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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

坊主 憎けりゃ 袈裟までか?

2018-10-15 10:48:54 | 日記

お布団に愛されて、起きたのは7時半を過ぎていた。コーヒーを飲まないと目が覚めない。のどは痛いが風邪ではなさそうだ。重たいまぶたをこすりながら、今日中に最低限しなくてはならないことを考える。

男性は群れで生きる動物だ と言った人がいた。例えば、狩に出かける集団がある。一人ひとりの狩の仕方は違うとしても、集団として狩をするときは、全員がまとまって成果を上げようとする。反対意見を持っている部分があっても、全体のことを考える。私はそれがよくわからなかったが、今回、あることで男性というものは口には出さないが、個々の主張は別として、全体を考えてまとまっていくことを考えているのだ ということを知った。気に入らない部分があっても、なにが大事かを考えて、引く部分があるというのか。女はそうはいかない。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い で全部NOになる。家で獲物を待っている女性は、我が家のことのみ考えるのだろうか。

そんな男性の世界をどうみるかは別として、四人の考えが違う男達が一つのことに対して同じことを言った。それは実に男らしいやさしさだった。この人たちがそんな思いでいるなんて! とびっくりした。まぁ、たまたま部外者の私にならと話したのだろうが。ふう~ん という感じで男世界が羨ましかった。袈裟が気に入らなくても、坊主まで否定しないのだろうか。女というものは味気ないものである気もする。

 

 

 

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出会った意味

2018-10-14 06:52:22 | 日記

顔を洗う水が冷たい。清んだ水だ。宿の近くを散策すると身体が冷える。

出会いとは不思議だと思う。東北のひなびた温泉町に来られるとは。昔ながらの旅館はさまざまなことを思い出させる。子どもの頃育った家、今頃は柿が色づきだした。

人生は出来たことよりできなかったことが多いという。やはり母にできなかったことを思う。もっと、、、、

できなかったことは新たに出会った人とやり直せばいいと言われた。そんなことが多すぎる。いま、たくさんの人と出会っている。お一人お一人とやり直せればと思う。

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ゆうわく

2018-10-12 17:04:04 | 日記

東北への旅は、福島から山形へが山が深くなる。ところどころが紅葉している。このまま何処かに消えたい誘惑が起きる。家の生活に不満があるわけではない。

大事な人のセーターでも編んでいたい。ゆっくり料理し楽しみたい。春咲きの球根を植えたい。ソファーで音楽を聴いていたい。外向きでない内向きの生活をしていたいのだろうか。もう人前に我が身をさらすのが、いやなのだ。

月山は紅葉が始まっているという。途中で冷たい雨になった。霙混じりだ。カメラマンたちが煙る山々を撮っている。蔵王と違うゆったりと山が広がる。ブナの森が美しい❗

下界に降りた。しばしの誘惑は消えていた。

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東北への旅情

2018-10-11 19:06:31 | 日記

明日から東北山形へ取材に出かける。山形から新庄へ、そこからさらに奥の最上町まで。空気も澄んでいて環境は最高だ。東海道よりも東北新幹線は、田園風景が広がり、旅情がある。「ああ、この国は農業国なのだなぁ」と思う。刈入れの済んだ田んぼ。まだ黄金色に穂をたれる田んぼ。ここを見る限りでは、米文化は健在な気がする。

2日間も地方にいて、東京や新宿に戻るとがっかりする。立ち並ぶビル群は薄っぺらい文化とさえ感じる。海外の農村地帯と見たことがないが、国の豊かさとは農村地帯の豊かさのような気がする。漁業もそうだ。松島海岸近くの道路際で、牡蠣やほやなどを売る店がある。朝採れたものをすぐに身を取り出した牡蠣はふっくらとグラマーだ。もろろん、殻付きのものもある。豊かな海の資源だ。

全く違う話だが、昨夜のNHKで1964年のオリンピックで今までに公開されていなかったフィルムを特集していた。国立競技場で聖火ランナーを見ようと、各国の選手たちがトラックの付近へ駆け寄った映像だ。さすがNHK、そのとき駆け寄った海外の選手を探して取材した。「なぜ、駆け寄ったか?」の理由は、私は知らない事実だった。そのときの聖火ランナーが19歳で、広島に原爆が落ちた日に生まれたということですばらし事と感動して、駆け寄ったという。戦後のこの国の発展はすばらしいが、なにか大事なものを置き忘れていないだろうか?四季に恵まれ、水に恵まれ、その豊かさが豊かな作物をうんだのではないだろうか。

のどかな棚田の風景。郷愁の思いに駈られる東北の旅になりそうだ

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離れていて寂しいと思う人

2018-10-10 19:33:53 | 日記

日は朝寝坊で始まった。それだけ夜中に目が覚めずよく眠れたということだ。年のせいかよく眠れない日もある。自律神経の問題なのかわからないが、外で日に当たる時間があるといいような気もしている。年とともにさまざまな問題が出てくる。でも、あまり気にしないことにしている。

朝はメールを開けて、それからウエブの今日の福音を読んで、為替のレートを見て、フェイスブックを開く。フェイスブックでふと目にしたのが、「一緒にいて楽しい人よりは、離れていて寂しいと思う人を選びなさい」だった。たぶん、恋人か結婚相手のことだろう。なんとなく言わんとしていることはわかるが、「離れていて寂しいと思う人でも、一緒にいても楽しい」ということもある気がする。「一緒にいても離れていても寂しい」こともある。人を(恋人や結婚相手を)そんな風に選べるのだろうか?同性の友達でも、普段はわからないが、彼女が海外に2週間も出かけると、寂しく不安なることもある。

人との関係は年月が経たないと分からないこともある。離れていた円が少しずつ重なり合うようになることもある。年を取るとそんな時間を待てるようになるのだろうか。両方から歩み寄るのがいいのだろうな。

二人の食卓の意味がこの頃わかるようになった。毎日、危ないおばさんで姿なき相棒と話しをしている。朝の祈り、夜の祈り、手抜きの食事のときの謝り、出かけるとき食事がないことの謝り、そして「これ、おいしいね」と。でも、危ないおばさんでこれを続けてきてよかった と思う。一人で食事をしていたら(一人分しか用意しなかったら)それは寂しい一人暮らしなのだろう。姿なき相棒でも暮らしは「やすらぎ」があると思う。

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