私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
年金生活をしてから、殆ど日の出前に起床している。
今朝も起床してから、居間の片隅にある『日めくり』の格言を心の中で呟いたりした。
花には人間のような
かけひきがないからいい
ただ咲いて
ただ散って
ゆくからいい
ただになれない
人間のわたし
みつを
たまたま本日の5日は、このような格言が明示されて折、
特有の魅了される書体で書かれ、私はもう1度読んだりした。
この『日めくり』の格言は、書家・詩人の相田みつを氏の遺(のこ)された作品のひとつで、
私の心は、どの宗教より遙かに深く敬愛しているので、
私はともすれば、何かとだらけた日常生活の戒(いかし)めとして、読んでいるのである。
こりような意味合いを含めて、この『日めくり』の格言は、居間のビデオ・ケースに上に置き、
奉(たてま)っているのである。
そして、この横にひとつの可愛らしい旗が立っている。
『毘』と明示された戦国時代の戦旗のひとつである。
そして、私は齢ばかり重ねた67歳の体力の衰えた身であるが、
ときおり微笑みながら、見つめたりする時がある。
過ぎし2009年の頃、確かNHKの大河ドラマで『天地人』という時代劇が、
日曜日の夜に放映されたことがある。
この時に、NHKは番組の概要として、
《・・
上杉謙信を師と仰ぎ、
兜に「愛」の文字を掲げた兼続は、
その波乱の生涯を通じて、民・義・故郷への愛を貫きました。
「利」を求める戦国時代において、
「愛」を信じた兼続の生き様は、
弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。
大河ドラマは、失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します!
・・》
このように明記されていたと記憶しているが、
我家の戦旗は、まぎれなく上杉謙信公が愛用していたのとほぼ同じであり、
この放送の半年前から、我が家では掲げていたので微苦笑したのである。
この我家の可愛らしい戦旗については、
2008年の夏に、たまたま私たち夫婦は家内の母を誘い、3泊4日で佐渡島を訪れ、
この往路で、直江津港のフェリーに乗船する前、
上越市の外れにある『上杉戦国物語展』の会場に立ち寄った。
私は戦国時代の名将のひとり上杉謙信には、
余り知らないが、展示品を早めに観た後、
会場の外側にある喫煙場で煙草を喫ったりしていた。
会場の門前の周辺にし、上杉謙信の戦旗を模した軍旗が数多く、
風を受けてはためいていた・・。
家内たちは、展示会場にいるらしく、
私は売店の近くの椅子に座って、待機していた。
売店の背面に、戦旗が、
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
或いは白生地で朱色で鮮やかに『毘』と書かれた旗もあった。
いずれも白いプラスチックの旗軸は180センチの高さであり、
旗本体は120センチの長さ、横幅は30センチ前後である。
私は家内たちを待っている暇があったので、
売店の50代の男性に、
『立派な戦旗ですね・・』
と私は声をかけた。
『お誉め頂き・・有難う御座います・・よろしかったら、1500円で・・』
と男性は、私に微笑みながら言った。
『私は・・新潟の上越出身であったら・・
2本買い求め・・自宅の門扉に差して置きますが・・
残念ながら、東京の田舎者でして・・』
と私も微笑みながら、男性に言った。
『私の場合は・・部屋の暖簾(のれん)にしていますよ・・』
と男性は私に言った。
『地元のお方でしたら・・それも素敵ですね・・』
と私は男性に言った。
この後、売店のショー・ケースの上に、
旗軸は30センチの高さの可愛らしい小旗が3本ばかりあったのに、
気付いたのである。
『この小旗だったら・・部屋でも飾れそう・・』
と私は言いながら、たった1本を買い求めたのである。
帰宅後、パソコンの置いてある机の隅に、この小旗を立てかけたのである。
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
エアコンの微風を受けて、小さいながら一人前に揺れながら、
はためいているのである。
たった650円の品であるが、
時折こうした戯(たわむ)れを私はするのが、悪い癖のひとつである。
そして、『毘』の由来は上杉謙信公が信愛していた毘沙門天から命字された、
と学びながら見たりしていた。
この後は、この可愛らしい戦旗は、パソコンの横から移動させてビデオケースの上に置き、
私は体力の衰えた身であるが、少なくとも感性と気力だけは青年のように、と思いながら、
日々励まされているのである。
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年金生活をしてから、殆ど日の出前に起床している。
今朝も起床してから、居間の片隅にある『日めくり』の格言を心の中で呟いたりした。
花には人間のような
かけひきがないからいい
ただ咲いて
ただ散って
ゆくからいい
ただになれない
人間のわたし
みつを
たまたま本日の5日は、このような格言が明示されて折、
特有の魅了される書体で書かれ、私はもう1度読んだりした。
この『日めくり』の格言は、書家・詩人の相田みつを氏の遺(のこ)された作品のひとつで、
私の心は、どの宗教より遙かに深く敬愛しているので、
私はともすれば、何かとだらけた日常生活の戒(いかし)めとして、読んでいるのである。
こりような意味合いを含めて、この『日めくり』の格言は、居間のビデオ・ケースに上に置き、
奉(たてま)っているのである。
そして、この横にひとつの可愛らしい旗が立っている。
『毘』と明示された戦国時代の戦旗のひとつである。
そして、私は齢ばかり重ねた67歳の体力の衰えた身であるが、
ときおり微笑みながら、見つめたりする時がある。
過ぎし2009年の頃、確かNHKの大河ドラマで『天地人』という時代劇が、
日曜日の夜に放映されたことがある。
この時に、NHKは番組の概要として、
《・・
上杉謙信を師と仰ぎ、
兜に「愛」の文字を掲げた兼続は、
その波乱の生涯を通じて、民・義・故郷への愛を貫きました。
「利」を求める戦国時代において、
「愛」を信じた兼続の生き様は、
弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。
大河ドラマは、失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します!
・・》
このように明記されていたと記憶しているが、
我家の戦旗は、まぎれなく上杉謙信公が愛用していたのとほぼ同じであり、
この放送の半年前から、我が家では掲げていたので微苦笑したのである。
この我家の可愛らしい戦旗については、
2008年の夏に、たまたま私たち夫婦は家内の母を誘い、3泊4日で佐渡島を訪れ、
この往路で、直江津港のフェリーに乗船する前、
上越市の外れにある『上杉戦国物語展』の会場に立ち寄った。
私は戦国時代の名将のひとり上杉謙信には、
余り知らないが、展示品を早めに観た後、
会場の外側にある喫煙場で煙草を喫ったりしていた。
会場の門前の周辺にし、上杉謙信の戦旗を模した軍旗が数多く、
風を受けてはためいていた・・。
家内たちは、展示会場にいるらしく、
私は売店の近くの椅子に座って、待機していた。
売店の背面に、戦旗が、
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
或いは白生地で朱色で鮮やかに『毘』と書かれた旗もあった。
いずれも白いプラスチックの旗軸は180センチの高さであり、
旗本体は120センチの長さ、横幅は30センチ前後である。
私は家内たちを待っている暇があったので、
売店の50代の男性に、
『立派な戦旗ですね・・』
と私は声をかけた。
『お誉め頂き・・有難う御座います・・よろしかったら、1500円で・・』
と男性は、私に微笑みながら言った。
『私は・・新潟の上越出身であったら・・
2本買い求め・・自宅の門扉に差して置きますが・・
残念ながら、東京の田舎者でして・・』
と私も微笑みながら、男性に言った。
『私の場合は・・部屋の暖簾(のれん)にしていますよ・・』
と男性は私に言った。
『地元のお方でしたら・・それも素敵ですね・・』
と私は男性に言った。
この後、売店のショー・ケースの上に、
旗軸は30センチの高さの可愛らしい小旗が3本ばかりあったのに、
気付いたのである。
『この小旗だったら・・部屋でも飾れそう・・』
と私は言いながら、たった1本を買い求めたのである。
帰宅後、パソコンの置いてある机の隅に、この小旗を立てかけたのである。
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
エアコンの微風を受けて、小さいながら一人前に揺れながら、
はためいているのである。
たった650円の品であるが、
時折こうした戯(たわむ)れを私はするのが、悪い癖のひとつである。
そして、『毘』の由来は上杉謙信公が信愛していた毘沙門天から命字された、
と学びながら見たりしていた。
この後は、この可愛らしい戦旗は、パソコンの横から移動させてビデオケースの上に置き、
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