夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我家の戦旗に、体力の衰えた高齢者3年生の私は、何かと励(はげ)まされ・・。

2012-01-05 18:10:11 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であるが、
年金生活をしてから、殆ど日の出前に起床している。
今朝も起床してから、居間の片隅にある『日めくり』の格言を心の中で呟いたりした。

  花には人間のような
  かけひきがないからいい

  ただ咲いて
  ただ散って
  ゆくからいい

    ただになれない
    人間のわたし

           みつを

たまたま本日の5日は、このような格言が明示されて折、
特有の魅了される書体で書かれ、私はもう1度読んだりした。

この『日めくり』の格言は、書家・詩人の相田みつを氏の遺(のこ)された作品のひとつで、
私の心は、どの宗教より遙かに深く敬愛しているので、
私はともすれば、何かとだらけた日常生活の戒(いかし)めとして、読んでいるのである。

こりような意味合いを含めて、この『日めくり』の格言は、居間のビデオ・ケースに上に置き、
奉(たてま)っているのである。
そして、この横にひとつの可愛らしい旗が立っている。

『毘』と明示された戦国時代の戦旗のひとつである。

そして、私は齢ばかり重ねた67歳の体力の衰えた身であるが、
ときおり微笑みながら、見つめたりする時がある。


過ぎし2009年の頃、確かNHKの大河ドラマで『天地人』という時代劇が、
日曜日の夜に放映されたことがある。

この時に、NHKは番組の概要として、
《・・
上杉謙信を師と仰ぎ、
兜に「愛」の文字を掲げた兼続は、
その波乱の生涯を通じて、民・義・故郷への愛を貫きました。

「利」を求める戦国時代において、
「愛」を信じた兼続の生き様は、
弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。

大河ドラマは、失われつつある「日本人の義と愛」を描き出します!
・・》
このように明記されていたと記憶しているが、
我家の戦旗は、まぎれなく上杉謙信公が愛用していたのとほぼ同じであり、
この放送の半年前から、我が家では掲げていたので微苦笑したのである。


この我家の可愛らしい戦旗については、
2008年の夏に、たまたま私たち夫婦は家内の母を誘い、3泊4日で佐渡島を訪れ、
この往路で、直江津港のフェリーに乗船する前、
上越市の外れにある『上杉戦国物語展』の会場に立ち寄った。

私は戦国時代の名将のひとり上杉謙信には、
余り知らないが、展示品を早めに観た後、
会場の外側にある喫煙場で煙草を喫ったりしていた。

会場の門前の周辺にし、上杉謙信の戦旗を模した軍旗が数多く、
風を受けてはためいていた・・。

家内たちは、展示会場にいるらしく、
私は売店の近くの椅子に座って、待機していた。

売店の背面に、戦旗が、
紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
或いは白生地で朱色で鮮やかに『毘』と書かれた旗もあった。

いずれも白いプラスチックの旗軸は180センチの高さであり、
旗本体は120センチの長さ、横幅は30センチ前後である。

私は家内たちを待っている暇があったので、
売店の50代の男性に、
『立派な戦旗ですね・・』
と私は声をかけた。

『お誉め頂き・・有難う御座います・・よろしかったら、1500円で・・』
と男性は、私に微笑みながら言った。

『私は・・新潟の上越出身であったら・・
2本買い求め・・自宅の門扉に差して置きますが・・
残念ながら、東京の田舎者でして・・』
と私も微笑みながら、男性に言った。

『私の場合は・・部屋の暖簾(のれん)にしていますよ・・』
と男性は私に言った。

『地元のお方でしたら・・それも素敵ですね・・』
と私は男性に言った。

この後、売店のショー・ケースの上に、
旗軸は30センチの高さの可愛らしい小旗が3本ばかりあったのに、
気付いたのである。

『この小旗だったら・・部屋でも飾れそう・・』
と私は言いながら、たった1本を買い求めたのである。

帰宅後、パソコンの置いてある机の隅に、この小旗を立てかけたのである。

紺色に染められた生地に白く『毘』と明字され、
エアコンの微風を受けて、小さいながら一人前に揺れながら、
はためいているのである。

たった650円の品であるが、
時折こうした戯(たわむ)れを私はするのが、悪い癖のひとつである。

そして、『毘』の由来は上杉謙信公が信愛していた毘沙門天から命字された、
と学びながら見たりしていた。

この後は、この可愛らしい戦旗は、パソコンの横から移動させてビデオケースの上に置き、
私は体力の衰えた身であるが、少なくとも感性と気力だけは青年のように、と思いながら、
日々励まされているのである。


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せめて夢の中でお逢いしたいですねぇ、と齢ばかり重ねた私は秘かに想い・・。

2012-01-04 18:44:13 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の齢ばかり重ねた67歳の身であり、
夜の眠っている時に夢をみることが多い。

ときには昨日の続きの連続ドラマのようなことがあれば、
或いは映画の三本立てのようにみることがあり、
そして、総天然色(カラー)の時もあれば、白黒(モノクロ)だったりし、
目覚めた朝、ぼんやりと微苦笑することもある・・。

私は小学生の後半期、独りで地元の映画館に行ったりしていたが、
三本立ての作品を上映したのを数多く観たりしていたので、
この習性の余韻かしら、と思ったりしている。


サラリーマン現役時代だった頃の夢みる時は、どうしてなのか、業務の成功例より、
遥かに失敗したことを多く、目覚めた時に苦笑したりしている。
たとえば、上司、同僚、後輩がいる中、突然に中学時代の悪友が出てきたり、
どうしてお前がいるの、
と戸惑ったりする。
ときには秘かに思い続けた小学校時代の初恋の同級生に見つめられたりし、
貴女はどうしているの、
とありえない時代の落差に戸惑ったりし、冷や汗をかくこともある。

或いは幼年期は私は農家の児であったので、
田畑、雑木林など景観を観たり、湧き水、竹林の筍(タケノコ)、野菜の収穫時などの情景をみることが多い。

夢はもとより貧富に関係なく、その人なりの日頃の思い、言動の余韻、
そして感性の賜物〈たまもの〉と私は確信している。


私の理想的な夢のひとときは、恥ずかしながら告白すれば、
齢を重ねた今でも、女性への煩悩を捨てきれないつたない身として、
秘かに思いながら、眠りにつくこともある・・。

街中、駅前などで、たまたまワンピース、ツーピースが似合う50、60代の人を見かけ、
たまたま謙虚な会話が聴こえたり、魅了されるしぐさを感じた時、
或いは紬(つむぎ)が似合い、臈長(ろうた)けた人を見かけた時、
ときにはブログの世界で、60代前後の女性で、魅了される投稿文を拝読した時、
どのような顔立ち、しぐさ、言葉を重ねる方かしら、と思わず想像してしまう・・。

私はこうした方と語り合い、散策した後、無念ながらお別れ・・
このようなことを私なりに夢で願望したりしている。

私はこのようなことを思えば、思い込みが強い性格であるので、
ほとんど日頃から夢の中で叶えられるひとりである。

昨夜たまたま夢の中でお逢いできた人は、
かって女優だった浜 美枝〈はま・みえ〉さんだった・・。
私が東京オリンピックが開催された1964年の頃、
映画青年の真似事をしていた時代に、東宝撮影所に出入りして、
たまたま数分ぐらい言葉を交わした人である。

この当時にお逢いした若手の女優さんの中で、
このお方は、与えられた言葉でなく、ご自身の言葉で語れる人で、
私は瞬時に魅了された方でもあった。

こうした私の思いは今でも、変わることなく、
数日前に、この方のエッセイの本を再読していたりしていたが、
もとよりお逢いできる人ではなく、あくまで高嶺の人なので、
せめて夢の中でお逢いできた、と目覚めた後ぼんやりと微苦笑したりしている。


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世の中の多く人は年末年始の休暇を終え、『仕事始め』かしら、と高齢者の私は感じながら・・。

2012-01-04 08:56:09 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の高齢者3年生であり、
朝の6時過ぎはマイナス1度、日中の昼下がりは10度前後、夜の6時過ぎには4度前後が予測され、
穏やかな冬晴れの日中を迎えている・・。

今朝もぼんやりとカレンダーを見たりすると、
『官公庁御用始め』と明記されていたので、民間会社の多くも、本日から『仕事始め』かしら、
と感じたりした・・。

多くの方たちが、年末年始の休暇を利用されて、実家に帰省された方、
国内外に旅行に行かれた方たちの情景を、
私はテレビ、新聞などのニュースで見たりしていた。
或いは自宅でゆったりと過ごされ、初詣に参拝されたり、七福神めぐり、
そして自宅付近を散策などをされる方も多かったかしら、と思ったりしている。

我が家は2004(平成16)年に家内の父が亡くなり、
独り住まいとなった家内の母に、年末年始の間は、我が家に来宅してもらい、
私達夫婦と3人で生活を共にし、恒例のように新たなる新年を迎えている。
今回も年末の28日に夕方に家内の母は来宅し、
毎晩、ささやかな宴会をしながら、談笑を重ねたりしてきた。

我が家の付近にある路線バスの通る道路は、自動車は少なく閑散としていたが、
今朝は自動車の流れは平常時の半分ほどであるが、街は静かに動き出し、
仕事始めの方たちもいる、と感じたりしていた。


私は民間の中小業のサラリーマンを35年過ごした後、年金生活を始めた身であり、
平素、駅前とか街中で忙しそうに諸兄諸姉たちが働いて下さる方たちを見かけたりすると、
まぎれもなく多くの働いて下さる人々に支(ささ)えられて日常生活を過ごせるので、
長らくデフレの時代が続く中、短期に成果を求められる職責で、
それぞれが奮闘されているので、頭が下がる思いで見つめたりしている。

そして今年こそ、せめて経済の明るいきざしになれば、と無力な私は祈願したりしている。


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高峰秀子さんに私の初夢でお逢いし、私は叱咤されて、言葉もなくうなだれて・・。

2012-01-03 10:11:01 | 真摯に『文学』を思考する時
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
私達夫婦は子供に恵まれなかったので、我家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住んでいる。

昨夜は家内と家内の母と共に、ささやかな酒宴が終わり、布団にもぐったのは11時過ぎであった。

どうした訳か解らないが、一昨年の2010〈平成22〉の年末に高峰秀子さんの死去が公表されていたが、
この高峰秀子さんが私に向い、
『あんたさぁ・・本を読んでいる?
映画青年も文学青年も挫折した・・あんた・・何をしているのょ・・』
となぜかしら60歳ぐらいの高峰秀子さんが私に言った。

『随筆を書きたくて・・ブログで散文の習作を重ねていまして・・』
と私は緊張しながら高峰秀子さんに応(こた)えた。

『あんたねぇ・・風の噂で聞いたりしているが・・
最後の目標は、人生と文章修行の果てに、
たとえば鎌倉前期の歌人のひとり鴨長明〈かもの・ちょうめい〉が遺〈のこ〉随筆の『方丈記』のような、
随筆のかけらをたったひとつ綴れれば、本望らしいと聞いたりしているわょ。

そして死後の数百年を過ぎた頃、文愛人の一部の方から、
あの時代に短かき随筆をたったひとつ遺(のこ)した人もいた、と思って頂ただければ望外の思いである、
と友人に言ったりしていることなども、聞いているわょ』

『・・』

『でもねぇ・・人は誰しも望みは持っているが・・
天上の神々から与えられた才能・・そしてたぬまない努力の果てに・・
何とか果たせることもある厳しい世界なのょ・・
あんたは・・才能もないし・・努力も欠けているわょ』
と高峰秀子さんは私を突き放つように言った。

『・・』

『あんたたちの知っている作家・瀬戸内寂聴さんが、講演などで明言していたじゃないの・・
《・・
私を見習って、もしもみなさんの中に小説を書こうと思っていらっしゃる方がいれば、
お勧めしかねますね。
非常に険しい道でございます。
そして人が認めようが認めまいが、芸術というのはその人に才能がなければ意味がないんですね。

一に才能、二に才能、三に才能なんです。
あとは運ですよ。
努力なんてしなくても才能があればモノになる。
これは芸術だけでございます・・》
このようなことを言っていた、と私でも記憶しているわよ』

『・・』
私はうなだれて返す言葉もなかった。

『いいわねぇ・・たとえ随筆の世界でも同じょ・・
あんたは年金生活の中で、あくまで趣味として散文を綴り・・安楽な生活を過ごすべきと思うわょ』
と高峰秀子さんは微苦笑しながら私に言った。

『でも・・』
と私が言った後、なぜか高峰秀子さんは私の前から消えた。


このような初夢を私は見たが、どうして亡くなわれた高峰秀子さんが・・
と私は今朝のひとときに、ぼんやりと思ったりした。

たったひとつ思い当るとすれば、
昨年の12月初旬に、松山善三、高峰秀子ご夫妻の『旅は道づれアロハ・ハワイ』〈中公文庫〉を購読した。
そして同時に、久々に『芸術新潮』の12月号を買い求めた。
特集記事に《没後一周年特集》として、
《高峰秀子の旅と本棚》と題された記事を私は精読した。

この特集記事のひとつに、作家・斎藤明美さんが、
『まさに”食う”ように』と題された寄稿文があり、私は圧倒的に感銘を受けた寄稿文であった。

最終章の部分には、
高峰秀子さんは、ひたすら読書を重ねる根源は、
劣等感を克服するために、たえず本から学び、生きることだった、
とこのような意味合いの綴りを作家・斎藤明美さんが記載され、
私は読みながら、涙を浮かべた・・。


私は高峰秀子さんに関しては、知人でもなく、敬愛を重ねてきたひとりであり、
たった一度だけお逢いできたことがあった。

私が二十歳の時は、東京オリンピックの開催された1964〈昭和39〉年の秋の時であったが、
大学を中退し、映画青年の真似事をしていた時期で、
オリンピックには眼中なく、京橋の近代美術館に通っていた。

戦前の邦画名作特集が放映されていたので、
数多くの昭和の20年までの名作を観ることが出来たのである。

この中の作品の中で、山本嘉次郎・監督の『綴方教室』(1938年)、
そして『馬』(1941年)も観て、天才子役、少女と称せられた高峰秀子さんの存在を実感させられた。

私はこの当時の1964年に於いては、
少なくとも木下恵介・監督の『二十四の瞳』(1954年)、
成瀬巳喜男・監督の『浮雲』(1955年)、
木下恵介・監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)、
松山善三・監督の『名もなく貧しく美しく』(1961年)等は当然のように鑑賞していた。

そして封切館で松山善三・監督の『われ一粒の麦なれど』(1964年)で観たばかりの年でもあった。

私は女優の高峰秀子さんの存在は、天上の女神のような存在であり、
『二十四の瞳』と『浮雲』がほぼ同時代に演じたこのお方には、ただ群を抜いた女優であった。

子役、少女、そして大人としての女優としての存在は、
私のつたない鑑賞歴に於いて、このお方以外は知らない。

その上、脚本家、ときには監督もされた松山善三さんには、
まぶしいようなあこがれの存在の人であり、秘かに敬意をしていたのである。


このような過ごしていた間、確か冬の日だったと記憶しているが、私は東宝の撮影所で、
宣伝部の方と話し合っていた時、
たまたま高峰秀子さんがこちらに向かって来た時があった。

宣伝部の方が飛び出て、
『この青年・・大学を中退し、この世界に・・』
と話されていた・・。

『こんにちは・・でも・・もったいないわ・・大学をお辞(や)めになるなんて・・
でもねぇ・・大変ょ・・この世界は・・』
と高峰秀子さんは私に云った。

私はこの当時も大女優であった高峰秀子さんとは、
これが出会いであったが、これ以降はお逢いしたことがない。

この後の私は、映画・文学青年の真似事もあえなく敗退し、
やむなく私は中小企業のサラリーマンに身を投じた・・。

その後、いつの日が忘れてしまったが、本屋の店頭で、
このお方の本にめぐり逢い、数冊の随筆集を読みはじめ、これ以降は本屋で見かけるたびに、
購読してきた・・。

そして一昨年の年末に高峰秀子さんの死去を知り、私も落胆したひとりであり、
もとより天上の花のひとつとなった高峰秀子さんにお逢いできるひとがないので、
せめて私は高峰秀子さんが上梓された数多くの随筆を読んだり、再読したり、
或いは出演された名画を鑑賞したりして、愛惜を重ねたりしている。


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♪カチューシャ・・、とAKB48のひとつの歌、高齢者の私でも、小声で唄えば・・。

2012-01-02 10:46:32 | 音 楽
昨日の元旦の午前10時半過ぎに、我が家の門扉の近くにある郵便受け入れ箱に、
年賀状が配達されて、この後30分ぐらいで拝読した。
そして、私が年賀状を書いていない方から頂いたので、返信を認〈したた〉めて、
最寄りの郵便ポストに投函する為に出かけた。

そして帰路、近くに流れる野川の橋を渡りきると、
橋の近くで、川の水辺の近くに鷺(サギ)、鴨(カモ)が数多く観られ、
そして鶺鴒(セキレイ)、椋鳥(ムクドリ)も飛来してきているが、
私は小鳥には興味がなく、淡い陽射しを受けた川面、清冽な水の流れを見つめたり、
川辺の薄(すすき)などの冬枯れの情景を眺めたりしていた・・。

こうした時に、♪カチューシャ・・、
と私はひとつの歌を小声で唄いだしたのである。

私は平素は、井上陽水、中島みゆき、徳永英明さんの歌を小声で唄ったり、
心の中で唄うことが圧倒的に多いので、
AKB48のひとつの歌である『Everyday、カチューシャ』を唄うのは、
どうしてなの、と我ながら戸惑いながら、微苦笑してしまった。


一昨日の大晦日の夜、我が家ではお年取りのささやかな酒宴を致し、
家内、家内の母はビール、私は弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
御節料理のそれぞれ単品を談笑しながら頂いていた。
そして稀なことであるが、NHKテレビの『紅白歌合戦』を観たりしていた。

ぼんやりと私はときおり視聴した限りであるが、
やはりAKB48、KARA、少女時代の前では、ほかの方たちは霞んでしまい、
世界で最も実績もあり活躍しているレディ・ガガのビデオ放映か、
或いは幼年の芦田愛菜 鈴木福ちゃんが唄う『マル・マル・モリ・モリ!』が対抗でるぐらいかしら、
と酔いを感じながら思ったりしていた。


私は東京郊外に住む年金生活の67歳の身であるが、
現役のサラリーマン時代は、たまたま音楽業界のあるレコード会社の管理畑の片隅みに
35年ばかり勤めていたので、この当時は、もとより音楽専門誌『オリコン』、『日経エンターティメント』、
流行月刊情報誌『日経トレンディ』なども精読して、
ソフト全般の動向には、ある程度は理解できていた・・。

レコード業界は1998年の売上のピークで、これ以降今日まで下降している。
主因としては、経済の低迷化の中で、ネットの違法な音楽配信の蔓延化、
そして社会全般の多趣味化である、と私は思ったりしている。

そして正規な音楽配信元の音楽利用料金が、著作権を有するアーティストに対して、
CDと比べて余りにも廉(やす)過ぎる、と私は風の噂で聞いたりしている。

このような環境化で、肝要の音楽アーティストの多くは、
収入の激少化となり、生活もままならず、創作意欲がなくなってしまうのではないか、
或いは転職を余儀なくされてしまうのではないか、と憂いている。


ここ数年このように思っている私は、アイドル・グループのAKB48が、
2009年10月発売の『RIVER』でオリコン1位を獲得してから約2年以上、
11曲連続1位を獲得し続ける国民的アイドルグループとなっていることに、悦んでいるひとりである。

特に昨年の3月11日に東日本大震災で死者・不明者約2万人、そして福島第一原発事故で深刻な被害など、
余りにも悲惨な出来事が多く、私は動顚したり、憂(うれ)いたりし、
何かと重苦しい閉塞感の中、
『なでしこジャパン』が日本代表として、FIFA主催の世界大会優勝という快挙を成し遂げ、
私はサッカーに無知であったが、圧倒的な感銘を受けた・・。

そして5月25日発売に発売されたAKB48の『Everyday、カチューシャ』のCDシングル盤が、
初日“実売”94.2万枚、と知り、
たとえ総選挙投票権付きシングルでも、このような驚異的な売上げを悦んだりした。

こうした時に、我が家でもデジタル対応のテレビを購入する為に、
私たち夫婦は家電量販店に行き、テレビを選定していた時、
各メーカーのそれぞれのテレビに於いては、プロモーション・ビデオが映し出され、
私が見える限りの30数台のすべてが、AKB48の最新ビデオであった。

もとより家電量販店などは、最も話題が高く、多くの人が知っている映画などを、
プロモーション・ビデオとして映しているので、
AKB48は歌の世界だけでなく、社会の一面を変貌させた、と瞬時に実感させられたりした。


こうした思いもさることながら、何よりも健気〈けなげ〉なしぐさ、踊り、そして唄声に、
高齢者の私でも大いに励まされた。

このような思いが私の心の片隅にあったので、旧作の『Everyday、カチューシャ』の歌を
私は、♪カチューシャ・・、の歌詞の後は、無念ながら数行しか唄えないが、
私にとっては、何よりの励ましの薬と思いながら、唄ったと思ったりしている。

尚、『AKB48』に関しては、私の勤めていたレコード会社とは、
残念ながら別会社であることを付記する。

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この世で一番美味しく、贅沢な食事のひとつは、温かいご飯に大根(ダイコン)下(お)ろし・・。

2012-01-01 14:54:44 | 食べ物、お酒
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の67歳の身であり、
2004(平成16)年の秋に家内の父が死去し、家内の母は独り住まいとなったので、
年末年始には我が家に来て貰い、私達夫婦と共に三人で過ごすのが恒例となっている。

私の母が1998〈平成16〉年の生前までは、世間並みに御節料理を三段重として、
家内は素材の購入から料理までを一週間ぐらいで、ふたセットを作ったりしていた。
ひとつは独り住まいの私の母、そして我が家で頂く分である。

このようなほど程の御節料理から遠ざかって、昨今の我が家は、
それぞれ三人が食べたい単品を購入したり、家内は少しばかり料理をしたりしている。
成城、仙川、最寄のスーパーに買い求めたり、或いはここ数年は通信販売の盛況で、
我が家も遅ればせながら、製造元の現地などの販売所に連絡して、購入したりしている。
たとえば、ホタテ、数の子などである。

結果として、我が家の食卓は、御節料理の単品が並び、各自が好みの品を食べ、
元旦の朝はお雑煮を頂いている。

このような昨年末の28日から夕食の時に、
家内、家内の母はビール、私はビールか弐合徳利で純米酒の辛口を呑みながら、
御節料理のそれぞれ単品を談笑しながら頂いている。


こうした時の私の昼食は、ときおり大根(ダイコン)下(お)ろし、御醤油をかけて、
温かい白米のご飯にのせて食べたりしている。
そして、食後は煎茶を飲み、至って満足している。

家内達はこのような私の昼食を見ていて、最初の頃はあきれていた。
『幼年期に農家の児として育った私は・・この世で一番美味しく・・贅沢な食事だょ・・』
と私は笑いながら言ったりしている。


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☆ 恭賀新年 ☆ 本年もよろしくお願い致します・・♪

2012-01-01 07:52:59 | 定年後の思い
お健やかな新年をお迎えのことと思います。

昨年も多くの皆様の綴られた投稿文を拝読しまして、
それぞれの人生を過ごされていると改めて感じ、確かな人生の教科書と思いながら、
多々ご教示を頂いたりしています。

或いは季節感あふれる美麗な写真、詩情あるイラストを拝見し、感銘を受けたり、
そして心の深淵まで描写できる10数人の方の散文に圧倒されたり、
ときには数多く人から励まされたりして、拝読したり、拝見しているのが本心です。
改めて、多くの皆様には感謝する次第です。

私は定年退職後の8年生、高齢者3年生の67歳となった身の私ですが、
日常は買物、散策などの折、季節のうつろいを享受し、
その時に思ったこと、思索したことなどを心の発露として、
このサイトに綴り投稿するのが、生きがいのひとつとなっています。

数多くの皆様に私のつたない綴りをお読み頂き、感謝の一言です。
そして私が投稿を重ねることが出来たのは、皆様に支(ささ)えられたことは事実です。

日常の大半は随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
そして音楽も聴いたりしていますので、一日が終るのが早い、
と溜息〈ためいき〉をしたりしているのが実情です。

そして、ときたま小庭を手入れをしたり、
家内との共通趣味の国内旅行をして、その地の風土、文化などを学んだりしています。

ありふれた年金生活の家庭ですが、
私は本年も皆様にささえられ、心身ともに健全な一年を過ごす所存です。


末筆ではありますが、皆様のご健康と
            ご多幸を心よりお祈り申し上げます。 

                   2012年(平成24年) 元旦

                          『夢逢人』   


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