蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏への宴~その2

2020年07月17日 | 季節の便り・虫篇

 蟋蟀庵恒例の、夏の宴は更に続いた。薄明の中に鳴く声に目覚め、黄昏れで鳴く声に夕餉を摂る……「カナカナカナ♪」と鳴くヒグラシの少し哀しげな声は、蝉の中では一番心に染みる。
 もう、クマゼミも「ワーシワシワシ♪」と姦しく鳴き立て、アブラゼミも「ジリジリジリ♪」と暑熱を掻き立てている。「チイチイチイ♪」と鳴くニイニイゼミは、まだ確かめていない。あと1か月もすれば、慌て者のツツクボウシが、「オーシツクツク!」と、秋の前髪を引っ張り始めることだろう。

 3日前から、庭の八朔の枝先で、蝉の羽化が始まった。昨年より9日遅い始まりだったが、昨夜までで既に9匹が誕生した。多い年は、ひと夏で100匹を超えた年もあったのだが、さて今年はどこまで数を伸ばすのだろう?
 時には10匹近くが一斉に羽化したり、一つの枝先に3匹が重なるように下がることもある。同時進行形で、いろいろなステップを見せてくれた夜もあった。
 我が家の羽化は、クマゼミが殆どである。八朔の根っこの樹液は、クマゼミが好むのだろうか?早い時期はヒグラシ、そして低い草陰でたまにニイニイゼミの土まみれの空蝉を見付けることがある。

 昨夜、8輪の月下美人の饗宴に酔う傍らで、時々部屋を離れて庭に出て、八朔の樹の下に立った。1匹のクマゼミが羽化しようとしていた。毎年のことながら、カメラを構えて刻々と姿を変える誕生劇を撮り続ける。目線より少し低い葉蔭でドラマが続いていた。脚立を持ち出し、海中電灯で確かめながらドラマを追う。

 使い慣れた一眼レフの調子が悪く、なかなかシャッターが落ちない。カミさんの小型カメラとスマホのカメラまで抱えて、月下美人とクマゼミの間を出たり入ったり……のけ反って殻を抜け出し、徐々に翅を伸ばし、翅脈を綺麗なグリーンに染めるまでを見守っているうちに、日が変わっていた。
 夜明けには、柔らかい翅もしっかりと固くなり、褐色にグリーンを走らせた精悍なクマゼミが、伴侶を求めて大空に飛び立っていく。

 蝉は歌っているのではない。すべてが、種を維持するための命の営みなのだ。鳴けない雌は、オスの鳴き声を求めて、より種族維持に相応しい雄にすり寄って交尾する。虫たちには喜怒哀楽はないし、恋もない。だから、その純粋なひたむきさに惹かれる。
 発情期を失った人類は年中発情し、生殖の営みを快楽に変えてしまった。そして大繁殖を可能にして、文明を発展させた。しかし、その陰で失っていったものも多い。戦争と疫病という調整機能も弱くなった。いまや人類は、地球環境にとって最悪の害獣になってしまった。今回の新型コロナウイルスは、自然界からの警告であり、あるいは怒りの鉄槌なのかもしれない。
 その一方で、草食男子の蔓延や独身謳歌の風潮は、種としての生殖機能の弱体化であり、日本民族という種の滅亡への兆しでもある。

 「我も老いたり、カメラも老いたり!」
 カミさんは、「アベの10万で買い替えたら?」と言ってくれるが、我が家のアベの20万は、ずいぶんいろいろと使って、多分もう足が出ている。騙し騙し、年老いたカメラと付き合って、これから当分八朔の下に立ち続けることだろう。立つのは慣れているし、何度立ち会っても、この命誕生のドラマは心をときめかせてくれる。
 ひとつ不思議なことがある。こうして長い間八朔の下に佇み続けても、藪蚊に刺されることがないのだ。何故だうろ?

 コロナ感染は、首都圏や関西を中心に拡大し続けている。そんな中で「Go Toトラベル」というキャンペーンが始まろうとしている。コロナ撲滅と経済の両立、そんなことが果たして可能なのだろうか?アメリカ、ブラジル、インドなど拡大加速の中で、観光業者にはありがたい政策だろうが、周辺の一般家庭では不安材料でしかない。東京発着は対象外という姑息な手段で、「Go Toトラベル」が「Go Toトラブル」に陥るのではないか?
 ……そんな不安な世情をよそに、自然界は間違いなく季節を刻んでいく。それを見つめ続けることは、大きな癒しでもあるのだ。
 蟋蟀庵の夏の宴は、今始まったばかりである。
                            (2020年7月:写真:クマゼミの羽化)

夏への宴~その1

2020年07月17日 | 季節の便り・花篇

 そろそろ梅雨明けの時期なのに、晴れるでもなく降るでもなく、どんよりと重い日々が続く。買い物や病院などで少し身体が軽くなった宵だった。昨夜の1輪に続き、8輪もの月下美人が一斉に花開いた。日本中、ほぼ同じ日に花を咲かせるクローンだが、我が家の2鉢は45年の歴史を重ねるうちに、株分けして差しあげたご近所さんでは、2~3日微妙なずれが生じている。もう1鉢は、カリフォルニアの次女の家から持ち帰った葉から育て、やはり数日のずれがある。
 次女がご近所に分けた株は、よほど環境がいいのか、身の丈迄育ち、二日間にわたり20輪近くが毎晩咲いたという。霜の心配がないカリフォルニアだから、地植えし大きく育てたらしい。我が家では、冬は広縁にあげ、春秋は日当たりのいい庭先、真夏は葉が日焼けしないように梅の木の陰に移動させる。抱え上げるのに苦労する重さだから、これ以上鉢を大きくはしたくない。

 とげとげの小さな蕾が次第に大きくなり、やがて徐々に頭をもたげて鋭角にそそり立つ。膨らみ始めて数日、漸く開花の夜を迎えた。8時頃からおちょぼ口を開き始め、9時半頃に半ば開いた辺りから、一気に香りを放ち始める。甘く濃厚な芳香は、一輪でも部屋を満たすほどなのに、今夜は8輪!あまりの濃厚さに、戸を開けて網戸にした。10時半過ぎから最高の見頃を迎える。重なる花びらの奥で雄蕊が伸び、下から包み込むようにたくさんの雄蕊が立つ。
 絢爛豪華でありながら、気品溢れる清楚さには、いつも言葉を失う。これから10月頃迄、幾度か花の宴を繰り広げてくれるだろう。我が家の、夏の宴の始まりだった。

 ひと夜限りの儚い花である。儚いが故に、明日か今宵かと、心をときめかせながら待つ日々は楽しい。一夜明ければ、すっかりうなだれて昨夜の絢爛さはない。しかし、そこからもう一つの楽しみがある。花をさっと湯通しして刻み、甘酢をかけて啜ると、とろみとシャキシャキ感が絶妙の食感なのだ。酒の肴に、箸休めに、花の宴の余韻を楽しませてくれる。
 そのまま冷凍して、冬場の鍋料理に入れると、これまた絶品!!

 45年前、赴任先の沖縄・豊見城の社宅の庭にあった月下美人の葉を2枚を父に送った。父が育てて咲かせ、ご近所を招いて花見の宴も重ねた。当時はまだ珍しく、テレビや新聞にニュースになるほど珍重される花だった。古くから日本に普及していた株は、メキシコの熱帯雨林地帯を原産地とするサボテン科クジャクサボテン属の常緑多肉植物である。原産地からそのまま導入された原種だが、絶滅の惧れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(通称: ワシントン条約)の附属書IIの適用対象となっている。
 原産地から導入され、台湾を経由して長崎に上陸して全国に株を増やしていった。たった1つの株から挿し木や株分けで増やされた同一クローンである。だから、全国ほぼ同じ夜に咲く。テレビで特集して実況した夜に、やはり我が家でも咲いていた。

 父が逝き、母が9年守り、やがて病で手が及ばなくなり、殆ど枯れかかっていた株から数枚の葉を捥ぎとって復活させ、私が引き継いだ。我が家から株分けされていった鉢は、もう5軒ほどになるだろうか?我が家の歴史とともに、45年間も夏の夜を飾ってきた花である。だから、この時期になると、いつも同じようなことを書いてしまう。

 咲き誇る姿に見惚れ、今年も何枚も写真を撮り、気が付いたら日付が変わっていた。満ち足りた深い眠りが待っていた。
                             (2020年7月:写真:月下美人)