今日は名古屋へシニアサッカーチームへのご挨拶に出かけた。2日続けての外出はきついが、あたたかい日であたたかい歓迎を受けることができた。昨夜は目が覚めるとお墓のことで思うことがどんどん出てきてなかなか眠れなかった。自分の眠るところができたということは、こんなにもほっとすることなのだろうか。もう、迷うことなく一つの道を歩いていける。
霊園で説明をいただいた方の名刺には終活カウンセラーという肩書があった。家族のない独り身の儲からないお客さんなのだが、お墓の考え方というものを伝えてくださった。初めに霊園を訪れたときは、プレートの小さなお墓ならいつも空を見ていられるようでいいし、広々としていいなぁと思っていた。そして、誰かがもしお参りに来てくれたら、小さな花でも手向けてくれる場所があっていいのではと思った。そのうち、お友達の義理のお兄さんが天に召されて、無宗教だしということで合祀のお墓に入られた。「空が見えるなんてお墓に入ったらどうでもいいじゃない」と言われた。そうだなぁ、どうせ誰もお参りになんて来ないし…と思った。
でも、そうではないと思った。私が「生きた証」はその人を愛したという証だ。もし、その人がお参りに来てくれたら、私と二人で話したいだろうとも思った。だから、どんなに小さくても私のお墓は大事にしたいと。お墓というものは自分だけのためではないということを感じた。この決断ができたのは、自分の生き方にOK出来たからだと思った。あのカウンセラーはいろいろなパターンのお墓の説明をしてくださった。(夫婦のお墓、親子のお墓のことなど)
今日は、名古屋のチームのご夫妻と食事をして、ご自宅にお茶の招待をいただいた。こんなことなかったなぁ。何かいいことが待っていてくれそうだ。(写真の障子をあけるとモノクロの世界からフルカラーの赤が見えます)