その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

気の緩み…?

2022-07-21 07:51:41 | 転職

「行動制限」のない生活…しかし、外は雨^^;

大相撲名古屋場所では、新型コロナウイルス感染者が相次ぎ、幕内力士6名が休場。プロ野球界や他のスポーツ界でも感染が拡大しているようであります。20日の全国新規感染者数は15万人を超え過去最多…一体どこまで増え続けるのやら?「感染抑制と社会経済活動の両立」という前提で、今は極端な「行動制限」は行われておりませんからねぇ…。
さて、『おやじぃ』が以前から気になっていたのが、『気の緩み』という報道表現…「その感染対策に対するエビデンスは?」と科学的な根拠を求める一方で、最後は『気』(緊張感の欠如)という個々人の「気持ち」の持ち方に話題をすり替えてしまう。「気持ち」の持ち方次第で、感染症を防げるのであれば何も苦労はしないで済むと思うのでありますけれどね。ところが、2014年に科学技術振興機構とその研究グループが「交感神経が免疫を調整する分子メカニズムの一端を明らかにした。」と発表しているようであります。(ストレスによって免疫力が低下するという一因の発表であって、すべて解決されるという訳ではありませんけれどね^^;)
「病は気から」と昔から言われて来ましたけれど、『気合で直す。』とか『根性だぁ!』では実に昭和的な香りがする^^; 一方、東洋医学に言う『気』とは、体内の経路を巡って、生命を維持するためのエネルギーと解釈されているようであり、人間(生物)の肉体内には、まだまだ未解明な部分が多いのでありまして、『気』によって病気が制御できるのであれば…ただね、『気の緩み』という表現は、「感染したのは個人の責任」という香りがしてならないだけなのでありますけれど。


そろそろ限界…動き出さないと^^;

はてさて、体調不良を理由にろくな仕事もせずに1ヶ月以上経過してしまいましたよ。そろそろ『気揉めてきた。』(「気を揉む」って標準語だったんですねぇ^^;)これまた『気』でありますよ。
「気を揉む」とは「心配してやきもきする。」との意でありますが、肉体のどこにあるか分からない『気』というものをどうやって揉んだら(あんましたら)良いんだなんて、おバカなことを考えている。「揉む」という言葉には、古い使われ方で「激しく攻める」とか「むち打つなどして馬を急がせる」という意味もあったようだから、『気』を「あんまして」優しく養生するというよりは、「急かせ、叩いて」奮い立たせる必要があるのかも知れない。(やっぱり日本人的感覚だわ^^;)
やらなければいけない仕事があって、それをサボって収入が減るのは『おやじぃ』の個人責任となるけれど、新型コロナ感染症の急増によって、観光業や飲食店(特にお酒提供店)、そして、材料提供の関連産業は、どれだけ打撃を受けてしまったのだろう?そして、ここに来て、「感染対策と社会経済活動の両立」である。一度、冷え込んでしまった『気』というものは、温め直しに時間が掛かるのよねぇ。政治家の皆さんは「国民の気持ちに寄り添って…。」と言って下さいますけれど、今回ばかりは、「国民を突き放して…。」としか感じられないなぁ。今回もまた「気持ち」「気力」で乗り切ってくださいということなのかなぁ?(笑えない)

#戦争反対 「気持ち」と「支援」と…次第しだいに長期化し、それこそ関心が薄れて行く。そのことが心配なんですけれど…。

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『ニャー!』の物言い

2022-07-20 08:13:32 | 転職

「アガパンサス」の花も開き始めました^^;

「その物言いが気に入らない。」とか「物言いがきつい。」という場合の「物言い」は物の言い方にあり、相撲の場合は、行事の勝負判定に、審判委員や控え力士が異議を申し入れることを言う。
「人の口に戸は立てられぬ」などと申しましてね、お隣の庭に咲いた「アガパンサス」の花のひとつ一つがお口だったら、いや~口々に勝手なことを言っているに違いないなどと妄想しております^^;
さて、大相撲名古屋場所も、上位陣が精彩を欠いて、盛り上がりも今ひとつというところでありますが、今場所はとみに『物言い』が多いと言われているようでありますなぁ…。行司さんは、同体取り直しという判定が出来ないから、どちらかに軍配を上げなければいけない。記録を遡ってみますと、幕内では1988年5月場所の霧島VS水戸泉戦で、三度の「同体」の混戦の末、四度目で決着した取り組みもあったようです。実に行事泣かせの勝負でありますけれど、相撲の場合は、確かに微妙な判定はあっても、必ず白黒(勝敗)をつけなければいけないから仕方がない…一方、人の申し立ての方はと言いますと、果たして白黒つけられるのか、甚だ疑問であります。当事者は、必ず自分が正しい(権利がある)とそれぞれ考えている訳だし、時には「言った。言わない。」という曖昧な主張でまくし立てられても仲裁できる訳も無い。仲裁する方は、しっかりした力量(権威)がないと裁定など出来ないし、逆恨みされるのも叶わないから、日本人得意の『玉虫色の決着』に着地点を求めたりすることも多いと思いますよ。ちなみに、行司は、審判委員の協議に「口をはさめない。」とのことだから、可哀想でもありますが、総てがビデオ判定(事実の積み上げ)だけであったなら、味気ないものになってしまうような気もしますけれどね^^;


果たして何を見ているものやら^^;

はてさて、『猫には霊感があって、幽霊のいる場所をみつめているのではないか。』という説(噂)を唱える方もいらっしゃるらしい。(そもそも、幽霊の存在そのものが否定も肯定もされていないのだけれど^^;)猫が何も無い場所をじっと見つめているのは、①人間には聞き取れない音のする方向を見ている。②人間が嗅ぎ分けられない匂いのする方向を見ている。③紫外線を見ている。(イギリスで実験検証済み。)④考えごとをしている可能性がある。というところに落ち着くらしい。(個人的には、幽霊が見えていたり、お金の匂いや儲け話が見えたり聞こえていてくれていると楽しいのだけれど^^;)まぁ何とか、人間にも理解出来る理屈を並べ上げて、納得している訳なんですけれどね。
ニャー!(おお、餌が無いか。)ニャー!(おお、中に入りたいか。)ニャー!(『おやじぃ』、ワシはここに居るゾイ。)なんてね、言葉が通じないから「ニャー!」のひと鳴きを何とか聞き分けようとする。「ニャー!」…餌もあるし、『おやじぃ』だって傍にいるのに…何だね今度は?聞き分けられない(理解出来ない)「ニャー!」には、相手(猫)の気持ちを慮ったりしてね…。
一方、人間の場合は、下手に言葉が通じてしまうから、「何でこの気持ちが分かってもらえないのよ。」なんてぇことが日常茶飯事のような気もする。(本当に、本音を語っているかは別だけれど。)事実を積み上げて行っても、納得を得られないのは、『感情』というものがあるからかなぁ?『勝負事』でない限り、相手を慮る気持ちがあったならばねぇ…。

#戦争反対 勝ったもん勝ち…猫だって、一戦交えても最後までは戦わないというのにねぇ。

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勘違いですなぁ^^;

2022-07-19 08:19:31 | 転職

こちらは「コムラサキ」の花ですが…

平安時代中期の女流作家「紫式部」と同じ名前を持つ花「ムラサキシキブ」…花言葉は「上品」「気品」なんだそうですよ。最近は、とんと見かけなくなった二千円札の裏側には、「紫式部日記絵巻」に描かれた「紫式部」のお顔がデザインされているようですが、手元にないので確認不能^^; ネットで拝見すると、お多福顔(おかめ)であります。古代においては、太った福々しい体躯の女性は災厄の魔除けになると信じられ、ある種の「美人」とされていたようでありますが、美意識の変化とともに…これ以上は言及いたしますまい^^;
さて、「ムラサキシキブ」と教えられて植えられている低木は、実は「コムラサキ」…大きな勘違いをしながら、秋に紫色の実を楽しんでいたのでありますが、本家「ムラサキシキブ」より多くの実をつけますから、観賞用にはこちらの方が適しているのかも知れない。そうそう、「勘違い」と言えば、丁度30年前に珍しく病気で1週間ほど入院加療しましてね、退院後、何とか「海の日」に子どもたちを海水浴に連れて行きたいと発起したのでありますが、当日、今度は頭痛(中耳炎だった^^;)で断念した記憶がある…散々な夏を経験した記憶なのだけれど、「海の日」は1996年(平成8年)から施行されている休日だから年数が合わない。これまた大きな勘違い(記憶違い)でありますよ。まぁまぁ、1年に1度くらいは、海水浴に連れて行きたいと思っていた夏休み突入への1週間前の頃、『土用波』が押し寄せる前にという思いだけは強かったのだけれど、何とも動かなかった身体に、今を重ねているからなのでありますけれどね。


子離れ、親離れの後は…

猫と犬だけが、『おやじぃ』が寄り添ってくれておりますけれどね^^; 楽しい行楽も暗転しないことを祈るのみであります。『おやじぃ』は泳げない訳ではないのだけれど、水に顔をつけるのが不得手であります。小学校入学前の『水浴び(川泳ぎ)』デビューの日、『鬼へい(無茶)』をして、溺れた子どもを見てしまったんですなぁ。(幸い重大な事故にはならなかったようです。)これがトラウマになってしまって、小学校にプールが出来ても水に顔をつけられなくなってしまいましたよ。そして、水の中で息を吐くと言うことも知らなかったから、水面から顔を出した瞬間に、息を吐いて息を吸うということを繰り返しているので、泳いでいる内に息苦しくなってしまうんですなぁ…これまた、大きな勘違いでありますよ。
一方、子どもたちの方はというと、オッカーと夏休みが合わないから、『おやじぃ』一人で、子ども三人を海水浴に連れていったことがあるのだけれど、泳ぎを覚えたての一人は、浮き輪を外して深みにはまり要救助。もう一方は、水の怖さを知らないから、浮き輪でプカプカと沖合に流されそうになり要救助。まだ、体力があると信じていた頃だから、『おやじぃ』ひとりで対応しましたけれど、やっぱり水って怖いのねと感じたエピソード。まだまだ、自分には体力が残っていると過信してしまうのが、一番の大きな「勘違い」なのかも知れませんよ。

#戦争反対 平和を祈るだけでは、平和は訪れない…これも大きな勘違いだと思いたいのですが。

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蛙の面には…

2022-07-18 08:29:12 | 転職

カエルだって嫌がると思うけれど…

非難されたり、罵倒されても平気で、反応のないことを例えて『蛙の面に小便』などと申しますが、「蛙の面に水」が本来の言葉らしい。明治以降、俗に『小便』が多用されることとなったとの解説もある。ご丁寧に《蛙の顔に水をかけても平気なところから》…と状況の解説もあるから、一度、「蛙の面(頭)」に水滴を落とす『実験』をしてみたのだけれど、水滴を前足で払ったり、体の向きを変える行動を取ったから、決して『平気』ではないと思うのだけれど…。(何らかの反射、反応は示すのであります^^;)
さて、『おやじぃ』が住む集落の神社の「例大祭」もつつがなく執り行われ、後はサッサと後片付け…人間の変わり身の早いこと早いこと^^; そして、毎年気になるのが、「修祓(しゅうばつ)の儀」(参列者を祓い清める儀式でありますなぁ。)の文言なんですけれど…「掛けまくも畏き 伊邪那岐の大神…恐み恐みも白す。(かしこみかしこみ もまをす。)」という祓詞(はらえのことば)、本来なら、「ご低頭ください。」と言われて、素直に頭を下げて祓い清めていただく身でありますが、頭の中ではグルグルと宮司の文言を追っかけている。こうしてネットで文面を検索して、目で確認しているから書けますけれど、耳から入って来る音だけで拾い集めると、最初と最後の文言しか頭に残らない^^; こうしてみると、中抜きされても、途中文言を間違えても、参列者は一切気が付かないわなぁなんて、またバチ当たりなことを考えてしまう訳であります。お経も祝詞も『意味不明』な方がありがたい?宗教と言うよりも、イベント(催事)を執り行っているだけの関係性…お寺や神社と次第に疎遠になっていくのでありますよ。


時代の流れか…

『自然への畏敬の念』や『死への恐怖』、『己の生き様』に至るまで、「宗教」が人々の心を救済するという面があったのだろうけれど、いつの間にか『人様』の方が偉くなってしまったのかなぁ?
今では『伊邪那岐の大神』が、日本列島を創ったなどと信じる方はいない(多少は居るか…自分がそうだからと言って全否定はいけないなぁ^^;)と思うのだけれど、事ここに至って「神さま、仏さま」と手を合わせるのだから、多少は神仏の救済を信じているのかも知れない。午後からは、雷、そして大雨…人の力では何とも避けられない災難の時だけ、神仏に頼るのも如何なものかと思うのだけれど、改めて「人智の及ばない世界」があり、「人間とは弱い存在である」と感じられるのも、身に沁みついている『宗教観』のお陰かも知れないなぁ…。
はてさて、「蛙の面に水」…己の身に降りかかった「災難」は自らの手で何とか振り払わなければいけない。(その場から「逃げる」というのも妙手かも知れない。)そうやって、『おやじぃ』は何とか今まで生きて来られたと思うのだけれど、不幸が不幸を呼んで、『宗教』に救いを求めてまた不幸を呼んで…とまぁ、嫌な事件が続き過ぎる。カエルにも「脳」はあるけれど、余計なことを考えるための『脳』ではないと思う。余計なことを考える『脳』を持っているから、人間は救済を求めるのかも知れないなぁ。「あるがままに」と平然と生きるには、もう少々、修行が必要なのかも知れないなぁ…。

#戦争反対 「蛙の面に水」…カエルも水を払うなら、力のない『呪文』もいつかは届くかも…。

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「祈り」…

2022-07-17 08:32:22 | 転職

親子三代で何を祈ります?

「祈り」とは、宗教によって意味が異なるが、世界の安寧や他者への想いを願い込めること(Wikioedia)…とまとめられている。
他所様の心の中まで覗き込もうなどとは思いませんが、この三年間、コロナ禍で前夜祭のイベントは中止。親子そろってお参りに来た家族の後ろ姿が微笑ましく、『幸せ』を感じたので一枚^^;
「豊作祈願」「合格祈願」「家内安全」etc.…自己実現、他者への想いは様々あれど、神仏に手を合わせた『瞬間』だけは、『清純無垢』な「自己」が現れるような気がする。(これが唯一の宗教効果かなぁ^^;)しかし、次の瞬間には、雑念・煩悩の世界に迷い込み、場合によっては、他者を「呪詛する」などという恐ろしい方もいらっしゃるだろうから、やっぱり人って怖いわねぇ…。
もしも、「神さま」というものが存在するならば、同じ人への「良き願い」も「悪しき願い」も『聞き取って』くれる訳だから、両者から利益(お賽銭)を得る『利益相反』行為を繰り返していることになる。したがって、人の願いを叶えたりはしない。『聞き役』に徹しているだけだから、これなら『詐欺行為』にはならないだろうなんてね。(「神さま」を『詐欺師』呼ばわりするとは、かなりのバチ当たり者であるわなぁ。)これって、神羅万象の中に八百万の神々が宿るという日本の原始宗教的な発想に基づくものだから、『唯一絶対神』の世界ならどうなるのだろう…? 明確に『善人(信者)』と『悪人(異教徒)』を切り分けてしまうのだろうか? 人(指導者)が創り出す世界って、本当に怖いものですわなぁ…『おやじぃ』は、今、こうして居られることに「感謝」することにしよう。それだけなら、他所様に迷惑も掛けないし、平穏な心で居られるような気がするから…。


いつの間にか『居場所』になった^^;

さて、餌をねだる時にはすり寄ってくる同居猫『シロ♀』でありますが、最近は、冷蔵庫の上、エアコンの吹き出し口の下に『居場所』を見つけたようであります。(昨年までは、ここに登ることは無かったのに…。)『天は人の上に人を造らず、人の上に猫を造った。』などと、毎晩、同居猫に見下されているような気分であります^^;(高い所から周囲を警戒するのが猫の特性なのにねぇ。)
これって、「餌」を「票」に置き換えると、どこかで見たような光景のような気もする。「私を働かせてください。」…「どうぞ存分に働いてください。」 「私を再度国会に送ってください。」…「しょうがないなぁ、まぁ頑張って。」 「私を助けてください。」…「助けて欲しいのはこちらなんですけれど。」とまぁ、選挙日前日までは、政策はそっちのけでお願いの連呼。「落選したのは、私の力不足。」と反省の弁を述べるのも常套句ではあるけれど、当選してしまうとどこかに消えてしまうのも、『議員属』という『種』の特性なのかも知れないなぁ(笑) 叶わぬ「祈り」と思いつつ、一票(浄財)を投じるのも「神さま」に手を合わせるのと同じような気分になってくる。今回の参議院議員選挙では、定員総数248名の『参議神』が全国からかき集められたようでありますよ。
はてさて、「神さま」は、人の願いを叶えたりしない。『聞き役』に徹するだけである…聞いてくれれば、まだマシな方で、どこかに雲隠れしてしまうから、むしろ厄介かも知れない。そうそう、お賽銭(献金)お賽銭(献金)…小さな神社に寄せられた少額の浄財は、雑入として、拝殿を守る役員の缶ビール代金に変わりましたけれど、『議員神』の皆さまには、個人のお賽銭(献金)なんて、取るに足らないものかも^^; 6年に一度の『例大祭』ではねぇ…やっぱり、信者(投票率52%)も減ってしまうかも知れないなぁ(笑)

#戦争反対 聞いてもらえないとは分かっていても手は合わせますよ「平和な世界」のために…戦争は、人々が起こすものだもの。

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しとやかに…したたかに

2022-07-16 09:13:59 | 転職

『芙蓉』の花言葉は「しとやかな恋人」だって^^;

って、貴方!この花は「ムクゲ」でしょうに…同じアオイ科の落葉低木だから同じようなもんでしょうと「したたかに」しらを切る(笑)
今日は早朝から集落の神社例大祭(前夜祭)の準備作業…昨日の夜は結構な雨が降りました。コロナ再拡大の様相から、今年も前夜祭のイベントは中止。「しとやかに」(この場合「しめやかに」?)前夜祭が行われることになりますなぁ…これでは『雨岩戸』も開きますまいに^^;
『集落の守り神』として崇拝し、礼賛している訳でもない。その日を生きている人間は、実に「したたかに」神様の行事だって都合よく変えて来た。本来の例大祭の日は、昔、6月14日だったらしく、当時はまだ「田植え」が終わって間もなくの頃だったから忙しく、7月14日に変更したらしい。さらに、勤め人では準備作業が出来ないからと7月の第2週の土日に変更し(当時の宮司は、神社庁に届けているからと頑として例大祭の不規則な変動を認めなかったけれど^^;)今年は、参議院選挙日と重なってしまったから、さらに一週間先送りしましてね。昨年からは、重い旗竿を上げるのは高齢者には危険が伴うからと「幟旗」も揚げないことにした。さらには、今年、雨が降るのにわざわざ「幟旗」を濡らす必要もありますまいと比較的軽い旗竿さえ上げないという体たらく…「簡素(楽)でいいじゃん!」となる^^;
かたくなに『伝統』なるものを守っていこうなどと思ってもおりませんから、それはそれで確かに楽でよろしい。今年は、集落の会計担当として損害保険の加入手続きもしましたけれど、万が一、失火、倒壊した場合には再興できるような補償額でもない。「その時は、小さな祠でお祀りするしかありませんなぁ…。」と高齢化していく集落の身の丈に合わせた維持しか考えておりませんから、となる^^;


「いろはに金平糖」…数え歌もあったなぁ^^;

さて、『蛙を殺すと雨が降る。』子どもの頃、そんな都市伝説(この場合、田舎伝説かい^^;)があったような気がする。確かに大雨の後のアスファルト道路には、アマガエルの死骸が多数あって、『田舎伝説』に信ぴょう性があるようにも思えるのだけれど、これって、雨によってアマガエルの動きが活性化されて、ノコノコ道路に出て来たところで轢死したんじゃないかい?と順序の違いに気付き始める。(今頃かい^^;)有り難い神様だから崇め奉り、集落や人々を守護していただいているのか、先祖からの『有り難い遺産』だから、人々がお守りしているのか近頃とんと分からなくなって来てしまいましたよ。例大祭で秋の豊作や家内安全を祈り、年越祭でその年の無事を感謝する。確かにそうなのだけれど、『仏罰・神罰』が怖いから無沙汰にも出来ず、また、体よく神様をダシにして、お酒やご馳走を頂いたりしてね。(こちらの方が本音なのかも知れない^^;)
はてさて、「前夜祭」のイベントで集落内の交流を図る…こちらの方が、目的化しているのだけれど、色々な『伝統(しがらみ)』を削ぎ落してみると、何のための「お祭り」なのかが分からなくなってしまう。そうそう、残すところ『宗教』という名の『集金システム』だけが残ってしまうのでありますよ。まぁまぁ、こちらの方は慣例化、認知された範囲ではありますが、某団体の『集金システム』の方はねぇ…。(ご本人が救われ、幸福感を味わえるなら、他人が口出しすることではないけれど…。)
昨日、安倍元首相の国葬を行うとの政府方針に対して、「個人の礼賛(らいさん)につながる。」と反対声明を出した政党もありましたけれど、そのニュースをラジオで読み上げた新人さんが『しとやかに』『礼賛(れいさん)』と繰り返し読んでおりましたよ。『礼賛(れいさん)?』…誰も指摘、訂正はしなかったのだけれど、その内に『したたかに』『礼賛(れいさん)』という読みが定着するかも…そんな風に変わっていくのが世の中なのかも知れないなぁ^^;

#戦争反対 子どもたちは、数え歌など歌わなくなったけれど、子どもたちの歓声が響く平和な世界を望むだけです。

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ジェンダーギャップ指数ですか?

2022-07-15 09:13:05 | 転職

「カノコガ」の観察も出来てないなぁ…

スイスの「世界経済フォーラム」という団体が、経済、政治、教育、保健の4分野での男女差を指数化して順位を公表しているんだそうですな^^; 日本の場合は146か国中116位(2022年)という下位に位置付けられているようであります。
具体的なスコアを見てみると、出生時の男女比、就学率、平均寿命といった、教育、保健の分野では、ほぼ平等。問題は、管理職の男女比、国会議員、閣僚の男女比(スコア0.1台…1.0が最大)あたりが問題のようであります。
さて、三浦まり上智大学教授が監修された「都道府県版ジェンダーギャップ指数」などという物もありましてね、「教育」が「行政」という分野に置き換わって分析されているのですが、我が山形県はというと、「政治」11位、「経済」8位と決して悪い成績ではないのでありますよ。なるほど、県議会の女性議員数は少ないですけれど、女性県知事だから順位は上がる。「経済」の分野では、男性の賃金が低い地方は、男女平等度が上がると分析されているようですから、順位が高いとばかり喜んでもいられないようであります。(指標の取り方次第では、大きく変わってしまうのよねぇ^^;)
これを『おやじぃ家庭版』に置き換えたなら…『経済』分野の「家事・育児」では、大きく男女差が開き、さらには「就業・経済力」では逆転され、かろうじて『政治』分野の「発言力」くらいは…頭が上がらない。まぁまぁ、あまり追及するとヒビが入るから、この辺で止めておこう(笑)


色が
変わるのか色が褪せるのか?

『おやじぃ』が、生き物好きの眼で生物界を眺めると、冒頭の「カノコガ」のように、♀の方が腹部も含め大型であり(大量の卵を抱えているから当たり前かぁ^^;)、猫の場合は♂の方が体格的に勝り(縄張りの確保かい?)、キジの場合は♂の方が艶やかである。(セックスアピールかい?)生殖行動のためと勝手に解釈しているのでありますが、本当にそうかなぁ?
いくら縄張りを確保しても伴侶に恵まれない♂キジは居るし(営巣地には不適なのかも知れない…経済力?)性フェロモンに反応して群がるカノコガ♂も交尾に至るのは1頭だけである。(体力差か幸運か?)「生殖行動」という単一目的で切り取って眺めてみても色々と必要な条件はあるんだわなぁ…。
まさか『人間様』を「生殖・繁殖行動」という一面だけで切り取って論じる訳にもいかないから、単純目的化されていると思い込んでいる生き物で代替して眺め、考えているだけなのでありますけれどね。
はてさて、『男女の役割』(実に昭和の香りがする表現である^^;)などと書くと角が立つ。『男女の別』と書いてもジェンダーフリーの立場からは叩かれる。そもそも『幸福感』というものが人それぞれなのだから、指標化しても仕方がない。望む者が平等に参画できるシステムが必要なんだろうなぁ…今年もモテなかったキジ♂には、別の土地にとアドバイスしたいところだけれど、そこには、また強力なライバルが存在するのでありますよ。人間の場合の妨げは、果たしで男どもなのか、女自身なのか…複雑過ぎるから思考停止(笑)

#戦争反対 それぞれが『幸福感』を持って生きられること…只々、単純な目標なんですけれど。

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苦労しらず?

2022-07-14 08:50:53 | 転職

「黒装束」のハグロトンボですが…

「光と影」「明と暗」etc.…物事は「表裏一体」の存在である。(何だなんだ朝から^^;)音もなく蝶のように飛ぶ「ハグロトンボ」は正直なところ苦手である。子どもの頃から、黒い色に『霊的なモノ』を感じてしまうんですなぁ…これは、『おやじぃ』の思い込みであって、当のトンボには何の罪もない。事実、「ハグロトンボ♂」の腹部は緑色の金属色の光沢を帯びており、装飾品を身に着けているようにも見える。(一方、♀は総身、黒一色であるけれど。)
「ダークサイド」…社会や人生の暗黒面。「黒」という色に「影」や「闇」を感じてしまっているのだけれど、このトンボに光が当たっていない訳ではない。光のすべての波長を吸収してしまうから、人間の眼には黒く映るだけであり、反対側の光の当たっていない部分は、果たしてどんな状態なのだろうなどと、つまらないことを朝から考えていただけであります^^; そして、満月に限りなく近づいている夜空の月を眺めながら、これまた、子どもの頃から疑問に思っていた『月の裏側』ってどうなっているの?などという思いに至った次第であります。けれども、よくよく考えてみると『月の裏側』にも、月の半分は光が当たっている。(新月)…目に見えていないだけであって、「表」「裏」に関係なく光は平等に当たっているんだわなぁなんて、朝から『哲学』したのでありますよ^^;
安倍元首相の銃撃事件後の報道を見ながら、不幸な偶然の積み重なりと、それぞれの「光」と「影」の部分が見えて来ると、果たして、人には平等に「光(幸福)」が当たっているのだろうかなどと考えてしまった訳です。(決して、犯行を正当化したりはしませんけれどね。)


モミジに花言葉ってありますか?

晩秋にブーメランのような羽をつけた「モミジの実」は良く目にしますが、春に咲くと言う花に気付かない。そんなところから「遠慮」などという花言葉もあるようです^^;
「幸せを数えたら 片手にさえ余る♪」…「ばんばひろふみ」さんの「SACHIKO」という曲にはそんな歌詞があり、「不幸せ数えたら 両手でも足りない♪」と続く。そうそう、『不幸自慢』(失礼)を始めたら止まらない方が居る…「何の苦労も知らないお前に何が分かる?」…その通り『おやじぃ』は、他人の『不幸話』に耳を傾けることは出来ても、その『痛み』まで感じ、汲み取ることが出来ないのでありますよ。『痛み』は、ご本人が感じるものであって、その強弱まで感じ取ることが出来ない。
その方にとっては乗り越えられなかった『壁』を『おやじぃ』は、いとも簡単に乗り越えられたかも知れないし、またその真逆のこともある。「今日もオマンマが食べられた。」「今日も無事に健康で過ごせた。」ありふれた、つまらない日常にも『幸せ』を感じられたら幸せであるし、「おかずの品数が足りない。」とか「今朝も下痢だった。(失礼^^;)」などと不満をつのらせれば『不幸』の数も増えるかも?(やっぱり、『おやじぃ』は苦労知らずなのかもしれない^^;)
そうそう、他所様と比較して、目に見えている部分だけで比較するから、『不幸』の数が増えてしまうのかも知れないなぁ…他所様の目に見えない部分まで覗きたいとは思わないけれど、万人に平等に「光(機会)」が当てられているのだろうか?「光(機会)」を見逃していることはないだろうか?
『月の裏側』にも半月の間、光はあたっているという事実…「絶食」でへこんだお腹は見えているけれど、自分の背中はやっぱり見えていないわ。こりゃ~相当な「苦労知らず」だわ(笑)

#戦争反対 都合の悪い真実は闇の中…これが一番厄介だわ。

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似て非なるもの

2022-07-13 09:21:31 | 転職

「リアトリス(麒麟菊)」と「ギシギシ」???

ちょっと見た限りでは似ているが、実際は全く違うものを「似て非なり」と言う。中国の思想家「孟子」の「子曰く、似て非なる者を悪む(にくむ)」が由来となっているらしい。『今を盛りに咲いていた「麒麟菊」の花穂も連日の暑さで枯れてしまいました。』などと書くと信じてもらえるかも?放置された畑の「ギシギシ」の花穂が「麒麟菊」のそれに似ているなぁ…なんて感じただけでありますけれど。
さて、増上寺で行われた安倍元首相の告別式…沿道には多数の弔問者が集まった様子であります。『言語不明瞭意味不明瞭』または『言語明瞭意味不明瞭』と揶揄された、昭和の歴代首相に比べれば、方向性は別にして「言語明瞭意味明瞭」の首相だったに違いない。(巧みな話のすり替えという場面もあったような気もするけれど…。)恐らく、「記録と記憶に残る首相のひとり」となるに違いないと思いますよ。
はてさて、孔子が語った「似て非なる者を悪む。」とは、「うわべだけの偽善者は、真の善人とまぎらわしいから余計問題だ。」という教えらしい。犯行当初には「暴力による言論封殺」や「政治テロ」というフレーズが飛び交い(結果論ではあるけれど『おやじぃ』は、犯人の政治的背景はないと思っていた。)、次には「特定宗教団体との関連性への逆恨み」という論調になり、「特定宗教団体の素顔に迫る」的な報道になっている。(おいおい、あの団体って『おやじぃ』が学生時代の頃から、霊感商法など問題のあった団体じゃなかったのかい?…何を今さら。)マスコミは『権力への番人』などと称しながら、批判記事を書くことで、購読者、視聴者を確保してきた。ネタ元は当局発表なのにね…そして、国民はその記事の流れにうなずき、納得してしまう。そんな風潮の方が『おやじぃ』には怖い世の中と思えてしまうのでありますよ。


およよ、何か臭うかね?

さて、『おやじぃ』が働かない替わりに長男『ポン太郎君』は良く働いてくれております^^; いつまでも、『おやじぃ』が幅を利かせているのではなく、徐々に代替わりを模索する『絶好の機会』なのかも知れないと、前向きに思い始めております。(動かない身体には後ろめたさも感じてはいるのだけれど。)
昨日は、集荷場もお休みの火曜日(最盛期には、土日関係なく集荷は行うのだけれど。)…昨年までは集荷センターは稼働していたはずだから、取り敢えず集荷場に電話を入れてみましたけれど繋がらない。いわゆる『働き方改革』というやつで、集荷場を閉鎖して完全休養に当てているようであります。(『オラだの農協』職員だって、勤め人なんだから、休養日くらい設けなければねぇ…と理解は示しております^^;)アハハ、しかし畑の「キュウリ」は休んでくれないから、『キュウリ農家屋さん』は、お休みが無いのよねぇ。(その分、冬期間は休んでいるかぁ^^;)こうしてみると『農家の働き方改革』ってどういうもんよと考えてしまう。(自分は休んでいるくせに…しかし、一切、実入りがない。)これが、畜産・酪農家ならば…生き物を放って休むという訳にもいかないし。(ヘルパー制度というものもありますけれどね。)収穫を諦めて休む。(売上の減少)ヘルパーを依頼する。(価格が人件費に追い付かない。)とまぁ、今のところ打つ手なし…元気に働き続けるしかないようでありますなぁ。ようやく、お腹の調子も回復してきたようである。袋詰めくらい手伝うことにしますかね(笑)

#戦争反対 聖戦、軍事支援と名を変えても、戦闘行為に変わりは無い。「似て非なり」…「仮想の敵」を作って叩くことで留飲を下げることも、今のマスコミの在り方と変わらないように思える。

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猿も木から…

2022-07-12 09:18:03 | 転職

「サルスベリ」の「不用意」という花言葉…

「猿は木から落ちても猿だけれど、代議士は選挙に落ちたらタダの人である。」とポツリと語った大先輩がいた。彼もまた「選挙」という洗礼を経験した方だったから実感がこもっておりましたよ^^;
何とか毎年花を咲かせてくれますが、我が家の庭の「サルスベリ」は雪折れで、決して大きくなれない。とてもお猿さんが登れるような木ではないから、「滑る」ということは無いだろう。まぁ、立派な樹に成長したとしても、樹皮が滑らかであるから『きっと木登り上手のお猿さんも登れば滑って落ちるに違いない。』と勝手に名付けられただけであって、「滑る」ということも無いだろう。いずれも「だろう。」「だろう。」だから、実際には試してみないと分からない。油断したら落ちるかも?なんてね^^;
さて、参議院選挙から一夜明け、接戦ということはあったのだけれど、大きな『番狂わせ』ということもなく、落ち着くところに落ち着いたという感があります。一方、不幸にして銃弾に倒れた安倍元首相の警備について、どうも「タラレバ」解説が多過ぎると感じている『おやじぃ』であります。「もし…していたら、もし…していれば」…確かにその通りではあるのだけれど、余りにも不幸な事象(偶然)が積み重なってしまっている。そもそも、「銃」などと言うものは、反社会団体の一部が隠し持っているものであって、白昼堂々銃撃されるなどと一般人は思ってもいない。日本は銃の所持規制のある『安全な国家』であると信じて疑っていないのでありますよ。それをわざわざフリップで、お手製の銃構造まで紹介してくださっている…『模倣犯』が出て来ないことを祈るのみであります。(警護の)失敗は、今後の教訓として活かされるべきであって、責任の所在を云々しても仕方がない。(組織としては対応してください。)只々、安倍元首相のご冥福を祈るのみであります。


「あちゃ~注文するのを忘れていた!」

『安全神話』にどっぷりと浸かり、日本は世界でも最も『安全な国家』であると過信している『おやじぃ』であります。『狂乱物価』などという社会も経験しているはずなのに、この20年間、給料も上がらない替わりに、物価も安定していたから、「預貯金」も安全と過信してきた。一方では、民間生命保険の年金型プランは、物価スライドしない限り、受給の頃には価値が無くなると信じ込んでいた。(預貯金残高も民間年金保険も同じお金なのにねぇ…この矛盾に気付いていない^^;)凶悪な犯罪や不慮の事故だけでなく、生活上の将来不安なんてぇ…少しずつ何かが崩れ始めていることに無頓着で過ごして来たのかも知れないなぁ。(完全な『平和ボケ』でありますよ。)
はてさて、『平和ボケ』している『おやじぃ』は、先週、大きなミスに気付いたのであります。我が農園の主要作物である「キュウリ」…9月以降出荷予定の「抑制キュウリ苗」の注文を忘れていたのでありますよ。「あちゃ~!もう何ともならんか?(1ヶ月も前の注文締め切りだもの)」…祈る思いで『オラだの農協』集荷センターに電話を入れてみましたよ。大規模経営でもないから、残り苗で何とか確保出来ましたとの連絡にほっと胸を撫で下ろした次第であります。(また、『ギリギリの神さま』に助けられたようであります^^;)こうして、いつもギリギリのところでしのいでいる。『綱渡り』どころか『細い糸』が何とか切れずにすがっているという状態でありますよ。「猿も木から落ちる。」とは名人、上手の油断のお話。素人参入農家の油断の場合は…また、『ギリギリの神さま』が助けてくれるに違いない。(そんな補償はどこにも無いのでありますよ。そろそろ気合を入れないと…今朝も身体が動かないのでありますよ。)

#戦争反対 防衛費の増額のために『防衛国債』、増税などというお話もチラホラ出て来たようである。多くの国民が防衛費の増額を容認している…ホントに?「もし、あの時反対していたら。」などと、後から『タラレバ』を使いたくないのですが…。

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