蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

梅雨、黄昏、花開く

2020年07月05日 | 季節の便り・花篇

  日没間近に降り始めた雨の中を、黄昏を呼び寄せるようにヒグラシが鳴き始めた。少し哀しげな声が、次第に雨音に紛れていく。

 7月2日に、クマゼミの初鳴きも聴いた。昨年より6日早い。我が家の八朔に空蝉が鈴なりになるのも、もう間もなくだろう。
 チビっ子のくせにウシガエルのように重い声で鳴くハルゼミ、姦しいまでに豪快なクマゼミ、油照りの暑熱を煽るアブラゼミ、少し苛立たしいようなニイニイゼミ、薄明や黄昏の中で哀愁を漂わせヒグラシ、秋風の気配を呼び寄せるツクツクボウシ……それぞれに季節の役割を担った蝉の声は、やはり日本の風物詩だろう。
 熊本で激しい豪雨が荒れ狂った。梅雨末期の水害の季節である。暴れ川・球磨川が、人吉から八代にかけて何か所も氾濫し、既に死者行方不明者が50人近い。何度も走ったあの道が、あの橋が濁流に流されていく。身近なだけに、その映像は衝撃的だった。
 現役時代、7月と12月に毎年訪れていた坂本村の電器屋さんには、天井に小舟が吊るされていた。川幅が狭くなる中流域は、上流で大雨が降れば溢れるしかない。それが生活の中に染み込んでいた。しかし、今年の雨は常識を超える。線状降水帯は、手の付けられない暴れん坊となった。温暖化が更に加速し、「かつてない」気象が「当たり前」になってきている。

 梅雨の末期の激しい雨を、博多辺りでは「ハゲ雨」という。語源を知りたくてネットで引いたら、唯一の情報として、昔カミさんが書いた「”ハゲ雨”って?間もなく梅雨明け。2014-07-19  日々の中で」というブログが出てきて笑ってしまった。やはりこの地方特有の言い回しで、ネット情報にさえ出てこない。向こう1週間のハゲ雨が、北部九州の梅雨の山場となる。
 来年に延期された博多祇園山笠、「山笠のあるけん、博多たい!」というキャッチフレーズを懐かしみながら、カミさんは今年唯一の飾り山を観に、友人の車で櫛田神社に出掛けていった。人形師・中村信喬父子が飾る山にも、コロナ撃退の願いが込められている。

 例のしたり顔で、アベが「対策本部設置」を謳い上げる。お前さん、その前に取るべき責任が幾つも幾つもあるんじゃないか?!「私の責任です」と口では殊勝なことを言いながら、ただの一度も責任を取ったことがない。その鉄面皮振りに呆れることにも、もう疲れ果てた。奴は、どこかで人間としての神経が切れているのだろう。これを「人でなし!」という。

 安全だった避難場所も、今年は新型コロナウイルスの不安が付きまとう。鹿児島でも夜の街に集団感染が爆発した。二次感染を思わせる首都圏の感染者増にも、いつまでも歯止めがかからない。夜の街……例えばホストクラブの検査が進んでも、客となった女性は多分名を伏せて巷に潜んでしまっているだろう。症状の出ない感染者がじわじわと広がり、やがて高齢者に感染させて重篤患者が増え始める……不気味な足音が、「怪談牡丹灯篭」のお露の下駄の音のように、「カラ~ンコロ~ン」と聞こえてくる。
 今日の都知事選を控えて、都知事の打つ手も中途半端だし、政府の動きも歯切れが悪い。経済優先=選挙対策=利権・金権という、いつもの絵が見えてくる。「人命は二の次」というのが、日本の政治家の価値観なのだ。その限りでは日本も、中国やロシア、アメリカと堂々と肩を並べて見劣りがしない害獣。
 夜8時、開票と同時に、現職の「当選確実!」が出た。1分と経たない瞬間である。毎度のことながら、「出口調査」で呆気なく結果が見えてしまうこの開票速報の仕組みは面白くないし、ハラハラドキドキのときめきすら感じる暇がないのは、妙に寂しい。
 さて、これで東京都の感染対策が強気に変わるのだろうか?早速新都知事が、「人に焦点を当てた都政」とぶち上げる。さあ、わざとらしい丁寧語は要らないから、その辣腕を見せていただこう。コロナ禍の中で、人の道を踏まえた政治を果たして為しうるか、お手並み拝見といこう!

 昨夜、黄昏を待って夕顔が見事に咲いた。蔓の伸びが悪く、ハズレかと思っていたのに、40センチほどしか伸びていないなかで、大輪の花を開いた。自然界は測り知れない。人間も大自然の一つの構成要素に過ぎない。そのことを理解する謙虚さがない限り、地球にとっては人類も絶滅すべき害獣として存在するに過ぎなくなるだろう。
 3つの鉢の月下美人に、14個のトゲトゲの蕾が着いた。2週間ほど後には、我が家は絢爛の花と芳香に包まれる。45年前の沖縄にルーツを持つ月下美人が、世代を重ねて今年も花の宴を催してくれる。
 自然は決して滅びない。
                                  (2020年7月:写真:夕顔)