セーターが欲しい1日。毎年、新しいものを買わなくてはと思いながら、ここ3年くらいセーターを買っていない。昔のセーターは毛糸がよかった。というか純毛だった。純毛のものはあたたかくて長持ちがする。それで高価なので買えない。子供のころは、セーターをほぐしたりして、編みなおしていた。母と毛糸を手首に巻きつけて毛糸球作りをした記憶がある。あんな風に親子が接する機会も多かったのだろうな。
大杉漣さんの遺作になった「教誨師」という映画の紹介をしていた。「教誨師」は、受刑者に寄り添い心を救済して回心するように導く人のことだという。日本では仏教僧が50%だそうだ。大杉漣が演じる教誨師は、死刑囚と向かい合うプロテスタントの牧師だという設定だ。全く理解が難しい死刑囚の価値観と闘うことになる。人を殺したことを正当化しようとする死刑囚の価値観を理解しようと苦しむ教誨師の役は、大杉ならではの役である。
人は生まれたときから「うそ」をついて人を騙したり、乱暴を振るう者などはいない。心理学などを学ぶと、人との係わり合いの過程で身を守る手段として、さまざまな防衛機能を身につけるということわかる。その殻がどんどん厚くなり、増えていくという。そんなことが理解できると、一人の人間が犯罪を犯すことも理解できることがあるという。
「殺しても許すのですよ」シスターは言った。なんとも生々しい話で、夫の浮気の相手を殺した妻のことだった。(教会での聖書の分かち合いのときの話)まだ、この話はわかるが、知的障がい者の殺害事件などの犯人の価値観は理解できないだろう。キリスト者として許すという大きな課題。映画を見に行きたいと思う。