巷に、ゴールデン・ウィークという民族大移動の日々が始まった。365日休日のリタイア族にとっては、年中がゴールデン・イヤーである。後期高齢者とか情報弱者とか、粗末に扱われることが多くなったが、シルバー・エージという名前を返上し、これからはゴールド・エージと言ってもらおうか。公共乗り物のシルバー・シートも、ゴールド・シートと改称すれば、今や最大の人口構成族の我々にも、もう少し日が当たるかもしれない……そんなバカなことを考えながら、初夏の日差しの下を歩いていた。
4月の晦日である。予報は最高気温25度と出ていた。「暑くならないうちに、山笑う緑を観に行こう」とカミさんを乗せて車を出した。勿論、渋滞の中を遠出するつもりはない。走り出して僅か5分、観世音寺境内の駐車場に車を置いて降りた途端に、緑の海に飲み込まれた。新緑と真っ盛りのツツジ、草むらに群れ咲くキンポウゲやサギゴケ、少し強めの風が、上がり始めた気温を払い去っていく。
ショルダーにマクロの交換レンズを入れ、首から標準レンズを嚙ませた1キロほどの一眼レフを提げ、観世音寺の境内を抜けた。冷たい水とおやつは、カミさんの小さなリュックの中にある。
7世紀後半に天智天皇によって開基され、奈良の東大寺と栃木の下野薬師寺と共に「天下三戒壇」のひとつに数えられる古刹・観世音寺。九州随一の仏像彫刻の宝庫とも言われ、高さ5メートルを超す木造の馬頭観音立像と不空羂索観音立像をはじめ、聖観音坐像、十一面観音立像、阿弥陀如来坐像 、四天王立像 、大黒天立像、吉祥天立像、兜跋毘沙門天立像、地蔵菩薩立像 、地蔵菩薩半跏像 、聖観音立像、阿弥陀如来立像など、圧倒的な存在感で宝物殿に収められている。
特に、国宝とされる梵鐘は奈良時代の作で、京都・妙心寺の鐘と同じ木型を用いて鋳型を造った兄弟鐘といわれており、大晦日の「ゆく年くる年」では、度々除夜の鐘を全国に響かせている。
境内の真っ盛りの藤棚に飛び交うクマンバチのホバリングを楽しみながら裏に出ると、目の前の山はカリフラワーのようなクスノキの新芽で覆われていた。この季節だけのご馳走である。
いつも新鮮な野菜や果物を届けてくれるYさんの畑を覗いてみたら、ご夫婦で夏野菜・秋野菜の植え付けの真っ最中だった。「エンドウ豆がもうすぐですよ。また摘みに来て下さい」……我が家はいただき専門で、約束していた草取りの手伝いも、このところ果たしてない。イノシシ除けの柵に囲まれた300坪の畑の一隅は、秋になるとコスモスの海になる。
お喋りで少し畑仕事のお邪魔をしてから坂道を上がり、住宅地を抜けて「秋の森公園」にはいった。緩やかな傾斜地を九十九折れる散策路を登り、小鳥の囀りを聴きながら小さな峠から下ると、そこはもう「春の森公園」。今年はイノシシに掘り起こされた痕もなく、花時を終えた桜の森もすっかり草と花に覆われていた。
お休みどころのベンチでひと息入れる。汗ばんだ肌に、緑の風が清々しく爽快だった。思った通り、ハルリンドウは短い花時を終えていた。それでも、身体が染まりそうなほどの緑に包まれて、限りなく豊かな時間をほしいままにしていた。通りすがりのご近所の人が声を掛けてくる。
「気持ちいいですね!」
「ホント、交通費はタダだし…」
かつて肩の腱板断裂手術で2ヶ月の入院をしていた頃、外出許可をもらっては、三角巾で片腕を吊りながら、冷たい風の中を冬日に僅かに温められてこの道を歩いた。すっかり葉を落としたメタセコイアが、鋭い枝先で天を突く季節だった……そんなことを思い出しながら、眩しい日差しを浴びていた。
シオカラトンボの雌雄を久し振りに見た。ベニシジミ、ヒメウラナミジャノメ、ツマグロヒョウモン、アゲハチョウ、アオスジアゲハ、モンシロチョウ、キチョウ……蝶たちが舞い始めるこの季節、山は一斉に命が満ち溢れる。
ゴールデン・ウイークの残りの日々は、のんびりと家籠りして庭いじりなどで過ごそう。それが終われば、私たちゴールド・エージの「黄金の日々」が始まる……歳を考えれば、そう浮かれてばかりもいられないのだが……。
今日、太宰府は27.6度を記録した。走り急ぐ夏が、春の名残を蹴散らす勢いで近づいてくる。
(2017年7月:写真:楠若葉の観世音寺)
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