寒くない朝が続く。この前血圧が上がったので布団というこの上もなくぬくといところから外気に触れるときは部屋を暖めてからとしている。でも、今日は何か空寒い。こころを隙間風が通りぬける。1日に近く誰かと一緒にいた次の日は、こんな感じを味わう。ひとりに戻った・・・。秋だね。
この頃、家族というものが、少し傷があろうが、ゆがんでいようが、色が退色していようが、それはそれでいいのだなぁと思う。それが普通なのでそれが「家族」なのだ。ついつい相手の家庭はゆがんで見えたりする。それをまた相手に言えば、自分たち家族にも小さなひびが入る。自分の家族に不満があっても、それを言われるのはイヤなことなのだ。あんなに嫌だと言っていたのに、いざとなると「かばい合う」のが家族なのだろう。さまざまな修復を常にしながら「家族」は形を保っているのではないだろうか。
「かばい合う」という部分が(家族ゆえのえこひいきか)なくなると、家族に冷たい風が吹き出すのではないだろうか。家族が病んくるとしたら、このかばい合うことをしなくなることではないだろうか。なんだかんだと言っても、母親は息子をかばう。外から見ていれば「息子さんの至らないところの根源はお母さまでしょう?」と思うのだ。だから、かばってもでいいのだろう。
病んでいない家族なんてないと思う。それでいいんだよね。それでも形を壊さないで行くのが、「あい」なんだろうな。家族のあいについて、神父様が語られたことで私はあらためて「かぞく」のたいせつさを感じた。