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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

すてきな旅立

2018-05-09 18:28:45 | 日記

 寒い、寒い。冬のコートを着る。季節がわからなくなる。週末からの取材出張の準備もできたので、今日はだれにも会わずに家でのんびりしょうと思った。朝、メールを開けてみると、勇気が出て、動き出したくなり教会の分かち合いの会に出かけた。

会は聖書の難しい話をしたりするのではなく、1週間とかで心に残ったことを話したり、日曜日のミサの福音で印象に残った部分とそのわけを話すだけだ。人の話には意見を言わずに聞くのが唯一のルールだ。私は母の死去とそれにまつわる話をした。

母が亡くなったのは21時37分。もちろん、会うことはできなかった。そして、その日のうちに病院に駆けつけて遺体を引き取ることも時間的に出来なかった。病院側が最善策として、母を病室でクーラーを効かせてそのままにしておいて、翌日午前中までにおいでくださいということだった。そして、翌日、医師と看護師から昨夜の状況を丁寧に説明を受けた。地元の葬儀社もわからないので、病院に出入りする葬儀社に頼んだ。この医師と看護師さんが最後まで立ち会ってくれた。母の乗る車が病院を出るときは、最敬礼で送ってくれた。車が見えなくなるまで。涙が出た。

会に来ていたシスターが言った。「病院の方たちが最敬礼で見送ってくれたこと、それがおかあさまの全てなのですよ。どんなにあたたかく幸せに思っていられたことか・・・。」

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Don't Cry

2018-05-07 22:14:20 | 日記

朝のベランダは肌寒かった。朝、起きるとベランダの植物をみるのが日課になってきた。植物はたくましい。途中で折れてしまったクレマチスは折れた所から新芽を出してきた。シクラメンもポインセチアもまだ元気だ。頂いたソバの種を蒔いてみた。芽が出てきたが、ソバの芽なのかわからない。ブライダルベルは小さな白い花をたくさんつけている。だれを祝福しているのだろうか。

一番欲しかった言葉が届いたので、心が解けた。そして、私は大声で「おかあーさんがいないー」と泣いた。子供のように、何度も何度もそう言って泣いた。

50歳に近い男たちが涙を流している。そのことがわからなくないが、男が泣くときは、親が死んだときではないかい?それでも耐えることがある。本当に悲しいときは、涙も出ないのだ。きっと、彼らはいままで守られて幸せに暮らしていたのではないだろうか。みんな、甘いよな。

つらくたって、泣きたくたって、働かないと(動きださないと)ならない人のほうが多いのだ。「生きる」ということはそういうことだろう。せめて、せめて、そんな人に、贈る言葉はないかと探している

 

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ふたたびゆめを追いかけて

2018-05-06 18:20:31 | 日記

 連休も今日で終わりらしい。何かその実感も無く終わった。ただ、今週末が忙しいので、母はそれを配慮してくれたらしい。

母を荼毘に付す前の日は親友と会っていた。お別れの日は叔母と一緒だった。両日とも明るく笑えていた。死を悲しむという感じはなかった。お茶の話を親友としていた。銀閣寺のお茶席の話で、窓をあけると別世界が広がる話だ。そろそろ二人とも荷物整理をし無くてはならない時期だ。私などはこれからのことを考えると、一回り狭いところに越さなくてはならない。でも、夢のようなお話として、お茶室がほしい。窓をあけると、海が見えるとか・・・。のびのびしたお茶室がいいとか。それでは、お茶室が出来ると、お茶室しかない家になりそうだ。生活は無理そうだ。親友が言った。「大丈夫よ、寝るときは布団をそこに敷けばいいのよ」と笑った。和の生活は便利だ と思った。

糸が切れてしぼんだ風船は、救急者が着てくれて、すぐ空に浮くことができた。そして、ゆめを追いかける気持ちがまた湧いてきた。お茶室では、ただ、黙って静かなときを過ごしてくれてもいい。私の点てるお茶で、なにか語りたくなればそれでいい。だれでも、いつでもふらりと立ち寄れる空間を作ることが出来たら・・・。

明るい叔母と親友と救急者のお陰で、また夢を追いかけられる。

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恋におちた日

2018-05-05 20:55:09 | 日記

 五月晴れの1日。柏餅やカーネーション売り場に行列が出来ていた。

白いカーネーションか淡いピンクのカーネーションを母に贈りかったが、ちょうどいい色のカーネーションはなかった。みんなばら色だった。

あさドラ見ていて思い出した。ものを取り違えたりすることから「恋」が始まることがある。あさドラは一応悲劇になるが。でも、それが吉となることもあるだろう。昔の映画「恋に落ちて」はクリスマスのプレゼントの間違いだった。

あれはホテルのフロントの間違いだった。そのフロントの間違いのお詫びをしたのが、私の中のその人の存在の始まりだった。その後、その人は知らないが、私は別の一つの大きな間違いをした。その人から届いた写真にびっくりして(すばらしいので)親友に知らせようとした。そのとき、履歴からメールして別の人の所へ送ってしまった。このメール違いが、あとで大きな間違いとなった。

でも・・・・。あのときの写真のもみじの紅さは、ただ紅葉の紅さだったのだ。私が勝手に勘違いしたのだろう。恋の始まりはそんなものだ。時間を経て、間違いは修正され、「恋」は昇華された。

今日はこんなところで終わろうかい。空気の抜けた風船みたいにしぼんでいる。

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あなたが帰ってくる!

2018-05-04 19:52:04 | 日記

 風薫る五月。

 あなたが帰ってくる。何年ぶりだろうか。10年前くらい、私たちは一緒に住んでいた。広い庭のあるマンションだった。あなたは花が大好きで、庭木の手入れをよくしてくれた。私が休みの日には、海岸へ出かけて、子供のように貝や石を拾っていた。でも、あなたはお友達とも離れてさびしかったのだろう。遥々お友達が遊びに来てくれた日はうれしそうにはしゃいでした。

ある日、ささやかな揉め事から喧嘩になり、私が仕事の間に出ていってしまった。叔母や友達のところへ身を寄せ、そしてすべて処分した自宅へ帰ってしまった。お友達に電話して、家具やらをそろえ逞しく暮らしだした。そのとき、あなたは80歳を過ぎていた。帰るように頼みに行っても「ここで一人で暮らす」と聞かなかった。認知症であることがわかってから、私はなんとか現状維持でいて欲しいと できる限りのことはした。

そのあなたが、明日帰ってくる。私はあなたの居場所を作った。すきなお菓子や果物やそして大好きなお花をそろえた。あなたは「あっぱれ」だった。戒名も洗礼名も持たず、ただあなたとして帰ってくる。悲しみは無く、あなたを迎える喜びだけがある。あなたは世界一のおかあさんだ!

 

 

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