その日暮らし

田舎に暮らすこの虫は「カネ、カネ、カネ」と鳴くという。

雲と自由が棲むという里で百姓に成りきれるかな?

新任と信任

2022-07-11 08:37:28 | 転職

「ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)」ですか…

軽い『ウツ症状』なのでしょうか?どうにも気力が湧いて来ない。不甲斐ない自分自身を叱ってくれる人も居ないし…そんな時のオッカーの態度と言葉は?「徐々に、徐々に」ですと。さすが、医療従事者…決して、尻叩きをしたりはしない。(ありがたくもあり、物足りなさも感じる…実に我が儘な『おやじぃ』でありますよ^^;)
さて、参議院議員選挙…大方の予想(マスコミ報道)通り、与党の圧勝!投票時間の締め切りの合図、20時の時報とともに、まだ1票も開票されていないというのに、報道各社の事前調査や出口調査結果を基に、早々に当確と議席数が報道される。アハハ、いつも見慣れた定番の光景となってしまいましたけれど、どの程度、差が開き、各党首がどういった表情を見せるのか…『小(笑)劇場』を見ているような感覚であります。
はてさて、何の違和感も持たず使っている「与党」の「与」って、どういう意味なんだ?と、いつもの言葉遊びを始めると、「与」には、①仲間になる。くみする。という意味があるようだ。したがって、与党とは、行政府を与かり、与(くみ)する政党ということになり、(少数与党という言葉もあるから、決して多数派を占める必要はない^^;)一方の「野党」の「野」はというと、「在野…民間」がその語源に近く、こうしてみると『官尊民卑』的な雰囲気を醸し出す言葉であることを知りましたよ^^;
まぁまぁ、『信任投票』のような選挙であったとしても、それが国民(選挙人)が選択した結果であるから、向こう3年間は安定した政権運営が図られるに違いない。前に進むか、停滞を続けるかは別にしてね。


「ギシギシ」も枯れ上がるんですなぁ^^;

ところで、選挙制度改革までして目指した『二大政党制』という言葉はどこへ消えてしまったのだろう? 「イデオロギーの違い」や「保守と革新」とか、『対立軸』というものが薄められてしまった。というより、大勝した「自民党」という政党自体が「保守」「リベラル」「意外と革新的」といった両翼まで飲み込んでしまい、でんと構えていらっしゃる。政党要件を何とか維持した「社民党」も一世風靡した「民主党(立憲・国民)」も衰退傾向で青色吐息…こうして見ると、政党というもの自体が『会社組織』にも思えて来る。「体制(与党、会社)」の中に入って、ジッとしていれば、その内に「閣僚(役職)」という声が掛かるに違いない。アララ、これって『昭和的な発想』、『働かないオジサン的発想』に近いような気もするが…。(昭和の残党である『おやじぃ』が考えるからこうなるか^^;)
『会社組織』であれば、毎年、平成生まれの新規社員が入社して、『昭和的オジサン』は、その感覚の違いや突き上げにタジタジになってしまう…一方の国会・参議院議員の場合は、立候補には30歳という年齢制限があるから、国会は『昭和のオジサン・オバサン』の議論の場でしかないんだよなぁ^^;
「明治維新」の推進役が、30代前後の青年たちであったとすれば、時には危うい思想やその行動を、いわゆる『大人たち』が抑え込み、時には爆発したようにも思えるが…「これからの日本をどうするか、どうあるべきか」という議論に若者たちにも参画して欲しいものだわ。まぁまぁ、「信任」を受けた「新任」の議員さんには頑張って欲しいけれど(笑)

#戦争反対 軍備の増強、子育て支援etc.…『昭和的オジサン』の発想ではなく、自分事として働き掛けられるのも若者の権利だと思うのだけれど。

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選別する難しさ…

2022-07-10 08:25:06 | 転職

2年前の選別後の画像ですが…^^;

もう、かれこれ1ヶ月近く、体調不良を理由にまともに仕事をしておりません。(困ったものだ^^;)そろそろ、『焦り』という補助エンジンで身体が動き出す頃と思いながらも、精神的にも肉体的にも『疲れ』が溜まってしまったようであります。今年は(今年も)休養に当てる…生きている内は、こんなこともあるわさ、何せ、今まで病気らしい病気というものを知らなかったのだからと自分にだけは優しくする。『男の更年期障害?』…壮年期から高齢期にかけた身体の調整期間であると腹を括ることにしますよ^^;
さて、安倍元首相の訃報から二日目…本日は、第26回参議院議員通常選挙の日。今さらながら「参議」って何だ?なんて考えてみる。「明治期には、太政官に置かれた官名のひとつであり、国家の政治上の議事に参与すること。(デジタル大辞泉)」とある。一方の「衆議」は「多人数で評議・相談すること。また、多人数の意見」なんですと…よく「選良」という言葉を耳にするけれど、こちらは「選ばれた優れた人。特に、選挙で選ばれた代議士(特に、衆議院議員)のこと。」とある。『優れた人だから選ばれる』のか『選ばれたから優れた人』と認知されるのかは知らないけれど、両議院とも「選ばれる」ことには違いはない。「キュウリ」ならばねぇ…「21㎝以上23㎝未満、100g以上130g未満で曲がり1㎝以内」といった「АS級規格」がありますけれど、人物が『АS級規格』かどうかは、親しくお付き合いしている訳でもないから分からない。より優れた方を「良識を持って選ぶ。」…選ぶ側(選挙人)が、『選良』となって参画いたしましょう。などと、言葉遊びをしております(笑)


「ほおずき」の花言葉は「心の平安」…

はてさて、安倍元首相の訃報に、ネット上では心無い言葉を発信されている方がいらっしゃる。政治的信条の違いや元首相の功罪を論ずることと、氏として志半ばで凶弾に倒れたこととは別問題である。『おやじぃ』は、それこそ「良識を持って選ぶ」選挙人、『選良』でありたいと思っている。
ところで「要人警護」って一体何なんだろう…総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官、国務大臣etc.その他、国賓、公賓と警護の対象が定められているようでありますよ。そりゃ~国家(国民)の意思決定に携わる方々だから、政治的信条の違いで(逆恨みで)標的にされては堪らない。ましてや、暴力によって、現状変更や社会転覆を図ることなど言語道断の行為である。しかしなぁ、一般国民はどうなのだろう?危険を感じて保護を求めても、実害が発生していない以上、動いていただけないという現実…残念ながら、対応できずに悲惨な結末(犠牲)となった事例もあるというのにねぇ…。「国家を守ることは第一優先課題である。」…確かに、日本と言う国家が消滅してしまっては、曲がりなりにも今の平穏な生活は成り立たないから、『おやじぃ』も頷いてしまう部分のあるのだけれど、こうして『熱く語る方々』は、どうみても戦地(戦闘)には行かないであろう年齢層が多いことが気に掛かる。防衛費を増額することでパワーバランスが保てるのか、憲法第9条を守ることで平和な社会が保てるのか…何とも判断かつかないなぁ?おいおい、こうして40年以上も「選挙」に一票を投じて来たのかい?「人の命の重さに変わりはない。」とは言えど、何故か重軽があるように感じてしまう昨今…「キュウリ」の選別マニュアルのように明快な基準が無い以上、『選ばれた結果』に対しては、納得し、責任を持つ必要があるんだろうなぁなどと考える『おやじぃ』でありますよ。

#戦争反対 世情不安(庶民の不満)、テロ行為(今回は決して、政治的背景など無いと思うけれど)etc.戦前の日本を引き合いに出して、庶民の不安に拍車をかける。外交交渉って、無力なのかなぁ?

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『垂れ流し報道』とストレス

2022-07-09 08:40:43 | 転職

「ラブレター」という花言葉を持つ花…

お相手に愛情を伝える手紙…「ラブレター」もまた令和の世の中では死語ですかねぇ?
差出人の気持ちをお相手も薄々感じていたならば受け取っても頂けるかも知れませんが、全く意識外の方から突然届いたら、今では「キショイ」などと言われて拒否されるに違いない。『おやじぃ』の世代では、携帯電話も当然メールも無かったから、直接「告白」するか「ラブレター」という手段しかなかったような気もするが…結局のところ、口コミや噂、日頃の言動など、お相手の気持ちも推測しながら、出すタイミングを図るということも重要だったような気もしますけれどね。(今でも、そのタイミングを図るという行程は、手段は違えど同じかも知れない^^;)
さて、昨日はお昼から「安倍元首相の銃撃」そして、医療スタッフの懸命な救命、蘇生措置にも関わらず、夕方には残念ながら「死亡発表」と騒然とした一日となってしまいましたね。(改めて、安倍元首相のご冥福をお祈りいたします。)そして、また、大きなストレスを抱える結果となってしまいましたよ。
「政界の要人の銃撃事件」「蘇生措置の状況」etc.確かに、その後の詳報を知りたいという気持ちはあるのだけれど、同じ銃撃の映像、また、違った角度からの映像と繰り返し、繰り返し『垂れ流される』映像を観ている。(見せられている。)確かに、衝撃的な映像は、逐一チェックして流してはいるのだろうけれど、『言論への暴力による封殺』という『錦の御旗』の下に、視聴率稼ぎという思惑も見え隠れしたりしてね、結局、夜は地上波から衛星放送に切り替えてしまいましたよ。
(日本トラウマティック・ストレス学会では、つらい思いをする場合、惨事映像から離れることを推奨しております。)


ほおずきには「心の平安」という花言葉が…

「惨状映像」と「ラブレター」を一緒にしちゃいけないかも知れないけれど、お相手の気持ちも察しないで出し続けたら逆に嫌われる。折しも参議院選挙期間中だから「民主主義への挑戦」「政治テロ」と政治家の皆さんは口々におっしゃいますけれど、『おやじぃ』には、マスコミによって、いたずらに国民(視聴者)に不安を与える行き過ぎた『煽動報道』としか受け取れないのでありますよ。それでストレスを抱え込んでいたらバカバカしい。見なければ済むことなのだけれど、どのチャンネルも同じ映像の繰り返しなのだもの…。
はてさて、そこで『おやじぃ』は考えた…同じ映像が繰り返し流されるのであれば、別の角度から報道を見てやろうじゃないか! 記者会見に臨んだ岸田首相の眼が少しだけ赤く潤んでいるようにも見えた…『ああ、もう蘇生出来ないと伝えられたのではないだろうか?』(この方はウソをつけない方なのかも知れない…ご免なさい、死亡発表前です。個人の勝手な思い込みです。) 病院側の記者会見:「輸血量100単位以上…。」…『おいおい、輸血量で20リットル以上かい…過剰輸血では?ご家族が到着するまで死亡診断を遅らせたスタッフの配慮かな?』(これまた、個人の勝手な思い込みです。)とまぁ「惨状映像」に心を痛めるよりも、その間に繰り広げられた人々の心情(思いやり)に思いを馳せてみた訳です。「知る権利」と「覗き見志向」はまったく別物であるし、「報道の役割」もまた、大人だけでなく子どもたちも見ていることに配慮して欲しいもんだわと感じた一日でありましたよ。
安倍元首相のご冥福をお祈り申し上げます。

♯戦争反対 ウクライナ侵攻の映像もまた同じこと。心的ストレスから解放されるためには見ないこと…そして、戦争など無いことが一番だと思う。

 

 

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『胡散臭い』ぴんころ^^;

2022-07-08 07:38:55 | 転職

ヒルガオの花言葉は「友だちのよしみ」^^;

「老後は、〇×収入で暮らしませんか?」「年金頼りの生活を見直しませんか?」などと、ネット上では「儲け話」が溢れ、一方では、注意喚起のお知らせが並んで検索できる^^;
「自分だけは絶対騙されない。」という根拠のない自信家や「マルチ商法も初めの内に抜ければ儲けられる。」という確信犯的な方も、『美味しい情報』が手元に届いた頃には、相当手垢が付いていると考えるべきなのだろうけれど、かく言う『おやじぃ』だって、その内に騙される可能性は十分にある。一番つらいのは「友だちのよしみで…。」という下りだろうか?いやいや、親兄弟であっても、お金を貸すときは、『くれてやったもの』と半ば諦めなければならない。ならば子は…一番、見返りの無い投資先だったりしてね(笑)
世の中に「胡散臭い話」は数々あれど、はて?ところで「胡散」とは何なんだとふと疑問に思った次第であります。調べてみると諸説あるようですが、これと言った決定打がない…『胡散臭い説』が堂々巡りしているというオチであります。
さて、参議院選挙も終盤戦…各党党首もボルテージが上がっておりますけれど、口から溢れる「公約」もまた胡散臭い^^; 選挙区選挙では、個々の候補者の主張に耳を傾けたりもしますが、個人の主張がどこまで政策に反映されるのか…個人の主張に賛同出来たとしても、「政党政治」という多数の力の前に、その主張はかき消されてしまうのではなかろうか?「一票の重さ」などと言いつつ、無力感が漂っている『おやじぃ』こそ胡散臭い人間なのかも知れない(笑)


果報は寝て待つが…寝ていても解決しない^^;

「新型コロナ第7波入りか?」オイオイまたかよ。医学には、ずぶの素人である『おやじぃ』ではあるけれど、「そろそろ死亡率や重症化率に着目して、インフルエンザ並みの取り扱いにしないと…。」という個人的な思いが強くなり始めている。一度走り出したら止まらない。誰も止めることが出来ない国民性なのだろうか?大多数の意見に従い、異を唱えたり、はみ出したりしない…そうすることで「個」が守られるものと信じ込んでいる風潮のようにしか思えないのでありますよ。(新型コロナ感染症の当初から、「新型コロナはただの風邪である。」と主張していた我が儘オジサンたちとは、チト違う。この2年半で、ウイルスに関する知見や治療法が高まって来ているでしょうという立場なのだけれど。)
はてさて、「ぴんころ地蔵」や「ころり地蔵」が全国各地に紹介されているようです。亡くなる寸前まで元気で暮らすことができる。(誰しも寝たきり生活はしたくないもの。かと言って、今直ぐコロリとあの世に行きたいという訳でも無い^^;)ならば、「ころり地蔵」改め『コロナ地蔵』としてみたらどうだろう?「地蔵様に触れたら、コロナに罹らなくて済んだ。」などと大々的に宣伝してはいけない。あくまで「口コミ」で広がっていくのが望ましい。『コロナ地蔵』の場所まで出掛ける元気が必要なのでありますよ。さらには、『胡散』なる有効成分が発見された。(何に有効かは明記してはいけない。薬事法違反になるから^^;)元々が『胡散臭い話』なのだから、これじゃ~何でもアリだわなぁ(笑)
何かにすがりたい気持ちを悪用しての「儲け話」…本来は、政治にすがらなければならないはずなのだろうけれどけれどね。

♯戦争反対 『コロナ疲れ』に『ウクライナ疲れ』…ウクライナの復興支援会議では、復興費用は100兆円超の試算結果も?軍備増強、復興費用…戦争さえなかりせば。

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〇×記念日ですか^^;

2022-07-07 08:11:02 | 転職

「アジサイ記念日」ってありますかねぇ?

「この味が いいねと君が 言ったから 七月六日は サラダ記念日(俵万智)」…「サラダ記念日」は、1987年に初版が発行されて、280万部のベストセラーとなったんだそうですよ。当時、この歌集に影響された上司から「計画書の書き出しをコンパクトに…。」などと指示を受けたことがあったけれど、短文の中に主旨をまとめ上げることは難しい…どうしても、長々とした説明調になってしまうんだよなぁ^^;
創作の世界であるから、「七月六日」に出来事があった訳でもなく、褒められた料理が「サラダ」でも無かったという後日談もある。『おやじぃ』は、「サラダ」という料理と響きから、アパートの食卓で男女が仲良く晩ご飯を食べている情景を勝手にイメージしておりましたけれど、こうして読み手に勝手に情景を『妄想』させるところが、この作品の優れたところなのかも知れませんなぁ(笑)
昨日、ラジオから流れる「サラダ記念日」の話題に反応し、ふと『〇×記念日』がやたら出て来るなぁなどと思いましてね、調べてみたら「一般社団法人 日本記念日協会(1991年4月1日設立)」なる団体がやはりありましてね、2020年3月末時点で、約2,100件の記念日が認定登録されているんだそうですよ。(1990年時点で、2,800種類以上の記念日があったと協会HPで記載がありますから、あくまで協会が認定登録した件数であります。)こうなると、登録料が気になる…1件当たり現在15万円の登録料が必要なようであります。(やっぱりなぁ^^;)5年毎に更新・継続の打診があるらしい(更新料は無料)けれど、「記念日」の知名度を上げる必要もあるから、コンサルタント料とか何だとか、色々と付随した業務もあるのではないかと『妄想』が拡がる…「金儲け」とはそんなものと勝手に解釈し、知名度が上がり、実績が伴うならばお安いものかとも考える。ちなみに「アジサイ記念日」はというと、7月14日福島県平田村の「平田村あじさい記念日」なるものがあるらしい。


「レモン記念日」はあるかな?

福島県石川郡平田村???いわき市に隣接する人口5,500人ほどの村である。公園施設に植栽されたアジサイの品種数(372品種)が、ギネス世界記録(2018年)に認定された。これを記念して「日本記念日協会」に記念日として認定・登録を受けたらしい。隣県のことではあるのだけれど、残念『おやじぃ』は、平田村を訪れたこともないし、ギネス記録のことも知らない。そこに暮らす人々が『オラの村が世界一』と誇りに思い、知名度が上がって観光客数が増えれば良いことだとは思いますけれど…。
さて、そこに勤め先があって、観光地があってetc.『外貨』を稼ぎだすことは重要ですよ…いわゆる『ムラ興し』そこに暮らす人々には陳腐な日常ではあるかも知れないけれど、外から見ると『お宝映像』などということもあるものですよ。ラジオ放送とお隣のアジサイの花から、『おやじぃ』は、偶然にも平田村にたどり着き、このブログを読まれた方も平田村の存在とすれ違った訳でありますから。(現実に、行くか行かないかは別問題ですけれど^^;)
はてさて、春先の低温で遅れていた我が農園の「きゅうり」もそろそろ出荷できそうです。ならば、初出荷を記念して「きゅうり記念日」を認定登録してみますか…あはは、2018年に「21JA、13県連、東京青果」が結成したプロジェクトで、4月を除く毎月19日が、語呂合わせで「いいきゅうりの日」に認定登録されておりましたよ。(何で4月が抜けるのよ?4月19日は既に「JAあいち」で、認定登録されていたんですと^^;)人が考え出すことなんて、みんな似たり寄ったりだからなぁ…これじゃ~折角の「記念日」も埋没してしまうわなぁ^^; まぁ、『おやじぃ』の場合は「結婚記念日」と「オッカー生誕の日」さえ忘れなければ、今後も生き残ってだけはいけると思うけれど(笑)

♯戦争反対 『烏・露終戦記念日』…勝手に記念日を登録申請してみるか。日付も確定できない長期化する他国の戦争状態を日本で登録できる訳もなく…日本が果たせる役割はあるような気もするけれど。
(ちなみに、ウクライナの漢字略称は「烏」または「宇」が用いられるようであります。)

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いっしょうこうなりて

2022-07-06 07:38:09 | 転職

「セマダラコガネ」ですかねぇ…

昨日、子どもの頃にテレビで観た映画のタイトルが分からずモヤモヤ気分が残ってしまったので、色々と検索してみたのだけれど、結局、お目当ての映画にはたどり着けませんでした。
名作と言われる映画でもなく、何せ50年以上前に観た映画ということは、制作から60年以上経っているだろうし、残る記憶の断片も曖昧だから仕方がない…まだまだモヤモヤ感は続きそうであります^^;
さて、『一生こうなって生きていくのか?』…違うちがう、「一将功成りて万骨枯る。」が正しい故事。功績の目立つ人の陰には、それを支えた無数の人の努力や犠牲があるといくことのたとえであり、中国唐代末期の漢詩が元になっている。夕刻、ふと花びらに止まった甲虫を見つけ、ハナムグリの類かと思いましたけれど、調べてみると「セマダラコガネ」のようであります。「アメリカシロヒトリ」や「イネミズゾウムシ」、最近では「クビアカツヤカミキリ」など侵入生物(昆虫)による被害が報じられていますが、逆もまた真なりで、日本からは「マメコガネ(ジャパニーズビートル)」、そして「セマダラコガネ(オリエンタルビートル)」が北米まで侵入し、芝生の害虫として被害を引き起こしているようであります。物流が盛んになれば、こうして生物(昆虫)の世界でも「侵入」「侵出」が盛んになる…そうして、その地に定着するためには、気候や食物がその個体にとって適した環境であることは当然であり、個体の生殖(繁殖)能力が高く、目立った天敵がいないことetc.が条件と言われております。「セマダラコガネ」だけを取ってみれば、我が農園では被害を意識することなどありませんけれど、ところ変わればということでしょうか?そう言えば、昨年、休耕地を耕運して、食用菊を定植したのでありますが、農園では意識したことがない「ヨモギハムシ」が大量に押し寄せ、ほぼ壊滅状態に…薬剤散布なんかしたことなかったのに?農地にも生物の多様性や生息するための『穴(空白区)』があるものだと感じたものであります。


『ノロ社長』のシャインマスカット^^;

そうそう、お題は「一将功成りて万骨枯る。」でした。各国では「植物検疫」が実施されていて、進入生物に対して、いわゆる『水際対策』が講じられております。勝手に植物の海外持ち出しや持ち込みが禁止されている訳でありますなぁ。コンテナ毎に燻蒸処理されたり、検査したりと対策は取られておりますが、それでも侵入生物を皆無にすることが出来ない。(人間のやることですもの穴は必ずある。)何か「コロナウイルスの『水際対策』を強化します。」などと演説するのと同じで、いずれは入って来てしまう。むしろ、病害虫の侵入を極力防ぎ、遅らせながら、その生物に対する知見を深めて置くことが重要な気がするのですよ。ましてや、『爆発的に』発生して、通常では被害を意識しなかった昆虫が、その地では大きな被害をもたらすということもありますからねぇ…。
「一将功成りて」…侵入生物を、『ひとかどの人物』がごとく扱うのも如何なものかとも思うのでありますが、一種類の昆虫(生物)に右往左往しているということは、その間、数多の昆虫(生物)が『侵入』を試みたに違いない。(本人の意思ではなく、持ち込まれ、運ばれてしまった結果でしかないのですけれど^^;)今、大人気のシャインマスカットも、ひと儲けを企んだ方が、某国に持ち出したりしてねぇ…。
「一将功成りて万骨枯る。」…『おやじぃ』自身は、成功者であるとは思わないけれど、生きている内には、知らず知らずのところで、人を傷付けたり、犠牲にしてきたことは無かっただろうか?それは、自分が気付かないだけで、そこそこにあったかも知れない。(いや、必ずあるはずだ^^;)『儲け(成功)』を上げるためには、どこかに『穴(空隙)』を見つけなければならないような気もする…それは、脱法行為ではないところでね(笑)

♯戦争反対 歴史に名を成す方の陰には、やはり犠牲者は多数存在する。「戦闘員」という括りであっても、個々には各国を担うはずの若者たちである。それこそ『虫の如く』殺されて良いはずはないと思うのでありますよ。

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都合の悪い事実…^^;

2022-07-05 08:43:42 | 転職

レモンの花言葉は「香気」etc.なんですと

友人『ノロ社長』が何度も挑戦している「レモンの木」…寒冷地では栽培が難しいと思うのですが、挑戦し続ける姿勢が重要なのかも知れない。レモンの花言葉には「思慮分別」という木としての花言葉もあるらしいのですが、物知り顔で「山形では無理でしょう。」などとは言わない。「無理」という言葉を使った途端に物事はそこから進まなくなるのでありまして、「無理」を承知の上で、何かに挑戦し続けることも、生き甲斐につながるものと信じておりますよ。
さて、小学1年生の頃に、一番下の叔父がテレビで観ていた洋画のタイトルが思い出せない。(というより分からない。)若い男女の恋愛ものであり、男女の出会いがオレンジ(レモン?)を拾ったことに始まり、男性が子ガモ(アヒルの子?)を安アパートで飼っていて、同じような安アパート暮らしの女性は、そのことを隠してお付き合いが始まるのだけれど、最後に別れが訪れる…そんなストーリーだったような思い出なのでありますが、まだ、『お子ちゃま』だったのでそれ以上の記憶がないのでありますよ。
何度かキーワードを並べて検索しても、これといったものが出て来ない。当時の山形県のテレビ放送局は、NHKと教育テレビと山形放送の3チャンネルしか無かったから、恐らくNHKに違いない…もしも、「名作」と言われるものであるならば、その後も何度か放映されても良さそうなものだけれど、それ以来、観る機会がない…実に曖昧な記憶。このモヤモヤ感が子どもの頃から続いているのでありますが、それは「男女の別れ」の原因が何だったのか…『お子ちゃま』には理解出来なかったからかも?今ならば、お互いの小さな「ウソ」の積み重ねが原因だったのかもなどと、勝手に解釈しておりますけれど、モヤモヤ感が続いているのでありますよ(笑)


今夜は「付け足しピザ」のおもてなし

こうした子どもの頃の『曖昧な記憶』というものは、実に自分に都合よく、再び組み立て上げられていることが多々あるものでありますよ。(子どもの頃だけとは限らないかも^^;)
遠い昔に「お前は卑怯者だ。」とある同級生に突然指摘され、とんと思い当たる節がない。良く聞いて見ると、遊び(悪戯)をして『おやじぃ』は、サッサと逃げ出し、「オレだけが叱られた。」という彼の主張なのだけれど…その場面を聞き出して、『曖昧な記憶』をつなぎ合わせてみると、あったあったそんな子どもの頃の情景が…。がしか~し、「こんなことをしていると怒られるとオレ止めなかったっけ?それでも止めないから先に帰った記憶なんだけれど…。」と、得意の記憶の再構築をしてみたが…。お互いの記憶の断片は事実なのだけれど、お互いの記憶に残るインパクトの違いと、当時の『生活態度』の差で彼は納得してくれたような気もしますけれど^^;
「一緒に遊んだ。(悪戯をした。)」「先に『おやじぃ』が逃げ帰った。」「オレだけが怒られた。」etc.と、一つひとつの彼の記憶の断片は正しい事実である。しかし、それぞれをつなぎ合わせる時間の経過と経緯がお互いに違っている…彼が口にしてくれたから思い出した記憶。彼の「誤解」は解けた?『おやじぃ』の記憶の断片のつなぎ合わせもまた怪しいところがあるのだけれど…。
はてさて、こんな古い記憶の話をしたのも「山形新幹線開業30周年」という記事を見たせいかも知れない。「停車運動」に燃えていた若い日々…機敏に動いていたつもりなのだけれど、古いビデオを見せられて『動きの悪いおやじぃ』の姿に愕然としたことがあったっけ…『都合の悪い事実』は消去してしまった方が良いようである。恋愛、結婚もまた同じかなぁ(笑)

♯戦争反対 連日報道されるがれきの光景…それぞれが事実の断片なのだろうけれど、勝者によって都合よく組み立てられていくことが怖いのです。

 

 

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キレキレの「侍ニッポン(小説?)」

2022-07-04 08:18:55 | 転職

事務所開きに久し振りの「馬刺し」^^;

「人を斬るのが 侍ならば♪ 恋の未練が なぜ切れぬ♪」…1931年(昭和6年)に発表された、小説「侍ニッポン」は郡司次郎正(ぐんじじろうまさ)の作品であるらしい。1935年には映画化され、坂東妻三郎が主役、新納鶴千代(にいろつるちよ)を演じているようである??? 『おやじぃ』も、さすがに、WBCに出場する際に編成される「侍ジャパン」は知っていても、「侍ニッポン」の内容は知らない。冒頭の主題歌は、昔懐かしい「懐メロ」で聞いたことはあるけれど…^^;
大老「井伊直弼」とその婚外子「鶴千代」のお話らしいのだけれど、まぁ、そんなことはどうでもいいや…久し振りの「馬刺し」を前に、これを「一枚、二枚…」と数えるべきか、「一切れ、二切れ…」と数えるべきか…などと、また下らないことを考えている内に、「一切れ(人斬れ)」「三切れ(身斬れ…切腹)」では縁起が悪く、店屋物の付け合わせの沢庵は「二切れ」である…という雑学に着陸してしまった次第であります。そして、「人を斬るのが…♪」という歌詞があったなぁなんて、妄想が拡がってしまいましたよ。また、生きて行く上では、何の役にも立たない知識を得るために、無駄な時間を費やしてしまった…ところがですよ、「切れ」という言葉には、色々な使われ方があるということに辿りつきましたよ。名詞的には、①物の切れ端(布切れ) ②刃物の切れ味 ③頭脳や技術の働きの鋭さ ④目じりの切れ込み具合etc.なんねて、そして、切ったものを数えるのに用いる助数詞といった具合。
まぁねぇ、身体のキレが今ひとつな毎日、頭だけでも『切れ味』を失わないように…友人『ノロ社長』がご馳走してくれた「馬刺し」と「そうめん」で今朝は、少々体調も改善したようであります^^;


キレキレのダンス…ただ寝ているだけ^^;

悪い病気で死んでから香典を頂いてもありがたくないから、その前に温海(あつみ)温泉〇×屋に行かないか?」などと、同級生『オジSUNず5』の会で生前整理のひとつを提案する。いつも飲んでいる同級生ではあるのだけれど、「還暦同級会」の準備を相談している内に、コロナ禍であっという間に2年が経過してしまいましたよ。(その間にまた1名欠けてしまった。)そうそう、これからは欠けることはあっても、増えることなど無い同級生(当然である^^;)であるから、気の合う仲間で温泉旅行などというプランも悪くはない^^;
先に旅立ってしまった同級生には、「お斎(おとき)」とは別席で、食事会(我が在所では『耳塞ぎ』…発音的には『みみふたぎ』と呼んでいる…嫌なことをこれ以上聞かないということか?)など催して故人の想い出語りなどして来た。今までは「不幸にして先だった…。」ということになったであろうことも、そろそろ早い者たちには順番が回って来そうなお年頃である。(当然、自分の順番は遅いことを願っているのだけれど^^;)生前のことを語り合ったところで故人が還る訳でもなく、ましてや、自分がその話題の中心になることなど想像もしてはいないのだけれど…。つまり、考え方が後ろ向きなのでありますよ。若い頃ならば、これからどうするかという未来を思考したであろうけれど、定年退職の年齢を迎えてしまうと、「これからどうするか?」という未来ではなく、「これからどうなるか?」というような考え方に落ち着いてしまっている。有り余るはずであった時間が「生活するため」だけの労働に変ってしまった…「生きがいのためにも生涯現役で…。」と語る方が多勢であるとの調査結果もあるようだけれど、少々『おやじぃ』の生き方とは違うような気もする。すでに「恋の未練が 何故切れぬ♪」…今さら、恋の未練など微塵もないけれど、生き方に未練はアルアル。その未練をひとつひとつ潰していくことがこれからの生き方かなぁなんてね(笑)

♯戦争反対 「一切れ(人斬れ!)」「三切れ(身斬れ!…切腹)」などという命令にだけは従いたくないですよ。

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ガウラ(花言葉:負けず嫌い)

2022-07-03 10:12:22 | 転職

ガウラ(ハクチョウソウ)は『白鳥草』ではありません^^;

同級生のお庭に咲いたハクチョウソウ(白蝶草)を一枚。思い込みとは恐ろしいもので、「ハクチョウソウ」と聞いて『白鳥草』の漢字が頭に浮かんだのでありますが、和名としては「白蝶草」が正解…「白蝶草」なら『シロチョウソウ』と読んでも良いはずなのにと、どこまでも意地を張る。そうそう、ガウラ(ハクチョウソウ)には「負けず嫌い」という花言葉があるから、片意地張るところは似たり寄ったり…しかし、もうひとつ「清楚」などという花言葉は、『おやじぃ』には似ても似つかぬものである^^;
さて、暑い最中に定植して、萎れたホワイトコーンも多少の植え痛みがあるものの、何とか活着しそうであります。(ヨシヨシ!)折角、植え付けても枯死してしまっては無駄な作業となってしまうから、様子を見てから…と、また一日お休み。あくまで、様子見のつもりでしたけれど、困ったことに身体が動かない。今年の「夏バテ」はかなりの重症のようであります。(大体ねぇ…健康のバロメーターであるはずのご飯が食べられないのだから、身体が動くはずがないのでありますよ。)それでもブログ(日記)は書き続けている。これさえも止めてしまったら、『おやじぃ』には何も残らなくなってしまう…夏休みの絵日記のように、ただただ、漫然とその日を暮らしたら最後には何も書くことが無くなってしまうのでありまして、書けるということは、動けなくても何かの活動(思索)をした結果と思うことにしております^^;
そして、今朝は『河川愛護デー』の一環で、河川清掃(草刈り)ボランティア…集落役員として、機械損料を経理したり、飲み物を手配したりと雑用をこなしております。(こればかりは、他の役員に迷惑を掛けてしまうから最低限のお仕事として動いておりますが…。)


これが河川?田んぼの水路では?

我が集落には「定川(さだめがわ)」という名の町管理河川がありまして、「流末」は最上川(松川)に流れ込むことは確かなのでありますが、源流(流始というべきか?)が定かで無い川があります。結局のところ、農業排水が最終的に「定川」に流れ込むということなのだろうけれど、意外とこれが厄介でありまして、田んぼが湛水機能を発揮している夏は、さほど心配ないのでありますが、貯水能力を超えたり、秋口に田んぼを落水してしまうと豪雨で流末(樋門)が溢れてしまうということが度々ありました。(災害時には国交省の大型排水ポンプで汲み出してからは稀にはなりましたけれど…。)最近では、二年前かなぁ…本流の最上川も氾濫危険水位を超えてしまい、避難命令が出たことから、委託業者さんも当然撤退。結果、流末の集落で何戸か床下浸水の被害を出しております。高畠町の街場でも、上流域の田んぼが転作田として畑地化された結果、逃げ場を失った水が、町内の用水路を溢れさせるということも起こっておりましてね…田んぼの「湛水機能」というものを痛感するのでありますよ。(生産緑地という面だけでなく、防災機能も担っていると理解してもらえるとありがたい^^;)
はてさて、この「定川」には「定橋」という橋が架かっておりまして、この世では結ばれない若い男女がこの橋で落ち合ったとか、己の定め(運命)を嘆いた母子が身投げをしたとか、土地の年寄りたちの物語もあったような記憶もあるのですが、今ではそんな物語を語る年寄りも居ない。
この世に運命(定め)というものがあるならば、それに従って生きて行くしかないのか…日頃からの管理で災害を減らせるものならば、集落の人足仕事にも意味がある。しかし、それを超えて起こるのが「自然災害」でありますから、日頃から防災意識だけは高めておかないとなぁ…。

♯戦争反対 人智を超えたところで起こるのが「自然災害」であるとすれば、戦争行為は「人智の範囲内」…解決手段はあると思えるのですが、「負けず嫌い」という人の性。自然との折り合い、人との折り合いというものが存在することを信じたい。

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「イカす」と「イカれる」^^;

2022-07-02 08:40:59 | 転職

「イカす」バンダナですなぁ『半三郎君』^^;

「イカす」とは、もともと軍隊で使われていた言葉(いわゆる性的隠語)で、故)石原裕次郎さんが、1958年頃、映画の中で使ったことから「流行語」となったらしく、1996年頃には「イケてる」という言葉に置き換わっているらしい^^;
一方、「イカれる」は、考え方がまともでなくなる。だめになる。といった意味で使われますけれど、「行かれる」が元語らしく、双方とも「行く」が語源となっているようであります。さて、7月の到来とともに、少しは働かなくてはと、ホワイトコーンの芽出し(伸び過ぎてしまった^^;)を定植してみましたけれど、植える片脇から萎れていく…『ダメ元』で植えているから仕方がない。それこそ「イカれた」『おやじぃ』の所業でありますなぁ^^;
暑い最中に身体を動かしてみる…その後の反動がまた恐い気もするのだけれど、「まだまだイケるイケる。」と自分を鼓舞してみる。時として「立ち上がり(立ち直り)」には、強制・強行も必要で(あくまで自分自身に対するものです^^;)今までは何とかそれで乗り切ってきた。先に植えたホワイトコーンは、追肥と水(雨)を得て、株立ちもしっかりして来ましたよ。遅れてスタートしても取り返すことは出来る。植物も人も栄養と水(活躍の場))を得ることが必要なんですよなんて物知り顔で言ってみたいもんだわ^^; 人(他人)の場合はと言うと、どうしても乗り越えられない『壁』にぶち当たって立ち止まってしまう方が居る。「やるしかないんだよ。」は、成功者(元気な者)が掛ける言葉であって、『壁』を乗り越えるアドバイスにはならない。「どうしたら乗り越えられるのか(逃げられるのか)」を一緒に考えてやらなければいけないのだけれど、中々厄介だったなぁなんて思い出しているところであります(笑)


「リアトリス(麒麟菊)」のようであります。

さて、中国の伝説の聖獣である『麒麟』は、『聖人』が出現する前兆として現れると言われている。毎年、お隣の庭に『出現』するのだけれど、待てど暮らせど『聖人』なる人物が現れる様子がない^^; どうやら「リアトリス(麒麟菊)」の『麒麟』は、伝説の聖獣の方ではなくて、首の長~い『キリンさん』が名前の由来かしらなんて思い始めておりますよ。(キク科の宿根草だもの、毎年『聖人』が表れたなら、もう少しは良い国になっているはずである^^;)
そうそう、再来週の日曜日は参議院選挙の投票日であります。ここに来て、原材料費高騰による物価高…昔ならば、「所得税減税」が争点にもなったのだけれど、「所得税」などという言葉がどこにも出て来ない。消費税の増税に伴って、財源移譲策として、「所得税」と「住民税」の税率変更があったから、「所得税減税」を訴えても、直接的に「懐」が潤うという効果が薄くなってしまったということかも知れない。(『おやじぃ』の場合は、所得税減税があっても一切効果がない…非課税だもの^^;)俄然、「消費税減税」という主張が目立つようになって来ましたよ。いわゆる「税の効果」には、財源の調達に留まらず、「所得の分配機能」という役割があると教科書でも教えてくれる内容なのであるけれど、「垂直的な公平」がどこかに消し飛んで、「水平的な公平」に置き換わってしまった社会になってしまったのでありますよ。これまた『おやじぃ』たちの世代も加わって、そうした社会を選択した「結果」なのでありますけれどね。
はてさて、「イカず麒麟」が現れない以上、「イカれた社会」では「よりマシな方」を選ぶことしか出来ないのだろうか?『イカれたおやじぃ』の頭では、暑くて考えるのも嫌になる。「日本を今一度洗濯(選択)し候」…坂本龍馬の名言を思い出し、洗濯(選択)してみますかね。洗濯(選択)はクリーニング店に任せるに如かず…これまた『丸投げ』しちゃったりしてね(笑)

♯戦争反対 「香港」返還から25年…返還前年に旅行したことがあったっけ。(最後になるかも知れないなんてね。)他国のことに口出しはしますまい。それが国民の総意で決定されたことならば…。

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