蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

Pipistrellus abramus

2013年06月16日 | つれづれに


 子供の頃、夏の夕暮れの空は、一面襤褸をぶちまけたような蝙蝠の群舞に覆われていた。細い竹竿をビュンビュン振り回したり、タオルに石を包んで放り投げたりすれば捕まえられると誰かに教えられ、夕闇の迫る中で近所の悪餓鬼たちと遊んだ。それで捕獲出来た記憶はないが、濡れ雑巾を掴んだような不思議な感触が今も残っているから、手に取ったことはあるのだろう。
 「コウモリ来い、豆やるぞ」…そんな歌を歌いながらタオルを投げ上げていた記憶がある。ユスリカ、ヨコバイ、ウンカ、小型甲虫を食べる肉食動物だから、豆を食べる筈もないのだが…。
 日本では唯一家屋を棲家とする蝙蝠で、正しくはアブラコウモリ、別名イエコウモリ、学名をPipistrellus abramusという。シーボルトが長崎で捕えた頃、北部九州ではアブラムシと呼ばれていた。abramusという学名の由来である。この名前は、江戸時代には全国的な呼称だったという。 それほど身近だった蝙蝠を、夕空に見なくなってから久しい。雀が減った理由と同じく、日本家屋が軒下を塞ぐ工法に変わっていったことにもよるのだろうが、この激変ぶりは、それだけではあるまい。

 数年前から我が家に1頭のアブラコウモリが棲むようになった。飛び立つ姿は1度見かけただけだが、今年もいつもの軒下の犬走りにお馴染の糞が散らばり始めた。一緒に1匹の小さな虫の死骸が転がっているのは単なる偶然か、餌の取りこぼしなのか不明である。失われた風物詩の復活を祈りながら、毎朝糞を確かめるのが日課になった。

 朝6時前…。空気は湿っているが、まだひんやりと涼しい朝風の中で道路の落ち葉を掃く。このところしきりに散る山椒の葉に混じって、1匹のアオナブンが潰れていた。クヌギの樹液に寄る虫たちを採集していた頃の常連である。
 見上げれば、高い梢の先で数十個の八朔が青い実を育て始めている。庭木の間を小さな狩蜂が数匹、餌を探して飛び回っている。ベッコウバチやクロアナバチ、ジガバチなど大型の狩蜂が飛び始めるのは、餌が育つ梅雨明け後の真夏である。
 風の吹くままに隣の棒に巻き始めたオキナワスズメウリの蔓を外して巻き替え、玄関から庭の奥に連なるラカンマキの上を、今年もせめぎ合いながら伸びるカラスウリの蔓を確かめる。
 蔓延り過ぎたミズヒキソウを思い切って間引きし、ミヤコワスレやシュウメイギクの風通しを良くする。今年初めての月下美人が、とげとげの蕾を9つ伸ばし始めた。

 ひと汗流して縁から上がったら、明日の入院を前にした家内が起きてきて、朝ご飯を用意してくれていた。ガステーブルの火口を点検に来たガス屋さんが持ってきてくれた自家製のレーズン・パン1枚をトーストし、友人が300坪の畑から朝採りして届けてくれた新鮮なキュウリと紫玉ねぎにトマトとウインナーを添えたサラダ、そして牛乳…人の厚意に支えられたいつもの朝ご飯である。

 朝晩かき混ぜている糠床が、ようやく美味しい香りに熟成してきた。ラッキョウ、梅酒、梅サワー、そして糠床。すっかり漬物づいた蟋蟀庵ご隠居である。
 朝食を終えて洗濯物を干す頃、日差しは一気に苛烈さを増していた。今日も暑くなりそうな「父の日」の朝である。
                    (2013年6月:写真:アブラコウモリの糞)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿