峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

人には2つの人生がある

2017年11月21日 | 暮らし

何もなくて家にいる平日は、昼食をとった後、女房どのとお茶を飲みながらテレビでNHKBSプレミアムの「プレミアムシネマ」を観る。ただし、洋画に限る。
今日は、バーナード・マラマッドの小説「ザ・ナチュラル」を映画化した「ナチュラル」(The Natural)。ちなみに、ナチュラル(natural)には、「天性の素質がある人」、あるいは「成功間違いなしの人」の意味がある。

投打ともに天賦の才能を持った主人公である野球青年が、将来を誓い合った恋人を故郷に残し、大リーグ・カブスの入団テストを受けるチャンスを得てシカゴへと向かう。
ホテルに着いた青年のもとへ、道中の列車で出会った女性から電話が入る。色香に惑わされた青年は、彼女の求めに応じ彼女の部屋へ。ところが、部屋に入るなり青年は彼女に拳銃で撃たれる。
時は流れ、それから16年後、低迷を続けるニューヨーク・ナイツのベンチに35歳となったあの青年が忽然と姿を現す。監督は、自分の与り知らないところで入団が決まった青年を冷遇する。だが、試合中、外野フェンスに頭部をぶつけ亡くなった野手の代わりに彼を起用せざるを得なくなる。
そして、そこからナイツの快進撃が始まり、大活躍の35歳のルーキーは一躍マスコミの寵児となる。

以上がおおよそのあらすじだが、決してシリアスなストーリーではない。
何故、列車で出会った女性は青年を撃ったのかは最後まで謎であり、他にも奇想天外というか、奇妙きてれつというか、不思議なことがあれこれ起こるが、それはそれでそれほどの違和感もなく、十分楽しめる作品となっている。

主人公を演じるのはロバート・レッドフォード、監督はパリー・レビンソン、メジャーリーガを目指した男の半生を描いた野球映画で、アカデミー賞4部門にノミネートされた。1984年の作品。

おっと、映画のことを話そうとしたのではなかった。
映画の中で、故郷で別れたままになってしまい、今は男の子の母親となっている昔の恋人と主人公が十数年ぶりに再会するシーンがある。その時の彼女のセリフの一節がこうだ。
「人には2つの人生がある。学ぶ前の人生と、その後の人生とが」

塾生に、しばしば話して聞かせることがある。学んだことの証は、ただ一つ。それは変わることだ と。それ故、先のセリフが心に響いた。

エンディング、野原で仲良くキャッチボールする親子の姿があった。それは、主人公が少年の頃、父親とキャッチボールした故郷の風景とよく似ていた。果たして、主人公の青年とキャッチボールする少年は?

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繋がっているんだ

2017年11月21日 | 子育て日記

今日 有紀さんは姉である絵理子さんと一緒に登校した
どんな心境だったのだろう
帰宅した有紀さんに早速聞いてみた
一緒に登校した感じはどうだった?
「普通」
学校の中では友達に何か言われた?
「可愛いって」「有紀も可愛いって」
お姉ちゃんのこと言われてどんな感じ?
「普通」「廊下ですれ違って『こんにちは』って言ったよ」「お姉ちゃんと約束してたっちゃん」
いかにも有紀さんらしい

傍らで聞いていたくるみさん「私やったら嬉かけどね~」

私の父は学校の教員だった 
私が小学校の3年生か4年生のとき担任の先生が休みのとき代わりに私のいるクラスにやって来たことがある
算数の授業である設問に「峰野君」とあてられた どうにか答えると それをほめてくれた 
嬉しく また 気恥しいような思いがしたのを覚えている
その父も 亡くなって14年になる
                                              
200362日(月)
     _____________________

3人の子供たちは、私の塾生でもあった。
教室は自宅の2階、子供たちは1階の居間で食事を済ませ「行って来ま~す」と2階の塾に通って来ていた。

普段は「お父さん」と「子供」、だが、教室に入ると「先生」と「生徒」、互いに自然と区別を付けられていたように思うが、1階と2階をつなぐ階段を上り下りするときに自然と気持ちが切り換えられたと後に子供たちが話してくれたのを覚えている。

私が、父とのことをたまに懐かしく思い出すように、3人の子供たちも、いつか私とのことを懐かしく思い出すのだろう。

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