冬の日本海の空は灰色で、海は鉛色のように重く荒れている。この海に日が沈むことはあっても、決して日が昇ることは無いのである。(純文学風の書き出しで^^;)
夏の夕暮れ、ホテルの窓越しに見える景色は、熱く燃え盛る心の想いを包み込むように大きな火の塊を飲み込んで行くのであるが、冬のそれは、深く暗い世界に誘うかのような思いを抱かせるのである。時としてそれは、人の生の終焉を思わせ陰鬱な感情を呼び覚ます。また、重苦しい光景は、浮ついた気持ちを少しずつ冷却するような修験の光景でもあるのだ。(この辺で、純文学は止めよう…^^;)
太平洋側で見る朝日が、若者たちの将来を暗示するような光景であるのに対して、日本海の夕日、特に冬の光景はやはり重いのであります。庄内地方に暮らす人々の名誉のために申し上げるとすれば、私が23歳の夏、沈む夕日を眺め、偶然に押し寄せた夜光虫で彩られた海岸線は、とても幻想的な世界を演出してくれました。ひと晩遊び明かした若者が、昇る朝日の眩しさに目を細める光景が小説になるとすれば、一日遊び疲れたカップルが沈む夕日を眺める光景は、これから二人はどうなるの?などと意味深な情景として小説にもなるのであります。人は、心の持ちようで陰にも陽にも変化できるのでありますが、オジサンがひとり、冬の日本海に佇んでいると「オッサン!早まっちゃいけないよ。」などと妙な誤解を受けそうでありますから気をつけましょう^^;
『クラゲラスな生き方』(←夢屋の造語)・・・クラゲは泳ぐのでしょうか?
クラゲは外皮と内皮とその間にあるゼラチン質の組織から成っており、外皮には環状筋と放射状筋(筋組織)があるらしい。クラゲは波間を漂うプランクトンなのでありますが、生体の比重は海水より重く、ジッとしていると海底に沈んでしまうのであります。貧乏人はあくせくと働いても貧乏なのでありますが、動かなければさらに沈んでしまう。外皮の筋組織を使って、時たまパフパフと泳いでいるように見えるのでありますが、一説によれば、水管に栄養や体液を送り込んでいる運動であるとか…。泳ぐという能動的な運動ではなく、反射による動きと解するのが正解のようであります。タコに似た形状をしてはおりますが、タコのように目で獲物を知覚し、捕捉するために行動するということは無いのであります。
動かなければ沈む、沈む、そして沈む。貧乏人は動けば動くほど、沈む、沈む、そして沈む。クラゲと貧乏人の動きの違いは、貧乏人は能動的に動くことから、さらなる貧乏に向かって動いていることに気付いていないことにあります。クラゲはといえば、環境条件に反応し海底に沈むのでありますが、体組織の成り立ちから、少々の水圧を受けても潰れない。貧乏人は、環境を嘆き、自ら外圧に潰されて行くのであります。
貧乏人が、『クラゲラスな生き方』をするためには、強靭な肉体(この場合、外圧に潰されない柔軟な体組織)を獲得することが、事の初めのようであります。
ところで、私、何を語ろうとしていたのでしょうか?(クラゲは考えないのであります^^;)