしまう。

                        
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昨夜、『エディット・ピアフ ~愛の讃歌~』を観た後、私がシャンソンに魅了された頃を思いを馳せて・・。

2011-06-08 09:25:06 | 音 楽
昨夜、NHK BSプレミアムで10時より
放送された映画の『エディット・ピアフ ~愛の讃歌~ 』を視聴した。

私は見逃した映画であり、エディット・ピアフの伝記映画と知っていた程度であるが、
どのようにエディット・ピアフの生涯を切り取り表現するか、
と興味を持って、観賞したのである。

この映画は、監督・オリヴィエ・ダアン、製作・アラン・ゴールドマン、脚本・イザベル・ソベルマン、
そして主演のエディット・ピアフを演じた女優は、マリオン・コティヤールであり、
2007年2月に公開された作品、と解説されている。

伝記映画作品としての構成は好感したが、
やはりマリオン・コティヤールのピアフの16歳ぐらいから、47歳で亡くなるまで、
演じきった桁はずれの表現力である。
もとより選評に厳しいと定評のある第33回セザール賞主演女優賞、
そして栄誉ある第80回アカデミー賞主演女優賞を受賞したことに、
私は十二分に納得させられた。


この映画に感動した私は、深夜ぼんやりとエディット・ピアフに思いを馳せて、
やがて私が初めてシャンソンの底知れる魔力に魅了された頃を思いだしたりした・・。


私は東京オリンピツクが開催された1964年、に大学を中退し、
映画の脚本家になりたくて、大学を中退した。

ある養成所に入所して、やがて講師のひとりから、
ある月刊誌の記事の取材、下書きを分けて貰い、
ノンフェクション・ライター気取りで取材し、指定された原稿用紙に綴り、
講師に手渡し、幾ばくかの金銭を受けたりし、シナリオの習作にも励んでいた。

私は確固たる根拠もないが、独創性があるとうぬぼれていた私は、
先の見えないあてどもない日々を過ごし、アルバイト、契約社員で生活をしていた。

やがて、小説の習作していたが、幾たびか小説新人の応募で最終候補作に漏れ、
ある年のお彼岸の懇親の折、親戚の叔父さんから、
『30過ぎから・・家族を養えるの・・』
と結婚した時に家庭を築き妻子を養えるかと素朴に叱咤されると、
私は自身のつたない才能に自信を失くした。

そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
ある知人のご尽力もあり、この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、
中途入社できたのは、1970年の春であった。

この後、まもなくしてこの会社の一部が、外資系のレコード会社として独立し、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられて、
入社当時から、現場を学べ、と商品部門に配属されていたが、
翌年からは本社のコンピュータの専任者となり、恵まれた職場の一員となった・・。


夜、残業をしていた時、
夜の闇からつぶやくような神秘性のあるフランス語が聴こえてきた。

私は仕事の手を休め、煙草を喫いながら、聴き入った・・。

♪Il plent sur Nantes
  Donne-moi la main
  Le ciel de Nantes

私は洋楽販売促進課の誰かが掛けたのだろう・・、と感じた。

私はレコードプレイヤーに近ずくと、
レコードのジャケットがそばに置かれていた。

バルバラの『私自身のためのシャンソン』

とタイトルは綴られていた。


私はそれまでのシャンソンの知識としては、越路吹雪、岸洋子ぐらいは知っていた。
本場のシャンソンとしては、
ダミアの『暗い日曜日』は、私の先代の人たちが夢中になったり、
ジュリエット・グレコとか、やはりエディット・ピアフに尽きる、
とかはあくまで知識としての範囲であった。

このバルバラの『ナントに雨が降る』には、
私の屈折の多い青春と私の父親を小学2生に死去された想いが加味され、
瞬時に魅了されてたのである。
この歌は、父の死をしみじみバルバラ自身が綴り、唄ったものである。

この時のレコードから聴こえたのは、
もとよりフランスの原語であったが、何となく歌詞の概要は解り、
職場であったが、目頭が熱くなった・・。


そして、私はバルバラの魔力にとりつかれて、
アルバムを買い求めたりし、この当時12枚のアルバムから、盛んに聴いたりした。

この間、銀座の外れにシャンソンの殿堂として名高い『銀巴里』に通ったりし、
日本のそれぞれシャンソン歌手が唄われるのを、聴き惚れたりした。

そして、この行き帰りに、ヤマハの銀座店に寄ったりして、
数多くのシャンソンを唄われる方たちのレコードを購入したり、
数年過ぎると、私の自宅のレコード棚は、シャンソンのアルバムだけでも、
少なくとも百枚は超えていた。

やがて、バルバラ自身が、『黒いワシ』の異色作品を携え、日本に来日した。
日生ホールで公演され、私は駆けつれて、観たのである。

いずれにしても、このバルバラの『ナントに雨が降る』が
シャンソンに傾倒する10年の始まりだった・・。


このようなことを、深夜ぼんやりと思ったりしたのである。


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汗だらけ泥だらけの体力テスト、高齢者2年生の私は挑戦して、あえなく敗退し・・。

2011-06-07 17:42:53 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
一昨日の5日に続いて、庭の手入れを朝の9時過ぎに始めた・・。

過日の5日は玄関庭だけ庭の手入れを何とか済ませ、
残りの本命の主庭の手入れをしたのである・・。

樹木の剪定を早々と済ませて、難問の草むしりをしたのであるが、
ドクダミの草が地面にへばりつくように繁っているので、労苦を要する。
或いは樹木のある地面も草が生えているので、
樹の下にもぐるように、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。

淡き陽射しの25度前後の中、孤軍奮闘していると、
汗まみれとなり、一時間ぐらい過ぎると、テラスの片隅みにある簡易椅子に腰かけて、
5分ばかり休憩する。

そして、さめた煎茶を飲み、煙草を喫ったりし、
庭の草むしりの終えた場所を見つめたりし、残りはまだまだあり、
と実感させられながら、昼食抜きで奮戦した。

アメリカン芙蓉(フヨウ)、ハンゲショウ、秋海棠(シュウカイドウし)等は、
群生させているが、大きめは手入れ前から見たりしていたが、
草むしりを丁寧に根気よくすると、今年から一年生よ、といった可愛らしい姿が現すのである。

このようなことを繰り返して、体力テストのようなことをしていると、
疲れ果てて限界、と思ったら、午後3時であった。

この後、私は簡易椅子に座り、庭を眺めると、
草むしりの成果は、4時間を要して7割ぐらいか、
と体力の衰えた高齢者2年生の私は苦笑した。

そして、残り3割は、年金生活の私でも少し予定もあるので、
来週のなかば頃にしょうかしら、
と完了させようと挑戦し、あえなく敗退した私は微苦笑したりした。


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私たち夫婦は年金生活の身であり、改めて『ゴールデン・イヤーズ』の格言を享受しながら過ごし・・。

2011-06-06 21:35:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
私たち夫婦は子どもに恵まれなかったので、たった2人だけの家庭で、
古惚けた一軒屋に住んでいる。

夕暮れに、門扉の近くにある郵便受け入れ箱に、
日本年金機構から2通の折込封書のある葉書が郵送され、何かしらと思いながら、私は開いた。

左側には、『国民年金・厚生年金保険 年金額改定通知書』と題され、
平成23年4月分からの年金額が改定された明細書であった。

右側には、、『年金振込通知書』であり、
毎回振込みの2か月分の『年金支払額』などが明記されていた。

この後、私はあるファイルを取り出して、前年の『年金振込通知書』を見て、
昨年の新聞のニュースで知った通り、
やはり支給額はわずかに減った、と苦笑したりした。

あとの一通は家内の分であり、私より5歳齢下の家内も年金受給者で、
我が家は夫婦共々年金の身となり、2人で一人前の気持ちで過ごしている。


私は東京オリンピツクが開催された1964年に大学を中退し、
アルバイト、或いは契約社員をしたりして映画・文学青年の真似事をした。

ある年、親戚の叔父さんから、
今は良いが、30歳を過ぎた時、妻子を養って家庭を持てるの、
と私は諭(さと)されて、
確固たる根拠もなく独創性があると自信ばかり強い私は、あえなく挫折した。

そして、やむなくサラリーマンに転職しょうと、軌道修正をした。
コンピュータの専門学校に一年ばかり学び、これを梃子(てこ)にした上、
ある知人のご尽力もあり、この当時は大企業のある音響・映像メーカーに、
中途入社できたのは、1970年の春であった。

この後、まもなくしてこの会社の一部が、外資系のレコード会社として独立し、
私もこの新たに創業された外資系のレコード会社転籍させられて、
本社に30年ばかり務めた後、音楽業界のリストラ旋風の中、私も出向を5年ばかり体験して、
定年退職となったのは2004年の晩秋であった。


このように私は、大学を卒業して、大企業で邁進されたサラリーマンのエリートの方たちとは、
遥かに遠いつたない身なので、年収はもとより退職金も程ほどに少なく、
せめてその時代に流行(はや)った名曲と共に、時代を深く共有できたのが、
心の宝物のひとつかしら、と微苦笑している。


定年退職後、私は念願の年金生活を始めて、
日常は買物、散策などの時、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このブログのサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっている。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしているので、一日が終るのが早い、と溜息をついたりすることが多い。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしている。


我が家は年金生活なので、原則として年金支給額で平素の生活を過ごし、
国内旅行、冠婚葬祭、そして耐久品などの購入は、
程ほどの貯金を取り崩して過ごしているので、ごくありふれた年金の家庭であると思ったりしている。

年金生活を始めて、私たち夫婦は幾たびか国内旅行に行ったりしたが、
知床半島を観光船で早朝クルーズで岬で日の出を迎える団体周遊プランに魅せられて、
私たち夫婦は久々に団体周遊プランに参加した・・。

道央、道東の知床を周遊し、3日目の昼下り、
阿寒湖の湖畔で1時間ばかり休憩した時であった。

私たち夫婦は団体周遊旅行で、私たちと同様にご夫婦の方も多くいるので、
私たち夫婦は40代の頃から、好感したご夫婦と旅行中で話し合ったりするタイプである。

この時も年配のご主人と湖畔の喫煙場で、
私は話し合っていた・・。

『僕は70を過ぎているが・・あなたは60過ぎた頃でしょう?
僕も60代の頃は、家内と海外旅行など・・盛んに行ってたの・・
自分達が好きなことが一番できる時期なの・・
あなたたちのご夫婦を見ていたら・・思い出されたのよ・・』
と年配のご主人は私に微笑みながら私に云った。

『あの頃は、体力は少しは衰えは感じていたが・・何より気力はあった・・
あなた・・知っているでしょう・・
ゴールデン・イヤーズということ・・この人生で一番充実していた時だった・・』
と年配のご主人は言葉を重ねられた・・。

私は改めて、このご主人から、
60代は人生の黄金期と学んだのである。


このようなことを私は思い馳せながら、
私たち夫婦は、お互いに歯の治療ぐらいで、入院する程の大病にすることなく、
7年目の年金生活を過ごしている。

ときおり家内は、
『働くなくても・・こうして生活を過ごせるのだから・・』
と微笑みながら、私に云ったりしている。


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魅了された映画の作品、自宅で鑑賞する時は、季節で私は変貌し・・。

2011-06-06 01:19:00 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
若き時期のひととき映画青年の真似事をしたこともあったので、
定年退職後は読書に続いて好きであり、自宅の居間で映画を観たりする。

これまでの映画に関して、きわだって感銘を受けた作品については、
【 満天の星空を眺めるように、数多くの映画、つたない私が圧倒的に感銘を受けた作品は・・。】
と題して、このサイトに一昨日の4日に投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/0d840eb386cf84e4620d738cdbcb774d
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
    6月4日《 満天の星空を眺めるように、数多くの映画、つたない私が圧倒的に感銘を受けた作品は・・。》☆

この概要は、映画専門誌の『キネマ旬報』が、歴代の邦画、洋画別のベストテンを公表された時、
私は喚起されて、つたない鑑賞歴であるが、私の歴代の邦画、洋画別のベストテンを選定した内容である。


こうした圧倒的に感銘を受けた作品とは別に、
私は魅了された作品は、何回でも観るタイプである。

ほぼ10年ごとに観る作品としては、
邦画の場合は、『二十四の瞳』、『東京物語』、『浮雲』、『雨月物語』等である。
洋画に関しては、『街の灯』、『市民ケーン』、『第三の男』、『逢びき』、『ライムライト』、
『ジョニーは戦場に行った』等である。

或いは最初の一ヶ月に於いて、少なくとも10回以上熱中して観る映画もある。
邦画の『七人の侍』、『用心棒』、『駅~STATION~』、
洋画の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』、『ディア・ハンター』、
『ゴットファーザ Ⅱ』、『アンタッチャブル』、『許されざる者』(’93)などが鮮明に記憶に残っている。


私は定年退職の2004年の5年前頃に、退職後にその時に観たい映画として、
邦・洋画別にそれぞれ100作品前後の名作があればよいと考えていたが、
瞬(またた)く間に増えだした・・。
やむなく、250本収納できるビデオ・ラックを2本買い求め万全とした。

しかし、時代はビデオ・テープからDVDに移行期の上、
私はソフト販売店からの盛んに購入したり、或いはWOWOW、NHKのBS2からのコピーが増えて、
天上までとどく、幅広い大きなラックを買い増まし、結果として3本の映画作品棚となっている。

そして今日は、邦画、洋画、映画以外のドキュメンタリーの3つの区分で、
ビデオ・テープ、DVDが1000作品ぐらい並んでいる。


私はその時に観たい映画作品をラックの前で選定したりするが、
何故かしら、やはり季節に応じて観てしまうのである。

冬の季節の時などは、『アラビアのロレンス』、『プラトーン』、
『イングリッシュ・ペイシェント』等の砂漠、荒野、ジャングルの背景が多くなるのである。

そして夏の時節は、『ドクトル・ジバコ』、『カサブランカ』、『かくも長き不在』等の
寒冷地、静寂な戦争を背景にした選定が多くなるのである。

不思議なことであるが、猛暑の夏の時、『アラビアのロレンス』の砂漠、
『戦場にかける橋』の熱帯林の背景があるので、
暑くて落ち着かないのである。

かといって、居間を寒いぐらいに冷房を冷やして、
鑑賞するのは映画の内容からして、おかしな事と思ったりしている。
まして昨今、節電ブームとなっているので、このような行為は、
非国民として、石を投げつけられても致しがたい、と思ったりしている。


私はこのように季節に対応して鑑賞しているが、
1950年代、1960年代の公開された作品が圧倒的に多く、
ときおり私は、どうしてかしらと微苦笑したりしている。

そしてここ数年、ハイビジョン映像をHD画質のままで記録できるブルーレイに戸惑い、
身過ぎ世過ぎの年金生活なので、困ったなぁ、と苦笑していた。

過日の3日、『地上デジタル放送』の7月24日の実施日に対応して、
遅ればせながら、我が家でも3D機能のあるテレビの50型、
そしてブルーレイディスク・DVDレコーダーを設置した上、
従来から愛用していたビデオテープも再生専用として、接続した。

しかしながら、恥ずかしいことを告白すれば、
肝要のブルーレイの再生できるソフトの作品は、私は一本も保有していないので、
映画の棚を見ながら苦笑している。


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庭の手入れをすれば、毎年の慣(なら)わしとはいえ、確かに初夏に向かう季節を教示してくれる・・。

2011-06-05 18:28:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
10時半過ぎに、玄関庭に下り立った。

夏のストレッチパンズの長ズボン、着古したワイシャツ、ウォーキング・シューズ、夏の帽子、
軍手をして、いつものように剪定鋏(ハサミ)を腰の周りにした。
庭の手入れをする時、いつもの容姿である。

そして剪定用の鋸(のこぎり)、高枝伐り鋏(きりばさみ)も用意し、
玄関庭の樹木の枝伐(き)りを始めた・・。

我家は原則として、庭の手入れは私の責務の範疇であり、
ときおり草取りをしているが、落葉樹が圧倒的に多いので、樹木の剪定(せんてい)は、
春、入梅の合間、初秋、晩秋、年末の近く、樹木の剪定(せんてい)を行っている。

そして年に数回ぐらい家内の支援があるが、
家内は陽焼け、そして夏の時節は蚊(か)が発生するので苦手となり、
年末の近くは年末年始の準備に忙しく、対象外となっているのが実情である。


この梅雨の時節になると、陽射しも強いので、家内は室内で料理などをして、
私は孤軍奮闘して、剪定用の鋸(のこぎり)を持ちながら、樹木に登ったり、
適度な台に乗り、枝葉を切り落としたりした。

そして伐り落とした枝葉を整理した後、草むしりを始めるが、
樹の下の周囲などは、はいつくばって草を取ったりすると、泥だらけになる。
夏の時節になると汗も加わるが、今の時節は薄っすらと汗をかく程度であるので、
少しは楽である。

この草むしりは、労苦を要するが、手入れの後の清々しく、
成果が明確になるので、なるべく丁重にしている。

こうした時、草花の秋海棠(シュカイドウ)のまたたくまに成長している状況、
澄んだ青色の花を咲かせる露草(ツユクサ)が今年も育ち始めている情景を見たり、
毎年の慣(なら)わしとはいえ、確かに初夏に向かう季節を教示してくれるので、
私は微笑みながら、周辺を丁寧に草取りをしたりした。

そして昼食抜きで奮闘し、何とか玄関庭だけは手入れ完了し、
疲れ果てたので、主庭の手入れは来週にしょうと、
心に言い聞かせたのは午後3時過ぎであった。

この後、風呂に入った後、
玄関庭の軒下に下り立ち、少しばかり小奇麗になった小庭を眺め、
けだるく疲れた私は、果たして庭の手入れはいつまでできるのかしら、
と思ったりした。
そして70歳までは、私はあと3年少々か、と微苦笑したりした。


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この時節、ときには庭の手入れに日中のひとときに・・。

2011-06-05 10:17:02 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨日に続き、梅雨の合い間の快晴を迎えて、ぼんやりとしていた。

それぞれの樹木の枝葉も伸び、草も生い茂ってきているので、
少しばかり庭の手入れをしょう、と思い立った。

日中は27度前後であるが、夕方に所により雷雨が予測されているので、
庭の手入れの後は雨で清めてくれる、と秘かに微笑んでいる。

体力の衰えた私は、樹木の剪定、草むしりに専念し、
労苦の果てに、小奇麗になる成果が楽しみで、
ときおり私は汗まみれ、泥まみれになりながら、
この時節に手入れをするのが毎年の慣(なら)わしとなっている。


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MISIA(ミーシャ)の『Everything』、昼過ぎの買物の時、思わず心の中で唄い・・。

2011-06-04 22:37:25 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
定年退職後、自主的に日常の買物の専任となった私は、
昼過ぎに駅前のスーパーに向かい、歩き出した・・。

梅雨の合い間の快晴となり、雲ひとつない青空であったが、
少し暑く感じたりしたが、大きな樹木の木陰の歩道を歩けば、
ときおり微風が吹き、心身快適である。

それぞれの樹木の枝葉は自在に伸ばし、たわわな葉は色合いを深める中、
私は緑陰(りょくいん)に心身ゆだねて歩いていていると、
脳裏からひとつの歌が舞い降りて、心の中で唄いだした・・。

♪すれ違う時の中で あなたにめぐり逢えた
 不思議ね願った奇跡が こんなにも側にあるなんて

【 『Everything』 作詞・MISIA、作曲・松本俊明、編曲・冨田恵一、唄・MISIA 】

このような歌を心の中で、唄っていた・・。

そして、駅前の大きなスーパの建物が観えた時、
誰の歌だったかしら、と思い浮かべ、
MISIA(ミーシャ)だ、
と気付いたりしていた。

私は齢ばかりを重ねた年金生活の7年生であるが、
ときおり何気なしに、心の中で唄うことが多い。

私は現役時代のサラリーマンの時は、たまたま音楽業界のある会社に勤めていた。
そして定年退職の5年前の前後にリストラ旋風となり、
私もあえなく出向となり、業界の関連会社に勤めたりした。

確かこのMISIA(ミーシャ)の『Everything』の歌は、
出向2年目の2000年の晩秋に、街に盛んに流れていた・・。


私は都心の本社に30年勤めた後、出向の初めの頃は、
私はそれなりの失墜感を感じ、まさに都落ちの心情であったが、まもなく順応し、
私なりに職場で奮闘していた頃の思いで歌のひとつとなっている。

過ぎ去った現役時代の35年の波乱に満ちた苦楽の日々を思い浮べたりしながら、
数多くの人との出逢い、別れがあったが、私の確かな心の財産となっている。

卒業して7年目になった今、愛惜に満ち、限りなく愛(いと)おしい日々だったと、
安堵しながら、振り返えられる自身に微苦笑したりしている。


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満天の星空を眺めるように、数多くの映画、つたない私が圧倒的に感銘を受けた作品は・・。

2011-06-04 10:21:38 | 映画・テレビ
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
一昨日の2日、このサイトに於いて、
【 それぞれの映画の作品は、つたない私には人生の教科書のひとつである・・。】
と題して投稿した。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/90a9f5e7803fd087b599f556d63d0671
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
    6月2日《 それぞれの映画の作品は、つたない私には人生の教科書のひとつである・・。》☆

そして、昨日に遅ればせながら、やむなく『地デジ』に対応させ、
私なりに魅了された3D機能のあるテレビの50型、
そしてブルーレイディスク・DVDレコーダーが配達され、即急に設置した。
そして、従来から愛用していたビデオテープも再生専用として、接続した。

その後、機能の学習を少しばかり学んだりした後、
映画専用棚を見たりした。
この映画専用棚の3本あり、殆ど映画作品であり、ドキュメンタリー作品もあり、
VCT、DVDで1000本前後あり、ときおり選定し、居間で観賞している。

そして新たなるテレビを目の前にした私は、
最初はどの作品から観賞しょうか、とぼんやりと思ったりした。

そして、この中のひとつの専用棚を開けると、
中段に一冊のファイルがあり、私は開きながら、
ワードで記した2枚の用紙を長らく見つめて、微苦笑した・・。


最初の用紙には、
【 私なりの歴代の洋画のベストテンは・・。 】
と題している。


映画専門雑誌の『キネマ旬報』による映画人が選んだオールタイム・ベスト100の外国映画編に対応し、
私なりに選定した。

『キネマ旬報』のベストテン《参考》1999年10上旬特別号

①『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)

②『2001年宇宙の旅』スタンリー・キューブリック 監督(1968年)

③『ローマの休日』ウィリアム・ワイラー監督 (1953年)

④『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)

⑤『風と共に去りぬ』ヴィクター・フレミング監督(1939年)

⑥『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)

⑦『駅馬車』ジョン・フォード監督(1939年)

⑦『禁じられた遊び』ルネ・クレマン監督(1952年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑦『道』フェデリコ・フェリーニ監督(1954年)

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』セルジオ・レオーネ監督(1984年)

②『ディア・ハンター』マイケル・チミノ監督(1979年)

③『イングリュシュ・ペイシェント』アンソニー・ミンゲラ監督(1979年)

④『ピアノ・レッスン』ジェーン・カンピオン監督(1993年)

⑤『かくも長き不在』アンリ・コルピ監督(1961年)

⑥『街の灯』チャールズ・チャップリン監督(1931年)

⑦『ゴットファーザー(三部作)』フランシス・F・コツポラ監督(1972・1974・1990年)

⑧『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督(1948年)

⑨『ジョニーは戦場へ行った』ドルトン・トランボ監督(1973年)

⑩『逢びき』 デイヴィッド・リーン監督(1945年)

数多(あまた)の感動をもたらしてくれた作品の中より選定するのが、酷な作業でした・・。

『時』が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

尚、選定の際に於いて、
『第三の男』キャロル・リード監督 (1949年)、
『市民ケーン』オーソン・ウェルズ監督(1941年)、
『アラビアのロレンス』 デイヴィッド・リーン監督(1962年)、
『許されざる』クリント・イーストウッド監督(1992年)
『カサブランカ』マイケル・カーチス監督(1943年)等は最後まで検討した作品です。

《1999年9月29日、私の日記より》

小説、映画、音楽などの選定の結果、その人の性格、人格、思想までを表わす、
と改めて思った次第です。

このように投稿しているが、ここ10年の公開された作品は殆ど観賞しておらず、
1999年9月29日に書き込んだ上記のベストテンの改定はなく、
その人の情念、深淵まで描いた作品が好みかしら、と私は微苦笑している。

尚、私が中学を卒業する1960(昭和35)年の3月までには、
『大いなる西部』ウィリアム・ワイラー監督 (1958年)に感動しながらも、
ジーン・シモンズに魅了され、こうした女(ひと)と結婚できたら
と夢を見た純粋無垢な少年であったことを付記しておく。

このように記載されていた。


もうひとつの用紙には、
【 私なりの歴代の邦画のベストテンは・・。 】
と題した内容であった。

前回の洋画と同様に選定した。

『キネマ旬報』ベストテン《参考》1999年10月下旬特別号

①『七人の侍』

②『浮雲』

③『飢餓海峡』

③『東京物語』

⑤『幕末太陽傳』

⑤『羅生門』

⑦『赤い殺意』

⑧『仁義なき戦い』シリーズ

⑧『二十四の瞳』木下恵介

⑩『雨月物語』

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

私の選定は、

①『駅 STATION』

②『用心棒』

③『人間の條件(全六部作)』

④『東京物語』

⑤『七人の侍』

⑥『浮雲』

⑦『雨月物語』

⑧『飢餓海峡』

⑨『切腹』

⑩『砂の器』


洋画と同様に、【時】が人生にもたらす影響をヒントに選定しましたが、
上記のいずれがベストワンになっても良い作品です。

《2003年8月16日、私の日記より》


こうした選定作業の時、その人の人生を歩いてきた思考の全てが反映する、
と改めて感じたのである。


この2枚の私が綴った内容を見ながら、
満天の星空のようにきらめく名画の数々の作品・・どの作品から鑑賞しょうかしら、
と迷ったりしているのである・


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