蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

鈍色の空に

2020年02月08日 | 季節の便り・花篇

 「ログイン出来ててホーム画面出ないことは100パーセントありえないと思う。
ブラウザ、何使ってるかも教えて。
Chromeとかも試して見てくださ。いInternet Explorerは、もうMicrosoftが使わないよう告知してるから。EdgeかChromeで」
 
 「ブラウザ」が何かもわかっていない情報弱者である。

 蹲った冬は一度も立ち上がろうともしないまま、暦の上の春が立った。初霜も初雪も見ないままに、暖冬が春に背中を見せようとしている。1月生まれなのに寒さに弱く、襟元に冷たい指を差し込んでくる冬は、心底苦手である。だから、心地よい季節であるはずなのに、小さな無理やストレスに苛まれたのか、少しばかり不調になった。
 寒暖乱高下する不快な日々に加え、新型コロナウィルス性肺炎の猛威が世界を震撼させる日々が続いている。「いずれ人類は未知のウィルスで滅びる」という説を、ずいぶん前に聞いた記憶がある。甘く見てはとんでもないことになる。終息しないままにオリンピックを迎えたら、いったいどうなるのだろう?横浜沖で、事実上隔離病棟化しているクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号は、15年前に10日間のアラスカクルーズで、船旅の豪華な楽しみを満喫した同じ船である。とても他人事とは思えない。あの時は3500人の乗客のうち、日本人は僅か5人だった。隔世の感は否めない。

 新しいパソコンの軽やかなタッチに漸く馴染んできたある日、突然ブログの編集画面に入れなくなった。ささやかな自分史のつもりで、15年続けてきた「蟋蟀庵便り」、特に公開しているわけでもないのに、毎日読んで下さっている人たちが100人ほどいる。長く途絶えると、体調を心配するメールが届く。その温かさに励まされて書き続けてきた。(考えながらキーボードを弾くー―それは認知症予防効果でもあろうか?)
 さぁ困った。横浜の長女にSOSを打った。元IBMのSEである。パソコンを初めて買ったときにも、彼女が全てインストールしてくれたし、困ったときはいつも遠隔操作で解決してくれた。今回も、頼みの綱としてSOSを発し、難なく解決できるものと高をくくっていた。ところが、どこで回線の迷路にはまり込んだのか、指示通りにしても撥ねつけられ続けた。
 数日メールのやり取りに明け暮れたが解決せず、ほぼ諦めの境地に陥りかけていた。
 「次回、生存確認に帰省するまで、ブログもお休みにするから大丈夫だよ」
 そうメールした最後に届いたのが、冒頭のメールである。

 ブラウザ?何のこと?いまだにガラ携にしがみ付き、スマホを持たない。我が家はパソコン依存が半端ないのに、本質はいまだにアナログ人間なのである。社会人になった頃は、まだそろばんと計算尺で事務をこなしていた。リタイアした頃さえ、まだワープロに依存していた。本格的にパソコンを始めたのは、定年退職後の20年前のことである。81歳とは、そんな世代なのである。

 確かに、インターネットは「Internet Explorer」ばかり使ってきた。ふと、新しいパソコンの画面に「Microsoft Edge」というアイコンを見付け、試しにブログを開いてみた。呆気なく編集画面が出てきた。己の情報弱者たる所以を思い知った2週間だった。
 改めて今、「蟋蟀庵便り」復活を試している。

 立春の日、我が家の紅梅と白梅が綻び始めた。南隣りに2階屋のアパートが建って以来、日当たりに恵まれなくなった庭である。ご近所や友人のお宅の梅は「既に」咲き揃い始めているのに、我が家では「漸く」の一輪だった。
 太宰府では至る所に梅が溢れ、わざわざ天満宮の梅園を訪れなくとも、風情は十分に楽しめる。ある意味で、あまり春の訪れの感動がない花便りではある。むしろ私にとっての早春賦は、日本水仙の仄かな香りであり、道端に青空の欠片を散りばめるオオイヌノフグリの可憐な踊りだった。

 未明の散策も数日休んだ。焦るまい、もうすぐ「野うさぎの広場」にも、うららかな春の木漏れ日が落ちる。
小さなベルをリンリンと鳴らしながら、林間の散策路を辿る日を楽しみにして、もうしばらく未練がましい冬の冷たい指先に耐えるとしよう。
               (2020年2月:写真:蟋蟀庵の紅梅一輪)