歎異抄を読み解く文学講座を終えて、久し振りのドライブ疲れを午睡で癒した。
ふと思い立って秋風の中を歩きたくなった。ヒップバッグにお茶を忍ばせて、団地の中を抜けようと玄関を出たら、早速ミチオシエが先導を始めた。
九州国立博物館南側の階段下まで徒歩10分。風に逆らうように、モンキアゲハが頭上を横切っていく。89段の階段を登るとき、再びミチオシエが導いた。この時期、やたらにこの虫が多い。我が家の庭でも、2匹が毎日水撒きの飛沫の中を飛び遊んでいる。
この89段が、いつもの足慣らしの関門である。登り詰めて総ガラス張りの博物館が姿を現すと、待っていたかのように檜林でたった1匹のツクツクボウシが鳴いた。そろそろ姿が少なくなる季節である。うまく伴侶が梢に向かってにじり寄って、無事交尾できることを祈りたくなる。
特別展の狭間の博物館は、さながら休館日のように人気が少なく、秋風を独り占めしながらエントランス前を通り過ぎた。
四阿でひと息いれる傍らを、2匹のキチョウが縺れ飛んだ。馬酔木が、早くも来春の花房の蕾を並べ始めている。
またまた現れたミチオシエに引かれながら、木道を渡って湿地の中の小道を辿っているとき、小さな水たまりの傍らに張り付くようにとまって水を吸う蝶がいた。翅を立てることが多い蝶の中で、このように翅をべったり開いてとまるのは珍しい。え?……一瞬、胸がときめいた。モンシロチョウでもなく、スジグロチョウでもない。少し黄味がかった地色に、濃淡の茶色の模様が、まるで地図のように描かれている!なんと、中学生の頃たった一度採集して以来、久しく出会うことのなかったイシガケチョウだった。実に60年近い歳月を経ての再会である。
こんな邂逅があるのなら、望遠レンズ付きカメラを持ってくるのだった。残念ながら、手持ちの携帯(スマホ嫌いのこだわりの爺は、いまだにガラケイ=有史以前の「ガラパゴス携帯」と蔑称される、二つ折りの携帯を愛用している)を近付けるが、気配を感じて飛び立ってしまう。何度も挑戦したが遂に断念、ブログにはネットの写真を借用してアップすることにした。
傍らでは、シオカラトンボと真っ赤なアカトンボが、ベンチの陽だまりを奪おうとせめぎあっている。昆虫少年だった昔日への想いにときめきを温めながら、次第に傾斜を強めていく112段の階段を登った。
車道に出て少し歩くと、そこが「野うさぎの広場」への散策路の入り口。額から滴る汗を拭いながら、ゆっくりと登っていく。春になれば、この小道にハルリンドウが群れ咲く。訪れる人も少ない林の中を、拾った小枝で蜘蛛の巣を払いながら小道を辿って行った。
さわさわと風が鳴る。小さなイトトンボが「野うさぎの広場」で今日も遊んでいた。木立を抜ける風に汗を弄らせていると、藪蚊の襲来!タオルで払いながら、ほうほうの態で逃げ出した。まだ山路には藪蚊という夏の名残が色濃く残って、とてもひと息いれるどころではない。ひたすら身体を動かし、腕を振り、タオルで払い続けたのに、むき出しの両腕はしたたかに藪蚊に苛まれていた。
天神山の散策路を辿る。そろそろ落ち始めたドングリをカリカリと踏みながら、天開稲荷の所まで来ると、ここにもミチオシエがいて境内に誘う。横目拝みで通り過ぎると、なんと4匹のミチオシエが山道を飛び交っていた。さてさて、どの一匹に従えばいいのだろう?
この道には、ウバユリの群生地がある。まだ緑の握り拳をしっかりと振り立てて、秋風の中に孤高の姿で佇んでいた。藪陰の数本を分けてもらう。種子まで育って枯れたら、我が家の庭に蒔いてみよう。
博物館エントランスの120段の階段を一気に上がり、ベンチで憩う。滴る汗を拭いながら、ジーパンの裾にびっしりと張り付くイノコヅチを一つずつむしり取るのが、この季節の散策の仕上げである。
一人歩きの山路で出会ったイシガケチョウと、拾い採ったドングリ、摘み取ったウバユリの実……秋風の中の散策路でいただいた、ささやかなお土産だった。
夏の背中はもう見えない。
(2013年10月:写真:イシガケチョウ~ネットより借用)