蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

終活への助走

2020年02月12日 | つれづれに

 冷たい雨が都市高を渋滞させ、思った以上に時間がかかった。博多駅前の車の混雑は高齢ドライバーにはキツいから、慣れたリバレインの地下3階駐車場に車を停め、マスクをして地下鉄空港線で博多駅に向かった。
 再開発されて以来、2度目の訪問である。オープン直後の大混雑は半端なかったから、太宰府からは何となく遠い存在になり、新幹線への乗り換え以外は立ち寄ることもない。まして、新型コロナウィルス性肺炎が世界的に拡大している最中に、異国の旅人が群れる博多駅は鬼門である。早々に地上に上がり、公証人役場を目指した。

 旧年秋、ふとしたきっかけから市の無料法律相談に出かけ、行政書士の説明を受けた。母を亡くした時、その後始末にカミさんが奔走した。死亡届と同時に預貯金は凍結されるから、あとの手続きが大変なものになる。市役所、母の出身地の区役所、父の本籍地の神奈川県の町役場……原戸籍を取り、相続人の相続放棄手続き、預貯金や土地家屋の始末、公的費用の支払い停止等々、どれだけの時間と手間と費用が掛かったことだろう。
 認知症気味の叔父が行方不明になった時の後始末には、失踪宣告が出る7年間の財産管理人となり、家庭裁判所、警察署、市役所、金融機関など、最終的な決着を見るまで、実に9年も掛かり、その処理した書類は厚さ10センチ近くなった。
 そんな面倒を娘たちに掛けるわけにはいかない。相続遺言書についての相談に、行政書士の懇切丁寧で分かりやすい説明を受けて気持ちが決まった。
 年明けて行政書士が来宅、こちらの要望を確かめた上で、「公正証書遺言書」と「公正証書尊厳死宣言書」を書き上げてくれた。そして、指定された日に公証役場に赴き、行政書士二人の立会いの下に、カミさんと私がそれぞれ呼ばれ、署名実印を押して、正式に公正証書4通が作られた。「伝家の宝刀」、「黄門様の印籠」である。この正書(謄本)があれば、問題なく全てが指定された相続人に委ねられることになる。
 説明を終わった公証人が言う「原本は、日本が沈没しない限り、あなたが120歳になるまで、役場で保管します」
 肩の荷を下ろして、駅前地下街で20年ぶりにランチを取って帰途に就いた。

「尊厳死宣言」の文言に圧倒された。もうこれ以上ないくらいにリアルな言葉が並んでいる。だからこそ、安心する。
「第1条:私は将来病気に罹り、または傷害のため、これが不治であり、かつ、死期が迫っている場合に備えて、私の家族及び治療に携わっている方々に向けて、以下の要望をいたします。
① 私の疾病が、担当医師を含む2名以上の医師により、現在の医学では不治であり、かつ、すでに死期が迫っていると診断された場合には、死期を延伸するためだけの治療は一切行わないでください。
② しかし、私の苦痛をやわらげる処置は最大限に実施してください。そのために投与した麻薬などの副作用によって死亡時期が早まってもかまいません」

 いくつもの延命治療の現実を見てきた。最後の判断に苦しむ家族も見てきた。そのツラさをカミさんや(カミさんにとっては私や)娘たちには味合わせたくない……それが、行政書士にすべてを委ねることを決めた、もう一つの理由だった。
 少子高齢化、核家族化が加速する時代である。私たちと同じような決断をする人が、きっと増えてくることだろう。公証役場にも、切れ目なく人が訪れていた。

 もちろん、120歳まで生きるつもりはないが、81本の一里塚に加え、あと何本立てたら卒塔婆に代わるのだろう?
 「こんな公正証書を作る人ほど長生きしますよ!」と言ってくれた行政書士の言葉が力づけてくれる。
 走り帰る都市高の雨をワイパーで払いながら、気持ちは安らいでいた。助手席では、安心したようにカミさんも微睡んでいた。

 昨日の午後の散策の途中、道端に小さな春を見つけた。オオイヌノフグリ……青空の欠片が、枯草の間に幾つも散りばめられていた。
                       (2020年2月:写真:オオイヌノフグリ)