活動自粛中は哲学でもしますか?
40年以上も追い求めた『春の女神』を見つけた感激は、やはり誰かと共有したい。しかし、興味の無い方にその興奮を話したとしても軽くあしらわれるだけである。当然、我がオッカーにしても然りであります。これで宝くじに当たったとでも言えば、直ぐに食いついて来るんでしょうけれどね^^;
そこで『おやじぃ』は、少なくても家族の役に立つではあろうことに挑戦することにしました。題して「咲さんの出汁巻き卵が食べたい!」…最近は、市販のだしの素を使って、ラップで包んでレンチンすれば、フワフワの『出汁巻き卵もどき』が作れるようでありますが、出汁で溶き卵を割らなければただの卵焼きであり、四角の卵焼き器で巻き巻きしなければ、ただのだし卵である。そして、卵焼き器には、関東式と関西式の二種類があることに気付くのであります。(何のこっちゃ?)
紀元前から人類は鶏が先か卵が先かという命題を考え続けたらしい。しかし、一般庶民は「だし巻き卵」は「おかず」かという疑問にぶつかるのであります。ある者は砂糖を投入した甘い卵焼きをイメージし、ある者は塩を入れ、さらに醤油を掛けないとおかずにならないと主張する者も居る。昔は高価だった一個の卵を溶いて、さらにそれを兄弟で分け合って、卵かけご飯を食べていた農家の息子たちは、醤油をかけなければ「おかず」にはならなかったのである。ましてや、スーパーの特売で1パック100円で買える時代が来るなんて、50年前の少年たちは考えもつかなかったに違いない。(話が変な方向に脱線しましたが、咲さんが作る出汁巻き卵は、こびりつかない卵焼き器のお陰で『おやじぃ』にも簡単に作れたのであります。)
綺麗な薔薇には棘がある…
人は知らず知らずの内に他人を傷つけてしまうらしい。美しくもないオッカーが、時々ナイーブな『おやじぃ』を傷つけますから、美しいから棘があるのではなく、たまたま薔薇は、その形質に棘という器官を獲得したようであります。すると、かつては棘の無い薔薇もあったのだろうか?パチンコ店を自粛しないで営業するから客が集まるのか?パチンコに興じる人が居るからパチンコ店を営業するのか?それは互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようという無益さである。(Wikipediaより抜粋)パチンコ依存性のオヤジたちがいる。いやいや、人通りの多い一等地で、店を開けなければ資金繰りに窮してしまう経営者がいる。相互依存によって成り立っている経済社会であるから、どちらか一方だけを責めても仕方のないお話である。医療崩壊を起こさないという目的と新型コロナウイルス感染症を終息させるというお話は、まったく違った次元の命題である。無症状者の多い若者を最初ターゲットにし、少しずつウイルスの特性が分かるに従って、老人の排菌量が多いという指摘がされるようになり、どこかに原因を求めようとする風潮があるように思えて仕方がないのでありますが、ワクチンという防御手段を持ち合わせていない以上、8割方の人々が一度は感染しないと終息させることは出来ないはずである。活動自粛は、只々感染のピークをなだらかにしましょうという作戦に過ぎないのだから、5月6日には結果が出るなどと考えるのは誤りである。自粛が先か感染が先か…いずれも命が掛かった命題であるから笑えないなぁ。