冬至が明けた翌朝、2.2度の寒風が早朝ウォーキングの手をかじかませた。皮手袋を通して、シミシミと冷気が浸み込んでくる。有明の月が残る空はまだ明けやらず、ペンライトで足元を照らしながら、いつものコースを歩き、息弾ませて石穴稲荷の門前に手を合わせた。一日の息災を願い、お狐様が咥えた巻物を指でスリスリして、また坂道を下っていく。
母が、「冬至が過ぎると米一粒ずつ日が長くなる」といつも言っていた。その母が逝った歳を、あとひと月足らずで超える。よくもまあ、この歳まで生きてきたと、無量の感がある。
「一陽来復」――去っていた陽の気が、再び帰ってくる――易(陰陽思想)に由来する言葉が、今年ほど待たれたことはない。「冬が終わって春が来る」という解釈にはまだ実感がないが、「悪いことが暫く続いた後に、良いことが起こる」という解釈にしがみつきたい思いがある。コロナ禍のオミクロン株が不気味に蠢き始めた師走、祈る思いで「一陽来復」という言葉にしがみついている。
早朝のストレッチとウォーキングを欠かさないものの、コロナ籠りで足腰の弱りへの不安がある。それを払拭したくて、今年最後の「野うさぎの広場」散策に出掛けた。
暖かい冬晴れの午後になった。この後に、今冬最大のクリスマス大寒波が迫っている。大宰府の26日、最高気温3度、最低気温氷点下1度、27日には氷点下2度の予報が出ている。「一陽来復」には、まだまだ程遠い年の瀬である。
猛暑と長雨に苛まれて体調定まらず、半年以上の御無沙汰だった。九州国立博物館への89段の階段を上り、脇を抜けて四阿沿いの散策路を辿った。イノシシの狼藉が、もう住宅地の傍まで迫っていた。道路一本隔てるだけという野性とのせめぎ合いに、どこか喜んでいる自分がいる。もちろん、私は野性の味方!
仄暗い杉木立の下草は綺麗に刈り取られ、浸み出る水が小さなせせらぎを聴かせてくれた。風もなく、打ち合う竹林も音を潜め、時折キュルキュルと鳴く小鳥の声だけの静寂だった。イノシシ除け(実は、若い恋人たちの木立の中のふれあいの邪魔をしないための接近警告の)カウベルをリンリンと鳴らしながら、100段余りの急勾配の階段を登り詰める。
登り上がった車道から、寒椿の真っ赤な花を見ながら左に折れて山道に入った。「野うさぎの広場」への散策路は、冬枯れの下に枯れ枝や落ち葉、イノシシの狼藉、ペットボトルや空き缶で荒れ果てていた。散らばっていたマイ・ストックの枝3本を元の場所に立てかけて、さらに山道を辿る。久し振りの山歩きだから、今日は念のためにLEKIのストックを伸ばして持参している。
時折、鮮やかな色を残したムラサキシキブや、真っ赤なヤブコウジが迎えてくれた。春、小さな握り拳を振り上げていた羊歯が、大きく育って山道に覆い被さっていた。
息が上がることもなく、足がよろけることもなく、無事に「野うさぎの広場」に辿り着いた。冬木立から広場に落ちる木漏れ日は、限りなく優しかった。マイ・チェアと定めている切り株に腰を下ろし、カフェラテのミニボトルで喉を潤した。かすかな風が包み込むように過ぎて、肌を湿らせていた汗の火照りを冷ましていく。ヤシャブシの棘々の実は、今年も健在だった。時に、イノシシや野うさぎを見掛けるこの広場が、私の一番お気に入りの秘密基地である。
何度この広場で豊かな時を重ねたことだろう!時にはシートを敷いて横たわり、眩しい木漏れ日を閉じた瞼の裏に温めたり、コンビニお握りを頬張ったりもした。3か月半後、春の日差しを浴びて、この広場は一面青いハルリンドウで覆われる。
「せせらぎ」、「木漏れ日」、「冬木立」―――好きな言葉を三つ集めて木立に寄りかかりながら、自分なりの今年の「納め」とした。
納めきれないことの多い一年だが、未練を断ちながら今年のブログも「書き納め」にしよう。
(2021年12月:写真:「野うさぎの広場」への散策路)
100段に近い階段登られるのですから。
私だったら、最初から諦めてしまいそうです。
「せせらぎ」「木漏れ日」「冬木立」
素敵な言葉が並んでます。
今年一年有難うございました。
来年もよろしくお願いいたします。
朝ドラの中でも、「木漏れ日」という英語はないと言ってました。乱れてしまった最近の日本語、マスコミが若者にばかり迎合していると、本質的なものがどんどん喪われていきます。
博多弁も、すっかり乱れてしまいました。「バリ美味しか」などと使う「バリ」は、本来の博多弁ではありません。
「しろしい」という博多弁、これこそ英語にもフランス語にも、ドイツ語にもない言葉でしょう。
川のせせらぎの音は、私にとって心の安静剤です。
一年間、ご愛読ありがとうございました。
どうぞ、よいお年を!!