痛い右足をかばいながら昨日はシニアサッカーの滋賀と京都チームの交流会の取材に出かけた。今回は取材というよりは新しい組織で活動を始めますというご挨拶だった。午前中は小雨の予想が、晴れに変わり暑い日になった。約1年ぶりの取材だ。京都のチームとはお会いするのが1年半ぶりだろうか。
シニアのサッカーチームは40歳以上、50歳、60歳、70歳、80歳以上が大きな区分で首都圏などはさらに細かく区分されることもある。これが数えの年齢になるので、70歳のチームには69歳の人がいる。69歳と79歳の体力差は大きく、一緒に試合をするのは、かなり注意しないと事故につながる。そこへ加えて、1年分の人の入れ替わりや(68歳の人が70歳のグループに入る)練習会や大会の中止でチームとして試合をしていない。おじいさまたちは、20分(試合)→5分(休み)→20分(試合)をこなしていく。初めの試合はやはりプレーがちぐはぐになる。
プレイをしないで休んでいる時間は、それぞれの身の上話?になる。コロナ禍の2年半はご自身の健康や仕事、ご家族との関係など様々な話がでる。それぞれ問題があったようだ。特に介護施設に入っている家族ことへの不安らしい。(文句というのではなく、生活の様子がわからないということだ)
コロナ禍で痛んだ部分は(傷んだと言っていいのか)元に戻ることはできないが、修復していかなくてはならない気がした。それはシニアのサッカーだけではなく、大なり小なり各人にあるのではないだろうか。幸い、私はコロナ禍によって気づいたことも多く、皆さんに感謝して暮らせるようになった。これが修復かな。だから、肩にそっと置くくらいはできる気がする。そのためにも、私の生活の充実だと思う。
そんなことを考えたおじいちゃんたちとのサッカー大会だった。土曜日のぶろぐとつながりました。